覚える
白、と、雪の単語を覚えた口が白くも冷たくもならない事に気づいた子供の手に触れて、体温、と、温かい、と単語を教える私の唇が、子供の頬と同じように赤く、繋がりは常に赤に象徴される。血のように。言葉には色がない。だから、私と言葉はいつも繋がらない。言葉がなくても、私と子供は繋がる。いつか詩を教える。きっと、それは、彼が大人になる前に。
砂糖
子供の頃、死んだ蛙に塩を盛るつもりが、間違って砂糖を盛った事があった。母が、それは砂糖だよ。舐めたらわかるよ、塩を盛らないといけないよ、と私に言ったので、私は、母がいなくなった後、蛙に持った砂糖を舐めた。甘さに死は混ざらない。死を知るのに、味覚では足りない。概念を舐めることはできない。だから、未だ、人を舐めたことがない。
鉱物性植物
通勤中に突然浮かんだ。そうだ、鉱物性植物の図鑑を作ろう、と、いったいその植物がどんなものかも検討がつかなかった。いつもこうだ。まず、単語やフレーズが浮かんでからすべてが始める。鉱物のような硬度を誇るのか、土中に生育しているのか、花は宝石か、根は鉱脈の様に、輝いているのか。即身仏―永遠の瞑想のために、衆生救済のために、生と死の狭間で弥勒を待つ姿―が植物性鉱物のイメージの元にあることをその後気づいて、図鑑を作るのをやめた。生と死、植物と鉱物、混ざらないものが混ざって、どちらでもあると同時にどちらでもないものを編纂することは、どちらでもあると同時にどちらでもあるものを、何かにしてしまう気がして。
息
白く吐かれては消えていく。凍えている間は見える。生きていることと死んでいくこと、どちらも白で象徴される事がある。相反する二つがどうして、白で?。生は白、死は黒、死神は黒、死装束は白、砂糖と塩は白、で、腐敗は黒で。私の肌は黄色で、白人は白く、黒人は黒く。私の書くものは、何色?息の様に、凍える時にだけ白く、見えるものがいい。
賢治
妹との別れは、永遠、永劫の別れだ。法華経の世界では、死後、人は輪廻を繰り返す。私たちは私ではない何かに生まれてまた死んでいく。それを永劫繰り返す。まさに輪廻の世界だ。私は輪廻すれば母も父もすべて忘れてしまうが、また、輪廻し続ける限り、私ではなくなった私が、母ではなくなった母や父ではなくなった父ともしかしたらまたこの世界のどこか出会い、出会い続けながら死に続け、生き続け。では、今いる私は?今いる私の母は?死に続ける、生き続ける、どちらも重なり合って続いていく永劫に。私は一体誰だ?生きているのか、死んでいるのか、生き続けているのか、死に続けているのか、私は私でないものを続けているのか。
長く
あまりにも長く人であり続ける、というフレーズが浮かんでから、ずっと、あまりにも、の意味を考えている。人の間を離れて、人でないものの間に入っている時期があった。動物達は、短く死んでいく。場合によっては、殺されていく計画的に。私たちは、人は、あまりにも長く人であり続ける、ことの重さを考え続けている間にも、また、人以外のものは計画的に殺されていくの私は知っている。人であり続ける、一瞬でも良いから、人でないあり方に、ありたい、と、思うときに、動物達の寝息が聞こえる。あまりにも長く、長く、人が人であり続ける、覚めている間に見る夢は、本当は見ることができないもので、それは現実でしかない。だから、ずっと夢を見ている。
息を潜める
息を潜める為に、詩を書いている。息を潜めて、人でないものに出会うための、人でないものの間に入っていくために、息を潜める。人であることを忘れる瞬間のために。長く、息をついで、長く、息を潜める。鉱物の様に静かに、即身仏の様に、弥勒の到来を待って、長く息を続け瞑想のために。
2984年の悲しみと青い映画について
青い映画について、
駱駝と話す、赤い言語、
共産党員と、トイレットの、
真昼の発音、
―英語が全部学習された
だから、編み物の、
発音を、冬に温めて、
夏に、水浸しにする、
羊、と、Sheep
の、間にひかれた、
赤道、
ppp、
いえ、ぷぷぷ、
です、
濁点を足したら、
走り出したね、
オフロードは、
詩に似合わない単語、
いや、詩人に
似合わない、単語、
詩人は、
頭が悪いから、
優しい、数学ができない、
優生学的に、
死んでいる人々へ
悲しい出来事が起こっている、
だから戦争だ、
悲しみを、
餌に、
鱒刷りを、
アメリカと、
カーディガン、
ブの、音が辛い、
ブカブカの、音が
本当につらい、
編まれたのだから、
ジープみたいに、
ブロロロ、って、
あ、
ブローディガン
現代詩もまともに書けない人が、
人の詩を読んで、
批評してる、
腐ってるね、
ああ、
腐ってる、
漫画とJPOPしか知らない
人が、人の詩を読んで、
詩を書いてる、
悲惨だね、
それも、良い年した
おっさんやおばさんがそうだ、
可哀そう、
映画は、まだ、
雨を知らない、
だから、ずっと青い、
ケンジみたいだね、
ずっと、あの冬の日
