腐敗した光の海を何千羽もの鳥が渡っていく
森はやがて溶け出して、染み込んだ地下に深く眠る
吼えるような風が耳の奥で膨らんで、弾力のある青い音色を吐き出してゆく
真っ白な樹液は私の腿をつたって流れ、湖の上には丸い月が広がってゆく
電気は暗い溝の内をのたうちまわって進みながら、蒼白い閃光を宙に浮かべる
墓の下で夜を呼ぶ声
眠りと眠りの間に挟まれた右手を抱きかかえながら街路を駆ける母親の影を、銀塩に浸された呼吸の中へ焼き付けた
赤く光る鳥の眼が下水道の奥で氾濫している
花の匂いを嗅ぎにきた少女はふくらはぎに噛み付いた野犬を引きずっている
雲に隠れる隙を見計らって月は静寂と熱い口付けを交わしている
古本屋の店先に積み上げられた絵本の山の底で、赤い人形の表紙が涙を流したので、黒いインクで書かれた文字を洗い流し、蒸発したおとぎ話が街ゆく人の健康を悪くさせた
感染症で熱にうなされる少女の脇に冷やした魚を挟みながら
彼女の汗を飲みに来る鼠たちをその尾を引っ張って剥がしながら
窓の外で笑いながらこちらを見つめる包丁を持った男の目を手で隠しながら
鳥かごの中で歌をうたう幼い妹の瞳を鳥がつつきながら
星の割れ目に新鮮な血液を流し込んだ
煙の中に散った花弁を拳の中で色が濃くなるまで握りしめた
黒色のうさぎに包帯を巻いて白く染め上げた
聞こえない音の中にかよわく解ける根をゆっくりと張った
自身の重みで震える空を泳ぎながら
沈殿する白血球の死骸の山に
寄生して朝を迎える
錆びついた氷のように
深遠な記憶を飲み込んで膨らんだ
傷のある左眼をもつ
羽のない鯨
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150710_289_8185p
- アラメルモ :
語彙を拾い集めてくっつけてみた。
冒頭から安易な比喩の連想で拵え語られているようだ。
鯨で象徴されることの意味が感じられないので、深く潜り込む気にもならない。
もう少し力のある、いや、力の出せる詩書きだと思っていた。
ただただがっかりな作品である。
※
何故このように破壊するだけ破壊されているのだろうか。
もう一度眼を通してみた。
それで、なんとなく機械の鯨が見えてきた。パラレルな空間が異次元の狭間で表れては消える。わたしもよく覗きたくなる。壊れた三面鏡。
どうやら意識されて言葉の意味は破壊されているようだ。
そう思い込むだけで読者の認識は錯綜する。
勝手に映像を作り出しては、見たこともない磁場の狂気に酔いしれ、幻影を抱くのだ。
創作される目的の意義とはなんだろう。
たとえ意味は否定されようとも、その意図も感じられないのでは、読者は意識と無意識の境界をさまようだけである。 ('15/07/10 12:40:45 *6)
- 田中恭平 :
こんにちは。田中恭平です。初めまして、宜しくお願いします。
まず形容詞を多用している点が気になりました。形容するということは、その対象の
状態を、明確に表現する、又は、対象に付加価値を与える、ということですので
つまりは、意識的に記述された文章であって、懸命に書かれたのでしょう。
私には難しい詩でしたのですが、真摯さが伝わりました。
○羽のない鯨、この表現を筆者、ペスト氏は「発見」と自己評価しておりますが
これは「アウツヘーベン」という手法が既にあり、その結果のみを提示したに
過ぎないと判断しました。これは今ではテレビコマーシャルでもよく使用されている
一種の表現の王道に過ぎません。ジャン・コクトーが多用しております。
ダダイズムの基本でありますし、その息子の超現実主義でも多用されております。
○「無意味の中に意味を、無秩序の中の秩序を探る作業」とレスされましたが、
とても面白い、凄いことを仰っているな、と感じました。
しかし、その意図を汲んで再読しても、あまり感興はありませんでした。
>真っ白な樹液は私の腿をつたって流れ、湖の上には丸い月が広がってゆく
この一文がひっかかったのですが、これは射精の描写と、「丸い月」=母性
の関係性を書いているのか、と感じたのですが、
次の、次のヴァースで、やはり「母親の影」という部分があるので、少し
悩んでしまいますね。話者の立場が見えてこない、複雑過ぎるというか、無理な さっているような気がします。
○ そして最後に多者との関係性ですが、一応作品を創作したならば、読者というのは
上に置かれ、「読んで頂く」というのが、前提にないとならない、というのが
私と、ペスト氏の大きな差異で、「僕だけが見られればよいのです」という
