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作品 - 20070329_250_1956p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


Million miles away

  宮下倉庫


水で満たされたタンクを抱え少年は走る。道の両脇に立ち並ぶ小屋からひとすじ、またひ
とすじ、炊煙が立ち昇りはじめる。雑音交じりのテレビはイングランド訛りの英語を喋っ
ている。蒸し暑い小屋の中で男達は遥か北の、かつての宗主国の首都から届けられるフッ
トボール中継に見入っている。

ハイバリーのスタンドでは、白人の少年が頬にホームチームの赤いフラッグをペイントし
ている。敵ゴール前にぬっと立つ、長身でやや細身、背番号4番の黒人FW。彼はロンド
ンの空模様に慣れない。薄寒いし、雨ばかりだ。それに背中がやけに重い。ボールが自陣
にある間くらい、ハイドパークを散歩するような気持ちでいなければ、こんなところには
いられない。

風が吹いても、ここではシャツが、男達の背中にはりついたままだ。少し離れた幹線道路
は今夕もひどく渋滞している。苛立つタクシーのバックミラーで揺れる、“4”を象った
白地の、緑で縁取られたキーホルダー。FWはときに厄介な荷を背負いこまなければなら
ない。炊煙がラゴス島の方に棚引いていく。

ゴールを決めるたび、故郷が遠ざかっていくような、そんな気がしている、もう何年も。
それでもこの島で点を取らなければならない。数本のロングパスがイングランドの曇天を
渡る。空を見ているのはボールが落ちてくるからじゃない。ヘディングは得意じゃないし
、ボールはいつだって、彼の足元に吸い寄せられる。厚い雲の向こうはきっと夕焼けだろ
う。ママのキャッサバが茹で上がる頃だ。

アルー アルー アナウンサーがひときわ訛りの強い英語で叫ぶ。赤に染まったバックス
タンドがうねる。ボリュームが増して、テレビの雑音がひどくなる。男達が一斉に息を飲
む。4番の足元で、時間が伸びて、縮む。

アルー 小屋の入り口に立ち尽くして、少年は小さく呟く。足元で倒れたタンクから水が
流れ出し、少しずつ、踏み固められた大地の色を変えていく。けたたましいクラクション
が聞こえてくる。沸騰する鍋からキャッサバが引き上げられる。少年の背中に、色あせた
4番がはりついている。

文学極道

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