メフィストフェレスが激怒する。おかしの家、雪渓もののあわれ。賽の河原で降誕祭の、レープクーヘンホイスヒェン「またも永遠、」つまり子宮だった。子どもだましの真珠母だった。卵管の口が天井に、欠けないふたつの満月を穿ち、光明として堕ろす黄体ホルモン。真珠麿の床へ落ちこぼれるマーガリン、マルガリーネ、マルガレーテがたま子と和訳され「ヘンゼルは。」ワルプルギスの夜だからね。
たま子は自浄を司る。キリストすら堕ちた道のだ。三途川から昇天し、月にはじかれ逝く雪を、すべて此岸へ掃きもどす。婦は掃くので婦であった。処女は幼女で月経前だ。魔女と聖母の分かれ目は、避妊の知識の有無しかなかった、37度のヘクセンホイス。雪はとろけて水子となり、水子の布団を月水へ剥ぎ。堕とす。乳と蜜そしてハードボイルド「ラインのリープフラウミルヒが恋しい。」みずからを焼くかまどから。
箒も竹冠を脱ぎ捨てて。花盛りのエニシダを束ねて(だって魔女はなんでわざわざ枯れ枝なんかにまたがるの、)フラワーシャワーのヴァージンロードへ。たま子が吐き棄てる。玉子は身ぐるみ剥がされている。きみはいらない白身だけ白砂糖としっかり混ぜて(鳥ノ子と白の袷を氷重と、エデンの極東が名づけたのだ、)アイシング。白無垢に。雪は化かされ水子となり。
花も実もなき鬼灯の
知りもせぬ罪に焦がるる
小娘、とも小僧ともつかぬ
餓鬼どもが、
「そう言えばおれはファウストの
被昇天の際
天使どもに欲情したのだった。」
さめざめジンジャーブレッドマンで
積む、得度の
煉瓦を、摘む
羽掃きと
懸衣翁
糖衣の濡れ衣
しか甘くない
マルガレーテが謳う。
冷やかなる奥津城に *1
小さき妹 *1
我骨を埋めつ。 *1
グレートヒェン
帚木の心を知らで *2
ホイスヒェンの *2
床にあやなく *2
惑いぬるかな。*2
真珠より、まるく
まるく、漂白された
殻
『此こそわが骨の骨わが肉の肉なれ』 *3
に
はめ殺されて
あめの窓をかためる
羽二重にかたまる
卵白の
床に、煮くずれた
仙骨翼から
はね飛んでいる肋骨遺残
「またもご漂着だわレープクーヘンヒェンが。
「ご氾濫だわ。リープフロイラインミルヒが。
「ごきげんよう das Maedchen「ようこそ中性名詞!「ひらいた股から胎をひらかれ「装った、イースターバニーガールの卵殻「豚に真珠、「をカイーナの氷でひとかわ剥いても脱げない定「冠「詞の法を免れないあたしたちは「どうしようもなく娘細胞!
(das Ewig-Weibliche,(es ist vollbracht. *4
「どうしようもなく母細胞!
(das Ewig-Leere,(es ist vorbei.(Da ist's vorbei! *4
「どうしようもなく魔女裁判!
『カインがアベルを殺したので、 *5
神はアベルの代りに、ひとりの子を *5
わたしに授けられました』。 *5
(いらなかったのねカインは、
(いらなかったのねアベルも「兄さん、
『なんてきれいな鳥なんだろ *6
ぼくは!』 *6
「いらない、
『なんてきれいな鳥なのかしら
あたしたちは!』「いらない。
「干されることを拒めば箒も「永遠に花束のまま!「実るらしい煉獄「うらやましい、「火があればなんでも「焼きたい放題だね!「鳥もうさぎもクーヘンヒェンも「焼き入れ知恵りんごの煮びたし「たま子も!「目玉に、「焼かれたい放題だね!
メフィストフェレスが激怒する。
(魔女の厨でならいざ知らず *7
「それは母たちなのですよ。 *8
(なんとしても耳にしたくない言葉だ。 *9
「あの永遠に空虚な遠いところ *10
よりおれとしては「永遠の虚無」の方が結構だね。 *11
『すべて移ろい行くものは *12
永遠なるものの比喩にすぎず。 *12
『永遠に女性なるもの、 *13
我等を引きて往かしむ。 *13
「聞いた事のある詞ばかり聞いていたいのですか。) *14
Zum Augenblicke duerft' ich sagen:
Verweile doch, du bist so schoen!
この玉響へわれぞ告げたき。
揺りをれ、なれこそいつくしけれ。
(J.W.Goethe, "Faust. Der Tragoedie zweiter Teil", 11581-11582 私訳)
□■ 出典 ■□
*1 ゲーテ/森林太郎(鴎外)訳『ファウスト 第一部』4416-4418行
※マルガレーテ(グレートヒェン)が牢獄で歌う歌。出典は*6に同じ。
*2 紫式部『源氏物語』帚木 第三章第四段より
「帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな」
*3 文語訳聖書『創世記』2章23節より
「アダム言ひけるは此こそわが骨の骨わが肉の肉なれ此は男より取たる者なれば之を女と名くべしと」
*4はゲーテ『Faust』原文から引用した。
*das Ewig-Weibliche:12110行、神秘の合唱。
※鴎外訳「永遠に女性なるもの」高橋訳「永遠にして女性的なるもの」
※ユングのアニマや太母の概念に影響を及ぼしたとされる。
*es ist vollbracht:11593行、メフィストフェレス。
※鴎外訳「用は済んだ」高橋訳「片がついた」
※ヨハネ福音書19章30節にあるキリストの末期の言葉であり、多く「事成れり」と訳される。
*das Ewig-Leere:11603行、メフィストフェレス。
※鴎外訳「永遠な虚無」高橋訳「永遠の虚無」
*es ist vorbei:11594行、合唱。
※鴎外訳・高橋訳とも「過ぎ去った」
*Da ist's vorbei!:11600行、メフィストフェレス。
※鴎外訳「今何やらが過ぎ去つた」高橋訳「過ぎ去った」
*5 口語訳聖書『創世記』4章25節より
「アダムはまたその妻を知った。彼女は男の子を産み、その名をセツと名づけて言った、『カインがアベルを殺したので、神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました』。」
*6 グリム兄弟『Von dem Machandelboom』(百槇の木の話)初版本より
※*1の出典。
*7-12は高橋義孝訳『ファウスト(二)』新潮文庫から引用した。
*7 6229行、ファウスト。
*8 6216行、メフィストーフェレス。
*9 6266行、ファウスト。
*10 6246行より、メフィストーフェレス。
*11 11603行、メフィストーフェレス。
*12 12104-12105行、神秘の合唱。
*13-14は森林太郎(鴎外)訳『ファウスト 第二部』から引用した。
*13 12110-12111行、合唱する神秘の群。
*14 6268行、メフィストフェレス。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20160430_312_8783p
- 渚鳥 :
こちらでは初めまして
澤さんのこのキャパシティの広さは、圧巻です。
まるで、果てしない森の小石から野生の花から、針葉樹のこずえから月夜から魔女から何から何まで網羅しているようで、驚嘆いたしました。
ただ、「盛りすぎじゃないかな」とたじろいでおります。
怪作、でした。 ('16/04/30 19:05:42 *1)
- 澤あづさ :
▼修正報告
ウムラウトが文字化けしたので修正しました。まさか文学極道でドイツ語を書けないとは思いませんでしたが、次の次かその次くらいに、この仕様を利用した作品を投稿したいと思います。
***
▼渚鳥さんへ。
ご高覧ありがとうございます。ちなみにわたしは罵倒大好物です。
「盛りすぎ」自分でもそう思います(´・ω・`) 以下自覚的に盛った理由。
1、わたしはザコシ詩(※はかいしさんの芸風(※5or6さん命名)書きだ。
2、ワルプルギスの夜も『ファウスト』もザコシ詩的だと思った。
3、発想が陳腐なので、ネタを盛らないと文極レベルに達しないと判断した。
3にいろんな角度からつっこまれたい。 ('16/04/30 20:20:29)
- 玄こう :
すごくインテリな現代詩のイメージで構えて読みました、俺なんなさっぱりわからないファウストも一度も読んでないさ、から感想もなんら述べられんが、、
白石かずこ あの 現代詩人をどう思っているか? 一度誰かに文学極道つてに尋ねてみたかった、たいして彼女の詩もあんま読まないが、、
あの人ぐらい、醜悪?美な飛び抜けたエログロさを、女から詩から出てきて欲しい、、
と期待している昨今である。
まだまだインテリ臭くて、詩の良さはまだわからんが、また、読ませてください。 ('16/04/30 22:48:02)
- 澤あづさ :
▼修正報告
仮名遣いの揺れと、へんだった副詞と、へんだった読点遣いを、それぞれ一箇所ずつ修正しました。
***
▼玄こうさんへ。
ご高覧ありがとうございます。衒学的とよく言われますが、わたしの頭は悪いです。本作も『ファウスト』読了済の友人に「引用が格言集レベルだらけでだせえ。」と失笑されました。うるせえ狙ってやってんですが、そいつくらい構えず罵倒していただけると重畳です。
白石かずこ氏は未読ですが、本作は、自分としては反エログロのつもりで制作しました。もっとも制作意図を伝達したいという目的がなかったので、その表現を追求してはおりません。そうした半端な姿勢が、玄こうさんの目に「半端なエログロ」と映ったのでしょうか。
そうなりますと、うまくないですね。反したつもりのものと同じ着眼を、超克できていないということですものね。発想が陳腐なのは自覚しているので、白石かずこ氏を読むことから、超克の手段を模索したいといま思いました。 ('16/04/30 23:50:29)
- 泥棒 :
作者の本棚披露ハロー疲労する読者
引用にボロ負けして食べるボロネーゼ
茹ですぎた思想が滲み出る虹と皮肉をレス皿であえる
言葉の金利上昇する読み手の心理を読む書き手
つまり、
よくわかんなかった。
しょっぱい読者で申し訳ないです。
(さーせんっ!