発言は、サイト・ポリシーに反するというか、それ以前にワイアード上では
「ブログ」が無料で開設できるので、この文学極道ではなく、ブログに書いておけ ば良いのではないでしょうか。これはポジティブな提案です。
人間の有害性を語るのならば、確かに今の時代、なんでもアリですが
このような所謂「チラシの裏にでも書いておけ」と、2ちゃんで言いますよね、
楽屋話の方が面白い作品では、やっぱりいけないと感じます。(C−)
('15/07/11 12:41:06 *1)
- GENKOU :
なんとなくムンクのいくつかの絵を思い出したが君は絵も描いているのか? 。作者人物を探偵推理詮索することは好きになれないが、絵を描いてるならきちんと自分の肉眼で実作品を観てみたいな。イメージや脳内言語でなくきちんと言葉を(デザインするのでなく)デッサンしてください。 ('15/07/11 20:14:07)
- はかいし :
詩篇全体がまとまった一つの意味に向かっていかないのが問題だと思う。表現は悪くないが所詮はそれは装飾で内実が伴わない。 ('15/07/12 11:36:55)
- ペスト :
ご批評ありがとうございます。
けれども皆さんの批評は、「なんだこのラジオは!映像の映らない不良品じゃないか!」と仰られているのと同じようなことです。見るべき視点が間違っています。確かにこの手法自体もまだ研究途中ということもあり、完成度という点では僕自身満足しきれる段階までは達していませんが、それでもある程度の価値は認めています。それと、この作品では比喩も形容詞も使っていません。 ('15/07/13 03:01:04)
- アラメルモ :
どんな風に視点が間違っているのか。
作者の考えをご説明願いたいです。 ('15/07/13 03:16:31)
- ペスト :
僕は言葉を言葉のまま使っているのではありません、言葉を別の目的のために使っているのです。
音楽に対しては「意味が伝わってこない!」と怒鳴る人がいないのに、どうして言葉による表現となると、たちまちそこに意味を求められてしまうのでしょうか?だから優れた表現者という者は皆、音楽というもののあり方を賞賛します。
しかし僕がそう言ったからといって、僕の作品を音楽を聴くように見てもらっても困ります。それは皆さんの音楽に対する見方もまた適切ではないかもしれないからです。したがって、僕の作品に対して、リズムや音韻に着目しようというのも見当違いということになります。
例えば皆さんが”海”という言葉を使ったとしましょう。それをみた読者は各々の今までみた海の中から各々の海を引っ張り出してくるのです。美しい海を見たことがある読者はその表現を美しいと思うでしょう。美しい海を見たことのない読者はその表現を美しくないと思うでしょう。現在言葉によって作られている作品は全てがこの連続によって成り立っています。こんな馬鹿げたことがあってたまるでしょうか?こんなことを未だにしている表現は言葉によるものだけです。
もし皆さんが海を見たことのない読者へ海というものを伝えようと思ったらどうするでしょうか?”塩水がこの目の前の大地よりもずっと広く広がっているところ”なんて始めて、波によって水が行ったり来たりして、魚という生き物がたくさん住んでいて、などとあれやこれやと細かく説明を継ぎ足していくのでしょうか?ではその読者が生まれつき眼が見えなかったらどうするでしょうか?僕らは言葉によって、どうやってその読者に海というものを見させてやれるでしょうか?それはこれまでの言語では不可能です。皆さんがこれまで”自分たちが表現している”と思っていた作品は、正確には読者の頭の中から表現を借りているのでしかなかったのです。
皆さんは、想像力があるのは作者の方で、作者が想像力を振り絞って作品を作っているのだとお思いなのでしょうが、実際に想像力を働かせているのは読者の方で、読者が頑張って想像力を使い、不出来な作品をなんとか見られる形へ仕上げてやっていたのです。
それを自分の手柄だと言い張るだなんて、なんと自尊心に溢れたな連中でしょうか。僕はそんなお遊びには付き合っていられません。
僕が自分の作品を自分だけが見られればいいと言ったら、それならチラシの裏にでも書いておけばいいと言われましたが、それは、皆さんの作品だって、誰かにとっては見られないということに気づいての発言だったのでしょうか?皆さんの言語の扱い方ではどこまでいこうと普遍的にはなり得ません。けれども僕の言語はそれを突き詰めていけば普遍的になり得る言語です。
