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作品 - 20060606_459_1320p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


バスケット・ダイアリー

  一条

夜が明けると、犬が放り込まれた。
顔馴染みのじいさんとばあさんが3人くらいいたが、結局どうしようもなかった。
女はレジ打ちの仕事をやっとこさみつけ、今日から、レジを打っている。
女がレジを打つ仕草というのは、なかなか魅力的だ。
男だったら果たしてどうだろうか、と男は説明している、
その傍では、何も起こりえない。

そしてどこへ行くのにも、
だいたい徒歩15分くらいだということに気付いてしまった時、
マンションのチラシなんかに掲載されている「徒歩10分以内」とかいう情報は
つまり、ほとんど意味がないということを知るべきだった。
実際計測してみると、徒歩12分を過ぎたあたりから、
だいたい3分後には目的地に到着してしまう。
だから男は、仲間には何も話さないことにした。

それから、ずいぶんと前に放り込まれた犬の何匹かが吼え始め、
それを駆除するために業者が駆けつけた。通報したのは、
犬とは利害関係を持たないマンションの住人だった。
そして右側のエレベーターが故障した。それは偶然だったが、その時すでに
左側のエレベーターは故障していた。ポストに投函されたマンションのチラシは
今日も新しい情報を提供しなかった。ずいぶんとひどい話だ。

犬は殺されないでいた。最近は殺すより殺さない方が面白いんです、
と業者の男。ついでにエレベータを直してくれませんか、と
犬とは利害関係を持たないマンションの住人が哀願した。
夜が明ける前に修理しておきます、と言って、男はいなくなった。
その傍で説明している男が、もう何年も仕事を探し続けているがみつからない。
商品の価値が値札に書いていると思っているタイプの男だから
仕方がないのかもしれない。今日も一日何も起こらなかった。

ポストに投函されたバイト募集のチラシを見て
もう何十年も働いてはいないけどレジ打ちくらいなら、
と女は軽い気分で応募した。面接で渡されたアンケート用紙のアピール欄には
ああ、すごく楽しいはずよ、レジを打って、打って、打って!
と書いてみた。夜が明ける前、目をこすりながら、
女は今度こそ採用されるかもしれないと思った。

もう何十年も男は説明している。いつ殺されても平気のはずだった。
しかし、最近は殺すより殺さない方が面白い。
レジを打つ女は、次から次へと新しくなったが、
だいたい苦情なんてものは年に数回程度しかないのだ。
マンションのポストには新しいチラシが投函されつづけた。
迷子の犬を探しています、
それは飼い主にとってのみ切実なものだった。

新しいマンションがどしどしと建設中である。
それは、ほとんどが徒歩10分以内の距離に集合していた。
男には、もう、そういうことのすべてに説明が必要だとは思えなかった。
しかし、世の中には、説明を必要とする人たちが
一定の確率でいることも既に知っていた。
今日はレジ打ちの女が欠勤だ。
きっと女は戻ってこないだろう。

つまり、こういうことだ。
ほとんどのことは、値札に書かれている。心配するな。

文学極道

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