泥棒の棒読み
濃くない酷評国内放送
ドイツ学者と魔の悪い女
どいつもこいつもベルリンの壁を本棚にリフォーム。
つまり、
ウィキペディアで調べた4月30日
永遠に完成しない作品だと思う。 ('16/04/30 23:54:21)
- 澤あづさ :
泥棒さんへ。
ご高覧ありがとうございます。わたしも泥棒さんの読解をうまいこと読解できませんで、しょっぱい読者はむしろわたしですね。しかし作品は、泥棒さんに四月三十日をウィキらせたのですから、成功です。ちなみにヒトラーやベルリンのことは、詩中には書いてありません。ありもしないものを見出して「Eureka!」と叫ぶ喜びをご堪能ください。
しかし疲労しますかこれ読むの。読者様のストレスを最大限軽減するように、テレビのように受動的に情報を受け取れるように、工夫したつもりですが。努力が足りないのか、受動的読書という行為を理解できていないのか。
そしてわからないのが問題でしょうか。わからないわけはないと思ううえに、わからなくても評価に支障はないはずだと思う、また「修辞の有効性をはかるため、作者の意図を確認したい」といったご意向があるなら、尋ねてくださればもちろんお話ししますのに、と思うのですが。。。わたしはよほど文学極道と、感覚が乖離しているようですね。 ('16/05/01 05:39:10 *1)
- アルフ・O :
多分「ウィキペディアで四月三十日調べて書いたみたいな作品」って云いたいんじゃないの、泥棒さん本人が調べたわけでなくて。......いや、むしろ「ウィキペディアの四月三十日の項目書いてみました」的な感じか。本人じゃないから憶測だけど。
というか、こんだけガッチガチに構えられて「さァ罵倒してください、さぁさぁ!」みたいなこと云われても......ねぇ?ちょっとだけ感想云うなら超めんどくさい、これ。前の投稿作も結構昔読んだけどあれは元代表氏の指摘は正しいと思う。わかんなくても楽しかった。翻ってこっちはずらーっと出典の表記があるおかげで(権利的なあれでどうしても必要なんかね。不勉強ですが)無駄に読む方の労力が跳ね上がってて全く楽しめない。「出典隠して指摘されたらパロディーって云いきってよめんどいなぁ」とか思ってしまった。そんなもん読者のリテラシーの問題じゃって云われりゃ返す言葉ないし返す気にもならないけど。ま、個人の感覚なので参考にならなきゃ捨て置いて結構です。 ('16/05/01 08:18:00 *3)
- グリフィス :
内容に対して作品が短いような気がしました
読みに加速がつく前に終わってしまう感じです
もしかすれば連作なのかもしれないので何とも言えないのですが
それと題名が嫌な感じです
それだけで最初全然入れませんでした
グリゼルダとかのほうが良い気がしました
まあたぶん月間入るのでしょうけど ('16/05/01 11:26:02)
- 尾田和彦 :
基本的にポエジーというものが作品に流れていません。言葉遊び、下手すると変な駄洒落に落ちちゃってる印象を受けます。文字の配列をずらして表記するレイアウトも、なんだろうな、それやっとけば「現代詩」っぽくなるだろう的な、あざとさがあります。
ポエジーには視覚的なものと音韻的なものと、それから意味作用から構成されるものと、大まかに三種類あると思います。おそらく狙い目としては、3つの要素を一つの作品の中に、一度に表現しようとされていると思いますが(意識されているのか無意識的にかはわかりませんが)どれも成功していないと思います。
象徴的なところ引用してみますと、
>濡れ場の山場の三途河から、
>昇天したおたまじゃくしが屋根より高く鯉のぼり。
この韻律は美しくないですよ。
で余談ですが、アルフ・Oさんも言及してる件で、
>ガッチガチに構えられて
>「さァ罵倒してください、さぁさぁ!」みたいなこと云われても
とか、(自分の言葉ではなく)引用で固めてくるあたりだとか、投稿(前後)にあちこちで予防線を張られてるのは、おそらく「傷つきたくない症候群」の方なんだろうと思いますが、少し、違和感を感じますね。 ('16/05/01 12:13:20)
- 澤あづさ :
1/4 とりあえずアルフ・Oさんと尾田さんへ。
作品と関係ない煽りはフォーラムの現地に直接返信してください。人の話を立ち聞きして覚えた「作者への違和感」を「作品批評の場」に書き込むなんて、まったくばかげたことですよ。わたしに対する懐疑を、その発言のあった現地で、なぜ直接問いたださないんです? ただの腑抜けの内弁慶のコミュ症ですかあなたがたは? 特に尾田さん、アルフ・Oさんがどう思うかは知りませんが、便乗罵倒は、便乗された人にこそ迷惑ですよ往々にして。 ('16/05/01 17:21:12)
- 澤あづさ :
2/4 アルフ・Oさんへ。
>多分「ウィキペディアで四月三十日調べて書いたみたいな作品」って云いたいんじゃないの、泥棒さん本人が調べたわけでなくて。......いや、むしろ「ウィキペディアの四月三十日の項目書いてみました」的な感じか。本人じゃないから憶測だけど。
わたしは後者だと推測して、上記で泥棒さんへのレスをしたわけですが、どちらにせよわたしの作品には関係ない話です。つまりあなたには関係ない話です。
>というか、こんだけガッチガチに構えられて「さァ罵倒してください、さぁさぁ!」みたいなこと云われても......ねぇ?
「ガッチガチに構えてる」というのは、この作品のスタイルのことですか、それともフォーラムで他の人に話してた際の態度のことですか? 後者なんでしたら、その前提は、この作品とは無関係ですので、ここで聞く意味がありません。
>ずらーっと出典の表記があるおかげで(権利的なあれでどうしても必要なんかね。不勉強ですが)無駄に読む方の労力が跳ね上がってて全く楽しめない。
出典の明記があると、なぜ労力の程度が上がるんです? 著作権法周りの義務を除き、出典とか注解とかいうのは、「必要があれば読者がその必要情報を入手できるように」という配慮で添えられるものですよね。つまり、必要がなければ読まなくてよい、世間の本が実際にみんなそうじゃないですか。
読まなくていいものを「読まなければならない」と勝手に思い込み、自分の思い込みを作者に責任転嫁する、あなた精神状態はご安泰ですか? 安泰なんでしたら、「読む必要のない出典を読みさえしなければ、本作を楽しめるのか否か」を教えてください。そこからやり直さないかぎり、あなたの意見は(前提が間違っているゆえに)無意味です。 ('16/05/01 17:24:06)
- 澤あづさ :
3/4 グリフィスさんへ。
>(題名が)グリゼルダとかのほうが良い気がしました
渚鳥さんに続きやっと二人目の読解者出現にほっとしております。(こんな陳腐な趣旨を読めない罵倒家たちのほうが異常だと思いますが、それはグリフィスさんには関係ない話です。)
『ワルテルとグリセルダ』のインパクトは、確かにグレートヒェンの比ではないので、劇的な説得力を見込めるでしょうね。この言葉遊びはこれで完結してしまっているので、次回以降の参考にします。
※ちなみに渚鳥さんの発言は「ワルプルギスの夜にかこつけて、賽の河原とかクリスマスとか、話を盛りすぎてるのはわかったよ。」という意味ですよね? これをお読みになっていて、誤解がありましたらお知らせください。
>内容に対して作品が短いような気がしました
>読みに加速がつく前に終わってしまう感じです
本作は助走にも至っていない状態で終わっているとのこと、つまり「この作は、もちろん序文ですね、ここから話がはじまるんですよね? 本文はどこにあるんです?」と小一時間問い詰めたいといったご指摘でしょうか。(誤解がありましたらお知らせください。)
本文を書く予定はありませんが、ご指摘には納得しました。次回以降の糧にします。
>それと題名が嫌な感じです
>それだけで最初全然入れませんでした
それは「題名から受ける印象と、本文から受ける印象が異なる」という意味ですか、それとも「題名が自分の好みでないから、最初は読む気がしなかった」という意味ですか? 後者は個人の嗜好の問題です(つまりあなたが嫌われたぶん、ほかの人に好かれる可能性を捨てきれないということです)が、前者なら改訂を検討する意義が生じるので、もしよかったら詳細を教えてください。ご指摘はありがたく思っています。 ('16/05/01 17:32:28)
- 澤あづさ :
4/4 尾田和彦さんへ。
>基本的にポエジーというものが作品に流れていません。
あなたが『ファウスト』どころか洋詩の一本もまともに読んだことのないことが、後述の理由から容易に推測できるため、あなたの唱えるポエジーを軽々には信用しかねます。
>文字の配列をずらして表記するレイアウトも、なんだろうな、それやっとけば「現代詩」っぽくなるだろう的な、あざとさがあります。
それは『ファウスト』に用いられている書法の流用です。ちなみにブラウニングもイェイツも用いている、西欧の韻文に普遍的な書法ですが、それのどこがどのようにどこの「現代詩」っぽいのでしょう?
