冬の夜、僕は悲しくて、
ひとり、港の桟橋で、
黒く、ゆらゆら揺れている海と、
そこに写った月の姿を眺めていた。
海上を漂い流れている
つるんとした
大きな物体が、あった。
月明かりに照らされた
その物体は、
仰向けに漂う全裸の中年男性、
僕の高校時代の恩師。
十年ぶりの
再会だった。
海上を漂う一糸纏わぬ五十男は、
見下ろす僕の、顔を見つめて、こう言った。
「勉強は、しよるのか?」
僕は何も言わなかった。
僕が泣いていることに気付いた先生は、
静かに僕にこう言った。
「園芸部に入らんか?」
僕は涙を拭いた。
少し波が強くなって、
先生は何度も桟橋の岸に体を強く打ち付けて、
その度に、上を向いたり、下を向いたりした。
上を向いたり、下を向いたりしながら、
てらてらと濡れ、輝く、その顔は、
笑っているのか、泣いているのか、
僕には分からなかった。
僕はタバコに火をつけた。
足下で先生が、
「こら、お前、タバコ!」
と言った。
僕は夜空を見上げて、
思いっきりタバコの煙を吸い込んだ。
そして、
それぞれの事情を想った。
「ごめんね」と言って、
電車の中に消えた彼女の事情、
その時僕らの横を通りすぎて行った
汚い身なりのおじさんの事情、
あの時、あの場所にいた何百人もの人間
それぞれの事情、
そして、
僕の足下をゆらゆら漂っている、
つるんとした大きな物体、
その、事情。
夜明けまで、そこにいても良かった。
けれどそうはしなかった。
一応、まだ僕にも、やるべきことが残されている。
そう思う事にした。少なくとも
部屋に溜まったゴミを出さなきゃならない。
僕は再び海を見た。
先生は少し沖の方に流されていた。
たくさんの小さな魚たちが、
先生の体毛をついばんでいた。
黒く光る海を漂いながら先生は
なにか鼻歌を唄っていた。
どこかで聞き覚えのある歌だった。
僕は家に帰り、
散らかったゴミをまとめて玄関に置いた。
明日の朝九時までに出さなきゃならない。
明け方、僕はベッドに入った。
ほんの数回、このベッドで彼女と
体を暖めあったこと、思い出していた。
そして、眠った。
眠る直前、先生の歌っていた鼻歌が
母校の校歌だったことを思い出して、
少し、むかついた。
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作品 - 20060602_383_1311p
- [優] 冬の夜、僕は悲しくて - ロン毛パーマ (2006-06) ~ ☆
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冬の夜、僕は悲しくて
ロン毛パーマ