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作品 - 20070112_412_1763p

  • [優]  神様 - 紅魚  (2007-01)  ~

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


神様

  紅魚


一.
あたしが眠りを忘れるよりも前、
教室の窓からは寂れた遊園地が見えていて、
微かに聞こえる場違いに弾んだヒーローショウの声やら何やらが、
酷い倦怠感と眠気を途切れる事なく運んで来ました。
とろとろと眠りに支配されたまるで夢のような日々は
あたしの声を急速に衰弱させ、
あたしはいつしか
まるでその空間に埋め込まれてしまったように
動く事をやめてしまう。

(色のはげた観覧車がきりりきりりと廻ります。
ピンクの8番が降りて来るまで
四分だけ待っていよう、ね。

ポルカポルカ、ポルカ。
自動演奏の音は二度ずれて、
バラバラに解けて風に散る)

その滅びかけの王国を夢の片隅に追いかけながら、
眠りはいつでもあったのです。

潮風が髪をべたつかせるのであたしはいつも苛立っていて、
それでもとろりとした温水の眠りに絡められるよに沈むのに、
抗えるはずなどない。

貴女方が貴女方の貴女方を貴女方と──。
教室を細切れの貴女方に変えていく教師の抑揚のない声は
遠くなったり近くなったり揺れたり旋回したりしながら、
いつも一つの合図でした。
貴女方、の欠片になったあたしは酷く無力で、
木偶の坊のように項垂れたまま、
次の進化を待つのです。

二.
鈍行列車がゆきます。
乗る人のいない遊園地前で虚しく扉を開け、
それから海の方へとゆくのです。
たたんたたんと線路の鳴き声は、
単調すぎる律動であたしをいつもぼんやりとさせ、
一つ処にとどまらせてくれません。
あたしはいつしか灼けた道を潮風に逆らいながら線路沿い、
海の方向へ向かいます。
長すぎる髪はやっぱり酷くべたついて
時折それで首を吊ってみたくなったりしながら、
ほとりほとりと歩くのです。

泳ぐみたいに逸る胸は
何かに呼ばれているような心持ちですが、
辿り着いたところで誰も待っていないし受け入れられもしない事を
あたしはとても良く知っていました。

やどかり、浜千鳥、蟹の穴。
うちあげられた海藻の、腐臭。
はたはたと風化していくビニルの残骸。

人気のない海岸は確かにあらゆる生命に満ちていて、
あたしは出来るだけ息を潜めて、
裸足になってこっそりと歩く。
足の裏に砂。
足跡の窪みは小さな海です。
船虫がこそこそと甲を這う。
そこではあたしは異質でしたから、
あたしだけ無機質に乾いていましたから、
水を吸い込むばかりでとてもとても肩身が狭いのです。
ひっそりとひっそりと、
潮の馨を呑み込みます。
涙を精製して、
いつか、還るためです。

三.
それは決定的な青。
掻き分けて歩く風の色合いに気付いた時、
あたしは楠の果実の馨に倦んでいて、
聖域からじりじりと敗走を始めるところでした。

弁天池の石の上で甲羅干しをしている亀が
きょろりとこちらを見たのです。
あ、
と思うまもなく、
空気が閉ざされて
その時からあたしは眠りを追うのをやめてしまいました。

教師の声、遊園地の日々。
ポルカポルカポルカ、
さようならの王国、
とろり、とろり、たたんたたん、
かさかさの船虫と、
波の音波の音波の音。
動けないあたし鳥居の向こう。

眠らない日々はひそやかに蓄積されて、
あたしの中の眠りの記憶が少しずつ爛れてゆきます。

清涼な水が必要です。
涙を落としても濁らない、
それどころかゆらりと発泡するような、
海洋性の水です。
眠りの記憶を取り戻して、
あたしはきっと還らねばなりません。

その為ならば総てを許すと、
確かにあたしの神様は言いました。

文学極道

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