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作品 - 20060606_441_1319p

  • [優]   - まーろっく  (2006-06)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


  まーろっく


 刑務所の高いコンクリート塀に沿った道は、わたしの古びた
夢にまだ続いている。全てが鉛色だった。梅雨空も、長い塀も、
砂利道も。わたしは憂鬱な学生鞄をさげ永久にその道を歩き続
けているのかもしれない。
 道の片側は畑で、所外作業の模範囚たちがやはり鉛色の囚人
服を着て働いている。畑の中には養豚舎があり、荷台に柵をし
たトラックが豚を運び出すために時折り横付けされていた。そ
して、今しも一頭の豚が荷台に引きずりあげられようとしてい
るのだった。
 豚だって死ぬことは分かっているんだ。とわたしは思う。豚
は動物でさえない。より多くの肉を得るためだけにある家畜だ。
豚の精神など許しがたい。しかしどんなに人間が愚鈍さのなか
に豚を落とし込んでも暗愚な脳に光が射す時がある。
 豚は力いっぱい抗う。肢を踏ん張り、荷台に載せられまいと
して。腹には引き縄が巻かれ、四つの肢は男らにとりつかれて
いる。豚はなかば横倒しになり、身をよじっては荷台のあおり
板にからだを打ちつける。
 300キロ近くもありそうな大きな白い豚の肌は紅潮してい
る。あからさまに血の色を放ち、鉛色の空と、塀と、砂利道と、
おなじく鉛色の囚人とわたしを罵り叫ぶ。豚の甲高い鳴き声だ
けが刑務所の塀に響き、豚の波打つ腹の上だけに陽が落ちてい
る。そうして豚は運命の台に載る。
 一仕事終えた囚人のひとりがわたしに白い歯を見せて笑った。
やあ、こいつもこの世の見納めってやつさ。 労働の充足感と
家畜への嗜虐が彼を少し陽気にさせていた。
 豚はまだいくぶん興奮していたが、四つの肢を板張りの荷台
に落ち着けると精神は肉のなかで眠り込むようだった。豚の目
はうつろに鉛色の空をうつしていた。だらしなく涎が垂れてい
た。
 不意に刑務所の塀のなかから、駆け足の掛け声がたちのぼっ
た。大勢の男たちの声は広がることもなく、垂直に空にのぼっ
ていった。重い足取りで、それでも一日が回転しはじめた。
 

文学極道

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