僕の言葉は海を見たことのない人に海を見せられるようになります。海の匂い嗅いだことのない人に海の匂いを嗅がせられるようになります。海へ行ったことのない人に海へ行かせられるようになるのです。
僕の言葉はひとつの外国語だと思っていただければよいかもしれません。それを自分たちの言葉と同じように聞いたってただの雑音にしか聞こえません。
けれどもこれは皆さん全員が持っている言語です。 ('15/07/13 04:57:08 *1)
- 遼旅 :
ある日の私を見たので、何か書こうかと思いました。
あなたは批評を望むでしょうか? 違う、
あなたは感想を望むでしょうか? 違う、
あなたは喧嘩や戦争を望むでしょうか? いや違うな。私はもっと、見た目に浮かれていた。
たとえば、なぜあなたはあなたの言語を用いずに日本語を用いるのでしょうか? 少なくともあの日の私にはもどかしさがありました。すると文法遵守を離脱したところ、それでも詩があった、のさばって広がっていた、だけです。
自転車に乗っていた頃、突き抜ける風との間には詩を感じていました。自転車がパンクして一年は経つので、直しに行きたいとは思っております。と言いつつも、自転車に乗っているだけが風では無かったので、こうしてベンチに座って時間を移動していても、流れていくものがあります。
土は土に、塵は塵に還ります。あなたがあなたに辿りつくことを(ある日の私を、久々に見たことを思い出しました。私はと言えば、500円で作るものを500円で売るだけです)。 ('15/07/13 08:38:53)
- 田中恭平 :
おはようございます。これから病院ですので短いレスしかできませんが
「言葉というものは、すべて「喩」に過ぎません」。
だからかの田村隆一は
「言葉なんか覚えるんじゃなかった」旨、言葉で勝負したのです。 ('15/07/13 08:40:49 *1)
- LEK :
音楽って本能に働きかける媒体だから各々が意味を受け取ると思うんだ。例え抽象的であっても。
言葉ってもっと理性的な記号で意思伝達の為に生まれたものだから他者に伝わらないと意味がない。だから後天的経験からそこに具体的な意味を見出そうとするし意味がなければただの羅列。パスワード。薬物で錯乱した中毒者の雄叫びと大差が無い。
そんな常識からの脱却というか、通常を見直すためにオートマティスムみたいな技法が生まれてきたように思うんだけど、その本質は普遍性とはかけ離れてるしどう考えても特殊。
こういう自説を前提にこの詩が皆からあまりいい評価を受けていない理由を考えてみたけど、たぶん目指す方向と詩の形態が合致してないんじゃないかなと思う。
この作者けっこう理性的に考えて言葉を接続させてる。でもいわゆる現代詩的なって一括りにされるこういう形態の詩は音楽みたいにもっと本能(深層部分)に訴えかけるものでないと成立しないと思うんだ。(意味ワカランけど美しい!みたいな)
それこそがたぶん作者の言うところの普遍性(笑)とかに繋がる気がしなくもないけど、垣根を越えてダイレクトに、正確無比に、アプリオリに、伝達できる存在がいるとしたら超能力者か神様くらいしか思い浮かばないな。
そういえば子供の頃、感情をダイレクトに他者に伝えることのできる、小人が主役のゲームがあったなぁ
そして遼旅さんのコメントに詩を感じた ('15/07/13 09:40:39 *1)
- アラメルモ :
ペストさんは随分と初歩的な言語論を取り上げて提起しているように思える。
だから皆さんにいくらでも突っ込まれる。
感覚的に鯨でなくてはならない理由はあるの?
では一体何を伝えたかったのだろう。
五感のどこを使って六感を意識すればよいのだ。 ('15/07/13 10:57:55 *3)
- ねむのき :
意味性うんぬん以前に文が雑だと思う
三連目の「〜いる」の繰り返しがしつこいし、
>古本屋の店先に積み上げられた絵本の山の底で、赤い人形の表紙が涙を流したので、黒いインクで書かれた文字を洗い流し、蒸発したおとぎ話が街ゆく人の健康を悪くさせた
この箇所とか、「〜で」、「〜ので」って文がダラダラしてるのが良くないと感じました ('15/07/13 13:30:22)
- あ :
はじめまして
第1連
腐敗した光に海を…
森はやがて溶けだして、…
吼えるような風が…
真っ白な樹液は…
電気は暗い溝の内を…
恐らく、作者は気づかれていないのだろうが、これは説明文の羅列を表現したかったのだろうか?皮肉ぽく言えば、目の見える人にも情景を説明しなければならないほどの表現対象に戸惑っているのだろうか?
