夜の底の海辺に倉庫たちが立ち尽くしていて、廃棄された連なりを静かに受け止めている。夏の終わりの透明な枯葉をゆらしながら、いばらに苦い潮風が渡っていく。倉庫のなかでは羊の毛刈りが行われていて、羊の脂の匂いと潮風が混じりあった苦さで口のなかを満たす。むっとする夏の空気と、汚れた海の臭気が僕の髪にまとわりついて、離れない。 彼らは、揃いの薄汚れたポロを着て、かつてぎらついていた強さを思わせる黒い腕を振り回しながら、深い色合いの水を湛えた瞳で羊たちを刈り込んでいく。
「羊を、一匹ください」
ぼくは言う、羊なんか一匹もいないよ、と彼はいう。
「もう、刈り取ってしまったんだ。あとは、刈り取るものしかいない」
脂に汚れた指先に、両切りの煙草がくゆる。羊たちの鳴き声を僕は待つ。でも、羊はただの一匹も嘶かない。ただ、無骨な手に身をまかせ、刈り取られていく。脂の匂いが立ち込めている、誰も換気をしようとはしない。礼を言って、ぼくは歩き去った。誰も振り返らなかった。
街灯に羽虫が群がる道で、女の子が石英を売っていた。沿道の木々は傷むほどにざわつき、風はぬるく、鼻腔の奥に苦味を残していく。微かに深紫、紫蘇の匂い。
「羊が欲しいんでしょ」
彼女は言う、ぼくは「欲しい」と言う。長い旅には、いつも暖かさが求められると。
彼女は、茣蓙の上にいくつもの石英を広げて、その一つの縁を紙やすりでなぞっている。そういえば、月が見えない。こんなに晴れ渡っているのに。それがなんだかぼくの居心地を悪くさせている。
「ひとつ、あげるよ」
彼女は、ぼくに石英を手渡す。微かに、掌の温かさが残っている。
「でも、どこを探してもやわらかい草なんてないよ」
その通りだった。とても、その通りだった。少し嬉しくて、ぼくは財布を丸ごと彼女に渡そうとしたのに、列車はもう走り出している。森の奥で、誰かが振りかえったような音がして、月が卵割を始めた。姿さえ見せず、静かに。生まれるのはいつも秘め事のあとだけで。そんなことはいつだって、誰だってわかってるよ。列車はもう、走り出していると。
向かいの座席には、色んな人たちが等間隔で座っている。申し合わせたように、一人分のスペースを間に取りながら。ぼくは彼らをみな、知っているけれど。彼らはみな、ぼく以外の誰も知らない。だから、ぼくらは誰も口を開かない。
車掌が切符を確認しに来ると、すぐに彼らは逃げるように窓から飛び降りていって、ぼくは一人になった。車掌は「連れは一人だけだね」と尋ねる。ぼくはそうだと言う。
「予約席のお客様が、呼んでるんだがね」
前の車両には、昔の友人が座っていた。セッションをしないか、と彼はもちかける。でも、ぼくのギターは3弦も1弦も切れたままで、しかも酷くさび付いているし、真っ赤な塗装もところどころ剥げてしまっている。
彼は、ぼくの手をとって、「そういうことじゃないんだ」と言う。わかってるよ、そんなことは。地球の裏側で、新しい命が生まれていることも、きっともうじきたくさんの母親が刺し殺されることも。月が卵割を始める、等割の広がりが世界を微かに甘く色づける。
「やわらかい草のある大陸の話をしよう」
ぼくは首を振る。そんなことは、きっと最初からわかっていた。
幾つかの駅をやり過ごして、石英をポケットに入れたまま、ぼくは今にも崩れそうな駅舎に降りたった。どれだけ近づいても駅名は読み取れず、靴がいつの間にか打ちっぱなしのアスファルトにくっついている、そんな駅に。
駅のドアは堅く閉ざされていて、ぼくはベンチに座ったまま、誰もいない売店から新聞を一つくすねて、それを枕に眠った。石英は微かに暖かく、羊の脂の匂いがする。ぼくの髪からも、あの子の首筋からも、どこからも羊の匂いがする。
石英は、気付いたら羊になって、ぼくの上に丸まったまま小さな寝息を立てている。若く柔らかい子羊の呼吸が、ぼくの前髪をほんの少しゆらす。ぼくはいたたまれなくて、泣いた。綺麗な水も、柔らかい草も、もうどこにもないんだよ。ごめんよ、ぼくはいつだって靴紐の結び方がいい加減だった。ぼくの顔に残った涙の塩気を、彼女は優しく舐め取る。そんなことは、きっとわかってたんだ、誰にだって。耳を澄ませば潮の引いていく音さえ聞こえそうだった。
卵割が終わろうとしている。全ての母親が刺し殺された大地に、ぼくらはいつまでも立ち続けるだろう。そしてまた、卵割の中に新しい痛みが重なっていく。世界に蜜の甘さが降り注いで、目を閉じることさえ赦されていく。