から、青ざめてる
ケンジだね、
2984年から、
2984匹の動物達へ、
101号室から愛をこめて、
かなしみと動物達は
透明な唾液で結ばれていた
それを、私は
トトカカイイキキ、と
名付けて
叫んだ、
皆、気が狂った、と、
私を見て、言った、
夢を見なさい、
生暖かい雨に
吐き気のするような
人の気配、
夢を見なさい、
晴天だ、
生活に、鉛をつけて、
深く落とすとき、
子供の背骨が、
折れる音と、
羊が
Sheepになるために、
焼かれていく、
匂いがする部屋へ、
blue、と、
青い、つまり、
タケシは、
映画を、とめて、
ケンジを撮らないで、
第四次延長は、
人が決壊する、
地点、
駅名は、
ghost、つまり、
魂は、青白く、
熱をもたらして、
点灯する、
この、映画は、
青く塗りつぶされている、
詩を、失う、
つまり、
ケンジ ミヤザワ
を失う、
故郷は、
映画に塗りつぶされた
青だ、
魂だけが、
人の気配をもって、
ぼんやりと、
明滅を、
繰り返して、
私が、照明する、
消灯、
閉館の時間です、
魂は、
ポケットにしまって、
貴方の顔は、
青ざめています、
あの、雪の日の様に、
静脈が、青く青く、
浮かび上がった、
晴れた、今
地獄だけが青くて
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20201001_276_12137p
- なまえをたべたなまえ :
全員ぶっ殺してやる ('20/10/01 17:52:37)
- よんじゅう :
そのうちぼくがあなたをころしてやりますよ、それまで泣かないようにつとめます。何かこうなんと言えばいいのかわからないけど書きたくなるものを読めた気がしましたつー感想です ('20/10/01 18:44:57)
- コテ :
「殺してやる」選んでる事がひとと同じで、それを否定して
もっと書けると思います。
、詩を理解してる時、少なからずその人は詩人です。何が詩って、日本語の性質がわからないと馴染みませんよね。「私は肩についてる幽霊とよく勘違いされる」と云う詩をよく書くのですが
が、こうやって人と話せるこの時間を大切にしたいと思います。 ('20/10/01 20:30:41 *1)
- なまえをたべたなまえ :
コテは何言ってるか意味が分からない らりってんの? ('20/10/02 18:21:56)
- コテ :
ラリってはないです。失礼しました。 ('20/10/02 21:23:10)
- 玄こう :
作者さんは、意識・無意識・半意識を問わず、「感覚」 という問題に、という場所に、非常に敏感な(言葉でですけれど)、 持っているのだろうな。 直感というかオーラというか嗅覚というか、詩の文体に、読んでいて思いますですね。
余談ですが、(ほとんどわたしのレスは余談が多いのですが)、「言葉と感覚」、わたしはその辺りで考え悩むことがしばしあります。 それは言葉も感覚も、どこに在るのか?、
(自己身体の)(人間の)(世界の)その外、、たぶんそちらのヴェクトルに向かっている。 貴方の綴りの意識や無意識や半知覚的生成が(内側とは逆の方に)、行っているように感じる。
神秘主義、宗教観も、そうした二つのイデアの要素も、言葉や感覚と同様、外に向かって意識や思考や趣向が傾いている、わかりませんけれどね。 なんとなくそうした詩の文体の綴りを、端から見ていて感じますですね。
音楽、美術、美学の見識などは、専ら感覚とは自己の身体感覚や、自分の感じたものを(因と捕らえ)それを後で言葉に(結果)していく、という類いで詩やアートを創作していく方法ではもはや限界である。「そうした作品は全くくだらない」というのをなしかこの作者さんは、(意識的か半意識的かわからないですが) 感づいているのかと。 言葉も感覚も、わたしの場所からもっと離れた遥か遠いところにある。
"William Basinski - The Disintegration Loops"
https://youtu.be/mjnAE5go9dI
音楽を例に挙げますが、特にアンビエントな曲を聞いていると、わたしなんか、そうしたことをよく、思い、感じ、考えさせられますですね。 ('20/10/02 21:46:11 *6)
- crap up :
第1部の散文詩は観念に頼りすぎてイメージも刺激も喚起もしない。第2部の行分けスタイルの詩はわるくないが、文章上の美質に欠ける。意味と無意味のあいだを行き交う言語力を感じさせて愉しいが。ただ熟々、おもうのは、この作者がこの場所に対して、まるでストーカーのような捩れた被害者意識に溺れてしまっていることだ。コメントの「全員ぶっ殺してやる」といい、このサイトと投稿者たちへの妄執に充ちている。わたしはおもうのだが、気に入らない場所、好きになれないひとびとに拘っていったいなにになるのだろうか。「愛せなければ通り過ぎよ」とニーチェは書き、「攻撃に値するのは神のみ」とシオランは綴っている。だのに、この作者は自身の攻撃心を詩の形式に歌い直すことによって、どこにたどり着こうとしているのかが不明であり、滑稽である。
