◇ No.470 , '16/06/04 23:17:40 作成

8803 : 朝陽の庭  いおり '16/05/06 09:59:21

夜明け前 
耳をすませば 
聞こえてくる祈りの地平線
燃え落ちてゆく 
夜と
朝の境界

 導かれるままに 
ぼくは歩いていた
ぼくは振り返らなかった
歩むたびに
刻まれてゆく
新たな痛みに支えられながら


遠い昔
この地を治めた王は いま 
深いみどりに包まれながら
しずかに眠っていた

風が
羽を休める池で 
幾重もの
睡蓮の葉が
かすかな響きを立て
ほどかれてゆく
うす桃色の花びらが 
ひとつ 
またひとつ

そして
冷たい皮膚の 
内からあふれだす
抑えがたい熱に
焦がされてゆく草原
一面に
燃え広まる 
青白い炎が昇ってゆき

花殻を摘みとる
すべての手に
誓いの薔薇は 
香り高く復活してゆく


ぼくは大の字になって 
空をみあげた
夕焼け色の朝陽が
おおきなつぼみを開いていた
ぼくは 思いっきり死んだ 
ぼくは思いっきり生まれた

>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20160506_556_8803p


8810 : 球体の中の終わり  ku-mi '16/05/09 16:01:28

誰も触れたことのない空の境界のよう
私はただ見上げていた
手を伸ばすこともなく、ただ見上げていた

買ったばかりの白いスニーカー
京阪で向かった小さな覚悟
ハチマキ姿でビラを配る人たちの脇で
私はたぶん、小さな世界で生きている
それは日常と呼ぶにはあまりに透明すぎて
優しさを見間違えやすい

だからせめて、空は青いままで
その場所と同じ、空の色で

出鱈目さえ言えない人
それもすべて愛しくて
帰る頃にははきっと雨だけど
私は代わりに晴れだと言うだろう

>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20160509_632_8810p


8806 : 詩の日めくり 二〇一五年二月一日─三十一日  田中宏輔 '16/05/09 00:02:06 *5



二〇一六年二月一日 「アルファベットの形しかないんかいな、笑。」


何日かまえに、FBフレンドの映像を見て、いつも画像で、ストップ画像だから、ああ、素朴な感じでいいなあと思っていたら、映像では、くねくねして、ふにゃふにゃで、なんじゃー、って思った。ジムで身体を鍛えているのだろうけれど、なんだろ、しっかりしてるんだろうけど、くねくね、ふにゃふにゃ。

Aの形のひと。Bの形のひと。Cの形のひと。Dの形のひと。Eの形のひと。Fの形のひと。Gの形のひと。Hの形のひと。Iの形のひと。Jの形のひと。Kの形のひと。Lの形のひと。Mの形のひと。Nの形のひと。Oの形のひと。Pの形のひと。Qの形のひと。Rの形のひと。Sの形のひと。Tの形のひと。Uの形のひと。Vの形のひと。Wの形のひと。Xの形のひと。Zの形のひと。

寝るまえの読書は、チャイナ・ミエヴィルの『ペルディード・ストリート・ステーション』上巻。一流の作家の幻視能力って、すごいなあって思わせられる。


二〇一六年二月二日 「お兄ちゃんのパソコンであ〜そぼっと、フフン。」


オレ、178センチ、86キロ、21歳のボーズです。
現役体育大学生で、ラグビーやってます。

──って、書いておけばいいわよね。
──あたしが妹の女子高生だって、わかんないわよね。

好みの下着は、グレーのボクサーパンツみたいなブリーフです。
ぽっちゃりしたオヤジさんがタイプです。
未経験なオレですが、どうぞよろしくお願いします。

──お兄ちゃんのそのまんまの条件で
──どんな人たちが連絡してくるのか、楽しみだわ。


二〇一六年二月三日 「ジョナサンと宇宙クジラ」


ぼくのライフワークのうちの1つ、『全行引用による自伝詩』を試みに少し書こうとしたのだが、2つめの引用で、すでにしてあまりにも美し過ぎて、手がとまってしまった。この作品以上の作品を、ぼくが書くことはもうできないような気がする。詩は形式であり、方法であり、何よりも行為である。

肘関節の痛みが左の肩にのぼって、左のこめかみにまで電気的な痺れを感じるようになってしまった。身体はますますボロボロに、感覚はますます繊細になっていく感じだ。とても人間らしい、すばらしい老化力である。まっとうな老い方をしているような気がする。ワーキングプアの老詩人にも似つかわしい。

そだ。『全行引用による自伝詩』も『13の過去(仮題)』も、章立てはなく、区切りのないもので、ぼくが死んで書かなくなった時点で途中終了する形で詩集として出しつづけていくつもりだ。『13の過去(仮題)』は、●詩で、改行もいっさいしないで、えんえんと書きつづけていくつもりだ。

塾の帰りにブックオフに。半年ほどまえに売りとばしたC・L・アンダースンの『エラスムスの迷宮』を買い直した。なにしてるんやろ。それと、カヴァーと大きさの違うロバート・F・ヤングの『ジョナサンと宇宙クジラ』と、トバイアス・S・バッケルの『クリスタル・レイン』を買った。みな、108円。

カヴァーを眺めて楽しむためだけに買ったような気がする3冊であるが、ヤングの『ジョナサンと宇宙クジラ』は、文字が大きくなって読みやすくなってるから、読むかも。『エラスムスの迷宮』は読んだから、読まないかも。『クリスタル・レイン』は読むと思う。いつか。


二〇一六年二月四日 「こんなん食べたい。」


指を切り落としたリンゴ。首を吊ったオレンジ。複雑骨折したバナナ。


二〇一六年二月五日 「TOMMY」


『ペルディード・ストリート・ステーション』上巻、いまようやく400ページ目。あしたには下巻に突入したい。

寝るまえに、ロック・オペラ『TOMMY』を見た。『TOMMY』、音がCDとぜんぜん違う。ロック・オペラ『TOMMY』って、CDのほうがずっと音がいいんだけど、ちゃらちゃらしたDVD版の音のほうもいいね。アメリカでは、国がすべてのウェブサイトを記録として残すって話だったけど、日本はどうなんだろね。 個人的な手帳、手記ってのはものすごく重要な歴史資料なんだけども、いまや、それがケータイ本体やWebサービスに行っちゃって。TOMMYっていうと、ゲイの男の子たちのあいだでも人気のブランドだったと思うけど、そのTOMMYのTシャツをものすごくたくさん持ってる子のブログがあって、そこにある画像を見てて思ったんだけど、等身大の着せ替え人形用の服みたいって。あれ、逆かな。TOMMYっていうと、ピンボールの魔術師の役をどうしようって相談したロッド・スチュアートを裏切ったエルトン・ジョンのことを思い出すけれど、裏切りって、けっこう好きだったりする。裏切るのも裏切られるのも。むごい裏切り方されたときって、「ひゃ〜、人生の色が濃くなった。」って思えるからね。


二〇一六年二月六日 「モーリス・ホワイト」


きょうは早めに寝る。きょうから寝るまえの読書は、『ペルディード・ストリート・ステーション』の下巻。時間がかかるようになってきた。仕方ないか。ヴィジョンを見るのに、時間がかかってるんだと思う。若いときよりずっと緻密なような気がする。

言葉によって
ぼくが、ぼくのこころの有り様を知ることもあるが
それ以上に
言葉自体が、ぼくのこころの有り様を知ることによって
より言葉自身のことを知るのだということ。
それを確信している者だけが
言葉によって、違った自分を知ることができるであろう。

『ペルディード・ストリート・ステーション』下巻、200ページまで読んだ。5匹の怪物の蛾のうち、1匹をやっつけたところ。『クラ―ケン』並みのおもしろさである。魔術的な世界を的確な描写力で、現実のように見せてくれる。こんな作品を読んでしまったら、自分の作品『図書館の掟。』を上梓するのが、ためらわれる。

出すけど、笑。

モーリス・ホワイトが亡くなったんだね。EW&Fを聴こう。


二〇一六年二月七日 「そして誰かがナポレオン」


投票会場に行ってきた。本田久美子さんに入れたけど、アイドルみたいなお名前。

わさび茶漬けを食べて、あまりの辛さに涙。

読んでない詩集が2冊。寝るまえに読む。ボルヘス詩集とカミングズ詩集である。

ボルヘス詩集は1600円くらい、カミングズ詩集は4000円で買ったので、カミングズ詩集を読んでいたのだが、びっくりした。「そして誰かがナポレオン」ってカミングズの詩で、「肖像」というタイトルで、伊藤 整さんが訳してたのだね。ぼくは「そして誰もがナポレオン」って記憶してたのだけど、ツイッターで、どなたかご存じの方はいらっしゃらないかしらと呼びかけたのだが、いっさいお返事はなくて、もしかしたら、ぼくのつくった言葉かしらんと思っていたのだが、記憶とちょっと違っていたけど、カミングズの詩句だったのだね。案外、記憶に残ってるものだ。ここ数年の疑問が氷解した。カミングズ詩集、持ってて、手放しちゃったから、捜してた時に見つからなかったのだけれど、もう二度と手放さない。カミングズの詩、じっくり味わいながら読もう。


二〇一六年二月八日 「カミングズ詩集」


神経科の受診の待ち時間にカミングズの詩集を読んでた。詩は読むの楽でいいわ。ミエヴィルの小説とか辛すぎ。これから寝るまで、カミングズとボルヘスの詩集を読む。

EW&F聴いてたら元気が出てきた。

ぼくが買ったときには、4000円だったカミングズの詩集が、いま amazon 見たら、18000円だった。海外の翻訳詩集、もうちょっとたくさんつくっておいてくれないのかしらん。

EW&Fのアルバムで持っていないもの(売りとばしたため)を買い直そうと思って、アマゾン見たら、1円だったので、逆に買いたい意欲がなくなってしまった。買ったけど。EW&F『ヘリテッジ』

きょう、むかし付き合ってた男の子が遊びにきてくれてたんだけど、話の中心は、ぼくの五十肩。30代の彼には想像できないらしい。そうだよね。ぼくだって、自分が若いときには、存在しているだけで苦痛が襲ってくる老化現象など想像もできなかったもの。いまなら年老いた方の苦痛がわかる。遅すぎるかな。

カミングズ詩集、半分くらい読んだ。きょうは残りの時間もカミングズ詩集を読む。小説と違って、さくさくと読める。やっぱり、ぼくは詩が好きなのだと思う。

きょうから睡眠薬が1つ替わる。ラボナからフルニトラゼバムに。むかしは服用したら5分で気絶する勢いで眠れたのだけど、さいきんは眠るまで1時間くらいかかっているので、その時間を短くしてほしいとお医者さんに頼んで処方していただいたクスリの1つだ。11時にのむ。気を失うようにして眠れるだろうか。