そして、ぼくはあなたの血がしみこんだ大地に、羊を放とう。月に向かって槍を投げた、幼い子どもたちの先頭にたって、彼らの嘲笑を浴びながら、朝焼けの中の鳥が描く軌道で、高らく。目を閉じた、光の残渣が幾何学模様を描いてのしかかってくる。月が弾けとんだ、全ての細胞たちは道しるべに分かたれて。
- 軽谷佑子 :
ケムリさん、こんにちは。
月や羊、卵(卵割)と、ともすれば既視感あふれる作品になる可能性がある単語を
うまく抑えて仕上げているなと思います。
作品における、ケムリさんの内面のあらわれ方が今までの作品とは少し違うような
印象を持ちました。沸き立ったものからつぎつぎに主張していくのではなく、
温度はずっと低いままだけれど全体に均一に、いつまでも流れているような。
一連、二連とスムーズに進行する中で、三連に少々ひっかかりがあります。
他の連にくらべて語られている場面が多いからかもしれませんが、文章の流れが
おもたいです。とくに最後の四行。
詩のなかでつかう会話文は本当に難しいなと感じます。
(相当うまくまとまっているなとは思うんですが。この作品においては
会話文がなければ余計に読みにくいと思いますし) ('06/09/09 17:11:54)
- ケムリ :
お久しぶりです。
正直、文体についてはもう、推敲の余地があり過ぎて困ってます。というわけで、殆ど推敲を放り投げるようにして投稿してしまいました。文体には意図的にクセを持たせたいけれど、そのせいで通常の文章作法、例えば括弧括りの台詞なんかを挿入すると、凄く座りが悪いんです。実は、投稿してからもこそこそ弄り直したりしてたり。
ある程度、押さえ込んで一つのラインを形成することが必要なんじゃないか、と思っているんです。内面の出し方にしても、今までのようにメタファライズされた、あるいは偶像化されたパーツをゴトゴト置いていくのではなく、もう少し流れを持たせてみたい、と思いつつあります。そもそも、文章技術がついて来ないのがしんどいですが、こういう作業はなんというか、やりがいがありますね。チマチマパズルを組んでるみたいで。批評ありがとうございます。 ('06/09/09 17:38:57)
- 松本K :
全体に修飾語が多くて、読む側はそのたびにその語を想像して立ち止まらないといけないので、読んでいて疲れるなという印象を受けました。情景の全部を修飾語で説明する必要があるのかな、と思います。強調したい部分は修飾を使い、読者の想像に任せてもいいところはなくすとかしたらもっと読みやすくなりすんなり入っていけるのではないかと思います。また、使い方も説明ではなく読者の想像を意識してそれを誘導するように使ったらもっと減らせるような気がします。 ('06/09/11 17:43:13)
- 今唯ケンタロウ :
なるほど―というわけでケムリさんへの評は初めてですがよろしくお願い致します。―これはなかなか書けるものではないと評価します。一つ一つの情景、出来事の描写だけでなく、全体的に整合性が保たれていて美しさがあります。
上にすでに書かれていますが、修飾は確かに過多です。とくに出だしが。私は修飾過多は好きで、削れる部分もあるとは思うのですが、確かに修飾が綺麗さを出すのにかなり役を買っているので、もう少し切って文を分けるやり方などがあるのではないでしょうか。
あと難しいところなのですが、私はこれは詩として成立しているととりたいけど、それでも部分的に、どうにも完全に小説の文体になってしまっているとも思います。いや、というよりも、これはほとんど小説の文章のやり方ではないでしょうか? 最終連のみが何故か完全に詩なのですが。この終わり方は、賛否出るような気がする。それまでの流れからすると、もっとわかりやすい終わり方があったようにも思えるので。
これはしかし、やはり位置付けの難しい作品ですね。小説に、と言い留まったのは、やはりたとえばこういったのを載せるような小説の商業誌はないと思えるし、中途半端ということは決してないと思うけど、これはやはり、詩のやり方ではない、のではないでしょうか? 私はそう思うのですがどうでしょうか。
とは言え、作品としては評価されると思います。修飾のかけ方や、一文一文は推敲されればいいことだと思うし、最終連については、参考までに私の感触では、ああやってそこだけ急に詩度が増して完結するので、あり、だと思います、若干わかりにくいこともありますが。
この世界の空気にも好感は持てます。
ケムリさんの他のは読んでいません(少なくとも熟読はできてない)。「スカイリッキー」が近くにあるので、ぱっと見たけど、行分けるより、私はこちらのがいい気がする。あちらで詳細に評できなくて申し訳ないですけど、何となく無難にまとまっている感じで。何処となく旧いというか……。描写をしっかりするようなことをよく言われるけど、それなら、やはりこうやって散文で、このくらい丹念に書き込んでいった方が正解だと思います。