あろうことか『ファウスト』の書法も知らず、そして勉強もせず、『ファウスト』の引喩を仮想敵「現代詩」と勝手に見なし、妄言で攻撃するような、バカしかいないんですか文極の罵倒家には?
>>濡れ場の山場の三途河から、
>>昇天したおたまじゃくしが屋根より高く鯉のぼり。
>この韻律は美しくないですよ。
そんなあなたのいう「韻律」が、テルツァ・リーマとかababababcddcとかであるわけはないですね。朔太郎の妄想系ですか? わたしは朔太郎が嫌いなので、かれのいう韻律の定義は受け入れません。どちらでもないなら、どういう定義なのか説明してください。だいたい、
>言葉遊び、下手すると変な駄洒落に落ちちゃってる印象を受けます。
あなたの上記ご指摘の通りに成り下がってますよね上記ご指摘の文章。その肝心なところを罵倒せず、朔太郎妄想系の韻律がどうこう、いったいなにをおっしゃってるんです?
とは言え尾田さんの罵倒(1/4で述べた便乗罵倒は除く)には、「迂遠でも詭弁でもない、論理的な主張である」点で、男気と社会性を感じました。 ('16/05/01 17:39:15 *1)
- 紅茶猫 :
余談ですが山口百恵のプレイバックパート2(古いですが)の歌詞の中に「あたし」という箇所があって、それを聞いた時に私は強烈に女を感じたのですが、こちらのタイトルも、私ではなくあたし。本編は二重三重に武装されている印象ですが、そこと比してアンバランスなような、やはり強烈に女を感じる様な複雑な感想を持ちました。男性だから女性だからというのは、この場に相応しく無いですが。以上です。 ('16/05/01 18:45:05 *2)
- 渚鳥 :
澤さんへ
はい。盛る=例えば※髪型を(ここに書ききれるのか(^_^;)……地毛の状態に時間とお金と手間を施してカーラーやらワックス、ヘアアクセサリーなどを駆使して華やかにする)=もる。(爪でいえば)ネイルアートする、携帯電話をデコる、など…私も澤さんに倣い、視覚から得る情報を文章に起こせたら、いいのですが(汗)。
以下略。
女性なら通じると思い、端的にコメントしてみました。 ('16/05/01 19:03:47)
- 北鎌倉 :
サービスの足らない、
河竹黙阿弥風、
金井美恵子風、
を感じました。
おのれだけがあって
読者を喜ばす
(つまり、読ませる)発想がないのが
致命的。 ('16/05/01 20:26:21)
- すずらん :
一読して、いっそ衒学が過ぎるという読みを突き貫け、すっかりヤワになってしまった言葉たちが断崖から蹴り落とされた現場に立ち会おうじゃないか、という気になった。
1〜3聯目は、レンチキュラーのような手法がとられていて面白い描写法なのだけれど、ドットが粗いために分断された語彙がパーツとして読者の元に残されるので、逆効果、低評価になっていると感じた。ドットが密になれば、人間の英知なんざ斬首の刑とハッチャケル「ワルプルギスの夜」を描き出すうってつけの手法だと思うし、衒学と誹りを受けがちな作者の個性が逆転勝利を収める可能性をもつ聯だと思う。ただし、この手法でのドットの高密度化は(最新のレンチキュラー印刷同様)かなり高度な技術力が求められるから、大変かも。
(あづにゃん、とりあえず今日はここまでね^^) ('16/05/01 20:49:57 *1)
- 田中恭平 :
この詩はいい品だと思います。 ('16/05/01 21:05:34)
- 田中恭平 :
止揚と止揚に於ける語法の捻じれが生かされており
この単純な技法の勢いのある連打、一連目〜三連目を速読すれば
サービス精神がないということは、けしてないことがわかります。 ('16/05/01 21:19:44)
- 田中恭平 :
>濡れ場の山場の三途河から、昇天したおたまじゃくしが屋根より高く鯉のぼり。
これは欲情から、背徳を踏んで児を成して結果この青空を悠々と
鯉のぼりがそよいでいる、ともとれて
民族学もかすりつつ面白いと思います。
音律的にも落語だったり、ラップだったり
ちょいちょいと急ぎ足で発語していただきたい。
これは面白いフレーズですよ。
昇天のSyo、でつまるやわな舌根なのでしょうか。 ('16/05/01 21:32:53 *1)
- 泥棒 :
いやいや
しょっぱい読者は
絶対に私の方だから
ありもしないことレスしてるなら
そこは
ゆずれないです^_^
工夫も努力も足りている作品に
仕上がっていますよ!
だってさ、
一生懸命いろいろやってんじゃん。
>わからないわけはないと思う
そなの?
器、ちいさいね。
それが作品に滲み出てる。
せっかくの力作がかわいそうだよ
私、
文極のご意見番でも代表でもないから
文学極道と感覚がどうのこうのって
レスレス盛りすぎだって笑
引用に作品が負けてるよって
最初のレスは
そういうレス
わかんない感じだったなら、ごめん。
一応
私なりのリップサービスだったんだけどな笑
つまんなかったかな反省 ('16/05/01 22:19:57)
- 澤あづさ :
1/3 間違っているかもしれないレスレスの報告
きのう見苦しい発言をお目にかけましたが、レスをくださった皆様ありがとうございます。わたしならあのような女にレスなどしたくないと思うので、今後は罵倒耐性の強化を心がけます。そこでさっそく「フォローしてやった甲斐がなかった。」などとと思われてしまうかもしれませんが、尾田さんへのレスレスに、わたしの一方的な誤解に基づく間違った発言があったかもしれないと、いま気づきましたので報告します。
尾田さんのご指摘の「文字の配列をずらして表記するレイアウト」が、作中の視覚詩の部分を指すのでしたら、それは『ファウスト』の作中にはありません。わたしが西欧の韻文に普遍的と述べた書法は、「韻文を律の途中で改行するもの」です。当該の対象が視覚詩のほうであっても、わたしの主訴自体は変わりませんので、当該文章を修正することは控えます。情報を錯綜させてしまい、申し訳ありませんでした。
また、わたしはいままでこのスレを、レスレスのたびに上げていましたが、それは文学極道ではあまり推奨されない行為だった気がする、と思い出しました。したがってこのレス以降、レスレスでスレを上げることはしないように心がけます。この発言になにか勘違いがありましたらご指摘ください。 ('16/05/02 05:46:33)
- 澤あづさ :
2/3 紅茶猫さん、渚鳥さん、北鎌倉さんへ。
▼紅茶猫さんへ。
ご高覧ありがとうございます。
>本編は二重三重に武装されている印象ですが、そこと比してアンバランスなような、やはり強烈に女を感じる様な複雑な感想を持ちました。
おっしゃる通りのことを書いたつもりでしたので、書けていたことがわかり安心しました。書いた本人が女性なので、男性の目にどう映るのか伺えるのはうれしい限りです。
たとえば「あたし」という自称を、わたし自身は、女性専用の自称が(少なくとも共通語の範囲には)ないという事情から、その代用として重宝してきました。それに「女性性の強調」のような機能もあると、今回教えていただけました(それは人に聞かなければ、自分ではきづけないことです)ので、今後はより有効な用法を心がけられます。
>男性だから女性だからというのは、この場に相応しく無いですが。
わたしもきのうこのスレで「男気」という単語を(褒め言葉のつもりで)使用しましたが、考えたら語弊のある発言なのかもしれません。ジェンダーはつくづく「逃れがたい」と思います。このコメント欄に上記のご発言をいただけたことが、本当にうれしいです。
***
▼渚鳥さんへ。
ご報告ありがとうございます、スレを追っていてくださっていたことにも感動しました。裸の女性を撫で回す職業(つまりエステですはい、ちなみに美容師やネイルアーティストの知人が多いです)ゆえ、わたしも「盛る」を、もちろん渚鳥さんと同様の定義で使用しています。そういう意味でも本作は、まっさら「魔女」でございます。
デコの加減をいろいろ工夫したつもりですが、その工夫のゆえにいろんな要素を犠牲にもしたので、「この厚化粧の効果はどの程度なのか」みたいなことを気にしていました。渚鳥さんをたじろがせる効果は出たとわかったので、次は「厚化粧の奥の素顔を覗かせる」段階を目指したい所存です
***
▼北鎌倉さんへ。
ご高覧ありがとうございます。本題は「河竹黙阿弥と金井美恵子を読み勉強しろ」ということでよろしいでしょうか。ご紹介はありがたく承ります。