あした、あさっては学校の授業がないので、カミングズとボルヘスの詩集を読み終えられるかも。翻訳詩集の棚をのぞいたら、読んでないものは、この2冊だけかな。

ゾンビ恋人たちは、互いに春を差し出す。
ひび割れた頬にいくつもの花を咲かせ、
枯れた指に蔓状の葉をつたえ這わす。
ゾンビ恋人たちの胸は、つぎの春を待つ実でいっぱいだ。
血のように樹液を滴らせながら、ゾンビ恋人たちは抱き締め合う。
ゾンビ恋人たちのあいだで、無数の春が咲きほこる。

寝るまえにクスリのチェックしたら、2つ替わってた。どんな状態で眠るのかわからないので、11時ジャストに服用することにした。1錠だけじゃなかったのね。ドキドキ。


二〇一六年二月九日 「哲学の慰め」


12時に眠った。3時半に起きた。腕の痛みで。痛みがなければ、もう少し寝れたと思う。

ようやくカミングズの詩と童話を読み終わった。肘の関節痛で、お昼から横になって、苦しんでいて、なかなか本を手にできなかったため。これから塾に行くまでに、カミングズの芸術論などを読む。カミングズの童話を読んで、こころがなごんだ。現実の苦痛のなかにあっても。

ボエティウスが『哲学の慰め』をどういう状況で書いたのかに思いを馳せると、ぼくの肘の激痛も烈しい頭痛も、なんてことはないと思わなければならない。もう左手いらんわと思うくらいに痛いのだけれど、それでも詩集を開き、詩を読み、自分の新しい詩作品の構想を練る自分が本物の奇人に思えてしまう。

これも1円やったわ。EW&F『Millennium』

ヤフオクとamazon のおかげで、欲しいものが簡単にすべて手に入る。ラクチンである。ネット時代に間に合ってよかった。ネット時代にいなかった芸術家には悪いけれど、芸術家にとって、こんなにラクチンな時代はないように思う。他者の芸術作品を手に入れるのも、自分の作品を見せるのも超簡単。

寝るまえの読書は、カミングズの散文。


二〇一六年二月十日 「いちびる。にびる。さんびる。」


むかし売ったやつね。新品で、612円だった。EW&F『Last Days & Time』

きょうは塾の給料日で、遊びに出かけたいのだが、体調がきわめて悪くて、たぶん、塾が終わったらすぐに帰って寝ると思う。塾に行くまでに、ミエヴィルとカミングズのルーズリーフ作業を終えたい。

ぼくは、カミングズの詩を読みながら、自分がしたことを思い出し、自分がしなかったことも思い出していた。

いちびる。にびる。さんびる。にびるは、いちびるよりいちびること。さんびるは、にびるよりいちびること。

鳥の囁く言葉がわかる聖人がいた。動物たちの言葉がわかる王さまがいた。さて、事物の言葉を解する者って、だれかいたっけ?

寝るまえに、ボルヘス詩集を読もう。


二〇一六年二月十一日 「闇の船」


きょうは体調が悪いので、京都詩人会の会合は中止します。

ご飯を買いにイーオンに。きのう、塾の給料日だったから、上等の寿司でも食べよう。

きのうブックオフで、サラ・A・ホワイトの『闇の船』を108円で買ったけど、以前に自分が売り飛ばしたやつだった。なにしてるんだろ。

ボルヘスの詩も飽きたので、ヤングの短篇集『ジョナサンと宇宙クジラ』を拾い読みして寝る。

けさ、京大のエイジくんの夢を見た。いっしょに大阪で食べもん屋で食べてたんだけど、エイジくんは常連さんだったみたいで、ドラッグクイーンのほかの客に話しかけられてて親しそうにしてたからちょっと腹が立った。齢とって40才くらいになってたかな。なんで夢みたんやろ。しょっちゅう思い出すからかな。


二〇一六年二月十二日 「ありゃりゃ。」


ボルヘスの詩を読んでいて、メモをとるのを忘れていた。


二〇一六年二月十三日 「理解の範囲」


苦労したり頑張ってつくったものに、あまりいい作品はなかったように思う。楽しみながらつくったものに、自分ではいいのがあるような気がする。『The Wasteless Land.』とか、ほんとに楽しみながらつくってた。まあ、どれも、楽しみながらつくってるけど。でも、思うんだけど、「こんなに苦労する」なんてのは、若いときだけの思いなんじゃないかな。ぼくも、若いときには、生きてること自体が苦痛に満ちていたように思うもの。いまは、苦痛なしの人生なんて考えられないし、苦痛をさけるなんていうのは怠け者の戯言だと思ってる。齢をとると、ひとには、自分の気持ちが伝わることなど、けっしてないのだという確信に至ると、まあ、たいてい、他人の言葉は、気分を害することのないものになるしね。ヴァレリーが書いてたように、ひとは自分の忖度できないことには触れ得ないんだしね。たくさんの詩人が、他の詩人の詩の評を書いているけれど、自分の理解の範囲がどれだけのものかを語っていることに気がつけば、そうそう、他人の詩について語ることはできないような気がするのだけれど。あれ? ずれてきたかな。ああ、ぼくは、こう書こうと思っていたのだった。「苦労して作品をつくる」などということは、創造的な人間にはあり得ないことなのだと。楽々と、楽しくつくってるんじゃないかな。しかも、実人生が与えてくれる苦痛をも、ある程度、おもしろがって味わっているような気がするしね。ずいぶん離れたこと書いてたなあって、いま気がついてしまった。ごめんなさい。思いついたら、なかなか言葉がとまらなくて。


二〇一六年二月十四日 「ロキソニン」


リハビリのひとつとして、SF小説のカヴァーをつくった。呼吸しているだけで、上半身の筋肉が電気的な痛みを帯びるような症状である。ストレスのあるときにこうなったことがあるが、いまストレスの原因はないはずなのだが。ペソアが47歳で死んだことを考えれば、55歳のぼくがいつ死んでもおかしくはない。このあいだ出した『全行引用詩・五部作・上巻』『全行引用詩・五部作・下巻』と、もうじき出るはずの『まるちゃんのサンドイッチ詩、その他の詩篇』がさいごの詩集になってもおかしくはないのだが、ことし3月に編集する詩集『図書館の掟。』もぜひ出して死にたい。

きょうつくったクリアファイルカヴァーでは、ヤングの『ジョナサンと宇宙クジラ』が、いちばんかわいい。

痛みに耐えながらでも、ボルヘス詩集を読もう。苦痛を忘れさせてくれる読書というものはないのかな? 『歯痛を忘れる読書』とかいうタイトルで本を書けば、売れるかもね。

スピーカーの横からロキソニンが10錠見つかった。ためしに2錠のんでみる。いつの処方だったかはわからないくらいむかしのクスリ。

きょう、どこかで、ぼくの詩集が紹介でもされたのかしら? ぼくの楽天ブログ「詩人の役目」のきょうの閲覧者数が280人を超えてて、いつも30人から40人のあいだくらいなんだけど。

ロキソニンが効いているのか、腕を上げられるところまで上げても痛くない。とはいっても、肩くらいの高さだけど。しかし、痛みをとるクスリというのは、考えたら怖い。根本治療をしないで、痛みを感じさせないものなのだから。まるで音楽のようだ。

きょうは、もう寝る。クスリをのんだ。そいえば、きのう日知庵に行くまえに乗った阪急電車で、フトシくんに似た子が乗って、向かいの席に坐ったのだけれど、その記憶が残っていたのか、日知庵からの帰り道、フトシくんが、ぼくのために歌ってくれたユーミンの「守ってあげたい」が頭のなかに流れた。

書いておかなければ、日常のささいなことをほとんどすべて忘れてしまうので書いておいた。きのう書こうと思って忘れていた。思い出したのは、音楽の力だ。適当にチューブを流していたら、とてもファンキーな音楽と出合って、思い出したのだった。


二〇一六年二月十五日 「モーム、すごいおもしろい。」


ボルヘスの詩集を読みながら寝てしまった。きょうは、もうボルヘスの詩集を読み終わりたい。ルーズリーフ作業も終えたい。コーヒーのんだら、さっそく読もう。

きのうまでの無気力が嘘みたい。痛みどめが効いているのだろう。気力が充実している。ボルヘス詩集を読み終わり、あまつさえ、ルーズリーフ作業も終わったのだった。きょうは、これから、岩波文庫の『20世紀イギリス短篇選』上巻を読む。良質の文学作品によって、霊感を得るつもりだ。

痛みどめで、こんなに気力が変わるなら、もっと早くのめばよかった。きょう、あとでイーオンに五十肩専門の痛みどめを買いに行こう。

キップリングを読んでいる。

きょうはまだ痛みどめを服用していないのだが、関節の痛みはないわけではなく、痛みどめをギリギリまで服用しないでおこうと思っただけであった。

岩波文庫『20世紀イギリス短篇選』上巻2作目、アーノルド・ベネットの作品、えげつない。ベネットといえば、有名な格言があったけれども、それも、えげつない。たしか、こんなの、「とにかくお金を貯めなさい。それだけが確実に、あなたを守ってくれるものだから。」だったかな。うううん。それとも、「一にも二にも、お金を貯めなさい。お金を持っていないことは、お金がないことと同様に無価値だからである。」だったかな。なんか、お金に関する格言だった。イギリス人の作家の意地悪なところが大好きである。

半端ない寒さなので暖房をつける。ふだんは、けちってつけていない。

岩波文庫『20世紀イギリス短篇選』上巻、3つ目に収録されているモームの『ルイーズ』を読んでいるのだが、あまりにもおもしろくて、声を出して笑ってしまった。ああ、そうか、こんな書き方もあったんだなって思った。笑けるわ〜。

イギリス人のユーモアは、えげつなくて大好き。ウッドハウスのも収録されてたと思うけど、モーム、集めようかな。創元から出てるエラリー・クイーン編『犯罪文学傑作選』に入ってるモームの『園遊会まえ』も笑いに笑った作品だったが、モームって、こんなにおもしろかったなんて知らなかった。『ルイーズ』も『園遊会まえ』も、女性をひじょうに嫌っている感じがしたのだけど、ウィキを見ると、モームはゲイだったんだね。知らなかった。大先輩だったんだ。ぼくもゲイだけど、べつに女性が嫌いではないし、作品のなかで、女性にひどい扱いをしたことなんかもないけど、そういうひとはいるかな。

クリスティやP・D・ジェイムズのように、えげつない女性を書く女性の作家もいるし、性はあまり関係ないのかもしれない。まあ、もともと作家の性なんて、あまり指標にはならないものかもしれないしね。ティプトリーのような例もあるしね。そいえば、ぼくも、レズビアンものを書いたことがあったっけ。というか、一人称の女性として書いたものもあるしなあ。そいえば、蠅になって書いたこともあるし、同時にさまざまな人物(これまたイギリス出自のぬいぐるみキャラ含め)になって書いたこともある。性も、性的志向も、作品とは、あまり関係がないものかもしれない。


二〇一六年二月十六日 「ぼくの詩集がヤフオクで100円で売られていた!」


ぼくの詩集がヤフオクで100円で売られていた!