"現代詩もまともに書けない人が、
人の詩を読んで、
批評してる、
腐ってるね、
ああ、
腐ってる、"
以上に引用した部分には、作者がこのサイトの現状を憂うような姿が想起されるが、実際はどうなのだろうと疑ってみる。わたしにはそれはただそういった態度を作為的に使っているだけであって、実際のところ、他人は他人でしかなく、かれが改めるとするなら、去るとするなら、それはかれの自由意志によるものであって、作中にあるような科白を百万も嘔いたところで、だれひとりとして呼応しないことを自覚してるのではないかとおもう。それでも猶、こういった腥さを嘔くのは挑発なのか。正直、みっともないのひとことだ。
"漫画とJPOPしか知らない
人が、人の詩を読んで、
詩を書いてる、
悲惨だね、
それも、良い年した
おっさんやおばさんがそうだ、
可哀そう、"
以上の詩句もまた、みっともない虚無感を感じさせる。以前からおもってはいたが、作者はどうも自分の聴いている音楽と、自分のステータスを直結して考えている節があり、まるで昔の2Chの、音楽板での不毛な議論、ポップ・ミュージック音楽の優劣についてのスレッドを懐いださせる。この作者が曲をつくって発表しているなら、ともかくただのリスナーが聴く音楽によって、自分が高みにいると錯誤しているさまは無様でしかない。せめて1曲ぐらい完成させからものをいったらどうか。
そして悲しいことに、ここにいる多くの人々がまともに散文が書けない。詩論すら書かない。表現の裏づけさえもなく、ネット詩人でいることに甘んじている。そういった人の大群に執着しながら、それでも猶、独善を吼える、この作者にはけっきょく、ちっぽけで"不滅"の詩を書くことだけが、どうやら生きがいのようだ。美しくない。なぜ、自分と同等か、それ以上のレベルを思える場所にいかないのか、なぜ、おなじところでオダをあげているのか、――わたしはそういった疑問を抱いているから、この場所に作品を投稿するのをやめてしまった。詩そのものからも遠ざかった。素性もわからない他人のつくった場所で、いつまでも踊ってる場合じゃないからだ。 ('20/10/03 14:16:02 *1)
- ぽんた :
>「愛せなければ通り過ぎよ」とニーチェは書き、
他人の言葉を引用する人って物事を深く考えないからブーメランになっちゃうよね。
だったらcrap upさんは何でこの作品を通り過ぎないの?
詩は美しくないといけないの?
この作品は虚無感を謳ってるとは思えない?
独善を吐いているのはあなたもまた同様のように思うんだけど。
決定的にダメなのは作品じゃなく作者を読みすぎ(そして読めてない)
もう少し自分の頭で考える練習した方が良さげ。 ('20/10/03 15:42:45)
- なまえをたべたなまえ :
https://www.youtube.com/watch?v=S53aNp2CXsg
を最近ずっと聞いていてさ、「全員ぶっころしてやる!」っていうテンションになるんだわ。ああ、このサイトの元運営の書けない人を馬鹿にするフレーズを入れたのは事実だけど、俺自体は特にブンゴクにもビーレビにも恨みとかはないよ。美質に関しては、この文脈でニーチェを出してくる奴とはそもそも分かり合えないと思ってるからどうでもいいよ。たぶん、お前が書いたものを俺は美しいとは思わないだろうけど、お前が美しいと思うを俺はなんとなく書ける気もするけどな。結局、わざわざ離れたいいながら未だに読んで名前も変えて書き込んでる時点で君の方がいろいろあるんじゃないの。不滅や美質、まるで俺が退屈だとあざ笑ってしまうモダンの価値観を匂わすような言説―美学なんてとっくに死んだだろ?神が死んだみたいに。
どこにもそれ以上はないよ。もはや、内容など読まれても聴かれてもいない。かといって、モダンに戻れ、とも思わない。HIPHOPが経済原理にのまれて最適化されているのと同じさ、内容はいらない、再生回数を増やすために曲は短く、インスタやTwitterで話題を作り。曲、よりもそれ以外が大事なのさ。だから、君が言うような「それ以上」もどこにもない。君が思っている以上に、俺は聡明なんだわ。一枚も二枚も上手で踊ってるんだわ。俺は単に、死ぬまで上手になりたいだけ。それだけ。
(俺はニーチェではなく、ベンヤミンが今は隠れテーマなのさ。)
危機の時代へ というタイトルで隠れテーマを全面に出したものを書き始めたところだよ。冒頭はこんな感じ。
手紙を書くことは、文字とペンの間にできる空白地帯に”私たち”の運命を、夥しい死が積み上げられていく時代の中にあって、その中でまだ息をしている、私たちを書き込むことなのです。
1、都市に解釈される私への挿話
