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作品 - 20060318_306_1065p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


水の属性 

  望月悠

雨だれの音を聞きませんか。匂いで感じるのです。目を
閉じれば全てが視える。桜色の木の下で俯く紫陽花の悲
しさがわかる。あなたは手をふりあげて、そうして、ふ
りおろすまでのわずかな時間、雨だれの音を聞きません
か。

「海辺にねっころがって、芳子は肌を焼く。海峡のぬく
もりが肉体を包み、肉感が光線を結晶化する。ふれがた
い水気が、たとえばコバルトブルーの海を深海からもち
あげて、芳子の鼻先の白肌へと続くなめらかな稜線を、
しっとりと濡らす。芳子は持ち上げたなめらかな指から
ひきはなした透明な砂を魚群へと今、放つ。」
   *
「翔は、小さなポケットに千代紙で出来た鶴をいれると、
雨に濡れたジャングルジムをのぼる。翠の鉄がつくる造
形物を翔はやわらかに包み、子どもらしい笑みで立ちす
くむ。ジャングルジムの鉄はところどころ錆びていて、
水の揺れる音がする。」

水脈をたどるシンメトリーの人影が、揺れ動く自由の回
路で、自殺します。光源を睨む自殺でしたから、水がふ
きだした食性のある生き物達が、シンメトリーの輪郭に
あつまりはじめて、そっと口付けをする。水を絶やさな
いように。あなたのための水を絶やさないように。

「芳子は、水平線のゆるやかな風をはねた立体から眺望
する。それはプリズムからの散光をわずかに含み、時に
は、ふりあげた手にやさしい空間を与える。今、押し寄
せた波に続く直線に、ささえられた芳子の四肢が水と一
体化する。接線が滲み、たしかに水は芳子となり、芳子
は水となった。」
   *
「ジャングルジムから聞こえる音は、海の音のようだっ
た。翔はおそるおそる近づく。ぬくもりのポケットに入
っている折鶴をそっと握る。飛翔を阻害するように、あ
るいは、翔の光景をまさぐる視線が手の中で浮かぶよう
に。ジャングルジムの中からは、たしかに海の音がして
いた。」

石英を木の小箱に入れて、そっと持ち歩いています。わ
たしは、紅葉の美しい清流のせせらぎを望む。木の葉は、
はらはらと降ってきて、石英を握る手から血が滲みます。
ほんとうは、こんなもの子ども達に与えてやればよかっ
たのに、遠い昔、子どもなどというものは絶滅してしま
った。今は、水のひとつが石英の光を磨きます。子ども
の進化系があらわれている現代。

「芳子が眠る水平線に垂れ込める己斐山の裾野からは、
四季、紅葉の色彩がこぼれおちる。芳子の白肌には、そ
の折、色彩が念写され垂れこめた波の水は、そのたびに
浮かび上がった芳子の色を洗い流す。冷たい感触が触れ
ては逃げてしまって…」
   *
「ジャングルジムの中に海があるのだろうか。翔は考え
る。ジャングルジムの翠の鉄にそっと耳をあてると、波
の音が聞こえてくる。温かな音が。そして時おり、汽笛
の音が聞こえ、沖のほうから漁船の戯れが広がる。ジャ
ングルジムに海があるのだろうか。翔の中でこぼれた笑
みは、水たまりに映った。」

地下街は、雨の日には、人の足音を吸収します。ネオン
がともり始めた夕暮れ時、こうこうと灯る地下街の中を
数え切れない人影が横断する。たとえば、やわらかな湯
気をあげながら、ほかほかの肉まんが出来ると、ひとび
との笑顔が咲きます。あなたは、蒸したての肉まんを握
った男が、雨だれの曇り空を見るために、地上へとのぼ
っていくのを不思議には思いませんか。雨がふっても、
地上は希望なのです。

「芳子の白浜の向こうから、蝉の声が聞こえてくる。夏
の水は暑い。だからこそ芳子の皮膚はふれると立ち込め、
それを隠すやすらぎがここにはある。波の音を聞いてい
ると時々、汽笛の音も聞こえてくる。芳子は沖に目をや
ると、やわらかな陽光をさえぎる黒い影が一艘だけ、ゆ
れている。」
   *
「ジャングルジムにのぼる。翔の肌は今は夏の装いだ。
雨上がりの公園には、ユリカモメが旋回している。遠浅
の公園はどこまでいっても、コバルトブルーの海が広が
っている。ブランコにのると水しぶきが足に触れ、美し
い瑠璃色の魚がふざけて、根元の鉄をつつく。」