サービスに関して、わたしは自営のサービス業の経験から、「需要が一律でない以上、サービスに一義の正解はない。自分のお客のために持論を磨くのみだ。」と思っています。万人受けという妄想を狂信し、去る客を追って、「自分の仕事」を見失いたくありません。文芸には「自分の仕事」に喩えられるほどの信条がまだありません(一生できないかもしれません)が。 ('16/05/02 05:50:40)
- 澤あづさ :
3/3 すずらんさん、田中恭平さん、泥棒さんへ。
▼すずらんさんへ。
>いっそ衒学が過ぎるという読みを突き貫け、すっかりヤワになってしまった言葉たちが断崖から蹴り落とされた現場に立ち会おうじゃないか
いま気づきましたが言われてみれば、あくまで好意的に見た場合に限っては、あほの衒学ってまさにそういう行為ですね。もうわたしあしたから「叡智を断崖から蹴り落とし屋」を名乗りますわ。
>1〜3聯目は、レンチキュラーのような手法がとられていて面白い描写法なのだけれど、ドットが粗いために分断された語彙がパーツとして読者の元に残されるので、逆効果、低評価になっていると感じた。
レンチキュラー、広告屋の嫁ですがググりました。【ドットが粗いために分断された語彙がパーツとして読者の元に残される】のは、いろんな意味でまったく納得。実際そこは「強いて」密度を落としました。ガッチガチのこじつけから、一転ゆるふわを目指して。結果だじゃれのブロッケン山。
それで「あたしの筆でゆるふわは無理。」ということばかり、勝手に悩んでいたけれども、
>衒学と誹りを受けがちな作者の個性が逆転勝利を収める可能性をもつ聯
より真摯な熟考が必要だったようですね。つまり「ゆるふわとか関係ない。ドットが粗いから、描写が描写として成立しないのだよ。」とのご指摘、しゃれでは済まないので真摯に拝領しました。続きをお待ちしております。
***
▼田中恭平さんへ。
ご高覧ありがとうございます。一〜三連は(最初に目につく、訴求に最も重要な部分ということもあって)最も心配し最も気を回し、投稿直前まで悩んだ部分でして、そこを評価していただけたのは、栄誉というより「よい読者に恵まれた僥倖」でしょう。むしろ僥倖に浮かれて奢らないよう気をつけたいくらいです。
話題の【濡れ場の山場の三途河から、昇天したおたまじゃくしが屋根より高く鯉のぼり。】は、本人にも「下品で寒い駄洒落に成り下がっている」という自覚がありました。そのうえ「魅力的でない詩句なんか、自分だって読解したくない。」という実感もありました。それでも書いたということは、相応の効果を見込んでいたというわけでして、願いどおり複線的に読んでいただけて、本当に嬉しいです。
また当該部分を「速読」していただけたのも、とても意外でしたが本当にうれしいです。わたしは音感に関して、リズム以外を気にしたことのない怠慢な書き手ですが、当該の散文体の目的はまさに「スピード感」でした。この機会に、音韻への意識も高めたいと思います。
***
▼泥棒さんへ。
いやはや経験のないタイプの罵倒を連打され動揺したあまり、だれひとり見たくない揺れる乙女心をお目にかけました。ちなみに三十路人妻、裸の女性を撫で回す職業です。
念のため書きますが、さきのレスレスに書いた「ありもしないものを見出す喜びをご堪能ください。」は、皮肉ではまったくありません。なぜならわたし自身、完全にその系統の読者です。読解においてわたしのいう「わかる」とは、「ありもしないものを見出す喜び」とほぼ同義です。この点は誤解されたくありません。
ただ、作者側がそう標榜すると、「文芸の価値は読者によって決まる、したがって作者の努力は無駄である。」と開き直ることもできてしまいますよね。だからわたしも制作の側では、読解の理想を捨て、「作者として当然の努力と自分が思うこと」を自分に課すわけです。本作も真剣に書きました。それを作品と関係ない話で茶化されれば腹が立つくらいには。
***
レスレスの主訴は「批評は論理でお願いします、こっちは限界まで緊張してますので、逆撫ではご遠慮ください。」ということ(煽り耐性なさ杉)でしたので、問題が解決しありがたいです。
>引用に作品が負けてるよって/最初のレスは/そういうレス
本作の趣旨は引喩です。したがって引用が勝ったのなら勝ちです。こんな言葉遊びのレスに、こんな言葉遊び以外のどんなレスレスをする、なんなのあたし遊ばれてんの?
>器、ちいさいね。
>それが作品に滲み出てる。
>せっかくの力作がかわいそうだよ
わたしの器が小さい(博愛でない)のは確かで、その個性(偏愛)が作品ににじみ出ているなら、最良の成果です。わたしにとってはね。作者ほど自作の読解可能性に無知な人間はおりませんで、「力作」はもちろん作者から巣立つべきでしょう。────なんてせりふが似合うほどの詩を、いつか書きたいなと思いますはい。 ('16/05/02 05:54:44)
- 澤あづさ :
▼修正報告
外部ですずらんさんから伺ったツッコミを受け、「さめざめレープクーヘンで」を「さめざめジンジャーブレッドマンで」に変更しました。従来の選語では、描写したつもりの情景を暗示できていませんでした、あってはならない瑕疵でありました。気づかせてくださったすずらんさんに、心より感謝申し上げます。
その際にひとつ、すさまじい誤変換を発見したので、二連の「三味線婦」を「三味線譜」に修正しました。この不注意も最悪であり、本気で書いたことを疑われてもしかたないレベルだと思います。猛省します。 ('16/05/02 21:20:45)
- 5or6 :
読みました。最初は新婚初夜のトキメキからマンネリ化で倦怠期になって存続の危機になったコンコルド夫婦の物語(注1)かな?と思ってしまいましたが、後半で壮大な神話が始まるのではという期待感を残しつつ終わってしまいやや尻つぼみだったかなと思いました。中盤のクネクネはもっと腰振ってもいいんじゃないかと、この詩はザコシ詩というよりメタ詩ですがまだまだメタを極めて現代テイストも入れたベビメタ詩を書いてもらえたら嬉しいですね。失礼しました。
(注1、東海地方でやっているパチンコ屋のCM) ('16/05/03 08:29:51)
- mitzho nakata :
澤さんの趣味がわるい意味ででてしまってる。テーマをもっと絞ったほうがいいとおもいます。 ('16/05/03 15:53:43)
- 澤あづさ :
▼5or6さんへ。
いろんな意味で目の覚めるようなレスありがとうございます。後述の理由で本作のザコシ詩計画を猛省し、代わって今夜じゅうに「憲法蹴飛ばしゴミの日記念・ザコシ掌編小説」を投稿しようと思います澤あづさです。そっちがトランプ候補の三十倍も軽々しいぶん、こっちはトルコのバクラヴァのように、深甚なヘビーシロップ漬けにすべきだった。
中盤のクネクネは確かに「濡れ場の山場の三途河」のつもりでした。つまり、濡れ場の山場が「腰振り」に等しかったことに、たったいま気づいた次第です。作者ほど自作の読解可能性に無知な人間はおりません。スパイスのつもりだったが効きすぎた、メタ詩風味(特に題名)についても同様に。(てかそこ効く予定がなかった。(作者ほど自作の読解可能性に無知な者h(ry
目的を達成できていないことの言い訳として、読解可能性だなんだ言っても、ただの怠慢でありバカ丸出し。やはり「永遠に女性なるもの」なる「地獄」のありさま(それがなにを意味するかは、もちろん読者各位に感受していただくこと)の描写を最優先すべきでした。すべき仕事を完遂できなかった理由には、ザコシ詩仕立てもあり、刺激(それはボリュームにはるかにまさる)が足りなかったのもあるでしょう。もっとあからさまにやばい話材を、ゆるふわ刺せるようになりたいものです。 ('16/05/03 20:15:25)
- 澤あづさ :
▼mitzho nakataさんへ。
的確なご指摘ありがとうございます。自分のなかで本作のテーマは「永遠に女性なるものなる地獄」ただひとつなのですが、話材が散漫であり伏線が粗略であるため、ふたつもみっつも趣旨があるかのように見えてしまっていることが、いよいよ本格的にわかりました。そんなことすら指摘されなければ気づかないのが、作者というバカな生き物です。
ですのでもう、せっかく文学極道へ来たのですし、投稿によって自分の芸風に適した書法を探りたい所存です。詩は美学であり、美学以外のモンをやるなら詩以外のモンを書けばよいと、わたしは思っているのですが、その「美学」が単なる趣味の押し付けであってよいわけがありませんものね。精進します。 ('16/05/03 20:17:24)
- すずらん :