単に、書くことは総合的な事だから、ダサいセンスの音楽聞いてるやつはやっぱダサいんだよ。それは感性の問題だから。感性がダサい奴はダサいものしか書けないのは足り前じゃん。つーか、観念に頼りすぎッて、あんま言いたくねーが自分で、そもそも、観念に対して自己言及してる、のを意図的にやってるんだから、「未だ、人を舐めたことがない」の。刺激やイメージよりも、質感、を全面に出してる。 ('20/10/03 16:43:12)
- 一輪車です :
crap upさんの冷静で透徹した
やさしさすら感じさせるきびしい感想を拝読し、
こういう方がほんと、
ネットから数少なくなったなあと感無量です。
無駄とは知りながら大事な時間をとってくださったことに
投稿者の一人として心からお礼申し上げます。
また、いまどき野を歩けば
雲霞のごとくたかってくるわけのわからない虫が
ついたことも
右も左もわからない、もちろん人間も詩もわからない
捨てハンの御仁になりかわり
謝罪もうしあげます。
いかいかの盲信者というのはこの手の理屈もへったくれもない
腐ったゴボウのようなやつらばかりですから
お気になさらないでください。 ('20/10/03 16:46:53 *2)
- なまえをたべたなまえ :
上手に狂って、上手に踊るんだよ。そして、上手に、賢くやるの。めんどくせぇから、書けばいいの。そして、馬鹿にされたりけなされたりしながらやればいいの。どいつもこいつも、作品もそうだが、下手すぎんだわ。キャラクターや「こころ」ですらも語彙と文体で「作れる」んだから、好きなように上手にやればいいだけなのに、その程度の技術もない奴ばかりだから、そら詩も「テクスト」もかけないわな。 ('20/10/03 16:52:09)
- 田中宏輔 :
ぼくのより凡庸だと思うよ。ほとんど読んでないけれど。
ブローディガンはブローティガンじゃないの? ('20/10/03 16:54:39)
- ぽんた :
一輪車
>右も左もわからない、もちろん人間も詩もわからない
>捨てハンの御仁になりかわり
>謝罪もうしあげます。
crap upも捨てハンだろ?
揃いも揃って大ブーメラン大会w
二人共引きこもりネット民やってないで少し社会に出て揉まれたらもっと注意深く生きなきゃならないし色々わかるようになるよ。 ('20/10/03 17:14:52)
- 田中宏輔 :
これも毎回同じじゃないのかな。
現代詩もまともに書けない人が、
人の詩を読んで、
批評してる、
腐ってるね、
ああ、
腐ってる、
漫画とJPOPしか知らない
人が、人の詩を読んで、
詩を書いてる、
悲惨だね、
それも、良い年した
おっさんやおばさんがそうだ、
可哀そう、 ('20/10/03 17:32:47)
- まひる :
踊った事ねえな、現実で。ビート、トランスフォーム、薬物なんかいらずにシラフで、踊ってみたら良いよ。 ('20/10/03 17:34:00)
- crap up :
ぽんた氏への回答;
引用についてはまったく見解の相違としかいえない。私は引用という行為そのものを否定的に見てはいないだけだからだ。この作品を通り過ぎなかったのは、取りも直さず、この作品に少なからず、魅力があったからだ。そしてヤマトの集荷がなかなか来なくて閑だったからに過ぎない。ほかのものとはあきらかにちがってだ。悪意があったわけではない。この作品には固有のスタイルがある。ここでいう、スタイルとは行われることの相違であり、行うことの流儀だ。質問ばかりで食傷ぎみになってしまうが、詩が美しくなければならないとはおもっていない。ただ伝統詩形である短歌をつくっている身としては、この作者のスタイルはアイデアや情報、手段などが純化されず、剥きだしのまま、凝縮の足りない、散漫な、ノイズの多い表現に私には写るということだ。もちろん、それは詩の善し悪しとは関係なく、感想でしかない。悪気があって書いているのではない。ただ直接的に視覚や、聴覚、感情を刺激するという面がなければ、あるいは読み手が完成させる余白がなければ詩はもはや詩とはいえないでのはと考えている。極端な話をすれば、方法詩とか、コンクリート・ポエムといったものには興をそそられない。
「この作品は虚無感を謳ってるとは思えない?」――その答えは、おもえるとしかいえない。「作者を読みすぎ(そして読めてない)」――これもまた然りだ。ネット詩の性質上、作者の作品外での言動が読み方を左右してしまうという危険を孕んでいるのは事実だろう。いくらでもペルソナを生産できる、このネットの世界で、ちょっとした発言が、その書き手の印象を正すことも歪めることもある。まったく、お互いさまの話だ。ただ他人の見解を批判するなら、自分の見解を述べるべきであるとおもう。煽り文句は聞き飽きている。 ('20/10/03 17:56:14)
- いかいか :