わっ。どなたか買つてくださつたみたい。ぼくには、お金が入らないけど、ありがたいことだとこころから思ふ。ありがたうございました。このやうに、ぼくの詩集がぜんぶ100円だつたらいいのだけれど。

きのう眠るまえに、ウッドハウスの『上の階の男』を読んだことになっている(栞でわかる)のだけれど、いま読み返したら、ぜんぜん憶えていなかったので、もう一度読んで寝る。また憶えてなかったら、あしたも読む(かな)。

きょうも暖房をつけて寝る。貧乏人がどんどん貧乏になっていく冬。はやく終わりなさい。


二〇一六年二月十七日 「確定申告」


確定申告に行ってきた。

塾の帰りに、ブックオフで2冊買ったけど、1冊は本棚にあったものだった。そうだよね。本をめくってみて読んだ記憶がなかったから買ったんだけど、ぼくが買わないわけはない本だった。岩波文庫の『ギリシア・ローマ名言集』記憶がないのは、ただ忘却しただけだったのだ。お風呂場で読み直して捨てる。

あと1冊は、これもむかし読んだかもしれないけれど、確実に本棚にはないことを知っている本だった。荒俣宏監修の『知識人99人の死に方』 ぼくもじきに死ぬことになると思うから、つい買ってしまった。一人目が手塚治虫で、60歳で胃がんで亡くなっていたのだった。有吉佐和子は享年53歳である。

痛み止めをのんで、お風呂に入ろう。『ギリシア・ローマ名言集』をもって入るけれど、読むのが怖い。読んだ記憶がないのが、とても怖い。

きょうジュンク堂に寄って、見つからなかったから、amazon で、注文した。『モーム語録 (岩波現代文庫)』

お湯をバスタブに入れるまえに鏡で自分の顔を見てびっくりした。真白である。目のしたに隈ができていて、ほとんどゾンビのような顔である。じきに死ぬどころか、とっくに死んでいる顔である。記憶力が低下していることも怖いけれど、顔のほうが、もっと怖い。


二〇一六年二月十八日 「バッド・ベッティング」


彼女の手のひらのサイズの
郵便切手
ゾーン
フィールド
ルルドの泉
そして
free
be
free
思いがけない
バッド・ベッティングで
ドライブ
「この近くに風呂屋ってないの?」
「いっしょに行く?
 ぼくもいまから行くところやから」
彼は
彼女とカーセックスするために
ぼくにきいたのだった。
彼女の手のひらのサイズの
郵便切手
ゾーン
フィールド
ルルドの泉
そして
free
「ぼく、この曲
 好きなんだよね。
 いいでしょ?」
大黒のマスターが苦笑い。
「はいはい。
 あっちゃんの好きな曲ね」
メガネの奥が笑ってないし、笑。
be
free
「これって
 スクリッティ・ポリティも歌ってなかったっけ?」
彼女の手のひらのサイズの
郵便切手
エナジーにみなぎる
カーセックス
ぼくは、彼が
彼女とカーセックスするって知らなかった。
「なんで同じシーンが繰り返されるの?」
大学でもそうだった。
友だちは
彼女のことよりも
ぼくのことのほうが好きだって
思い込んでた。
ゾーン
フィールド
ルルドの泉
そして
街は
思い出の
プレパラート
Mea Culpa


二〇一六年二月十九日 「あいつらのジャズ」


これからお風呂に。お風呂から上がったら、『20世紀イギリス短篇選』上巻のルーズリーフ作業をして、下巻を読む。

55歳という齢になって若さも美しさも健康も失ったのだけれど、そのおかげで、ぼくへの評価はただ作品の出来によるものだけであることがわかる。なんの権威もなく、後ろ盾となってくれるひともいないので、ただ才能のみによって、ぼくへの評価がなされる。あるいは評価などされないということである。

ルーズリーフ作業。楽しい苦しい作業。苦しい楽しい作業。日々の積み重ね。才能も、努力があってこそ発揮されるものなのである。

岩波文庫『20世紀イギリス短篇選』上巻に入っているハクスリーの「ジョコンダの微笑」は、創元推理文庫の『犯罪文革傑作選』では、タイトルが「モナ・リザの微笑」になっていたが、同じものだ。訳者が違って、翻訳の雰囲気がぜんぜん違う。創元のほうを先に読んでいたのだが、岩波のも軽くて好きだ。若い愛人の女が、38歳の男にむかって、「ねえ、小熊ちゃん」と何度も呼びかけるのが岩波のほうの訳で、なんともコミカルである。創元のほうの訳では「ねえ、テディー・ベア」と呼びかけるのだが、「ねえ、小熊ちゃん」と呼びかけられる太った男の姿の方がかわいい。いずれにしても、複数のアンソロジーに入るのだから、大したものだ。たしかに傑作だ。ぼくのこんど出した『全行引用詩・五部作・上巻』にも、引用した箇所がある。創元の龍口直太郎の訳の方だけど。岩波文庫を先に読んでたら、小野寺 健の訳の方を引用してたかもね。

時間とは、すなわち、ぼくのことであり、場所とは、すなわち、ぼくのことであり、出来事とは、すなわち、ぼくのことである。

本質的なものが失われることなどいっさいない。それが言葉の持つ霊性の一つだ。ぼくが描写した言葉のなかに、その描写した現実の本質がそっくりそのまま含まれているのだ。そうでなければ、ぼくが言葉にして描写することなどできるわけがないではないか。

ぼくは彼に惹かれた。彼がぼくに惹かれた様子はまったく見えなかった。

選ばれなかった言葉同士が結びついていく。選ばれなかった人間たちが互いに結びついていくように。

きょうもお風呂から上がったら、両肩、両肘にロキソプロフェンnaテープ100�咾箸いΕ轡奪廚鬚靴董�痛みどめにしている。3回か4回、自殺未遂したけど、死なずによかった。齢をとって、こんなに身体が痛いなんてことを知ることができてよかった。苦痛が、ぼくの知的な関心を増大させるからである。

齢をとって、身体がボロボロになって、苦痛に襲われて、こんなに愉快なことはない。この苦痛のなかで、ぼくは本を読み、笑い、考え、反省させられ、詩句のアイデアを得ることができるのである。おそらく、ぼくは、どのような苦痛のなかであっても、その苦痛をさえ糧とするだろう。詩を生きているのだ。いや、詩を生きているのではない。詩が生きているのだ。ぼくという人間の姿をして。

岩波文庫の『20世紀イギリス短篇選』上巻のルーズリーフ作業が終わったので、読書をする。岩波文庫の『20世紀イギリス短篇選』下巻である。楽しみである。

ジーン・リースの「あいつらのジャズ」よかった。不条理だと思うけれど、人生って不条理だらけだものね。納得。まあ、刑務所というところには入ったことはないけれど、描かれているようなものなのだろうなとは思う。イギリスで差別されてた有色人種の側から見たものだったけれど、訳がよかった。


二〇一六年二月二十日 「星の王子様チョコ」


夕方から日知庵に。それまで『モーム語録』でも読んでいよう。

いま帰った。竹上さんから、星の王子様のチョコレートをいただいた。包装もおしゃれだし(本のように出し入れできる)紙袋もおしゃれだった。やっぱり、かわいいものを、女子は知ってるんだな。

竹上さんにいただいた星の王子様チョコ、めっちゃ、おいしい。


二〇一六年二月二十一日 「こころの慰め」


きょうは一行も読んでいない。数学もまったくしていない。ただただ傷みに耐えて、横になっていた。こころを癒してくれたのは、SF小説の本のカヴァーの絵たちである。ぼくの部屋の本棚に飾ってある本は、安いものだと、300円くらいだ。高くても、文庫なら、せいぜい1000円くらいだ。ブコウスキーの単行本『町でいちばんの美女』と『ありきたりの狂気の物語』は、両方ブックオフで105円で買ったものだ。また、アンソロジーの『太陽破壊者』も105円だった。もちろん、値段ではないのだ。絵のセンスなのだ。写真のセンスなのだ。しかし、その多くのものが安かったものだ。おもしろい。ぼくは安い値段のものを見て、こころおだやかに、こころ安らかに生きている。ぼくのこころをおだやかにさせるのに、何万円も必要ではない。

神さまに、こころから感謝している。ぼくに老年を与えてくださり、身体をボロボロにして苦痛を与えてくださり(左手は茶碗を持っても傷みと麻痺でブルブルと小刻みに震えるのだ)、そうして、大切な大切な読書という貧乏な者にでも楽しめる楽しみを与えてくださって。

ぼくは絵描きになりたかった。でも、部屋の本棚に飾ってある美しい絵の一枚も、きっと描く才能はなかったと思う。神さまはそのかわりに、ぼくに絵を楽しむ才能を授けてくださった。ぼくには、『ふるさと遠く』『発狂した宇宙』『幼年期の終り』などの初版の絵がある。『空は船でいっぱい』『神鯨』『呪われた村』『ユービック』『世界のもうひとつの顔』『法王計画』『シティ5からの脱出』『窒素固定世界』『キャメロット最後の守護者』『ガラスの短剣』『縮みゆく人間』などの素晴らしい初版の絵がある。まことに幸福な老年である。


二〇一六年二月二十二日 「ノブユキ」


これから幾何の問題をつくる。きょうは一日中、数学だな。

きょうやるべきことがすべて終わったので、これから飲みに行く。

いま、きみやさんから帰った。おしゃべりしていて、とても楽しい方がいらっしゃった。三浦さんという方だった。また、同志社の先輩で、とてもかわいらしい方がいらっしゃった。年上の方でも、ごくたまに、かわいらしいと思える方がいらっしゃる。ごくごく、たまだから、ほんとにごく少ないのだけれど。