第4〜7聯 ・・ 美しく艶やかな連、その始行は「花、も実なき鬼火の」と読み手の私としては読みたいと思いました。それほどに、この連には(音をつかわない)意識のリフレインが施術されているような、美しく折衷された絵図がみえました。第4聯だけで、アニメの麗しき青年の台詞のよう。けれど、第7聯まで連内のコマ数が少ないせいで、絵図は動きません。第1〜3聯ではドットの粗さのせいで折角の面白い描写法が生かされていないとお話しました。強力なエンジンをもちながら、まだ操作方法が習熟できていないという同じ印象をうけました。
ジンジャーブレッドマン ・・ 「ジンジャーブレッドは削ったの?」と、元詩にあった言葉が見当たらなかったので一言ツイしました。個人的に、冷え冷えした季節になるとジンジャーブレッド焼かなくちゃみたいな生活感が注入されているし、レシピは数知れずあるけれどやはり母の味が一番なのよと伝授されているから、この「ジンジャーブレッド」という言葉には民俗や母性がつまっていると感じていて、この詩にはぴったりだと思っていたので。でもでも、即座にカオをもつ「ジンジャーブレッドマン」になって戻ってきて、作者のパワーにびっくりしました。
こちらのサイトは、投稿作品に字数制限はないようですし、ガンガン書いて【詩】の新しいウインドウを開いていただきたいなと、私は思いました。
(あづにゃん、レスが遅くてゴメン^^) ('16/05/03 20:20:47)
- 澤あづさ :
▼すずらんさんへ。
おかげさまのジンジャーブレッドマンで、いよいよ悟りをひらきました。きょうゴミの日記念を投げようとさっきまで思ってたが、もう中止します。ここ数日、どれほどこいつの件で神経が昂ぶってるのかよく眠れず、「もはや手遅れ」と悟ったいまいよいよ眠い。仕事はひまだが家事に追われるGW、ゴミ記念はGWが明けてから!
中盤のクネクネしたところは、わたしの脳内では「クネクネしてさえいればそれでよい。」くらいの抒情で、推敲もせずほったらかしてましたが、改めて読むとなるほど。「おかしの家」の「真珠麿の床」から、一切変化がないですね。思い起こせば初稿の当初は、「真珠(マルガレーテ)がゆで玉子(ハードボイルド)へ釜茹でされていく」ようなイメージだったはずですが。(すなわちクネクネが昇天の湯気でもあったわけです。)書いた本人にこそ最も意外な展開です。それのどこが本気で書いた。
もはやこいつには「題名オチ」以外、なんら改善方法がない。「地獄 女囚棟」とか「石女と血の池」とか「どうせ成仏できないのよ女は。」とか、なにかしらわかりやすいのを捏造しようと思いますよ。ほかのことは以後作へ先送りだ!!(やけくそ。)
***
(ここまでのあほにそこまでの友情ありがたいよいすちゃん。。。) ('16/05/03 22:09:05)
- Migikata :
澤あづささん、こんにちは。
面白そうなので、なんとかコメントしようと思って何度か読んだのですが、だめですね。まったく教養がないな、僕は。
ゲーテの「ファウスト」は高校生か大学生の頃に、たしか新潮文庫で読んだはずです。
すごいすごいと聞いていたのに、なんじゃこれは?という感想しか持てず、まったく困ってしまいました。
あの失望感は「法華経」の岩波文庫版を読んだ時と同じくらい大きかったですよ。
もちろん「ファウスト」に対する失望と、紛う事なき名著とされる本をまったく理解できなかった自分に対する失望とが半々でした。
ドイツのお菓子についても、ほとんどまったく知りません。女体の解剖学的知識も出産についてのあれこれも。
知らない人にはもう如何ともし難い詩でした!
知っている人だったら、このマゼコゼ具合はとっても面白いはずです。セックスと出産とお菓子と「ファウスト」とドイツ語とぼやきとため息と大笑いと苦笑いと真面目顔が一緒になった詩なんて僕は読むどころか、何処かでちょっと見かけたということすらありません……。
何も書けないのに書いてしまったので、上げずにおきます。
失礼しました。 ('16/05/04 21:48:36)
- 北 :
わー難解。ファウストとかで、もうびびってしもた。でも、俺のスマホは防水やし、風呂に入って浴槽で読んだら、なんや楽になった。きっと自分は風呂読書が趣味で、いつも適当に本を開いて、ランダムにそこから読むさかい、いつも同じぺージばっかり読んでるときも多々。せやけど、毎日俺は違うから、心にのこる文句も、毎回ちがう。それを今日の名言やと思うと、実は逆にとっつきやすいのかもと思う。名言抽出拾い読み、今日しか感じられない名言探し。そんな感じでしか読解できひんけど、俺の読み方、逆さにだって読めるで。ちょっと賢くなんた気がしてラッキー♪かも。 ('16/05/05 04:40:44)
- 澤あづさ :
▼Migikataさんへ。
ことさら『ファウスト』と法華経について、重要な情報をありがとうございます。法華経が女人成仏を説いた唯一の経典であることは知っており、未読だから読まねばならんので、読む前に岩波文庫はだめだとわかり僥倖でした。わたしのなかで岩波文庫の失望と言えば、なにを措いてもキーツ詩集(対訳・原詩より訳詩のほうが難文)で、ざらにありますね岩波には失望が。
『ファウスト』は世界一読まれていない名作であり、それはドイツ語圏でも同じだそうで、つまりほとんどの人がなんじゃこりゃ?と思っているんでしょうから、Migikataさんがご自分に失望なさる必要はないと思います。ちなみにわたしは、原文と高橋訳と鴎外訳を並べて「ドイツ語カコヨス(;゚∀゚)=3ムッハー」と興奮するのが趣味です。そのレベルのあほが教養など、とんでもない話です。
>セックスと出産とお菓子と「ファウスト」とドイツ語とぼやきとため息と大笑いと苦笑いと真面目顔が一緒になった詩なんて僕は読むどころか、何処かでちょっと見かけたということすらありません……
ということは「新しいものを書いた」という認識でよいのでしょうか!!
※浮かれている場合ではない。
【黄体ホルモン。真珠麿の床へ落ちこぼれるマーガリン、マルガリーネ、マルガレーテがたま子と和訳され「ヘンゼルは。」】←ここだけは、「こんなくだらんことを書く日本人は、たぶんわたしくらいしかいない。」という自信をもって書きました。が、黄体期を経験しえない男性に、感受は困難といま思いました。改訂も検討中ですが、別の引喩での類似の趣旨を、あと二回くらい試してみたい所存です。 ('16/05/05 14:16:34)
- 澤あづさ :
▼北さんへ。
お風呂で閲覧という画期的な方法論をありがとうございます。今後わたしの作品は、すべてお風呂で気楽に読んでいただけるよう希望します。本業も女性の裸を撫で回すサービス業ですので、文書の公開目的は「お客様のお役に立つこと」以外ありません。「わたしのこだわりを理解してほしい」などとという理由でサービスする者は、よっぽどの腕のない限り、必ず失敗するでしょう。
もっとも本業でお客様に「そこすごく効きますね、なんのツボですか?」とよく質問され、施術しながら説明しますと、「そう聞くとなおさら効く気がします。」と感心していただけるのですね往々にして。その事態を、詩でも批評でもなんでも、応用できないだろうか、つまり「ここイイですね、どういう意味ですか?」と尋ねられたい。そのためにはまず「よい文章」という結果を出さんといかんので、精進します。 ('16/05/05 14:18:29)
- 北 :
すげーっ、根幹 or心根という場所、澤さんが生きてはるスタート地点から、「人のお役に立つ」が、返信からブイブイ伝わってきて、なんか僕は意味の無いテンションが上がりました。ガソリンが空でも走る車みたいー! ('16/05/05 19:46:09)
- asai :
パロディを読むのは好きではない。
フィネガン化していないだけマシか、と自分を慰め一連目を読んでみる
>メフィストフェレスが激怒する。おかしの家、雪渓もののあわれ。賽の河原で冷めたクーヘン「またも永遠、」つまり子宮だった。むしろあわびの真珠母だった。卵管の口が天井に、沈まないふたつの満月を穿ち、月光と偽り降らす黄体ホルモン。真珠麿の床へ落ちこぼれるマーガリン、マルガリーネ、マルガレーテがたま子と和訳され「ヘンゼルは。」ワルプルギスの夜だからね。
とにかく、言葉の連結だらけ。
>賽の河原で冷めたクーヘン「またも永遠、」つまり子宮だった。
んー、わからん。
とりあえず、
>おかし(可笑し)
く読むことだけを考えると
>おかし(お菓子/Kuchen)→クーヘン(Baumkuchenバームクーヘン)
という繋がり、それが「またも永遠」とつながるには、永遠≒久遠でクーエン
クーヘン→クーエン、かな。で、それがつまり子宮、とは?
