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作品 - 20051205_677_803p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


スカイライン

  光冨郁也

手で、ずれた眼鏡をあげる、八月の、水をふくむ、曇り空。閉鎖された父の勤務先、N社の自動車工場の脇を通り、母の自動車で、霊園に向かう。いままで納めることのできなかった、父の灰が、眠っている。わたしは、新しい眼鏡をかけて、暑い日の、風が、短く切った髪に、距離を教えてくれる。昔、山口から離れて、転々とし、三人ではじめて来た、神奈川の小さな町、住宅地に変わった、かつての田舎道を走る。

走る。風が、熱い。買ったばかりの半ズボンに、袖なしのシャツが、風にはためく。地平の彼方には、見えないものがある。耳に風が音をたてる。母は目の前の車が遅いと、ハンドルを握りながら、怒っている。わたしは黙って、頬を支える手の脇から、外の流れる市街を見る。

 団地の狭い部屋、
 母は、わたしに声をあげ続けていた。
 その夜、母は、
 トイレで、
 嗚咽しはじめる。
 動けないわたしの、
 手の汗で、布団が濡れる。
 わたしは、近所にあずけられた。

 翌朝、父がわたしを迎えにくる。
 はれた目をこすり、
 わたしは、強く、父の手を握る。

(お母さんは帰ってこなかったお父さんも会社からまだ帰らないぼくしかいない部屋ぼくはひとりで窓の外の明かりかわいたおにぎりをかじるひとつだけもつあとは鏡台の裏に隠す味がないだれもいないだれもなにも言わないぼくだけ鍵が落ちるぼくは息をひそめる雨の音がしはじめる外の明かりでぼくはコップの中の水を飲む)

 母が退院して、
 引越をした。
 日がさしこむ、床。
 三人の、青空に、
 部屋は、広く、明るくなる。
  
 父と並んで、
 グローブと、ボールをもって、
 キャッチボールをしに行く、
 たてに長い公園。
 一球だけ、父を驚かせた、
 速球の、重い音の響きに、
 わたしはグローブを、
 胸にあてて、笑う。
 ボールを投げ返す、父の手。

 一年後の、折れた春。
 わたしは、ふすまの陰から、書斎を覗く。
 原稿用紙に、
 向かう父は、
 机に万年筆を叩きつけ壊した。
 病室に移る前の、
 部屋とともに残る、背中。
 髪をかきむしる、手。

クーラーもろくに効かない、車の中、わたしは、母と違う方向を見ながら、朝そった無精ひげの、残りを手でさすっている。丘をのぼる、地平線の先、その光景を、わたしは見たくなり、身を起こす。

二十二年目の遅い夏に、セミが鳴く。せっかちに先に歩く母と、後ろからつく施主のわたしは、父の、墓に、名前を認める。母は石を見て、繰り返し聞く言葉を、独り言のようにつぶやく。
「いままでお墓を建てる力がなかったのよ」
母の手の傍らで、線香の煙がそよぐ。
わたしは、眼鏡をシャツでふいて、胸にあてる。
水の底にいるように、自分の息づかいだけが聞こえる。指先の汗が、レンズを濡らす。湿った風が、緑を、光る波に変える。

(お父さんと本立てをつくる「いいできだろう」とお父さんは言う右と左の形が違うぼくは首をかしげるお父さんは「いやならいい」本立てを、手にとり壊す
/ぼくは)

わたしは、ひっそりと、三人だけの、青い空を呼びよせる。

(父さん、手は、痛くはないですか)

文学極道

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