わたしには女の声が聞こえる。誰にも似ていない声。でもひとには話さない。話す相手もいない。流木の散らばる砂浜。わたしはひとりで波間を眺める。ジーパンの後ろポケットに突っ込んだ神話の文庫本。もう何度も読んだ。あの日、海で溺れかけてから何年も経った。わたしはバイト先を転々としながら、生活を続けている。流木は裂けて白くなっている。砂浜にはひとはいない。あっただろうだれかの足跡は波で消えている。みんなどこかへ行ってしまった。わたしだけがここにいる。
風が強い。波が荒れている。今日も流木が一本流れ着いた。砂浜に打ちよせられる。ひとの腕くらいの大きさ。わたしは近より、手をつかむように引き上げる。女の腕くらいの重さだ。シューズの中に海水が流れ込む。乾いた砂浜まで持っていく。気に入ったので空き地までその流木を運ぶ。抱えて坂道を上る。ときどき思うことがある。バイトの倉庫の作業中、頬杖をつく送迎バスの中、文庫本を開いて電車待ちをしているホーム、眠れないアパートの部屋の中。思うことがある。思ってみても仕方ない。
そして空き地。丘の上、海を見下ろせる場所。少し離れたところに森があり、その入り口近くの崖に、昔の防空壕がある。この空き地にはひとがいた形跡がある。中身の入ったコンビニの袋が捨てられている。わたしは新しい流木を置いた。まだ黒く濡れている。以前あったスクールバスのカフェはなくなった。失われた黄色い車体。すみに別の白の乗用車が乗り捨てられている。タイヤが外されている。前より空き地のスペースが広くなり、その分、わたしの流木が増えた。空白を埋める腕に囲まれる。いくら集めても何にもならない。そんなことはわかっている。でもわたしは集める。流木の林。
天気雨。風が強い。わたしは空き地の中心にタイヤを置いて座る。チューニングをするように、指で宙を探る。しばらくすると、女の声が聞こえてくる。女は意味のとれないことをしゃべりつづける。わたしは黙って聴いている。わたしが話しかけても、木霊のように同じ言葉しか返さないから。女は笑う。雨が降り注ぐ。シャツが濡れる。ポケットの文庫本は大丈夫だろうか。空は青い。わたしも笑う。女の声を聴きながらもひとりでいるのが、楽しいから。
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作品 - 20050309_730_117p
- [佳] 空き地 - 光冨郁也 (2005-03)
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空き地
光冨郁也