ほんとにいやしいんだと思う、本に対して。『Sudden Fiction』をブックオフで108円で見つけて、また買った。お風呂に入って、読もうという魂胆が丸見えである。お風呂に入りながら見るのに、ちょうどいいんだよね。また、ぼくの忘却力もすごいから、再読したくもなるわけだ。うにゃ〜。

人間には2種類しかいない。愛というものがあると思っているひとと、愛という観念があると思っているひとの。

ぼくが1年1カ月1週間1日1時間1分をどう過ごすかよりも、1年1カ月1週間1日1時間1分が、ぼくをどう過ごすかの方により興味がある。

きみの1分は、ぼくの1時間だった。きみの5分は、ぼくの1週間だった。きみの1時間は、ぼくの1か月だった。きみの1日は、ぼくの永遠だった。

愛が永遠だというのは嘘だと知った。永遠が愛だったのだ。

愛については何も知らない。ときには、何も知らないことが愛なのだ。

愛があると思って生きていると、そこらじゅうに愛が見つかる。愛というものがどんなものか、くわしく知らなくても、ともかく、愛というものが、そこらじゅうにあることはわかるようだ。

特別な名前というものがある。それは愛と深く結びついた言葉で、その名前を思い浮かべるだけで、胸が熱くなる。その熱で楽に呼吸することができないくらいに。

nobuyuki。歯磨き。紙飛行機。

きみは最高に素敵だった。もうこれ以上、きみのことを書くことは、ぼくにはできない。

2年のあいだ、付き合ってた。きみはアメリカに留学してたから、いっしょにいたのは数か月だったけど。なにもかもが輝いていた。その輝きはそのときだけのものだった。それでいいのだと、齢をとって悟った。そのときだけでよかったのだ。その輝きは。そのときだけのものだったから輝いていたのだ。


二〇一六年二月二十三日 「われわれはつねに間違っている。たとえ正しいときでさえも。」


岩波文庫の『20世紀イギリス短篇選』下巻を読んでいて、帰りに、エリザベス・テイラーの『蠅取紙』を読んでたら、これを読んだ記憶があったので、帰って、ほかのアンソロジーを見たけどなかったので、この岩波文庫自体で過去に読んでいたことを忘れていたようだ。まあ、いい作品だからいいのだけど。

先週、ひさしぶりに会った友だちが、横に太ったねと抜かすので、頬を思い切りひっぱたいてあげた。太ったって言われることは、べつにどうでもいいんだけど、たまにひとの顔面を思い切りひっぱたきたくなるのだ。みんなMの友だちを持つべきだと思う。すっきりするよ。

時間を経験する。
場所を経験する。
出来事を経験する。

逆転させてみよう。

経験を時間する。
経験を場所する。
経験を出来事する。

経験を時間するという言葉で
時間という言葉の意味が多少とも変質してはいないか。
経験を場所するという言葉で
場所という言葉の意味が多少とも変質してはいないか。
経験を出来事するという言葉で
出来事という言葉の意味が多少とも変質してはいないか。

あるいは

経験が時間する。
経験が場所する。
経験が出来事する。

経験が時間するという言葉で
時間という言葉の意味が多少とも変質してはいないか。
経験が場所するという言葉で
場所という言葉の意味が多少とも変質してはいないか。
経験が出来事するという言葉で
出来事という言葉の意味が多少とも変質してはいないか。

時間の強度。場所の強度。出来事の強度。
時間の存在確率。場所の存在確率。出来事の存在確率。
時間の濃度。場所の濃度。出来事の濃度。

この現在という、新しい過去である古い未来。

過去と未来が互いの周りをめぐってくるくると廻っている。
現在は、どこにも存在しない。
回転運動をさして現在と言っているが
それは完全な誤謬である。

われわれはつねに間違っている。
たとえ正しいときでさえも。

最後の2行は、ガレッティ教授の言い間違いの言葉の一部を逆転させたもの。


二〇一六年二月二十四日 「もっと厭な物語」


『20世紀イギリス短篇選』下巻、あと2篇。これが終わったら、『フランス短篇傑作選』を読もうと思う。これまた過去に読んだような気もするが、かまいはしない。読んだ記憶がないのだもの。さすがに、アポリネールの「オノレ・シュブラックの失踪」は、ほかのアンソロジーにも入ってて知ってるけど。

田中宏輔は80歳で亡くなります。亡くなる理由は暗殺です。
https://shindanmaker.com/263772

田中宏輔に関係がありすぎる言葉
「妄 想」
https://shindanmaker.com/602865

田中宏輔さんの3日後は、深夜1時頃、人通りの少ない場所を歩いていると、田中宏輔さんの性的欲求を満たしてくれる消防士に出会い、殴られるでしょう。
#3日後の運勢
https://shindanmaker.com/603086

塾の帰りに、ブックオフで、文春文庫『もっと厭な物語』を108円で買った。エドワード・ケアリーの作品のタイトルだけで笑けた。「私の仕事の邪魔をする隣人たちに関する報告書」というのだ。日本人作家が4人も入っているのが気に入らないが、外国人作家の方が多いから、まあ、いいか。表紙がグロくてよい。


二〇一六年二月二十五日 「戦時生活」


シェパードの『戦時生活』、まだ読み切れない。
こんなに時間のかかった小説ははじめてかもしれない。
実験的な手法も、きれがいいし
マジック・リアリズムそのものの表現もいいし
作品価値については
いっさい文句はないんだけど
読む時間がかかりすぎ〜。
文章を目で追うスピードと
ヴィジョンが見えるスピードに
差があって
とても時間がかかっている。
内容がシリアスすぎるのかなあ。
それとも
ぼくが齢をとったのか。
「心がつくりだすものを、精神がうち壊すことはできない」(小川 隆訳)
という言葉が、347ページ3,4行目に出てくる。
おびただしく、ぼくはマーキングして、メモを書いている。
そのため、もう1冊、ネット古書店で買った。


二〇一六年二月二十六日 「たしかに、ぼくはむかしからブサイクでした。」


たしかに、ぼくはむかしからブサイクでした。赤ん坊のときでさえ、そのブサイクさに母親があきれ果て、育児放棄をしたくらいですから。家には、ぼくのようなブサイクな赤ちゃんの面倒を見るような家族は一人もいませんでした。必然的に乳母となる女性を、親は雇ったのですが、その乳母の顔がまたブサイクで、ぼくは赤ん坊ながら、そのブサイクさにびっくりして、乳母がぼくの顔を見るたびに痙攣麻痺したそうです。ぼくのブサイクさと乳母のブサイクさを合わせると、カメラのレンズでさえすぐに割れたそうです。ですから、ぼくの赤ん坊のときのブサイクな写真は存在しておりません。伝説的な乳母のブサイクさは、ぼくが幼稚園に通う頃の記憶からすると、顔面しわだらけのお化けでした。幼稚園では、ぼくくらいのブサイクな子がほかにも一人いたので、そのブサイクな子と、いつもいっしょに遊んでいました。小学校、中学校と、そのブサイクな子とずっと同じ学校に通っていたのですが、高校にあがるときに、学力の違いから、別々になりました。でも、幸いなことに、ぼくが劣等な高校で上位になると、彼は優等な高校の下位になり、同じ大学で再会することができたのでした。しかし、世のなかには、変わった嗜好をしているひとたちがいて、ブサイクなぼくにも、ブサイクな彼にも、ブサイク専の彼女ができたのでした。ぼくの彼女も、彼の彼女もそこそこの美人でした。「あなたたちは、わたしたちのペットなのよ。」と、彼女たちに言われたことがありますが、まさしくペットの飼い主のように、ぼくたちにやさしく接してくれていました。大学を出て就職して、それぞれの彼女たちと結婚したのですが、ぼくの子どもも、彼の子どももとてもブサイクで、彼女たちの容姿を遺伝することはなかったようでした。でも、ぼくの子どもと、彼の子どもがとても仲がよくて、将来、結婚させようか、などと話したことがあるのですが、彼女たち二人ともが絶対にだめだわよと言うのでした。ブサイクならかまわないのよ、ブサイクの2乗は、もう人間ではなくってよ。と、二人の女性は同じことを言うのでした。ブサイクと、ブサイクの2乗に違いがあるのか、よくわからないのですが、ぼくも、彼も、女性陣にはかなわないので、ぼくたちの子ども同士の交際は、結婚にまで至らせることはできないものだと思っております。

ラクダが針の穴を通るのは難しいが、針の穴がラクダを通るのは難しくない。

ぼくは傑作しか書いたことがないから、傑作でない作品を書いているひとの気持ちは想像することしかできないけれど、よりよい作品ができたら、その作品以前の作品は、できたら、なかったことにしたいのではなかろうか。しかし、詩句や文章がそうなのだが、書いてきたものをなしにすることはできない。しかし、じっさいの生活のなかでは、こういうことはよくある。ある一言で、あるいは、ある一つの振る舞いで、その言葉を発した相手のことを、そのような振る舞いをした相手のことを、さいしょからいなかったことにするのである。じっさいの生活では、しじゅうとは言わないが、よくひとが、いなくなる。

岩波文庫の『フランス短篇傑作選』おもしろすぎ。イギリス人の意地の悪さも相当だけれど、フランス人の意地の悪さも負けてはいないな。意地の悪さというより、気持ち悪さかもしれない。きょうは、はやめにクスリをのんで寝る。痛みどめを入れると10錠である。わしは、クスリを食っておるのだろうか。

きのう、10年ぶりくらいに、うんこを垂れた。おならだと思って、ブッとしたら、うんこが出たのだった。すぐにトイレに駆け込んで、パンツを脱いで、クズ入れに捨てて、ビニールの口をふさいだのだ。もちろん、パンツを脱ぐまえにズボンを脱いだ。下半身丸出しだった。まあ、個室トイレのなかだけど。


二〇一六年二月二十七日 「柔道部の先輩」


以前に書いたかな。愛の2乗はわかるけど、愛の平方根はわからないって。

10年くらい前、京大生の男の子に、あまり考え方が拡げられなくてと言われて、「読むもの変えれば?」と答えたらびっくりしてたけど、そのびっくりの仕方にこちらのほうがびっくりした。読む本が変われば、見る映画が変われば、食べる食べものが変われば、ひとは簡単に変われるものだと思ってたから。

これから、むかし付き合ってた子とランチに。けっきょく、お弁当買って、部屋でいっしょに食べただけ。あとは、腰がだるいと言うので、腰をマッサージしてあげただけ。ぷにぷにした身体をさわるのは大好きなので、いいよいいよって言って、揉んであげた。高校時代の柔道部のかっこいい先輩にマッサージさせられたときのことが、ふと思い出された。