こう書いてきて、自身でも、ちょっと迷いが生じてきた。ケムリさんの旧作を見ると、詩としてできることに物足りなさを感じるし、この最新作には、これは詩の文章ではない、と感じてしまう。・・・・・・難しいな。おそらくすでに色々悩まれて表現されているのだろうけれど……今、私に言えるのはこんなところです。失礼致しました。 ('06/09/14 00:38:39 *3)
- ヒダリテ :
こんにちは。ケムリさん。
珍しく、といいますか、散文詩、ですね。
(詩か小説か、というところは、ひとまず置いといて、と。)
うん、さすがに上手いな、と思います。
石英と羊、奇妙な組み合わせですが、このイメージが浮かんでしまったところで、ケムリさんの中で、この詩はほとんど完成していたのではないかなあ、なんて事を思いました。
僕の感想としては、軽谷さんの感想とほぼ同じですが、うん、三連目が少し、気になりました。
>「連れは一人だけだね」
ここらへんは読んでいてニヤリとする感じがありましたけれど。。
その後の部分。ここはおそらくは最終連への予兆のようなものとして読むべきなのかな、と思いますが、僕なんかはちょっとここで、躓いてしまいましたね。ちょっとよくわからないな、と、個人的には。
僕がこの詩の中で一番好きなのは、二連目から三連目にかけて、情景が一変するところ。ここは、すごく鮮やかでしたね。
ただ最終連では、かなり、描写が抽象的に、言ってしまえば詩的に、なっていて、ここらへんは好みが別れるところ、のような気がします。(今唯さんも指摘されてますが)
>卵割が終わろうとしている。全ての母親が刺し殺された大地に、ぼくらはいつまでも立ち続けるだろう。
と、ここで、出ましたケムリ節、という感じですが。
んー、僕にはちょっと分かりづらいかなあ、と。バシッと決まった、と言うには、ちょっと炸裂感にかけていたように、個人的には、思いました。
ま、しかし好みの部分です、おそらくここは。
最近のケムリさんの作品の中では、個人的には、この作品が一番好きですね。
特に前半部分はいいなあと思いました。。
と、簡単ですが、以上、個人的な感想でした。
あ、ちなみに僕は
それぞれの詩観はそれぞれがそれぞれに持っていればよいわけで、殊更に干渉するのは無粋であるような、そんな気がします。僕はそれが面白い文学作品であれば、それが詩であろうと小説であろうと、実際どうでも良かったりします。そこらへんあまり意識的なってしまうと、結局は自分の首を絞めることになるように思えますし。
えーと、なんだか読みにくい文章ですみません。失礼しました。 ('06/09/15 18:54:21)
- ケムリ :
松本Kさん
過修飾、確かにその通りなんです。ストーリーラインを追うだけなら、この半分以下の分量でいけるとは思います。でも、ぼくは修飾したい。この辺ジレンマなんですよね。難しい。でも散文形式をとる以上、読み手の意識はカッチリと作品世界に縛り付けたいんです。もう少し色々なパターンで書いてみて、適切なバランスを探してみたいと思ってます。レスありがとうございます。 ('06/09/15 23:36:49)
- ケムリ :
今唯さん
まず、ということなんですが。「詩のやりかた」「小説のやりかた」というものは、ぼくは基本的に「無い」と思ってます。幾らでも例外が引けてしまいますから。更に言うと、ぼくは自分が書いているものを「詩」だとはあんまり思ってないんです。だからって「小説」だと思ってるわけでもないですけれど。それを決めるのは読み手でいいし、ぼくの中で小説と詩というのは二項対立的に分かたれたものじゃなくて、あくまで便宜的なラベリングだと思ってます。必要な時に必要な方法を取ればいい、と考えています。それに「詩」には「かくあるべし」的なことを心から信じ込んで叫ぶ人が多いので、ぼくなんか鬱陶しくて「じゃあ詩じゃなくていいよ」って思っちゃうんですよね。詩人定義論争みたいなものもありましたし。ぼくは「詩人」なんて肩書き間違っても要らないんですけどねぇ。同義語考えると泣きたくなっちゃいますよ。