ノイズはかなり意図的だよ 近代的な構築されたものにうんざりしているし、それは、既に出来る。書いてる途中で、ああこうすれば叙情が成立して、とかなる。それが本当にうんざりするんだよね。構築は放棄してるね ('20/10/03 18:25:44)
- 一輪車です :
crap upとか。
中途半端に褒めるんなら、最初からシッタカブッタこというなよ。笑
短歌だか俳句だか知らないが、そんなものいくらやったって
現代詩がわるかよ。
ったく、おまえのようなのがいるからこの腐ったゴボウどもが
つけあげり、ここをさらに腐らせるのだ。
>近代的な構築されたものにうんざりしているし、それは、既に出来る。書いてる途中で、ああこうすれば叙情が成立して、とかなる。それが本当にうんざりするんだよね。構築は放棄してるね
こういう、いかにも聞えよがしで意味ありげなフリをばらまく
独り言。まさに「書けない、読めないやつばかり」という罵倒と対極にある
同じく何の意味も根拠もない、わけありげな病棟の患者のような
ぶつぶつつぶやきと同じものであり、ところがこういうものに腐ったゴボウどもが
ころっといかれて信者になる。
こんなことはそもそも語ることであるりえるわけがないことに、どうして
気がつかない???
おまえら頭にウジ湧いてんじゃないのか?笑
ちっとはまともなのが出てきたかと思ったら.........ほんともうどうしゃうもないね
これじゃ。 ('20/10/03 18:31:43 *3)
- 深尾貞一郎 :
https://www.youtube.com/watch?v=0XigWuk6FRE
きよしのズンドコ節でおどろう! ('20/10/03 18:59:25)
- crap up :
なまえをたべたなまえ氏への回答;
きょうはnick cave & the bad seedsをずっと聴いていた。初期の3枚だけがよかった。あとは蛇足のようだった。それからいまはThe cratakerの"An Empty Bliss Beyond This World"を聴いている。私はサウンド・コラージュやミュージック・コンクレートが好きだ。音で遊ぶのが好きだ。もちろん、他人からすればどうだっていいことで、そんなものはただの好悪の類いでしかない。私がこれから書くことも、失業者の戯言(=crap up)に過ぎないという前提で読んでくれれば幸いだ。ニーチェを引用したのは早計だったのかも知れない。正直、シオランのほうがずっと好きだ。たぶん、私が美しいとおもう詩は口遊んで気分がよく、眼で見て気分がいいものだろう。ただそれだけだ。この詩の、特に散文詩の部分を難じたのは音がよくない、字面もよくなかったというだけのことだ。わかり合えないのは最初からわかっていることだ。それにそれがわるいことだともおもわない。
《元運営の書けない人を馬鹿にするフレーズ》――これがどうにも私怨めいて響くのはなぜだろうか。もしかしたら私がかれらに私怨を抱いているのか。だが、いまの運営にしたところで、毎回、決まりのように田中氏やアンダンテ氏の作品を推挙しているのを見ると、なんだかばからしくなって来る。先述したように今回の書き込みはまったく偶発的なものでしかない。ただ、一歩退いた立ち場で読んで、書いて、考えてみたらどうだろうというおもったに過ぎない。他意はない。たしかに美学を謳っていられる時代は終わってしまっただろう。美学のない時代は不幸だが、美学が必要される時代はもっと不幸だともいえなくもない。だが、ほんとうに《どこにもそれ以上はない》だろうか。なぜ詩の世界から詩書き以外は拒絶されてるのか。優良作品を決めるのはだれなのか、娼婦か、予想屋か、手相見か、それとも鶏肉屋の女将ではだめなのか?――そうおもわずにはいられない。
きみは「もう発表しない」と発言したり、それを翻したり、そしてほとんど救いようのない、非生産的なコメントばかりを書き込んでいるが、もうそういった言動は止したほうがいいようにおもう。酷い誤解を受けるだけに写る。現に私が誤解しているところも多分にあるだろう。ただわたしは市場原理に取り残された領域にこそ、惹かれることが多い。だからか、正直HIPHOPもダブステップもあまり好きになれない。
《俺は単に、死ぬまで上手になりたいだけ。それだけ》というのなら、作品内での《元運営の書けない人を馬鹿にするフレーズ》なんかは私には異物混入にしか見えない。大きな障害物にも見える。それはやめたほうがいいんじゃないの――というのが私見だ。《観念に対して自己言及してる、のを意図的にやってる》、《刺激やイメージよりも、質感、を全面に出してる》――なるほど、好みではないが肯ける見解だ。けっきょく、叙情とノイズについては私はちがうとしかいえない。
*
矛盾しているとおもうが、わたしとしてはもっとまちがいのない、作為のない詩が書きたい。道路情報や、新聞記事のようなものを書きたい。通りで自動車事故が起こって、渋滞が発生、救急車が道を塞がれて通れないとか、救助隊が来ないとか、観光客が撲られ、財布を奪われたとか、7番の馬のオッズが1.5についたとか、3ハロンを3馬身差で勝ち抜いたとか、警察官同士が勤務中に交番で、本番をやらかしたとか、そういったことを伝えるヘッドラインのように詩を書きたいなどとおもう。