で、英語、ドイツ語あたりの発音につながりがないのを確認しつつ、
永遠と子宮が連結するのは、永遠→死→墓と連想し
墓(tomb)と子宮(womb)、トゥームとウーム(英語ですが…)
で、子宮とあわびの真珠母は、イメージによる連結かな、と安易に読み飛ばしつつ
>マーガリン、マルガリーネ、マルガレーテがたま子と和訳され「ヘンゼルは。」
マーガリンMargarineが、音のつながりで「丸刈りーね」で男に変形し、「男」が次に「女」マルガレーテMargaretheに変形する。
で、そのマルガレーテが「たま子」に「和訳」される。
おそらく念頭にあるのは、明治期のグリム童話の日本語訳で、たとえば「赤ずきん」の主人公が「和子」という名前に翻訳されたり、おばあさんの家に持っていくのが「重箱のお菓子とお煮しめ」とされるような「和訳」。
菅忠道が『日本の児童文学』で明治期の外国童話の受容について「移されたのは謂はば話の筋で、その精神ではなかった」というように、この作品も「ファウスト」の筋を移しつつ、ゲーテのファウストに賭けた精神を
>メフィストフェレスが激怒する
程度に無視する、ということが一連目で宣言されている
ということは、以下の段においてもこのパロディは続き、言葉の乱痴気騒ぎや痴話喧嘩を眺めつつ、このテクストがこうも「読めない」のは、「原文」がそもそもめちゃくちゃなのか、それとも「訳者」が下手クソなのか皆目わからん、というジレンマに捉えられる ('16/05/05 22:54:46 *1)
- 澤あづさ :
▼北さんへ。
>ガソリンが空でも走る車みたいー!
なんて詩的な描写でしょう。わたしは蒸発とか気化とかいうことに華麗な詩情を感じるタイプで、ツボを刺されました。わたしも北さんのツボを的確に刺激したい。うちはお得意様からのご紹介でしか男性客を承りませんが、男体も女体も肋骨の数が違うわけではありませんで、大丈夫ですきっと。
他店で修行していた二十代のころは、指名客の半分が年配男性でしたが、たとえば腰痛緩和には腸腰筋の弛緩が欠かせず、そのため仰向けの状態で股間付近に接触するという禁忌に挑まないわけに行かず、男性客の場合には案の定、けっこう頻繁にチンポジを侵犯してしまいます。激痛すぎて性感を100%失念する類とはいえ、そんな失敬が許されるのは若い女性だけだろうと、とっくに判断しいまに至ります。まだまだお得意様のご主人のチンポジを、頻繁に侵犯してしまいますが、あっ。もちろん着衣での施術です。こんな半端な下ネタで、男性のツボを刺せるもんか。 ('16/05/06 03:47:06 *1)
- 澤あづさ :
▼asaiさんへ。
自己完結により最も自信過剰であった部分に、的確なツッコミをありがとうございます。ご指摘の箇所は、自分の自覚ではパロディではありませんが、よく言われる「自分の言葉」に該当するのか否かはわかりかねます。(パロディは引喩の部分のみで、ひとつ残らず記号でそれとわかるように表記しています。と、説明書きを添えたほうがよかったのかもしれない。)
「どれほどまじめに書いても、作者の意図など読まれはしないし、いかにも背景まで読んでくださいとばかりのガッチガチな文脈は、読者に読解のストレスを与え不愉快である。ネタもネタであるし、ふまじめなくらいがちょうどよい。」
という、経験則を踏まえた判断でしたが、いざ読解者が現れるとそんな浅薄な判断は、このように一網打尽なのですね。今後は「ふつうの散文」「ふつうでない散文」「特異な散文」「行わけ詩」「特異な行分け詩」と、段階を踏まえて基礎力を強化したく思います。ご指摘の部分に関しては、ここまで来ると解題したほうが早いので、以下解題します。
***
【おかしの家、雪渓もののあわれ】は、ご指摘の通り「お菓子」と「をかし」を掛けたというだけの示唆です。クーヘンはドイツ菓子の用語で、デコレーションしていない焼き菓子の総称、パイもクッキーもみなクーヘンです、(日本語には類似の用語がありません。)ここではのちに出てくるジンジャーブレッドマンとレープクーヘンを指します。真っ先に舞台「賽の河原のジンジャーブレッドハウス」をご承知いただきたいという判断でしたが、ジンジャーブレッドハウスに身近な日本人はまれだ、とかいう以前に、その舞台設定の理由を示唆するキーワードが不足していました。
お菓子の家を【つまり子宮だった。】と述べたのは、お菓子の家=子どもの楽園と意味をずらした結果です。【あわびの真珠母だった。】は、ご指摘の通り(下品な)連想で、その後は本作のイメージキャラクター「真珠」の列挙です。マシュマロを「真珠麿」と表記したのも、本作の要が真珠と卵白にあるからです。
マーガリンの語源は「真珠」でして、マルガリーネはそのドイツ語読み。そしてマルガレーテは、『ヘンゼルとグレーテル』のグレーテルおよび『ファウスト』のグレートヒェンの本名です。(語源が真珠ですので、日本語で言えば珠子です。)すなわち「グレーテルとグレートヒェンを合成して、『たま子』というニューキャラを作りました。正体は黄体/白体です。」という次第ですが、黄体ホルモンに示唆を頼っている点が、本作の最も大きな瑕疵だろうと思います。
***
これにて発見された問題点については、10日まで改訂を検討し、そこまでで改善できなかった部分は諦める予定です。本作はこれにて選考に挑むと決めて投稿したのに、人事を尽くして天命を待つことができなかったのが、今回最大のわたしの犯した最大の間違いでしょう。以後は気を引き締めて精進します。 ('16/05/06 03:52:08 *2)
- 北 :
うわ、マジでー!