二〇一六年二月二十八日 「目が出てる。」


目が出てる。あごが出てる。おでこが出てる。おなかが出てる。指が出てる。足が出てる。

目が動いてる。あごが動いてる。おでこが動いてる。おなかが動いてる。指が動いてる。足が動いてる。


二〇一六年二月二十九日 「なにげない風景」


きみやさんに行くまえに、オーパのブックオフで、新潮文庫の『極短小説』というのを買った。108円。浅倉久志さんが選んだ極端に短い話(55字以内)が載っていて、ぼくがいま『詩の日めくり』で1行や2行の作品も書いてるけれど、なんかおもしろそうだと思って買った。オーパのブックオフの帰りに載ったエレベーターで、ボタンのそばにいた男の子がかわいいお尻をしていたので、ずっと見ていて、1階に降りたときに、「ありがとう」と言うと、ぼくの顔を見て、きょとんとしていた。


二〇一六年二月三十日 「点の、ゴボゴボ。」


病院には直属の上司はきませんでした。
きてくれたのは
今年の教育係のひとと
今年いっしょに入ったひとの二人だけです。
うれしかったです。
でも
ひとりは
教育係のひとですけど
最後のほう
時計をチラチラ見て
その病院の近くにある会社に
会社の用事があって
そのついでに寄っただけだと言ってました。
─それってもしかしたら、女性?
ええ
どうしてわかったんですか。
─だって、女のひとに多いじゃん。
 相手のこと、いい気持ちにさせといて
 あとで突き落とすの
 言わなくてもいいこと、へいきで口にできるんだよねえ
 そゆひとって
 いやあ
 いるいる
 いるわ〜
 前に
 西院の王将でさ
 スープをかき混ぜてた女の子の定員が
 鍋からね
 レンゲが出てきたんだけど
 そんなの口にしなきゃ
 客にはわからないのに
 声を張り上げてさ
 なんでレンゲが入ってるの
 なんて言うんだよね。
 それって
 客が食べ残したスープ
 もどしたってこと?
 って、ぼくなんか思っちゃって
 注文したのが定食だったんで
 出てきたスープ
 まったく飲まなかったよ
 なんちゅうバカだろね。
 きっと、バカは一生バカだよね。
 気分わるかったわ。


二〇一六年二月三十一日 「みつひろ(180センチ・125キロ。ノブユキ似のおデブさん)」


「三か月くらいになるよね、前に会ってから。」
「それぐらいかな。」
「ちゃんと付き合おうよ。」
「それはダメ。」
「どうして?」
「ほんとうになってしまうから。」
「彼女に悪いと思ってるんだ。」
「器用じゃないから。」
「もっと長い時間、いっしょにいたいんだけど。」
「ごめん。」
「35だっけ?」
「36になった。」
「何座?」
「しし座。」
「じゃあ、なってまだ2か月くらい?」
「うん。」
「胸毛、なかったっけ?」
「そってる。」
「なに、それ?」
「半年に一度くらい、そってる。」
そいえば、ノブユキも胸毛をそってた。
「彼女がそうしてって言うの?」
「・・・」
あんまり腹が立つから
一時間以上キッスしつづけて
口がきけないようにしてやった。

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8800 : 指とカナエの物語  かとり '16/05/04 12:57:58

携帯電話のベル音が鳴ってすぐに切れた。それだけで何が起こったのか理解できたような気がする。目が薄く開かれ、自分が眠っていたということに気づく。それでいて、悪い夢の中に迷い込んでいくような気分。音の余韻が、身体を駆け巡り、ベッドの足を伝って、カーペットを通り過ぎ鉄骨の構造体に吸い込まれていった。息が詰まる。息苦しさから逃れるために、とりあえずともう一度目を瞑り、旧い夢を手繰ろうとするけど、さっきまで見ていた夢はもう新しい夢と交じり合い、元の場所には戻れない。夢の住人たちへ向けて語りかけようとするけれど、言葉は失われ、顔のない顔が諭すように見つめ返してくるばかり。遺された場面が隆起し、砂嵐が舞うなかで、私はひとしきり?と喚いて再び目覚めていく。液晶スクリーンを手繰り寄せて着信履歴を確認すると電話は母から。ベッドから抜けだしてリダイヤルすると、3度目でつながり、電話口に母は出た。母はああ、ええとね、と調子のはずれた前置きをしてから、「いまカナエが死にました。」と言った。うん、と答えた。

カナエは15のときから飼っていた犬の名前で、ここ数日食べ物を口にしなくなっていた。犬は食べんようなるといよいよヤバい。先生もそう言っていたので私はすっかり覚悟ができているような気になっていたのだけど。昨日からインフルエンザで寝込んでいるらしい父は「昔犬は犬小屋で糞まみれで死んどったもんや」などと言い放ったというが、母は自室の床に柔らかな羽毛布団を敷いて介護のためのスペースを作ってやり、水や流動食をスポイトで口に流しこんでやったり、トイレの手伝いをしてやったりとひとりそばで世話をしていた。終末期の犬のために、背中に持ち手を取り付ける器具があることを私は母から電話で聴いて初めて知り、ファーバッグのような姿を想像して笑ってしまったりした。今朝、私はカナエに会いにいこうと思い立ってしばらくぶりに実家に帰る準備をしていたのだけど、父の病気のことを聞いて、うつされると困るという理由でやめてしまっていた。薄情。だけどプレゼンの準備もあったし、死という言葉が、蜃気楼のように遠くとらえどころのないものに感じられて仕方がなかった。「やっぱり土曜日に行くことにする。」そう言った瞬間に、何かが零れ落ちた気がしていた。何かが零れ落ち、落下して、だから?私はそれを見送って、のそのそと部屋着に着替え、PCに向かって作業をし、ひび割れた泥のように微睡んだ。そのあいだにカナエは死んでしまった。

電話を切った後、集合住宅から飛び出して、歩いて駅へと向かった。死んだ犬の最後の姿を見に行くことに迷いはなかった。ダウンジャケットを着こみ、なるべく皮膚が露出しないように、マスクを付け、マフラーをし、手袋をつけてニット帽を深く被っていたから、風は冷たかったけど少し暑かった。頭のなかではインフルエンザウィルスにどう始末をつけるか、そんなことばかり考えている。戻ってきたら着ている服を45リットルのゴミ袋に詰め込んで押し入れに隔離し、歯を磨いて風呂に入ろう。そう心に決めた。青々とした夕闇はだんだんと深くなる。滑り去る鳥の影を何の気なしに数えた。ふとさっき見た夢のことを考える。もしかしたら、夢のなかに犬が出てきたのではなかったかと思う。まったく覚えてはいなかったけど、そんな気がしはじめるとそうであったような気がしてならず、私は夢をつくりはじめた。語るべくもない、とってつけたような夢で、私が犬とただ散歩している夢だった。カナエは家のなかにいることを好んだので、散歩をした記憶はそれほど多くはないのだけど、思い浮かんだ風景にかたっぱしから犬と私を合成し、脈絡がなく一本調子の映像をつなげていった。夢をつくりながら歩いていると、目に映る風景にも次々に犬と私が付け加えられていく。橋の歩道から見下ろした黒い川面に犬がいて、私がいた。真っ青な夕暮れの屋根瓦の段々に影になった犬がいて、私がいた。路面店が光を競う石畳の中央に犬がいて、私がいた。細い路地の街灯の元に輪郭の滲んだ犬がいて、私がいた。しかし足元にはいない。口の中に虫が飛び込んできて、顔を歪めてべっと吐き出した。息をつき、吸い込むと春の夜の匂いがした。来年は除菌剤を買ったほうがいいかもしれない。犬の身体はまだあたたかいだろうか。

母が父にカナエが死んだことを伝えたとき、父は何も言わずに自室に行き、カナエの映った写真をひっぱりだしてきて犬の枕元にずらずらと並べはじめたらしい。「やめてよ。」と母は怒り、突き返したのだという。笑える話。そんな話を玄関で聞きながら、ゆっくりと靴を脱いだ。母の目は赤く腫れていた。私の目は青かったかもしれない。悼むということがわからないままに、私はここまできたのだと思う。しかしわからないなりに死からはじまるものがあるような気がし、何もかもがここからはじまるような気さえした。もしかしたら悼むということは私自身の物語に、その死が零れ落ちないよう、しっかりと嵌めこんでしまうことなのかもしれない。だけど私にカナエの存在を嵌めこむにたる物語があるのかわからない。だからせいぜいが白昼夢、いつまでも曖昧な幻想を浮かべて、死は受け入れられるということがなく、私はカナエを幽霊にしてしまうのかもしれない。そんな諦めに似た予感が全身を気だるくさせていた。カナエに対する感情は、地中深くのマグマのように、記憶の底をねっとりと流れ蠢いているようで、地表に現れる気配がなかった。もし父がインフルエンザにかからなかったら、今朝ここに来てカナエを看取ることができていたはずだけど、そうはなっていない。目の前でカナエが死んでいたとしたら、何が違っていたのだろう。わからないけどきっとすべてが少しづつ違い、未来ではその違いが膨れ上がり、世界の在り方を変えてしまうような気がする。今すぐそこの母の部屋ではカナエが死んでいて、刻々と硬直している。その真上の階では父が横たわっているはずだった。父は今眠っているだろうか。

そろそろ、と母が言い、部屋に入ると、カナエがいた。ファーバッグ。また少し笑う。空間が歪んだような心地がしたけど涙が出たわけじゃなかった。私が涙をながすことになるのはそれから13日後、背中に取っ手をつけて横たわる犬の絵を書いているときだ。笑った顔のまま母と雑談を続ける。音も匂いも押しつぶされて部屋の床にへばりついている。話をした先から声も言葉もへばりついていく。じっとカナエの顔を見ると、瞼も、鼻も、口元も、ひげの一本一本まで死んでいるようだった。マスクをはずして、手袋を外し、頭を撫でた。母はまだ父の文句を言っていた。何となく父のフォローをしつつ私はカナエについて話し始めた。好物の食べ物を狙うとき彼女がいかに腹黒い駆け引きを繰り広げたか、そのたくらみに満ちた表情について話す。母もカナエについて話し始める。死の直前の数時間の、それなりに壮絶な一部始終。死んだ犬の頭を撫でながら聞いた。体温はまだ少し残っている気がした。