最終連についてはもう、ぼくの中ではこれしかない!くらいの意気込みの箇所で。ヒダリテさんに「ケムリ節」と評されてますけれど、一番書いてて吹っ飛んでいけるんですよね。散文というのは、なんというかマラソンに近くて、山も谷もあるけれど、先を考えたらまだまだスパートは出来ない。そうやって我慢した先でサングラスをブン投げてしまうのはある種の必然という気がします。正直、このラストだけが書きたくてチマチマと長く書いた、と言っても過言じゃないですから。レスありがとうございます。 ('06/09/15 23:46:29 *1)
- ケムリ :
ヒダリテさん
散文形式は書き手のレベルがモロに出てしまうから、苦手なんですよね。ヒダリテさんくらい流麗に文章を流していければいいんですけれど、ぼくの場合基本的な文章力の問題と、どうしてもアクロバットしたくてたまらない部分が合わさってチグハグになってしまう傾向があります。「原稿用紙300枚!」と書き始めればここまで酷くもないんですけれど。(と言い訳してみましたが、実はフィネガンズウェイク化した作品がパソコンに眠ってます)ただ、評価していただけている二連目から三連目の翻りはアクロバットそのものなので、これからも積極的に試して行きたいです。着地出来るかは別として。
三連目で置き去りになってしまったということですけれど、ぼくの書くものは純粋に文章を面白くしようとしているわけじゃなくて、「書きたいことは素直に書かない」っていうぼくの基本スタンスを守っているんです。だから、ほとんど全てが意味をもっているし、その意味を読み取られなくても別段構わないと思っているんですが、この辺りのサジ加減が難しい。むしろわからないことが面白いというところまで持っていきたいと思ってるんですが、単純に読み手を置き去りにしてしまうことがよくあります。この辺、考えていかなきゃいけないところだと思ってます。
最終連は、もうこれが言いたかったんだ!という箇所なんですが、炸裂が足りないというのはちょっとこたえました。頑張ります。 ('06/09/16 00:08:04)
- 浅井康浩 :
こんばんわ。
思ったことを。
かなり空回りしているな、という印象。
もりろん、水準が高いことを前提として。
>二連目から三連目の翻りはアクロバットそのものなので、
>これからも積極的に試して行きたいです
翻りが鮮やかすぎるのかと思ってしまうくらいに、2,3連目の印象は、稀薄すぎる。
ここでは、
>「でも、どこを探してもやわらかい草なんてないよ」
>彼は、ぼくの手をとって、「そういうことじゃないんだ」と言う。
という文章を軸として、「翻り」が起きているようにみえるのだけれど、
ぼくには、それが、前半から後半への翻りというよりは、
後半が、前半を踏みつけてまえに進んでしまっているような感じをうけた。
後半が、後半であるために、前半の意味を抹消させてしまうような感じ。
それは、前半部分の、動詞の印象が、(紙やすりでなぞっている、手渡す、など)
ほとんど、表層としてしか機能していないからではないのか、ということ。
(2連でいうと)
既視感を感じさせ、また、ひとの感覚になじまない動詞の感覚が、
印象を薄くさせているように思う。
その動詞のしぐさが、目に焼きつかないでいる。
それは、売っているときの、手の動き、かすかな指先の震え、など、
微細な風景を思い起こさせることはない。
「掌の温かさ」という安易ともとれる文章に結びつけたことが、
そのような感じを抱かせる。
ようするに手癖をかんじさせないでいる。潔癖すぎるのようにも見える。
「売る」という動詞は、ただたんに、形としての動詞のままそこに
あるのであって、その語彙から派生してゆく物事を想起させるだけの
魅力あるしぐさとはなっていない。
なので、印象として、弱く、文章に転回が起こると、その部分は
抹消されてしまうようにも見えてしまう。
なので、ほとんどの動詞が、その行為のファジーさを失ってしまい、
ぼくにとってこれは、薄っぺらなものと映ってしまった。
つじつまがあわないところもあるかもしれませんが。
ひとつの捉え方として、述べさせていただきました。 ('06/09/24 02:32:38 *1)
- ケムリ :
浅井さん
「動詞の使い方」ぼくにない目線で、非常に参考になりました。その辺をなるべく素っ気無く書こうとする意図は確かにあるんですが、次は少し改めてみたいと思います。動詞のファジイさ、っていう考え方はぼくにはなかった。極道には異才を持った人が多くいるんですが、浅井さんはその中でもとびきりの異才の一人だとぼくは思ってるんですが、こういうことを教えていただくと、創作するときの回路の違い、みたいなものを感じます。自分の中からは絶対に出て来ない発想なので。次の創作の一つの力点にさせてもらいます。ありがとうございます。 ('06/09/24 03:57:38)