ぽんた氏へ回答(2);
煽り文句は聞き飽きている。しかし、ここで明確させておきたいのは、「ぽんた」という、そのばかげたなまえがきみのなにを証明しているというのだろうか、ということだ。きみがあした、別のなまえで投稿したところで、だれも気づくものはいないし、だれも気にかけたりはしないだろう。そうじゃないとでもおもうのなら、まずは本名で書いてみてはどうだろう。きみ自身もペルソナに依存しているうちの一人でしかない、ということがはっきりするはずだ。この中田満帆がそう断言するのだから、まちがいはない。
ついさっき、ヤマトの人間が来た。集荷先の住所がまちがっていて、あしたに変更になった。これで不具合のPCの、修理が延期になってしまった。私には運ない。そしてニトリの倉庫は、ヤマトのシューターの100倍キツい。まさに「お値段以上」のニトリだった。
('20/10/03 19:05:07 *1)
- ぽんた :
深尾氏
異論あり!
ズンドコ節ならこっちでしょ
https://www.youtube.com/watch?v=9i4JG-8RlsY
crap up氏はつまらないからもうええわ ('20/10/03 19:09:27)
- crap up :
なるほど、搦むのが趣味で、自分がかわいいだけの生きものなんだな。 ('20/10/03 19:16:07)
- ぽんた :
なんだやっぱ中田か。
薄々わかっていたけどよく他人の言葉引用するよね。
他人の言葉ってさ、その人間が歩んだ人生の中で生まれた言葉でさ、
簡単に引用できないものなんだよ。
自身でそういう言葉を持たない者が簡単に使うんだよね。 ('20/10/03 19:20:00)
- crap up :
わるいが、おれは寺山修司直系の弟子でね、引用癖とでもいうものが引き継がれてあるんだ。たぶんポンスケや、カーカーや、蝗どもにはわかるまい。歩みよろうという姿勢もなく、相手の沽券を穢すためになら、どんなふうにも搦み、どんな発言もするやからに、もういうことはないよ。他人の批判をするまえにじぶんの両手を見るがいい。 ('20/10/03 19:58:15)
- 深尾貞一郎 :
https://www.youtube.com/watch?v=JAku0dUz5fk
この紋所が目に入らぬか!
crap up氏
>おれは寺山修司直系の弟子でね
('20/10/03 20:53:28)
- ぽんた :
誰かの言葉を引用し、誰かの名前の下で自分を語る。
批判に耐えられない安っぽい沽券がすぐに傷つく。得意なのは悪態だけ。
そんな奴と話して意味あんの?
誰かに歩み寄ってほしいならやさしいやさしいビーレビヘどうぞ。
アク禁だっけ?救いようがないね。自分の両手?まず自分の見てから言えよ。 ('20/10/03 21:05:04)
- 一輪車です :
寺山修司、歌人としては天才的であったと尊敬しているし、
永久に崇拝してやまないが......
哀しいかな現代詩は書けなかった。
寺山の詩は、あまりにもしょぼかった。
おまえがいうなといわれるだろうが、事実は事実だ。
ここに現代詩の秘密がある。
これは不思議なことだが、
コピーライターとして優れている糸井重里も
詩を書いたが
めちゃくちゃしょぼかった。
多能なタレントで映画監督?でもあるたけしも
詩を書いたが
めちゃくちゃしょぼかった。笑
おそらくここに詩というものの
知能や知識や芸能だけでは越えがたいなにかがある。
尊敬もし崇拝もする寺山修司の詩が読みたかったが
その詩を読んであれほどがっかりしたことはなかった。
そういえば短歌で唯一、本を買った天才女流の
飯田有子さんと一度話をしたことがあるが「詩を書いてみませんか」
とたずねると
「詩はわからないし書けない」といっていた。
やっぱり天才は違うなと思った。
crap upも現代詩っぽい風体を模倣できるが
現代詩は書けない。
お茶、お華、短歌、俳句というしょせんお稽古ごとの世界で
黙って研鑽にはげんでおればいいものを。
ま、書けない読めないわたしがいえる筋のものでもないが
詩ってのは、いまのようなおまえや
いまのようないかいかが係れる世界じゃない。 ('20/10/04 00:44:21 *3)
- なまえをたべたなまえ :
サウンド・コラージュやミュージック・コンクレート は大好きだな。
特に、white album の no.9 は最強
https://www.youtube.com/watch?v=SNdcFPjGsm8
朗読や現代詩やるやつは聞いたほうがいい。 ('20/10/04 09:51:04)
- 一輪車です :
いかいかの投稿作ではなく、純粋に詩を愉しもうとして向き合ったが......