あなたにとっての地上は希望ですか。たとえ、雨がふっ
ている寂しい夜でも。あなたにとって、あたたかい人影
の映る窓のぬくもりの手ざわりが、希望ですか。それな
らば、濃密な空に口を開けたまま、雨を飲もうとする人
が、地下街から、曇った空への階段をかけあがる過程を
否定してはいけない。

「芳子は知っていた。いつまでも海の前にいると、いず
れは海にのまれて海の一部になることを。貝殻を手にと
ってそっと耳にあてると、かたわれの姉妹にふれた悦び
と同じ気持ちを受け取る。そっと白砂にうずめていく貝
の手ざわりは、遠い母の記憶と同じである。」
   *
「公園は海だ。翔は悟った。ジャングルジムから望む木
は珊瑚で、やわらかな桜色の水は透明度を高めている。
シーソーは、片方が水をつつき、コバルトを潜める。そ
うして、貝殻を壊したはかない音を交互たてている。水
はどこまでも広がって、ジャングルジムの下部は、海水
で沈んでいる。」

深海で、そっとこぼれる貝殻をリュウグウノツカイは、
美しい動きでそっと包み込む。尾がなめらかに水脈をさ
ぐる残像をふれて立ち込めるのです。海峡のなかでわず
かに上気した魚群の筆跡が、波頭にひとふでがきで影の
筆跡を書き込むときがあります。リュウグウノツカイは
立ち込めた筆跡で、こぼれた貝殻をつかんでいます。

「芳子は、白浜に長い四肢を投げ出して、たとえば港町
にひろがる海の香りをあつめる。なぎさの光をこめて、
手つきは波に広がり、規則的な音階を成す。そろそろ、
太陽はまわり、陽光が鈍い金属音をたてている。」
   *
「翔は、ジャングルジムから周りを見渡す。自分は船長
で公園を航海している。翠の船にのって、翔は出航する。
やわらかな雨上がりの太陽が、決死隊である翔の首筋に
ふれて匂いを立ち上げ、ジャングルジムの船舶にゆるい
音楽を流している。」

たとえばこの風に色をつけるなら、あなたは何色にしま
すか。木々の隙間で装飾された風が、頬を染めた顔をな
でていく。冬の動画がこれからはじまります。つるされ
た風景をあなたは手を振って避ける。あなたにとって、
風景はわずらわしいのですか。それでも写真にこぼれた
雨だれの水滴を、あなたは取り除くことが出来ない。

「芳子は、そろそろ傾いた夕暮れの浜にねころんで最後
の寝息を立てている。やわらかな光をさえぎる薄い皮膚
のそこで、波が広がっている。肉体が抜け殻となり、ふ
れた音律はそっと雲隠れする。海はひろがり、コバルト
ブルーは翳り、色素を落とす。」
 *
「ジャングルジムに出来た小さな鉄の穴は、錆びて出来
た穴だろう。翔は、そっと穴を覗きこむ。穴の向こうに
は海が広がり、青と白が交互にふれてくる。そうして、
白浜が広がり、そこにはひとりの女が寝転んでいる。翔
の覗くジャングルジムは、そこで映像を途切れさせてい
く。刹那、波しぶきは消えて、航海していた公園は、海
を失う。ただの公園となる。」

雨が降った日には、傘をさして展望台までいきませんか。
ぬかるんだ道を万華鏡のようにはらはらと枯れ葉が振っ
てきて、木枯らしの季節だと気付く。あなたは手を見つ
めて恒常的な色彩の風景を偽造だと云う。傘を捨てます。
あなたは傘を捨てます。雨に濡れるために。

「肌を引き締めて、雨から逃げてはいけません」
「あなたは、ジャングルジムから海へと出航しますから」

そっと広がった音律は、雨だれの音を膨らませた。
――受音の瞬間だった。

雨だれの音を聞きませんか?



※この作品を機に投稿はしばらくお休みします。
 有難うございました。

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