私の人差し指がカナエの耳の付け根をまさぐり、中指と薬指、小指はそれぞれ別の場所を探って毛に分け入り、指の腹で頭皮を掻いた。親指は首元の毛を大きく波立たせるようにさすった。人差し指は耳の付け根から毛の流れに沿って耳の先端へ向けて動き、腹で表面の毛を漉くように撫でた。他の四本の指は毛のあいだを進んで追いかけ、耳の周りに集まって同時にさすった。何度かそんな動きを反復したら頭頂へ、額から耳を少し巻き込むようにして掌で撫でた。頭頂から胸へ。首周りの少し長い毛の奥へと5本の指をつっこんで腕を前後させるようにさすった。胸の少し薄い毛は掌全体で静かに撫でた。背中へ、爪の裏側で引っ掻くように幾度か縦断し、尻尾に向かって下り、尻尾の付け根を5本の指を集中させて念入りに掻いた。風を送るように尻尾の毛の流れをさっとなぞった。そしてまた耳元に指を差し込む。

カナエは撫でてほしい場所へ私の指を導いて、微妙に位置をずらしながら自ら身体を回転させたものだった。耳から尻尾まで撫でる一連の動きは、カナエの主張に指が反応して生まれたのだと思う。尻尾をひとしきり撫でるとまたくるりと回転して手に頭を潜り込ませたので、私の左手はしばらくふさがってしまうことになった。時にめんどうでうっとうしかったけど、頭をぐりぐりと手に押し付けてくる勢いに負けて、結局長時間撫でさせられることになった。指には実家にいる間毎日のように行ったこの動作が染み付いているので、同じ動きをひとりでに繰り返すことができた。これまでしてきたのと同じように、私の指は動き続けた。母と話をしながら、これからのことや、死の事、夢のこと、魂のこと、色々なことを考えながらずっと。

ふと私は自分の指の動きがいままでと変わっていることに気づいた。重力にたるみ、硬直を始めていたカナエの肉体の、反応のない反応に合わせて、私の指が撫で方を変えているのだと思う。どこがどうちがうのか言葉にすることはできないけど、たしかに微妙に動きが異なる。そしてこれは死んだ犬のための撫で方なのかもしれないと思う。もしかしたら死んだ犬の望む撫で方なのかもしれない。いつも指は犬の望むように動こうとしてきたのだから。死によって終わってしまった動きを、ただ生前を思い返して繰り返しているのだと思っていたけどそうではないのかもしれない。顔を上げ、黒い毛並みと動く指たちを眺めた。死んだ犬の体表で、何かが起こっているのだと思う。ここには、指たちがいて、カナエがいる。私の意識は今ここでは関係がないのかもしれないと思う。生者と死者、人間と犬の違いですらきっとここでは関係がない。私は考えることをやめる。目を瞑ると銀の雫が降った。私は落下する雫を追いかけていった。

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8805 : 残された者  渚鳥 '16/05/06 17:22:05 *3

知っていた
予想のつかないアクシデントが起きるのだと――

二人を載せて走り出した船が
重すぎたから私は
途中で降りたんだ
だけど、見ることができた
小さな船が無事に海を越えるところを

ただひとつ

――優しさを見つけてしまうとつらいから
いっそどこかしら似た街の無関心に打たれてもよかった
掴まるところなどなく傾いでゆく時間は
あなたを探せないまま
自分がどこまで透き通ってゆけるのかを
私は知りたかった

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8809 : 悪目くん episode1  ヌンチャク '16/05/09 01:39:36 *1

「エロ忌むえっ債務、エロ忌むえっ債務、
我は求め訴えたり!」

真っ赤なYADAWAタオルをマント代わりに背中に羽織り、
悪目くんは部屋の床一面に描いた魔法陣を力強く指差した。

「出でよ、女フィスト!」


ゴゴゴゴゴ…………。


稲光と共に巻き起こった小さな旋毛風は、
見る見るうちに荒れ狂う竜巻へと姿を変えどっどど怒涛どドトールコーヒー、
紫の通学カバンやタロットカードやヌンチャクや少年ギャングを部屋中に撒き散らかした。
やがてシュルシュルはったと風が止み、
すっくと魔法陣の中心に立っていたのは、
女フィストでも風邪の股三郎でもなく、
中肉中背、天パでゲジマユ、顔の濃ゆいオッサンだった。
呆然と立ちすくむ悪目くん。

「あんた誰よ?」

聞くと男は、
ネットポエマーだと言う。
ゲンダイシなるものを書いているのだと言う。
いや、書いているのではなく、
編んでいるらしい。
━━言の葉を編むのです。
いつから詩は編み物になったのだろうか。
ニットの貴公子のように爽やかに、
それでいてナルっぽく、
額の汗を拭き拭き甲高い声で男は笑った。

(何だかメンドクセーの召喚しちゃった。
しかもブサいし……。)

━━用件は何でしょう?

「え? いや、夏休みの宿題手伝ってもらおうかなと思って……。」

━━わかりました。
  日記なら得意ですポエマーですから。引き受けましょう。

「そぅお? 悪いね、じゃあ、やってミソ。」





 7月31日(土) 晴れ
 『愛の方舟』

  //

  葉脈(から)
  伝わり落ちる
  蟻の涙(が)
  赤い土を濡らす

  イメエジ、〈の中へ〉
  私は産まれ
  増殖する。闇。開。閃。
  //憤怒。。。〔宙〕

  寝入り端に☆
   ニルヴァーナ★★★

    光の波動!!
   エネルギイ、満ちて、溢れ、
  静謐、熱、眉間へと流れ込む、.com

  【愛】     L// O/
   【アイ】  //V/ /
  ** 【あい】/   A /

  幸福、それは掌の中にある。
  おててのしわとしわをあわせて、しわよせ。
  アナタニモ、チェルシー、アゲタイ。

  方舟で、運ぶね。***
           ****
            **あらよっと。
 





「……帰れよキモオタニート。
一生ネットから出てくんな。」

━━おやおや、最近のマセガキは口の聞き方を知らないようだ、
  この世界には私の詩を読める者はいないようですね。
  批評どころか、感想にすらなってやしない。
  その愚かさ、∞。

「∞じゃねえよ、いちいちしょーもない記号入れやがって、
誰が読むかこんなクソポエム。
LOVAって何だよ、この童貞チビデブ!」

━━カッティーン!
  今あなた、聞き捨てならないことを言いましたね?
  宮沢賢治だって死ぬまでピュアだったんですよ?
  私はもう30越えて、
  魔法使いになったんですよ?

「けんじけんじって馬鹿の一つ覚えみたいにうるせえよ!
だからデクノボーだって言われるんだよテメーらはよ!
何の役にも立たねえクソポエムばっか書きやがって、
人助けしたかったら募金しろ募金物資送れ、
炊き出しの手伝いでも行ってこいよ、
いいか世の中を動かすのはテメーじゃねえ熱いハートとアクションなんだよ!
テメーの言葉になんざ一銭の価値もねえし、
誰の心にも届かねえし響かねえよ!
クソのくせにいっちょ前に読者の選り好みなんかしやがって、
偉そうなことはせめて中也賞獲ってから言えよクソポエ野郎、
いい年こいたオッサンが何が魔法使いだこのチェリーオヤジ、
いいからさっさとネットに帰れ、
テメーの築40年4畳半のイカ臭いボロアパートの前の掲示板にそのクソポエム張り出してやろうか、ああっ!?」

━━…………。

「何だよ?」

━━実はですね、パスワード書いた紙無くしちゃって、
  入れないんですよ、サイトに。
  現代詩日本ポエムレスリングっていうサイトなんですけどね。
  そんなわけなんで、
  しばらくこちらに居候させてもらいますから。

「えー、母ちゃんに怒られるし……。」



アリムラカスミみたいなピチピチで可愛い女家庭教師を召喚して、
イチャイチャシッポリ人生の宿題を一緒にプレイしたかっただけなのに、
非モテキモオタネットポエマー『ウィザードリィ二世』のドッペルゲンガーとコソコソ暮らすハメになってしまった、
恋に恋するイケない中学生悪目くんの長く暑苦しい夏は、
まだ始まったばかり。


━━まあとりあえずお近づきのしるしに乾杯でもいかがでしょう。
  ポエジードリンク、
  エクスタCゴールドロイヤルです。

「脱法ポエムキメてんじゃねえよいらねえしwww」

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8792 : 無題  zero '16/05/02 03:11:41

ある日一つの愚かさが生まれて、
流言蜚語のようにばらばらと伝染していきました、
でも人生は無窮の海よりも美しくて、
人生を形容することが許されているのは「美しい」の一語のみです、
人生は形容の分割力にどこまでも抵抗するので、
分割することなく肯定する「美しい」の一語のみが君臨します、
それでも風のように吹き荒れる愚かな気流は再生産を繰り返し、
切り裂かれた海が風景のあちこちに貼りつきます、
愚かさとは実は愚かさを語る者の硬い疲労でしかなくて、
疲労とは実は嫌悪を感じる者を取り巻く完全なまでの単純さでしかないのです、
氾濫する論理は乾いた惑星をどこまでも潤し、
爆発する倫理は平和な社会を掘削していきます、
真実というものは隙間さえ見つければ隠れようとしますし、
芯の無い皮だけの植物ですからすべての皮は等しく虚偽です、
力強く語られるものも雑踏の中でつぶやかれるものも等しく虚偽なのですから、
歴史とは真実の落とす影をつないでできる星座であります、
僕はいつだかあなたを愛していないと嘘をつきました、
僕はいつだかあなたを愛していると嘘をつきました、
客観的な幸せにはいつでもまぶしい方向ばかりが宿っていますが、
鳥の声を聴く幸せは方向を持たないやさしいかたまりです、
僕は黎明の空に逮捕されました、
罪状など何もなかったけれど黎明の空の薄赤い色彩を理解しすぎたのです、
僕は海沿いの松林に逮捕されました、
権力など死んでいましたが松林の構造があまりにも整然と僕を追い詰めたのです、
ですが社会人など好んで牢獄に囚われる逆立した人間で、
逮捕というきれいな言い訳など要らずいつでも身の回りは鉄格子、
僕の存在の枢軸は空っぽで様々な存在がそこに出たり入ったり混じり合ったりします、
その枢軸にガソリンのような液体が少しずつ溜まり始め、
他の存在の進入を邪魔するようになり枢軸は停滞しました、
僕の枢軸は花火のように夜空に打ち上がっては散華して、
その度に燃料の配合をどんどん誤っていきました、
枢軸が純粋に誤りそのものになったとき、
あらゆる道は死に至り朽ち果てていきました、
もはや草原には至る所に崖が発生し、
崖の側面には夥しい文字が書かれています、
自己の誤りも他者の誤りも社会の誤りもすべて一様に記されて、
責任の落ち着く先は流れていく雲のように不定形です、
それでも人生は美しさを美しさで幾重にも包括し、
降りしきる闇の指し示す地点から星座を作り上げました、
僕は歴史の星座と人生の星座を組み替えて過程の星座を作り上げ、
それは幽閉から解放への過程であり誤りから修正への過程でありました、
僕もまた一つの過程として闇を多彩にデザインしていきました、
色彩を物自体から盗み取って光を現象から寸借して、
僕の本体はただ死んだように停滞していても、
僕の分身は忙しないデザインと造形を誰にも見られずに遂行していきました、
ある日生まれた愚かさは強靭の槍のように聳え立ち、
愚かさなりの過程を経ながら星座に組み込まれていきました、
美しい人生は永遠に美しく単純で、
その過程の去っていく過程に僕の恢復の過程がありました、
何もかもがある日の平凡な午下がりに集約される過程であります、

