荷馬車が影の中を行く。私はその音を聞いて目覚めたが、眠っているふりをしていた。風で部屋の銅鈴が、鳴らされている。
荷馬車が行ってしまった。もう音が聞こえない。
この時刻は午睡時と言われてほとんどの民衆は活動せずに休息している。午後が溜まった暑い時間だ。
私の、長い、長い、撫でられるために伸ばした黒い髪が枕をこえてはるかに広がっている。目をつぶったまま撫でてみる。体温より冷えたそれを、指で何度もなぞる。目を閉じる。
開けた瞳の上に、風の空気をたくさん抱えた部屋の天上があった。それを真下から垂直に見ている。それと、部屋のものの気配。植物と花の気配。あれは百合だったか。それとも龍舌蘭だったか。植わっていた、その花弁に留まる天道虫がいた。真っ赤なつやの強い甲殻にかわいい黒い足をつけていた。細やかな動きに指を出すと、一瞬躊躇してすぐ私の指にのぼった。触れていることを感じようとしなければ感じられない虫の動きを感じようとしている。部屋の中に私だけがいて、風を孕んだ部屋のなかに銅鈴みっつの音が渡っている。隣家の窓辺でギタールを弾きながら歌う声も渡ってくる。この空気の濃さだと、こんなに陽が盛っていても黒雲が雨にしてしまうかもしれない。指先の天道虫を顔に近づけて、唇を寄せると虫が逃げようと飛び立った。その先に窓が開いている。太陽光がたっぷりつまっている午後の町が開けている。私が花の陰で口を半開きにして立ち尽くす。一点の虫が去っていった。
熱風のなかでがらごろ、がらごろ、銅鈴は鳴り止まない。ギタールが民謡をうたっているのもやまない。
また、寝台の上にいた。花壜は卓上で花をそよがせている。目の前を通る風は熱の匂いがする。本当に雨が降るかもしれないが、私はまだ起きあがろうとしない。
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選出作品
作品 - 20050224_589_88p
- [佳] 虫の夢 - 神谷めぐみ (2005-02)
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虫の夢
神谷めぐみ