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作品 - 20060420_248_1184p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


新芝川の散歩者

  まーろっく

新芝川は表情もなく澱んでいるばかりだ
かつて川口にコークスや鋳砂を運んだ
船のにぎわいをわたしは知らない
それでも住んで7年にはなるのだった
さえない小店主であるよりも
この土手の散歩者であることはよいことだ

わたしは煤けた灰色の作業衣を着て
昼休みには滴り落ちる汗をぬぐいながら
川の上空を見上げていた若い男であったことはない
今わたしが耳にするのはAMラジオの赤茶けた音声
錆びたトタン囲いの町工場に残っている
遠ざかりゆく20世紀の騒音

菜の花がまじる土手の斜面の草いきれ
わずかばかりの川原には葦が枯れたままだ
水門がある上青木で川筋は北に大きく向きを変える
川の西の地域には木造モルタルの古い住宅が密集し
その先の空間を褐色の外壁が断ち切っている
真新しい古代の建築としてそれは現れる

三つの銀のドームを持つ、それはしかしモスクではない
天文台とNHKアーカイブの複合施設なのだ
科学による占星術と映像の図書館
それを所有する王の横顔をわたしは知らない
そこでわたしたちの運命が予測され
そこでわたしたちの生死がつぶさに記録されるとしても

新芝川は古い一本のフィルムとなって流れはじめる
キューポラが吹き上げた赤い火の粉は咲くだろう
見知らぬ記憶に住む工員と家族はまだこちらを見つめている
旋盤は回転し金属の糸を永久につむぎ続けている
古い工場主の夜空には少年時代に見たB29が美しく燃えている
モノクロームの川面にはやがてわたしの影も映るだろう

高層ビルとセキュリティマンションが屹立する地平を
流れと澱みの速度で離れてゆくことは心地よいことだ
川口のうららかな春の午前は忘却ののどかさだ
古い一本のフィルムとなったわたしは問うだろう
流れ着く海はあるか?

文学極道

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