実は、一昨日からネットで調べて、朝晩の腸腰筋ストレッチを開始したとこですよ。右は張りすぎてるんか、なんかようわからんのですけど、伸ばしても、伸びてるか、実感がない状態なんで、とりあえず、根気で続けるつもりです。
とういうのも、僕、里山を一人で徘徊するのが好きねんけど、最近、太腿が上がらなくて、小ささい石によく、つまづくんですよ。
ほんでね、僕の利き手、帰国子女なんですよ。本当は左利きやったのに、親の世間体の都合で右利きに強制されてしもて、今では基本、左投げ右打ちなんです。だから箸や鉛筆とか、人に見られる部分は右利き、歩く利き足も右、でも、球を本気で蹴るときは、左。
まだ、どこかに左利きの思い出が無意識に残っているから、テニスとかバドミントン、羽子板なんかをするとき、どっちの手でラケット持ってもしっくりこなくて、右手?左手?どっちの手で持って打てば好いのか分からんなってしもて、利き手を喪失しますねん、せやし、側から見たはる人からは見た目、へんちくりんなことになってるそうですけど、面白いから、それはそれで、ええねんけどね。
それと、歩き方ですよ、僕は男のくせに、ちょっと内股気味なんですよ。せやで歩くとき、右足で蹴り出して、内股角度の大きい左足でブレーキ掛ける歩き方なんすよ。別に嫌いじゃないねんけど、オギャーと生まれて、人生の最初の一歩を踏みだした天然の利き足ですよ、その左足でブレーキかけて歩くって、それどうなん?て自分で思いますわー。なんて、そんなこと思いながら歩いてるときはね、きっと心のどこかは迷走してますよ。
もしもこれ、一歩を一悩みに換算したら、万歩計が壊れるレベルですよ。でも、数字って、権力によって陶酔されてしまってる感がめっちゃあるし、やっぱり、数字抜きで迷うって、生きてるって感じしますわ。 ('16/05/06 13:19:52)
- 田中宏輔 :
ところどころ、こころにしむ、ハッとする言葉があらわれ、自分自身のこころの状態が知れるという、不思議な印象の詩篇でした。詩篇の意味内容よりも、詩篇のなかでの言葉の機能に、ぼくの目が行きます。効果的に発揮されていると思います。
きのう、ワイルドの「しあわせな王子」を読んだのですが、そこでは、神さまは神さまとして機能していました。この詩篇で、メフィストフェレスの激怒がさらに機能するようにつくられていたら、どのような言葉がほかに持ってこれるかなと思いを馳せました。 ('16/05/06 15:10:43)
- 澤あづさ :
▼北さんへ。
あろうことか北さんのツボを本格的に突いていたとは、作者ほど自著の可能性に無知な人間は本当にいませんね。確かに腸腰筋は普遍的に重要で、ストレッチがきわめて困難です。(だのでその弛緩が商売になるのです。)「右足が伸びているのかいないのかわからない」ということは、伸びていないのでしょう、およそ骨盤の傾きのゆえそうなります。内股(X脚)とのことですので、加えて出っ尻であるなら、出っ尻改善の体操をすることで、いくつかの問題の解決準備段階に至れるかもしれません。出っ尻改善の体操は、仰向けに寝た状態で、電話帳を丸めゴムで留めてタオルを巻いたものを、仙腸関節のあるあたりに、、、こんな話は実演か、せめて画像がなければ説明できません。論より証拠、百聞は一見に如かずとは、マッサージのためのことわざです。
利き手が帰国子女のお話は大変おもしろいですね。うちのお客様にも両利きのピアニストがいらっしゃいますが、「ラケットを持つに当たり、どちらでもしっくり来ない」という実感は、聞くだに非常に的確であり詩的です。左利きの矯正も、一概に正しいしつけとは言えないのでしょう。ただ世間に「左利きは事故死率が高い」という調査結果が出ている以上、親御さんがお子さんの左利きを憂うのは、どうしようもないことです。北さんはどうかご家族の愛情を信じて差し上げてください。
手が右利きなら「左が軸足、右が利き足」が一般的ですが、北さんは本気で蹴るとき左が利き足になるのですね。北さんの右の腸腰筋が伸びにくい(骨盤がそのように傾いている)理由もそこでしょう。さてこれはうちのお客様に評判のよかった世間話ですが、軸足と利き足の違いは、少年漫画『ONE PIECE』のゼフ(蹴りの達人)を見るとよくわかります。かれはサンジを助けるため飢餓に陥ったとき、自分の「利き足」を切り落として食いました。蹴りの威力が、蹴るほうの利き足より、蹴りを支える軸足にかかっていると知っていたからですね。この「下支え(基礎)の重要性」は、詩作にも通じましょう。さあ話が強引にも詩へ戻った! ('16/05/06 20:08:53)
- 澤あづさ :
▼田中宏輔さんへ。
【詩篇のなかでの言葉の機能】へのご注目、本当にありがとうございます。友人には「引用が格言集レベルでだせえ。」と失笑されましたが、それは田中さんのご指摘の通り、「別の文脈での機能」を見ていただきたくてしたことだ。と友人に報告してみます。
ちなみに本作の【いらなかったのねカインは、いらなかったのねアベルも、】という感慨は、田中さんの『The Marks of Cain。』を読解するため、創世記の文語訳・口語訳・新共同訳を見比べていた際に思いつきました。『The Marks of Cain。』ほどすばらしい詩を、わたしはそうそう知りません。自スレまで単なるファンレターで、本当に申し訳ありません。
メフィストフェレスの詐術によれば(確かミルトン『失楽園』にも書かれていましたが)女(エヴァ)は、神が最後に創造して思わず手を叩いたほどの傑作なんだそうで。「ああもファウストに都合よく扱われたグレートヒェンが、気の毒っつうか非現実的すぎる。」という個人的感想を、強引にメフィストフェレスに託したものの。かれのキャラを活かし「神」そのものに造反する段階には、もちろん進んでいないので、【激怒】は不適切だったかなと、田中さんのレスから気づきました。あと数日、自作に向き合います。 ('16/05/06 20:10:09)
- Kolya :
すごく精巧なおもちゃにみえる ('16/05/07 08:15:15)
- 北 :
澤さん、おおきにです。ネットで、こういう形で結果問診してもらった。はい、僕、出っ尻、腰痛持ちです。
アドバイスを参考に調べて、色々試してます。
そんで、はじめて知った気がします。腰を回すのと、お尻を振るのは違うんやって。
これは大きい体験です。自分の筋肉や関節の動きを透視するみたいに想像できるようになったら、人の言葉がより聞こえるようになる気がしますわ。今日は久々に実家の様子を見に、ちょっと帰ってきます。 ('16/05/07 09:50:40)
- 澤あづさ :
▼Kolyaさんへ。
よだれの出そうな賛辞をありがとうございます。本作がおもちゃになりたいのは、本人の意識でも完全にそうです。精巧についても、「巧」のほうはさておき、文脈が複雑という意味ならそうだと思います。
つまり意図とか意味とかの前に、「レープクーヘンヒェンとかリープフロイラインミルヒとか言いたい。」という欲があるわけですね。そんなのはいきなり言ってもイミフですので、レープクーヘンホイスヒェンとかリープフラウミルヒとか、ググればわかる範囲の伏線を張っておかねばなりません。その職人芸が、まだまだどうにも半端です。
思い起こせば、確か高橋源一郎だったと思うのですが、
息子「なんきんまめ!」
父「いきなりどうした、なんきんまめが食べたいのか?」
息子「違うよ。なんきんまめって言いたかっただけさ。」
このような文章がなにかの小説にあり、それを読んだ高校生の時分以来、わたしは詩情というものを、そのようなものと思い込んでいるのでした。方向は一生それで行こうと思います。 ('16/05/07 18:23:55)
- 澤あづさ :
▼北さんへ。
>腰を回すのと、お尻を振るのは違うんや
まったくおっしゃるとおりです。ただ激しく腰を回すと、状態によってはヘルニアなどを起こすおそれがあるので、本当に注意なさってくださいね。ストレッチも立派に非日常的なスポーツでして、やり方を間違えれば危険です。商売柄の老婆心は大概にするとして。
>自分の筋肉や関節の動きを透視するみたいに想像できるようになったら、人の言葉がより聞こえるようになる気がしますわ。
このお話はまったく詩的ですね。うちの業界人全員に聞かせたいです。ちなみにわたしは、お客様の骨格を「触れば」「読む」ことができますが、「見ただけ」では無理です、「マッサージこそ読解です。」←わたしこれを詩に書きたくて詩を修行してるんですけど、なかなかどうして下支えが。あと十年くらい、本業の修行を要しそうです。
北さんはいまごろご実家へご帰省なのですね。どうか左利き矯正の愛情に包まれてください。私事ですが奇しくもきのうは、わたしの自殺した父の命日でした。不意に思い立ったので、次の投稿はその関係の(改訂の余地のない)散文にしようと思います。商売人の長話にお付き合いくださりありがとうございます。 ('16/05/07 18:26:15)
- 澤あづさ :
▼改訂報告
コメント欄のご指摘から「話の筋が不明瞭では読者にストレスを与える」と判断し、題名を「あたしが歌えば罪だから詩にした。」から「血盆経偽典白体和讃」へ変更のうえ、冒頭三連を二連中心に改訂しました。本作はこれにて脱稿とし、以後は(誤記を発見した場合を除き)記事修正をいたしません。
批判によって本作の改訂を導いてくださった皆様、本当にありがとうございました。次回投稿からは「誤記修正以外の改訂と、言い訳じみた解題をしないこと」つまり完成品を投稿するということを、自身に課したいと思います。 ('16/05/08 21:09:29)
- 赤青黄 :
澤さん
こんにちは。
レスではなくお願いなので上げないでレスしたいと思います。
本作の第二稿と比べて読んでみたいと思っているので(思っているだけですので結果的にどうなるか分からないのですが)まだ消してなかったらここにレスとして貼って頂けないでしょうか。一応僕のワードに保存してあるのですが、何かの間違いでレイアウトが狂ってしまったり、何か消してしまったりすると確認が出来ないので、もし宜しければお願いしたく思います。 ('16/05/10 17:22:54)