腐敗した光の海とはなんなのか、森はなぜ溶けだすのか、無論私には分からないし、知りたくもないのだが、「腐敗した光の海」「溶けだした森」が表現されていたら素敵なのにね。あなたには無理だろうが。
以上。 ('15/07/13 13:48:12)
- ペスト :
遼旅さん
どこかで名前を見たことがあると思ったら、以前、オナホールの素晴らしさについて熱弁なさっていた方ですね。こんなところにもいらっしゃったのですか。現実を取り逃がしてしまったあげく、オナホールにまで逃げられてしまい、それで今度は詩に慰めてもらおうと思ったのですか?
人から逃げ出してばかりいないで、もう少し人との直接の関わりをもった方がいいですよ。そんなだから、宗教にはまってしまったり、陰気臭い作品しか作れなくなったり、人がどうやって言葉を使っているのかもわからないままでいるんです。
田中恭平さん
あなたも病気なんですね。ここの住人に病気でない人はいないのでしょうか?みんなうつされてしまったのでしょう。僕にはうつさないでくださいね。わざわざ”病院ですので”と書く必要性がわかりません。精神が弱っているんでお手柔らかにということですか?どおりで弱々しい作品ばかりお作りになられるんですね。
既に亡くなった方の解釈について述べたり、言葉を借りてくるのは好きではないのですが、田中恭平さんが連れてきてしまったのなら仕方がありません。田村隆一さんもこんなところで濡れ衣を着せられて可哀想だと思います。死んだ後くらいそっとしてあげておいてほしいものです。それこそ田村隆一さんは「私の屍体に手を触れるな」と書いています。他人の言葉の借用する判断が安直すぎますよ。
「言葉なんかおぼえるじゃなかった/言葉のない世界/意味が意味にならない世界に生きていたら/どんなによかったか」(帰途)
「言葉のない世界は真昼の球体だ/おれは垂直的人間/……/暗喩も象徴も想像力もまったく無用の道/……/つめたい六月の直喩の道/……/ウイスキーを水でわるように/言葉を意味でわるわけにはいかない」(言葉のない世界)
「詩人の仕事は、暗喩につぐ暗喩の旅のなかに大いなる『直喩』を見出すことです。」
田村隆一さんにとって”垂直的”ということは、偏差値によっては計れない価値、横並びの中から抜きん出ているかどうかではない価値ということを言っています。つまり、相対的ではなく絶対的ということです。皆さんの使う言葉というのはどれも相対的なものです。”青い海”といえば、”海”というものを基準にして、そこから”青い海”を参照させるのです。ところが絶対的な言語があるとすれば、それは一面に広がった地図の中からその座標を指定して参照されるのです。結局、田村隆一さんは言葉をおぼえてしまったがために、それを完成させることはできなかったようですが、それを目指したのが、鳥語と呼んでいたものでしょう。
言葉は全て”喩”に過ぎない、というのは皆さんが使う言葉の話です。そうでないように言葉を使える人がいることを知っておいてくださいね。
LEKさん
本能に訴える、そんな感じの認識で合っていると思いますが、自分ができないからといって他人もできないと思わないようにした方がいいですよ。
言葉というもののステレオタイプに毒され過ぎです。可哀想に。ここまで来ると初めから人生をやり直してくるしかないですね。
それと自動筆記に対する認識は見当違いですね。”〜と思う”じゃなくて、ちゃんと調べてから言葉を使ってください。そんなふうだから言葉が汚れるんです。
アラメルモさん
初歩的ではありません、原初的な言語です。
アラメルモさんには頭が固すぎて無理かもしれません。
ねむのきさん
言っていることが初めから見当違いです。
あさん
あさんも言っていることが見当違いです。
皆さん揃ってあまりにもわかっていらっしゃらないようなので、かえって自信がつきました。
それと同時に、皆さんが少し可哀想な人たちに思えてきたのですが、皆さんも僕のことを可哀想な人だと思っていらっしゃるのでしょう。世の中はたいていそんな風にして成り立っているのです。
機嫌が良いので、この作品と僕の説明はこのまま残しておいてあげます。どれだけ解剖したって到底、僕にはもう追いつけないでしょう。 ('15/07/13 17:16:26 *1)
- アラメルモ :
つまり、あれでしょうか。ペストさんがおっしゃるのは、
、例えば、風に靡く黄金のさざ波ならば、海に喩えた麦や稲の穂ではなく、黄金のさざ波、金色に光り輝く海そのものだと言うことをおっしゃりたい訳よね。
だとしたらさ、塩のない海、なんてどのように訳せばいいのかしらね。淡水である湖とは喩えられない訳でしょう?海そのものの解釈からやり直さないといけない。もっとも基準がないわけだから、解釈論なんて意味を成さない訳かしらね。まさか、もう一歩踏み越えて、薄情と涙が、なんて言わないよね。 ('15/07/13 18:05:48 *6)
- 田中恭平 :
私の精神や作品に対して、憂さ晴らしの標的にするのはいいですが、そのような言説自体、多分に精神疾患的であることは否めない。
あなたに病気はもう伝染しているのか、とは「言えない」。
国内、海外の精神疾患者の数や症例を学んだこともないのに、それを罵倒するものは、自らの精神疾患について無知なことを指す。
あなたはかつて、欧米の精神科医組織が、あらゆる些細な病者の言動ついて逐一、記録し、その原因を精神に対し答えを求め
結果、分厚い「精神疾患基準」なる下らないレポートをでっちあげたのをご存じか?