これはいかいか個人へのなんの感情も勘定も入れずいうのだが、
う〜ん、もとい、
わたしは詩が書けないし読めないが、一人の読者としての自然な態度で
味わった感想は述べることができる。
この詩は、
荒(すさ)んでいる
腐んでいるといってもいい。
一面識もない方に こんな読後の感想を述べるなど、失礼ではあるけれども、
これは詩なんてものじゃない。
精神的な敗北を無理にことばにしたものだ。
まず冒頭の「覚える」という連を読んで、正直にこのさいいわせてもらうと、
一瞬にして悪寒を覚えた。読む者に 吐き気の交じる悪寒を与えるなど
それはそれで凄いことかもしれないが、だれもそんな凄さ、つまり精神のすさんだ、
無意識が荒れに荒れたこころなどに
近づきたいとも思わないだろう。これはあれだな、歩く汚物、歩くハイエナ、あ、
ハイエナは歩くか、ははは。
歩く地雷、そんな大したものじゃないか、地雷などむしろ名誉だから、
こいつはあれだ、道ばたに捨ててある噛み捨てのガムだ。
べたべたと足裏にくっついて離れない、なんの味もないが かすかに
かつてガムであったことを示す匂いなどが、いつまでも残っているという
糞やゴミのくっついた道ばたのガムだ。
この投稿者の冒頭の文言のなににおぞましさを感じたかというと、
これだけ不潔なやつが、まさにそれゆえに倫理を振り回しているところだろう。
こいつは人を何人無差別に殺しても、
知らない学生なんかを掴まえて人の道を説くことのできる不可解な例のあの
特殊な人性をもつ御仁であるとわたしにはおもえる。
しかし道ばたにへばりついたガムでもソシオパス的な性格であろうとも、
まさにそれゆえに、おもしろい詩が書けるものなのだが、
かといってその方向での詩を書こうともしていない。
ゆえに、なにからなにまでただ たんに この投稿者の不潔さとすさんだ心が
そのまま、荒れ放題の空疎なことばとなって
まるで 錯乱し逆上したなにかのように、ぶちまけられている。
と、まあ、ここまで感想を書いてみてふと思うのだが、さすがに、
これは尋常な御仁じゃないということだ。
その尋常のなさに、頭のすこしトンだネットの自称詩人たちが群がる。
ああ、
こりゃあ、地獄だじょ。 ('20/10/04 14:23:50 *5)
- 中田満帆(またの名をcrap up) :
>>サウンド・コラージュやミュージック・コンクレート は大好きだな。
そうか、きみも好きなのか。むかし、おれはじぶんでアルバムつくってみたものの、当然売れなかったな。https://nakatamitsuho.bandcamp.com/
それにしても検索したところで、ぽんた氏に作品はなく、コメントしかありません。そのコメントも寝穢い悪態でしかない。貴殿こそ、棄てアカではないですか。引用がなんですって? そこしか拠り所がないのですか。しょうがないお方ですね。極々ありふれた行為にケチをつけていますが、こちらとしてはどうにも「おれは神を信じでる、信じないおまえは愚かだ」ぐらいの内容にしか聞えません。論理も論拠も提示できないのなら、応えようがありません。出禁? いったい、なにを仰っているのかが見当もつきません。黙って御自分のお臍の穴でも嘗められたら如何ですか。あなたも普段はべつのなまえで、あるいは本名で、そして現実で、それなり努力を為されていることでしょうが、残念ながら努力に才能の代理は務まらないことを僭越ながら申し上げます。
敬白 ('20/10/04 16:00:48)
- 玄こう :
こんばんは、
何回か以前黙読しましたが、作文としてはどーもよくないです。 詩文の歯切れはそれなりにいいですが、散文ではそれが仇となってしまっているのか、どうしても文章がガタついていていい文章が読めません。
云わんとする事柄はそれぞれの連で概ね伝わってきますし、興味も惹くのですが、冒頭
> 白、と、雪の単語を覚えた口が白くも冷たくもならない事に気づいた子供の手に触れて、体温、と、温かい、と単語を教える私の唇が、子供の頬と同じように赤く、繋がりは常に赤に象徴される。
作者さんご自身読んでどうでしょう、「ひっでぇ文だなあ 」とは思いませんか?、わたしなんかほとんど悪文にしかみえませんでピンと来ないですね。
申し訳ないですが、、文の質?、上手に?という書き手さんの�猊床舛稜藏餽膈瓩�なんだかよくわからないですね。 質感ってなんのことだろう? 、わたしが云わんとした美学という一語も上手く伝えられず、ズレてしまい、いろいろと