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8817 : シカルケー  zerz borz '16/05/12 14:23:27

カードをポンしてドボン
浅瀬に
ア熱帯ウオを転ばせる
病弱夫人を招き入れる
猛反省 沼
奥底に純銀は光り
臀部へスープを注ぎ入れる
洞ホラ 亀の浮城
宝塚古墳から数珠は出土して
長年の浣腸が果たされたことになる
百穴 千人針
ふるべくして雨がふる
雑巾がけに日々
範チューハイ闇に終われる
目も暮れず
涙なのか汗なのか
スープは干満に搾られる
用意されていたシチューも臀部に浸かり
胃枯れて夜空は冷めてしまう
すっかり
墓場は裏返して洗うことができる
炭酸水素排溝 苦虫を突き落として
這い上がった歯だけを鍛えよう

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8797 : 19歳の紙片  mitzho nakata '16/05/03 16:01:03  [Mail]

ぼくは退屈しない


 ぼくは退屈しない
 朝 目を覚ました とたんに窓のむこうから
 石がとんで来てガラスをやぶってぼくにとどいた
 石には 
 
 ── Bonjour! Ca va ? (こんにちは! 調子はどう?) ── 
 
 と書いてあった
 
 畑から飛んできたようで
 星型(hoshi-gta)のがらすのやぶれをのぞくと
 稲穂(ina-ho)のなかでかかしが笑っているのでぼくはたいくつしない
 いっぽんきりの安いシガレットを筆入れにかくして
 ぼくは昼の町へ出た
 
 町には いろんなごみがころがっていて面白い
 バケツを見つけたので蹴とばすと
 なかからカエルが出てきて
 唄を唄ってくれるので退屈しない
 映画館へ入れば ぼくのかわりに スクリーンで
 ぼくのにくい人を (にくくない人も) 殺してくれるので
 ぼくはいっこうに退屈できない
 
 しばらくたつと
 なつかしく
 スーパーマーケットの野菜がひかりだし
 
 もう夜か 
 
 と金色のバスにのって帰ると
 門の前にぼくの猫がぐったりしていた
 
 へんだなと思いつつ ドアをあけると
 真っ白い男が立っていた
 真っ白いサングラスでぼくを見る
 へんだなと思いつつ 書斎へ行こうとしたら
 
 「こんにちは! 調子はどう?」
 
 と どなって来たので
 
 「さようなら」
 
 と 返事したとき 
 
 ぼくは思い出した
 きのうのニュースにのっていた「白い無頼(bu-rai)」のはなしを
 
 まずいぞ どうにかして・・・・・
 
 考えるひまもなく
 ぼくはピストルをつきつけられて 
 いきなりに ズンッ と撃たれた
 ぼくは倒れ 白い無頼の男は 星型のやぶれから
 とんでった ぼくは倒れけど 
 香水のいい香りと少年らしい歌声(uta-goe)が どこからともなくするので
 どうやら ぼく は さいごまで退屈しないようだ
 そこへ また石がとんできた
 
 その石には ──Adieu (さようなら)── と書かれてある
 
 
 やっぱり ぼくは さいごまで退屈しないようだ


好きなもの

 昼より
 夜が
 愛するより
 恋することが
 なめるよりかみ砕くことが
 カタカナよりひらがなが
 降りる駅よりずっと先にある降りない駅の方が
 関西弁より東北弁が
 太宰治より織田作之助が
 文芸よりもアクション映画が
 渡哲也より小林旭が
 小林旭より宍戸錠が
 吉永小百合よりも
 松原智恵子が好きだ
 石原裕次郎なんてきらいだ
 ロックより
 昭和の歌謡曲が
 甘えられるから好きだ
 さすらいが
 アカシアの雨がやむときが
 黒い花びらが
 話しかけてくれる唄が
 くさくてキザなセリフが
 だれよりも飛びぬけた感情が好きだ
 つまり愛するってことをまだ知らないし
 やさしさはぜんぶ
 自己愛にとどまって
 どんどんどんどん淀んでいく
 たりないのは愛だとさ 
 あのツラで愛だとよ 
 恥ずかしくないのか 
 いちばん受け取りたいのは愛だってよ
 どうしろというのだ
 どこへいけというのか
 いくら困っても
 おまえらのところにはぜったいに
 いかないいけない
 いきたくない
 いくら一人一人を信じられても
 あつまりはきらいだ
 隣人と隣人とがとけ合うなんて信じられない
 なにもかもに孤立したい
 なにもかもを敵にしてやりたい
 サイクロン号でぶっ走りたい
 ばか高い詩集をぶらさげた詩人さんよ
 あんたたちの本なんて一冊も読みたくない
 きらいだ
 えらそうな子宮を持った女らよ、
 おれは同時にいろんなものを愛することができるのだ
 読者よ 
 天使とはきみたちのことだ
 おれはきみたちが好きだ
 うそだ
 ほんとうはどうだっていい
 ただ少しばかりほめられたいだけなのだ
 見えない夜明けに向かって
 おれのゆめが泣いてる 
 おれはなによりも
 ぶざまでなけれならないのだ
 しかしぼくは
 ぶざまなぼくよりも
 ぶざまなきみが好きだ!
 

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8819 : 贋作としての胸像、蜂巣静物画  鷹枕可 '16/05/13 00:59:03

     :
 
触既 厩舎 既にして死線を喚呼す
双嬰児
胎 翳像を逸す
果断せよ 
汝救済の壮語を撃つべく 
挫かれて尚
石を裂く
雲霞のごとく猖獗を露悪として
  
飛花耀耀として晩鐘に紛る 
午睡の惨禍
乳母車に飽ひて葬と為す
やはらかき棘を打て
飛語は奇異ならむ
復も凡庸たる瑕疵に落ちてゐる故に

     : 
卑者曰く、
     
総て
人体は迷宮建築なり
燦然と緋断の門は聳え建つ
私が露悪が仮葬室に継続の剰死を垂れるとも
揺振子の機械像たる
α昼顔の螺旋繊維は
血塊翼果を
汝が運動態に現象せよ
凝濁の鹹塩
私属たる呼吸
量らず測らず進捗するホログラフの蛇足
扁桃体劇場に悪罵数多なる
繁殖の城砦を
夢想-緩衝しつつ
瓦解の薔薇鏤刻
戒律は針の疵たらんとする

静餐の長机
凄絶たる爾後
遺骸櫃に噴き零る椿花
そは知識勿き白痴なるとも
静物の尺度を凌ぎ
凱旋車輌の魘夢
純黒の羊頭を刎ね落しつつ
をを
眼窓に懸れる梯子を有翼の御使が死を
その驚愕驚嘆を披瀝せんと
天鵞絨の鉤裂を
衣類棚の憎悪
緑礬の結節
斯く迄も
刳貫かれたる実母の網膜へ
乳母車揺籃と擱き
捨てよ

「私が懐胎したのは白凌霄花/
 /血の蝕既が流す」
    瓦礫の鞦韆だけが朽果てて遺って鞦韆を運動する振子の死、迄を

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8814 : 無題  zero '16/05/11 23:14:16

僕は生まれ変わりました、
生まれ変わりは一つ一つが音符のようで、
人生は生まれ変わりのメロディーが錯綜している大音響です、
僕は何か遠くの方に不穏なものが墜落する影を目撃しました、
社会が墜落してこの地球に文明が誕生しました、
歴史が墜落してこの地球に時間が誕生しました、
文学が墜落してこの地球に感情が誕生しました、
僕は永遠に苦しむ者、
永遠が瞬間を宿すことを苦しむ者、
森羅万象の苦しみを包蔵した苦しみをさらに苦しむ、
社会というものは人間とは複雑に異なった愛憎の対象となり、
無数の人たちの顔が集合して超越した無名の巨大な顔を持っています、
僕の庭には雪が降り陽射しが乱れました、
そして虫が言葉を運び鳥が意味を伝えました、
僕は庭を広げてはたたんで、
自分の庭がうまく敷ける整った土地を探したのです、
僕の庭は生まれ変わりました、
それまで自然の洗練するがままに広げておいたのですが、
いつのまにか種や苗が植えられ、
未来と終末とが親戚同士のように肩を組んで、
色濃く影を落とし影は種や苗に吸収されました、
僕の庭は風雨の被害を受けそれに耐えるだけの風景ではなくなった、
風雨を糧として花や作物を育てていく架空の庭、
この世ではだれ一人助けてくれない、
この事実は層状に連なる複雑な化合物、
最終的に頼れるのは自分一人、
いつまでも硬直した鉱物性の根拠のようなもの、
迫害、磔刑、火あぶり、魔女狩り、スケープゴート、
人間の永続的に狂っている部分が獣のように欲望してやまないこと、
人生は獣だ、社会は蛇だ、
荒れ狂う衝動と狡猾な計略とそのすぐ裏側に貼りついた愛と、
そこから僕は生まれ変わったのです、
同じような思考のパターンを繰り返しながら、
いつの間にかそのパターンがより繊細かつ優美に変化している、
僕ら進化するミニアチュール、
束ねた花束の数は必ず刻まれてある、
打ち捨てていけ、最も貴重なものから順に、
僕は生まれ変わっていたのです、
僕は生まれ変わることを強いられたのです、
僕は好んで生まれ変わったのです、
内容も理由もいらない、
ただそこに裂け目を超えた跳躍の軌跡だけが残っている、

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8811 : 羞明  澤あづさ '16/05/09 19:40:00 *3