その精神疾患基準に基づけば、すべての人類、すべての人格が何らかの精神疾患を患っているというメッセージになっており、つまり現在の精神病院では、精神科医ですら
何らかの精神疾患を抱えていることを自覚しつつ、診察室、精神疾患者同士が対話しているのが現実である。
ベケットの「ゴトーを待ちながら」、暗誦できますか?
偏差値(笑)なんてそんな前述したような、塵基準みたいなことを田村隆一が相手にしていると、イメージすること自体爆笑である。
もしそのような言説があったとして、それこそ兪のユーモアに過ぎない。
あなたが、偏差値に過敏に反応する貧しい精神を負っているだけであり、病的固執しているだけだ。
まず第一に、時間というものは、過去から未来へと流れる水平運動だと多くの方は誤解されているが、実際そんなことは判らず、真の時間軸とは、垂直運動ではないか、
つまり、地層のように、新しい層ができ、またその上にあたらしい層ができ、時代というものを形成しており
つまりは水平運動を止めようと必死、時計台に銃をぶっ放したかの青年は、お笑いなのである。
芥川の地獄の円環意識、また稲垣足穂の「詩は歴史性に対し、垂直に立つ」、ここに偏差値固執症なんてものは介在しない。
人類は、巨大な螺旋階段を、ひたすら、上昇してゆく、しかし、一見、一周すれば
先に同じ地点になったことを認識すると、まったく進歩がないように思えるが、しかし、確実に一周分は上昇している。
クリスチャンであれば、その上昇の果て、天国が あると思っているのだろう。
あなたの思想が、ガウディ並に子供染みて、かつおかしいことに気付いた、そして
腹が痛いので、早々に切り上げますが、最後二点。
�,泙此▲屮鵐乾�発起時のダーザイン氏のコラムに、「統合失調症になれ」と
メッセージされている点、御存じですか?
�∋笋聾斥佞鳳�いて例外である、主張した点、あなたの主張の絶対性はなくなる。
なぜならば、例外を設けることは、個人の相対性を保証することに違いないから だ。こんな子供でもわかる罠にかかっているのを理解していますか?