追記や疑問符を投げ掛けたくなりますが、今回、この点にだけ少し言及させて下さい。 おそらく散文のなかに�犹蹐竜ぜ茲雖瓩�あるためではないのか?、 拙文になってしまう要因がその辺りにあるように感じ再度レスさせてもらいました。
散文の持つ資質(文体)は詩文とは異なるセンスというのは当然ありますから、そこの所を独学できちんと押さえる必要があるように思いました。
柔道試合なのに剣道着で挑んでもお門違い、まぁヘンなたとえですけれどもね。 散文には散文の持つ特質、容姿がありますでしょうから、そこはビシッとキメテほしいですよね。
書かれる思念、一寸の情景、一寸の挿話、諸処に何をか云わんとする中身内容、思想、わたし個人的にそうした点では、なかなか気を惹き読ませてくれもしますが、文がそれに応えられていない気がしました。
上記のコメントにもありましたが、貴方の書こうとする思考がいくら�狒鑢性瓩任△辰討癲∧犬�それに見合った書きになっていないように思いますね。
だいぶスマホではもう字がショボボショボで、誤字脱字が多く、読みにくく何度も編集しましたが、今回はこれで、わたしからは以上です。
. ('20/10/06 01:54:50 *6)
- いかいか :
通常の文章を書いても仕方ない 悪文なら悪文で構わないが、読みやすい文章はつまんない ('20/10/06 12:40:16)
- よんじゅう :
おこげみたいなもんなんじゃないっすか?そんな感じで読んでましたよぼくは悪文といえば悪文すね ('20/10/06 17:49:06)
- なまえをたべたなまえ :
白、と、雪の単語を覚えた口が白くも冷たくもならない事に気づいた子供の手に触れて、体温、と、温かい、と単語を教える私の唇が、子供の頬と同じように赤く、繋がりは常に赤に象徴される。
を
白、と、雪、と単語を覚えた口が白くも冷たくもならない事に気づいた子供の手に触れる。体温、と、温かい、と単語を教える私の唇が、子供の頬と同じように赤い。頬と手、繋がりは常に赤に象徴されて、
としたほうがそりゃいいだろう。でもそれでは意味がないんだよね。 ('20/10/06 18:09:51)
- 玄こう :
「白」、と「雪」、 覚えたての2つの言葉を幼児が声に発している。白、雪、白、雪、その子の口ずさむ口まわりが、どうして白くも冷たくもならないのか?。私はそんな疑問にかられながら、おそらくこの子はその言葉の意味をまだ知らないからだろう、と妙な納得の仕方で、白、雪、白、雪、と二人は共に唱えて歩いていた。 ある時、私は「体温」「温かい」、という二つの言葉を言って聞かせてあげた。その子の頬に両手をあてながら言って聞かせてあげた。私の唇は赤かった。その子の頬も赤く、その繋がりは、常に赤かった。・・・・・・・・・・・・
きちんとした文とか、読みやすいとか、上手に、とかではなく、それらも当然ひっくるめて、、物語的散文でも随筆でも論説的散文でも戯曲でも、いい文章が書けて、ようやくそうした「散文」から、貴方のクセっけのある文体も生かしながら、いよいよ「散文詩」になっていくのだろうと思いますよ。
どこぞの投稿で、つまらないだとか言って、つまらないレス文を送ったり、下手すぎる、だとか言ってヘタにベタベタ書き送ったり、しててはもったいないでしょう。せっかくなんだから、そうした一寸の機会も捨てずにレスして上げてもいいんじゃない?、
まぁ、まだまだわたしよりも遥かに�爐海譴�らの書き手さん�瓩任靴腓Δ�ら、これからの書き手さんに、そうして上げてくださいな。 まぁ、三度もレスしてしまいましたが、これで止めときます。
. おわり ('20/10/06 23:00:37 *7)
- エルク :
構造を詩作していく行為に、わかりやすい抒情は必要ない気がします。演歌のような湿り気、抒情と呼ばれるような余韻で読者を感動させてあげるという作為を排除していく、そうしたアートを大衆に還す行為とは真逆、構造を際立たせていくことで濃度を高めていく、ということが、ここでは意味がある、ということの意味。 ('20/10/07 01:51:11)
- いかいか :
玄こうの作文みたいないかにも文学的説明と描写にはうんざりなんだよね そういうのは、それしか出来ない人がやればいいし、そういう文章が小説にあったら俺は読み飛ばしてるからね 玄こうはたぶんついてこれてないよね ('20/10/07 12:13:59)