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作品 - 20050817_295_404p

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霧(ミスト)

  光冨郁也

 女はわたしといっしょに海の中に入りたいと言った。女には尾びれがあり、わたしには足があった。わたしたちはあのとき、海に入っていった。女が先に進み、わたしは後ろからついていく。波が胸元まで来たところで、手を握りあい、先に進んだ。波は繰り返しやってくる。小雪はやみ、霧に変わった。
 気づけば、わたしはまた病院のベッドの上にいた。
「−−さん、あなたは漂流していたのよ」
 看護師はそう言って笑う。

 診察室で医師と向かいあう椅子から、外を眺めていた。わたしは島の近くを漂流していたらしい。その話を医師から聞いた。マーメイド海岸から船で一時間ほどの距離。歩いては渡れない。
 看護師は、体温計を持ってくる。薬がなくなったので置いていく。わたしはコップの水を飲む。パジャマに水がこぼれる。薬を口に含み、また水を飲む。
 看護師は、点滴を打ちにくる。わたしはいつもトイレが近くなる。点滴スタンドを動かしながら、部屋を出る。廊下を歩く。前にも歩いていたような気もする。誰もいない廊下は、長く感じる。
 点滴のチューブを血が逆流している。透明な液に血がまじる。霧のよう。わたしは用を足し、ゆっくりと部屋に戻る。
 窓からは海は見えなかった。
 けだるい。テーブルの上の薬袋。ここの病室にはTVがない。個室のベッドでCDをヘッドホンで聴いていた。誰かの忘れ物を借りた。その音楽を聴いていると、体が揺らぐ。波間にいるよう。

 目が覚める。トイレに立つ。汗をかいている。誰もいない暗い廊下を歩く。用を足し、水を流す。蛇口をひねり、水を出し、手を洗う。鏡で自分の顔を見て、部屋に戻る。眠る。目が覚めそうになる。わたしは何かを考えている。何かを話している。でもそれが何なのか、わからない、つかみきれない。そのまま、何かが流れていってしまう。
 波にもまれる。何かが消えていきそうになるが、今度は忘れない。女の手がわたしをつかむ。海の中、わたしは、握り返す。波がわたしを押し返す。手が離れてしまう。漂う。わたしは仰向けになる。空を見上げながら、流される。どの位たったのだろうか、頭と背に砂地の感触。わたしは再び、霧に包まれた。

(わたしは漂着したのだろうか、それともまだ漂流しているのだろうか)

文学極道

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