糞みたいなポエムは吊し上げることになっているようなので、再レス。
('15/07/13 19:00:08 *2)
- はかいし :
果たしてそのご高説は人を納得させるようなものなのか。私には自分の作品についたレスポンスへの不満をぶちまけているようにしか見えないが。 ('15/07/13 20:58:34)
- ペスト :
アラメルモさん
理解しようと思えば理解できるじゃないですか。僕がいくら最低の人格の持ち主だからといって、それだけで僕の言うことがおかしいと判断してもらっては困ります。
そこまで進むことができれば、あともう一歩です。この一歩が果てしなく高いところにそびえたっているわけですが。
田中恭平さん
全ての人間は何らかの精神疾患を抱えている。僕も全くその通りだと思います。僕は病院へ行ったり、薬を処方されたりはしていませんが、僕だって何らかの病気でしょう。そのような状況にあって、では、あなたがわざわざ自分のことを病気であると公言する必要性はどこにあるのでしょうか?例えば、「私には顔に鼻がついています。」と、当然のことをあえて言うということは、そこに何らかの意図が働いているわけです。
なんだか僕が田村隆一さんの言葉を引用し始めた、という感じに仕立て上げ、無理矢理に話を自分の優位な状態にしようと頑張っておられるようですが、田村隆一さんの名前を出したのはそちらの方です。田中恭平さんが、田村隆一さんの言葉の背景も知らずに、ただその威厳だけを盗み出そうと、でたらめに引用しなさるものですから、僕は田村隆一さんの言葉の意図を田村隆一さんの言葉によって客観的に説明しただけです。こんなところに呼び出されて田村隆一さんも不憫でなりませんね。このことに関しては、冷静に見れば、誰でも田中恭平さんの対応の方がおかしいということがわかりますよ。あなたのしている批判は、あなたがその解釈を間違っている上に、全て僕ではなく、田村隆一さんへ向けられてしまっています。
偏差値に過敏に反応しているのは、残念ながら田中恭平さんの方ということになります。病人に対して少し大人気ない対応をしてしまったことは僕も反省せねばならないでしょうか?お薬でも飲んで落ち着いてください。
こうやって些細なことに過敏に反応して一人で暴れている様を見て、この人の病気は本物だなということがよくわかりました。
「統合失調症になれ」それこそ、田中恭平さんが僕を揶揄しようと一所懸命になって言っているユーモアというやつではありませんか?本当に統合失調症になってどうするんです?まぁ、なりたいのであれば、勝手になっていただいて構いませんが、僕は看護師ではないので、病人の相手をするのは御免です。
もう一度落ち着いて、自分の中で冷静に話を分析できるようになってから来てください。
それと、これ以上、田村隆一さんの話をしないように。関係のない人を巻き込まないでください。
はかいしさん
不満なんて感じていませんよ。かえって自信がつきました。と書いたと思います。僕は説明を要求されたから説明をしたのであって、自分の作品を弁護しようなんて気はさらさらないですからね。
僕が少し大人気ないので、そういうところが目についてしまうのでしょう。これは僕の病気ですので、僕のせいではありません。 ('15/07/13 21:47:59)
- 遼旅 :
〈言っていることが初めから見当違いです。〉 ('15/07/13 22:23:18)
- LEK :
どこがどう見当違いなのか自分ではよく分からないな、教えてくれると正直嬉しい
ペストさんが文の対応関係を読めていない可能性もあるから補足する
>言葉ってもっと理性的な記号で意思伝達の為に生まれたものだから他者に伝わらないと意味がない。
>そんな常識(理性)からの脱却、通常(理性の支配を受けた言葉の在りよう)を見直すために、生まれた、と「思ってる」。
思ってるって書くのはペストさんみたいに自分の認識が絶対に正しいとかおこがましく自惚れてないからだし、アンドレ・ブルトン自身じゃないから本当にどう思ったかなんか分からないし、「溶ける魚」は読んだけど良さが分からないし、でも理性に影響されない言葉を綴ろうとした試みだったっていう認識の基で現在「思っている」ことを書いているから、それが悪いことだというなら誰が何を言っても「思っている」ことの派生なのだからペストさんにとっては全てのコメントが「勉強不足」になるんじゃないかと「思った」んだけどペストさんが自分でそういうことに気がつかない限りは自分が絶対者で他者はすべからく見当違いで間違ってるって言い張るんだな、と「思った」。 ('15/07/13 22:30:53 *1)
- 田中恭平 :
確かに私は田村隆一の屍に触れて発言したが、それにのって結果
田村隆一について語った時点で、そこに間違いがあるなら、自分もあんたも間違えている、同類だろう。
凄い単純なレトリックじゃないですか?これは。
私は週四日精神科の大規模リハビリ療法を受けていますが、それは私のパーソナリティ、個性の一つですからね。まあ実際あなたはイマジネーション・ダウンというか
現実を知らないし、想像力も知識も論理もないですね。
それと、後半部分についてはなんら返信されませんね。
あとね、解釈が間違っているというなら、なぜ「解釈が間違っている部分」を
指摘しないんですか?