- 赤青黄 :
こんにちは。色々考えたのですが、まず、僕が言いたい事はこれです。
>家にいるので嫁であり、室を掃くので婦であった。
これをカットされたのが僕にとってはとても痛い。
それから、タイトルの
>あたし
がなくなっちゃった事。この二点が僕の読解に痛烈なダメージ与えやがりました。なぜかっていうのは理由?,海虜酩覆量?わい方、つまりはノリを一番良く示しているのはここだと思うから。もっと言うと、これがこの作品の遊び方を示しているから。?◆崕?」っていうこの作品を貫通するイメージであり、且つタイトルに含まれている語の中で、一番その意図がつかみやすい物であること。
この二つが無くなったのがとても残念です。もしかしたら、改訂版の方がいいのかもしれませんが、うーん、今はちょっと読む気になれません。ご容赦願いたいです。
取り敢えず僕が言える事はこれだけで、読解については今回しない事に決めました。ここまうので、そこは僕の楽しみとして消化しまでレスが付くと、やっぱりどうしてもやる意味がない、というよりは余分な物になってしようと思っています。ちなみにですが、僕は今『ファウスト』読んでて、滅茶苦茶面白いです。
*
僕はこの作品難しい訳じゃないと思います。ただ、遊び方が分からないので最初は眺めるしかないわけで。でも遊ぶためのピースは全体に散らばってて、ただそれに気がつかないだけで。だから僕としては、その入口をもう少しだけ広くする必要があるのではないかと思ったりします。つまりは、冒頭のテコ入れが、もう少し必要なのではないか。作品の土台となっている陳腐さに気づくための、そして、その陳腐さを柱にして作品を楽しむための、というのが、今僕が本作に対して思う一番強い気持ちです。
>メフィストフェレスが激怒する。おかしの家、雪渓もののあわれ。
最初の一行。これはもう少し弄る必要っていうのを僕は感じます。「メフィストフェレスが激怒する。」ここでメフィストフェレス知らない人は、取り敢えずメロスのパロディだと思っちゃうような気がします。じゃぁ、どの要素をパロっているのか知るためにはメフィストフェレスを知らなくてはいけない。という事はどうやったって『ファウスト』読まなくてはいけない。これは大分キツイと思います。皆、最初から読んでればいいんですが、残念な事に読んでない人の方が多いかと思います。それからもし読んだ事があっても『ファウスト』の良さが今一っていう人は難色示すかと思います。
『絶園のテンペスト』っていう漫画があるんですが、この漫画はシェイクスピアの『ハムレット』と『テンペスト』を上手く掛け合わせて作った話で「少年ガンガン」にシェイクスピアの引用文が沢山乗ったんですね。それでいて、結構人気が出てアニメ化もしたんですよ。なんで人気が出たのかっていうと、僕はシェイクスピアを読んでなくても楽しめる箇所が沢山あったからだと思います。
だから僕は、まずこの本作を読んで楽しめる箇所っていうのをまず味わいたい。その陳腐さを味わいたい。その上で『ファウスト』を読み、そこで感銘を受けて、再度本作に戻ってきて、その中身をキチン味わいたい、と思います。
勿論何かしらの目的があって、ここに配置されているのだろうとは思いますが、その意図を得る為に必要な負担というのが僕には大きいように感じられます。勿論、皆が『ファウスト』読んでれば問題ないとは思うんですが、ただこの作品の趣旨に一つに皆に『ファウスト』を読んで欲しいとか、良さを知ってほしいというのもあると思うので、そこは大分ネックなんじゃないかなと思います。
それでいて次に来るのが、「おかしの家、雪渓もののあわれ。」なんじゃこれって感じです。多分、言葉遊び(というよりはダジャレですね)に気付く前に「おかしの家」と「雪渓」がなぜ結びつくのか、こっちの方に頭が回ってしまうからかな、と思うのですが。(僕は「をかし」の話が出てくるまでは「雪=白」のイメージを提示したかったのかなと思っていました。今はasaiさんのレス読んで、屋根のイメージと繋がるのか、なるほどなるほどと思いますが。)
そこで、例えば「もののあわれ=をかし」的な簡単な注釈を入れてやる必要があるように思います。そうすれば言葉遊びに気が付く可能性が増えるのではないでしょうか。視覚的な要素っていうのは言われれば気が付くので、後々誰かに指摘されても多分納得しやすいし発見の喜びがあるように思います。
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…そういった具合で、読者が詰まった時の助け舟になる要素をうまい具合に注釈を入れていくということが、僕は必要だと思います。だから、安易に(僕はそう思ってしまう)本文に何かしら手を加えてしまうのは、僕はすごくもったいないなぁと思います。
>たま子は自浄を司る。キリストすら堕ちた道のだ。三途川から昇天し、月にはじかれ逝く雪を、すべて此岸へ掃きもどす。婦は掃くので婦であった。処女は幼女で月経前だ。魔女と聖母の分かれ目は、避妊の知識の有無しかなかった。
特にここですね。前の方がイメージして面白かったように思います。こっちのほうが意図は伝わるかもしれませんが、とても面白くない。
多分この作品っていうのは皆がちょっとずつ何かを発見しながらちょぼちょぼ読んでいくのが楽しいんじゃないかと、僕は思っています。だから、皆が乗り気になれるような要素が冒頭にあと少しだけ必要なのではないかと思いました。 ('16/05/14 02:14:26)
- おでん :
楽しく読みました。口ずさみたくなるフレーズが多くて良かったです。引喩も見事でした。 ('16/05/14 06:45:08 *1)
- 澤あづさ :
▼赤青黄さんへ。
世界一読まれていない名作『ファウスト』めちゃくちゃおもしろいとのこと、心よりありがとうございます。ご指摘のとおり作者の制作目的は、「永遠に女性なるものなる地獄」の表現と、『ファウスト』が読まれてほしいという一心のみ。表現は終わりましたし、本作が『ファウスト』のよき読者を生んだのなら、これにて作者は目的完遂です。あとの目的は、成就するもしないも、作品の問題ですが、それを作れているかどうかがね。
改訂箇所ですが、旧題「あたしが歌えば罪だから詩にした。」をこの新題に変更するのも、二連の【家にいるので嫁であり、室を掃くので婦であった。】を削るのも、わたし自身めっさくさ痛かったです。その痛痒を赤青黄さんと共有できたということは、表現が機能していたということでしょう、それは僥倖ですので喜ぶ以外なにもできません。
ところで【メフィストフェレスが激怒する。】は、ご指摘の通り『走れメロス』を意識しました。(つまり本作のメフィを、メロス的な単純な存在感で受け止めていただきたかったのですね。)順当には「メフィストフェレスは激怒した。」とすべきパロディですが、完了形にはどうしてもしたくなく、ついでに格助詞まで変えてしまいましたけど。これくらいならちょっと書き換えても、わかる人にはわかるというご報告は、感動的です。つまり逆に、ちゃんとパロったってわからない人にはわからないのだから、気に病んでもしかたないという大発見です。。。などと喜んでばかりいてもしかたない。
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そういうわけで本作は、もちろん改訂前から、『ファウスト』を読んでいなければ感受できないような作品では、まったくないはずでした。それをご理解いただくため、引用を格言集レベル(つまり雑学)だらけにするなど、自分に思いついた手はぜんぶ打ちました。それでも「わからない」というご意見は、ぶっちゃけ、作者としてはどうでもいいです。赤青黄さんにわかっていただけたのだから、ほかにもわかる人はいるだろうと思うのみです。
とは言え冒頭に関しては、おっしゃる通り、もはや「それ以外の箇所からはじめるべきだった。」というレベルの失敗でした。改訂前も改訂後もそれぞれ、狙い通りのことをやるには筆力が足りなかったようです。ちなみに【おかしの家、雪渓もののあわれ。】は、お菓子の家をクリスマスのジンジャーブレッドハウスに限定するための表現として、それ以上に端的なのが思いつかずこうなりました。「枕草子の「をかし」と源氏物語の「もののあはれ」=女流」という感じです。旧題の【あたし】に相当するニュアンスは、そういうところにも入っているわけなのですが、どうもわたしは【散文詩】を意識すると、筆がガッタガタになる傾向にあるようです。
二連の【婦は掃くので婦であった。処女は幼女で月経前だ。魔女と聖母の分かれ目は、避妊の知識の有無しかなかった、】が、赤青黄さんにとっておもしろくなかったのは残念ですが、作者は満足しています。読者の歴史認識を問い質したいという、意欲が希薄だったため、旧版はつまらなかったと判断した結果こうなりました。つまり「狙い通りのことをやるには筆力が足りなかった」話はここに尽きるのです。まず文章の訓練、当面「詩的であることを過剰に意識しないこと」を課題にしたいなあと。別の投稿でもつくづく思いましたことよ。
▼追記
赤青黄さんの10日のレスを、けさレスした段階ですら見過ごしておりまして、ごめんなさい。すでにレスをいただいたので、旧版を再公開する必要はないと判断します。ちなみに変更箇所は冒頭の散文部分にしかありませんが、旧版のほうもしこたま苦労しました。 ('16/05/14 06:45:46 *1)
- 澤あづさ :
▼おでんさんへ。
>口ずさみたくなるフレーズが多くて良かったです。
なんという途方もない栄誉。。。!
それというのも冒頭の散文部分ばかり飽きるほど改訂していたら、リズムもテンポもわからなくなってきまして。「レープクーヘンヒェンとかリープフロイラインミルヒとか言いたい。」という根本的な衝動を見失いかけていたところです。引喩もそうですが、やはり詩というのは、文章のおもしろみが最も重要だと思うのですよね。読む側としてそこに最も注目しているのだから、自分でも自分の目を引けるようなものを書きたいです。 ('16/05/14 11:47:41)