 老いた春の角膜に、まばらな白髪が金髪より映えた。かの女の庭で、heart、ひらきたい声を殺して。まねたかの女のくちびる、bleeding heart。
 華鬘草という和名を知らずに、その口紅の跡から読んだ。夫と暮らした庭先にも、嫁いだころから五月のたびこぼれていた春の名まえ。若かった富有柿の木陰で、乏しい実りが色づくころ消え、冬が終わるとまた群れた茂み。家人のだれも名を知らず、呼ばなかったが必ず群れた。
 だからかれは柿をもぐため木に登るのに苦労しませんでした。と英語で伝えようとして諦めた。五月の午後、わたしの庭では、富有の木陰に常緑の沈丁花がなお暗かった。そこにその花をひとりで植え替えた日、わたしはまだ、ひらきたい声の名まえを知らなかった。薄暮。
 いつか去る小花のつるへ、黴をあぶり出すように病む。白内障へこぼれるには、きっと濃すぎたかの女の紅。bleeding heart、ひらきたい声を。殺す。

 孫の英会話教師の通夜なんて、行かないのが常識だったんだろうか。クローゼットに並ぶ、わたしの13号と娘の7号のアンサンブル。娘のはもう十年もまえ、夫の通夜の前日に、近所のショッピングセンターで買ったものだ。田舎の店には目当ての5号の取り扱いがなく、喪服はあらかじめ用意するものじゃないんだと、わたしの母に言い聞かされ泣いていた。わたしの娘。あの子あんなにやせて大丈夫なのとあの日、多すぎた弔問客から問われるたび、夫の娘だからとわたしは答えていた。ような気がする。
 あの子もいい加減、新しい喪服を買ったんだろうか。慶事か弔事のたびここへ着替えに来て、結婚祝いの真珠も婚家へ持ち帰っていない。あの子の細い首でなら輝くと思いきって買った、赤らむ花珠の隣から、弔事用の古い真珠を取り上げる。そろそろ黄ばみはじめた小ぶりが、弔事にもわたしの指にも似合いだ。
 真珠は涙だから、弔事に欠かせないと思っていた。同じように、結婚指輪は一日じゅう一生、はずしてはならないと思い込んでいた。わたしの古い左手にはまだ、傷だらけの黄ばみが食い込んでいる、そう。そう言えば。かの女はきらめくパヴェを右手に着け替えていた。

 指輪の行方を探ろうにも、棺の位置が高すぎた。一面の青空をえがく壁に、金髪まみれの遺影ばかり映える。あの子の赤らむ花珠より、よほど派手にぎらつきながら、祭壇を覆うピンクのサテンと生花。生花。生花。かの女と喪主の続柄すら知らなかったわたしには、あまりに所在ない社葬のホールの、うす紅をかの女がどう思うか。もう尋ねようがない。わたしが代弁してよいはずもない。
 無宗教葬なんて初めてで、勝手もわからず御霊前を選んだけれど、通夜の儀式は献花だった。玉串と同じ作法で受け取った、白いカーネイションの震えが、黄ばんだ真珠を波打たせるほど冷たい。祭り上げられた別れを謳うセリーヌ・ディオン、my heart will go on、そんな反吐の出そうな英語を。わたしは一度も読んだことがない。紅すぎたかの女のくちびる。

 左手に食い込むくすみに、通夜の会場を出てから気づいた。小花のつるとともに伸びた五月の夜、駐車場に蠢くサーチライトの影に、ひどく黄ばんで月がこびりついている。この左手が離さない、指の支えの18金が、融けたつがいへ共鳴するように。玉響。
 運転席に背をもたれて、いま、目を背けた首筋できっと、黄ばんだ真珠の巻く渦を掘りぬくように照っている。heart、ひらきたい e と a のあいだに、声が。bleeding heart。キーを回すまえに、攣りそうな両手を、指の腹を合わせて伸ばす。こうするとね、薬指だけ離せないんだよ、ほら。どうしてだろうね、まぶたに圧し掛かる、くたばりかけた眠気。やせ細る月を囲ってにじむ羞明。

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8783 : 血盆経偽典白体和讃  澤あづさ '16/04/30 18:28:58 *4

メフィストフェレスが激怒する。おかしの家、雪渓もののあわれ。賽の河原で降誕祭の、レープクーヘンホイスヒェン「またも永遠、」つまり子宮だった。子どもだましの真珠母だった。卵管の口が天井に、欠けないふたつの満月を穿ち、光明として堕ろす黄体ホルモン。真珠麿の床へ落ちこぼれるマーガリン、マルガリーネ、マルガレーテがたま子と和訳され「ヘンゼルは。」ワルプルギスの夜だからね。

たま子は自浄を司る。キリストすら堕ちた道のだ。三途川から昇天し、月にはじかれ逝く雪を、すべて此岸へ掃きもどす。婦は掃くので婦であった。処女は幼女で月経前だ。魔女と聖母の分かれ目は、避妊の知識の有無しかなかった、37度のヘクセンホイス。雪はとろけて水子となり、水子の布団を月水へ剥ぎ。堕とす。乳と蜜そしてハードボイルド「ラインのリープフラウミルヒが恋しい。」みずからを焼くかまどから。

箒も竹冠を脱ぎ捨てて。花盛りのエニシダを束ねて(だって魔女はなんでわざわざ枯れ枝なんかにまたがるの、)フラワーシャワーのヴァージンロードへ。たま子が吐き棄てる。玉子は身ぐるみ剥がされている。きみはいらない白身だけ白砂糖としっかり混ぜて(鳥ノ子と白の袷を氷重と、エデンの極東が名づけたのだ、)アイシング。白無垢に。雪は化かされ水子となり。

花も実もなき鬼灯の
知りもせぬ罪に焦がるる
小娘、とも小僧ともつかぬ
餓鬼どもが、
「そう言えばおれはファウストの
 被昇天の際
 天使どもに欲情したのだった。」
さめざめジンジャーブレッドマンで
積む、得度の
煉瓦を、摘む
羽掃きと
懸衣翁

   糖衣の濡れ衣
    しか甘くない
     マルガレーテが謳う。
      冷やかなる奥津城に *1
      小さき妹 *1
      我骨を埋めつ。 *1
     グレートヒェン
    帚木の心を知らで *2
   ホイスヒェンの *2
  床にあやなく *2
  惑いぬるかな。*2
 真珠より、まるく
 まるく、漂白された
  殻
  『此こそわが骨の骨わが肉の肉なれ』 *3
    に
     はめ殺されて

     あめの窓をかためる
    羽二重にかたまる
   卵白の
  床に、煮くずれた
 仙骨翼から

はね飛んでいる肋骨遺残
           「またもご漂着だわレープクーヘンヒェンが。
           「ご氾濫だわ。リープフロイラインミルヒが。

「ごきげんよう das Maedchen「ようこそ中性名詞!「ひらいた股から胎をひらかれ「装った、イースターバニーガールの卵殻「豚に真珠、「をカイーナの氷でひとかわ剥いても脱げない定「冠「詞の法を免れないあたしたちは「どうしようもなく娘細胞!

(das Ewig-Weibliche,(es ist vollbracht. *4
「どうしようもなく母細胞!
(das Ewig-Leere,(es ist vorbei.(Da ist's vorbei! *4
「どうしようもなく魔女裁判!

『カインがアベルを殺したので、 *5
 神はアベルの代りに、ひとりの子を *5
 わたしに授けられました』。 *5

(いらなかったのねカインは、
(いらなかったのねアベルも「兄さん、
『なんてきれいな鳥なんだろ *6
 ぼくは!』 *6
「いらない、
『なんてきれいな鳥なのかしら
 あたしたちは!』「いらない。

              「干されることを拒めば箒も「永遠に花束のまま!「実るらしい煉獄「うらやましい、「火があればなんでも「焼きたい放題だね!「鳥もうさぎもクーヘンヒェンも「焼き入れ知恵りんごの煮びたし「たま子も!「目玉に、「焼かれたい放題だね!

 メフィストフェレスが激怒する。
(魔女の厨でならいざ知らず *7
「それは母たちなのですよ。 *8
(なんとしても耳にしたくない言葉だ。 *9
「あの永遠に空虚な遠いところ *10
 よりおれとしては「永遠の虚無」の方が結構だね。 *11
『すべて移ろい行くものは *12
 永遠なるものの比喩にすぎず。 *12
『永遠に女性なるもの、 *13
 我等を引きて往かしむ。 *13
「聞いた事のある詞ばかり聞いていたいのですか。) *14



  Zum Augenblicke duerft' ich sagen:
  Verweile doch, du bist so schoen!
    この玉響へわれぞ告げたき。
    揺りをれ、なれこそいつくしけれ。
 (J.W.Goethe, "Faust. Der Tragoedie zweiter Teil", 11581-11582 私訳)



□■ 出典 ■□

*1 ゲーテ/森林太郎(鴎外)訳『ファウスト 第一部』4416-4418行
 ※マルガレーテ(グレートヒェン)が牢獄で歌う歌。出典は*6に同じ。

*2 紫式部『源氏物語』帚木 第三章第四段より
「帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな」

*3 文語訳聖書『創世記』2章23節より
「アダム言ひけるは此こそわが骨の骨わが肉の肉なれ此は男より取たる者なれば之を女と名くべしと」

*4はゲーテ『Faust』原文から引用した。
*das Ewig-Weibliche:12110行、神秘の合唱。
 ※鴎外訳「永遠に女性なるもの」高橋訳「永遠にして女性的なるもの」
 ※ユングのアニマや太母の概念に影響を及ぼしたとされる。
*es ist vollbracht:11593行、メフィストフェレス。
 ※鴎外訳「用は済んだ」高橋訳「片がついた」
 ※ヨハネ福音書19章30節にあるキリストの末期の言葉であり、多く「事成れり」と訳される。
*das Ewig-Leere:11603行、メフィストフェレス。
 ※鴎外訳「永遠な虚無」高橋訳「永遠の虚無」
*es ist vorbei:11594行、合唱。
 ※鴎外訳・高橋訳とも「過ぎ去った」
*Da ist's vorbei!:11600行、メフィストフェレス。
 ※鴎外訳「今何やらが過ぎ去つた」高橋訳「過ぎ去った」

*5 口語訳聖書『創世記』4章25節より
「アダムはまたその妻を知った。彼女は男の子を産み、その名をセツと名づけて言った、『カインがアベルを殺したので、神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました』。」

*6 グリム兄弟『Von dem Machandelboom』(百槇の木の話)初版本より
 ※*1の出典。

*7-12は高橋義孝訳『ファウスト(二)』新潮文庫から引用した。
*7  6229行、ファウスト。
*8  6216行、メフィストーフェレス。
*9  6266行、ファウスト。
*10 6246行より、メフィストーフェレス。
*11 11603行、メフィストーフェレス。
*12 12104-12105行、神秘の合唱。

*13-14は森林太郎(鴎外)訳『ファウスト 第二部』から引用した。
*13 12110-12111行、合唱する神秘の群。
*14 6268行、メフィストフェレス。

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