('15/07/13 22:34:23)
- はかいし :
そうとしか見えないと言っている。それに、私が何も言っていないのに「自分の作品を弁護しようという気はさらさらない」とか言って、本当は弁護する気満々なんじゃないの。それに大人気ないのが病気ってどういうこと? 本当に大丈夫? ('15/07/13 22:36:39)
- 黒髪 :
やはり、言葉というものの知的使用をするためには、辞書をひくというような行為が、まず信頼
のおける、行動であり、辞書を引き慣れていない言語使用者というものは、少し我流の
作品作りとなってしまい、バランスを欠いた知能となってしまうのでは。と思ったので、
この作品の肝である、と考えられた、imagination(想像力)の意味を確かにしてみよう。
「cambridge international dictionary of english」によれば、“image”とはpictureのこと、
“any picture, esp. one formed by a mirror or a lens(=specially shaped glass)”です。
それで、“imagine”ならば、“to form or have a mental picture or idea of (something)”です。
海を見たことがない人に伝えるには、imaginationの喚起ということが重要でしょう。
つまり、ideaを与えることですね。まあ大体、子供の頃などは特に、言葉のイメージの
側面を、強く感じるのではないでしょうか。妖怪の姿に夢中になったりとか。
そういう心を持てば、
>墓の下で夜を呼ぶ声
こんな言葉のイメージというのは、とてもおもしろい形に思えます。
>羽のない鯨
こういう絵を想像するのも、何か鯨にはねがないのは当たり前なのに、それが有るとして
想像させて、それがないと言い切る、ちょっとレトリック(あや)と言うんでしょうか、
完成度はよくわからないですが、このセンで行ったら、面白いと思いますし、一つの
この作品だけでも、(おっしゃるように)言語の用い方にある新しい使い方をされていて、
十分意義深いと思われます。言語の使い方に敏感であることは、どこまでも正しいこと
であると感じられました。 ('15/07/13 23:17:19)
- ペスト :
LEKさん
”言葉は理性的な記号で意思伝達のために生まれたものだから他者に伝わらないと意味がない。”
僕もそう思いますよ。この作品に使われている言語も、理性的な記号で意思伝達のために生んだものです。
LEKさんは自動記述の本質が普遍的ではないと判断されましたが、自動記述が標榜しているのは普遍的な表現です。それはブルトンがブルトンの口で語っています。
”アンドレ・ブルトン自身じゃないから本当にどう思ったかなんか分からない”と仰いますが、ブルトンの著作を読めば、彼の意図はちゃんとそこに書いてあります。他の方がどうだかは知りませんが、LEKさんの場合は勉強不足です。
あまり自分が詳しくないものを安易に持ち出してくるのはやめた方がいいと思いますよ。
田中恭平さん
あなたが刃物を振り回しているものだから、僕がそれを制するために刃物を奪い取ったら、僕まで銃刀法違反にひっかかるみたいなことを仰るんですね。あなたの方が言葉のレトリックによって事実を捻じ曲げようとしているんですよ。
後半についてはあなたが明後日の方向へ話を進めているものですから、返答したところで無駄だと思いました。僕の主張が絶対的かどうかという話をしているのではありませんよ?僕がこの作品で使った言語が絶対的であると言ったんです。
解釈が間違っているのはこの部分です。
<偏差値(笑)なんてそんな前述したような、塵基準みたいなことを田村隆一が相手にしていると、イメージすること自体爆笑である。/もしそのような言説があったとして、それこそ兪のユーモアに過ぎない。>
もし、その方の言葉を引用したいのであれば、最低限、ご自分で一度、その方の意見に目を通すのが当然のことだと思いますが。
はかいしさん
田中恭平さんがおっしゃるには僕たちは全員病気のようです。したがって僕も病気らしいですから、そう言ったまでです。そこに異議があるのであれば、僕ではなく田中恭平さんと話し合いをなさってください。
正直な話、この作品が理解されるようなことがあれば、僕は非常に困ったと思います。それでは、これまで当たり前だったことを当たり前にやっていただけということになってしまいますからね。これは現状では誰にも理解できない性質のものだろうという確信のもとに作品を載せたわけですから。 ('15/07/13 23:22:07)
- ペスト :
黒髪さんへ
肯定的な意見をいただけたことについては、僕が追放した人間性が庭で喜んでおりますが、だからといって、そこでの意見の見当が外れていることを見逃すほど僕は甘くはなれないのです。
黒髪さんが仰るには、”こういう作品を楽しむには読者の方がimagination を持とうよ!”ということだと思うのですが、僕がやろうとしていることは、むしろその逆です。
これまでの言語は<作者の言葉→読者のimage→読者のpicture>という図式で成り立っていたわけです。しかし、ここでの言語というのは、<人間のimage→作者の言葉→読者のpicture>という図式によって成り立ちます。したがって僕の言語は読者に想像力の負担を強いることはしませんし、それぞれの読者によってその最終的な像が異なることもありません。
”羽のない鯨”という言葉に対して、どうも僕がアウフへーベンとやらを発見したと判断されている方がいらっしゃったのですが、つまり僕が対立する二つの関係をひとつに押し合わせて、それを喜んでいると思われているようです。けれどもそれは違います。この部分というのは”赤色の鯨”や”石の鯨”などという言葉でも同じことです。たまたまここでは対立していると判断できるかもしれない言葉が登場しただけで、僕の目的は別に対立する概念を張り合わせることではありません。 ('15/07/14 00:22:19)
- LEK :
勉強不足はお互い様だし、オートマティスムっていう技法があなたの詩を語るのに必要だと思ったから書いた。ズレてる。
ついでに言うとアンドレ・ブルトンが言ったことがすべて正しいとは限らない、アンドレ・ブルトンは神じゃない、言ったことが絶対じゃない。ああ、ペストさんにとっては神なのか。でも自分はそんなに信奉してない。「いわゆる現代詩」に普遍性があるのかには疑問がある、っていうのが持論だから勉強不足とか言われても困る、そこからズレてる。
まあ認識不足だ、なら分からなくも無いけど、そこは相容れない部分だと思ってあきらめるしかない ('15/07/14 00:57:25 *1)
- ペスト :
LEKさん
勉強不足がお互い様?僕に何の勉強が足りてないと判断なさったのでしょうか?
僕がこれまで一度でもあなた方のように他の人物の発言を借りてくるようなことをしましたか?ブルトンの名を出したのだってあなたの方からです。あなたが自動記述に対して、その手法の提唱者であるブルトンの意図と解釈がずれたことを言っていたので、僕は”客観的に”その解釈のずれを指摘しただけです。自動記述が普遍的だどうだという議論は別に私の作品とは無関係のものであって、その点についてあなたはブルトンと話し合うべきなのに、ブルトンが目の前にいないので、ただブルトンの本を手渡しただけの僕に文句を垂れているのです。僕が自動記述が普遍的だと言ったのではなく、僕はブルトンは自動記述を普遍的だと言っていると言っただけですよ?それなのに、僕へ自動記述が普遍的ではないと言われたって困ります。こういうことが起きるから他人の言葉を借りて話すべきではないんです。それなのにあなた方ときたら、まさしく虎の威を借る狐という感じで、すぐに他人の名前を出したがりますよね。そんなに一人では不安ですか?
ここまで来るときっと僕を批判したいだけなのでしょう。僕としてはそれにいくら付き合っても構わないと思っていますが、ここの掲示板の規則がそれを許しませんね。
僕を批判したければ作品の中から批判すべき点を見つけてきてください。 ('15/07/14 01:38:54)
- あ :
おはようさん
私はあなたの作品の第1連について言及し、説明文だと指摘したわけだが
あなたは、わたしの言ってることが見当ちがいだと言う。
わたしは第1連を見て次の連を見たいと思わなかった、そういうことを言っただが。
以上、孤独に一礼。 ('15/07/14 03:01:51)
- NORANEKO :
純粋に詩に対する評価としては、概ね悪くない印象を受ける。オールド・クラシックな耽美志向の作品として見るなら素材も詩文の運びも綺麗。コーヒーにたとえるならそう、大坊珈琲店あたりに影響を受けた若手コーヒーマンの淹れる深煎りエチオピア(ナチュラル精製のやつ)をデミタスカップで出された感じ。良くも悪くも。
あえて苦言を呈するとすれば、
>真っ白な樹液は私の腿をつたって流れ、湖の上には丸い月が広がってゆく
とか、
>星の割れ目に新鮮な血液を流し込んだ
とかの、性的な営みを想起させる詩句についてだろうか。
たしかに、詩とエロスとは古今東西切っても切れない関係にあるわけだけれど、要はその用いかたなんですね。なんていうかそう、単刀直入にいえば「悪い意味で卑猥」。高級志向と性的な表現のバランスがうまく取りきれず、低俗なノイズになっちゃってる感がある。ここらへんは俺も手癖でやらかすため他人にばかりは言えんのだけれど、批評はある程度、自分を棚にあげないと出来ないもんだと個人的に思うのでご容赦願いたい。
>吼えるような風が耳の奥で膨らんで、弾力のある青い音色を吐き出してゆく
みたいに、感覚とイメージを瑞々しく想起できる表現が出来る(とくに、「弾力のある青い音色」。「弾力のある」だけでも、「青い音色」だけでも陳腐なんだけど、このふたつを掛け合わせてうまく立体的な共感覚のシーンを作ってる。ベタな素材でいい仕事するのも力量のうちだしね。ただし「吼えるような風」はふつうに失敗してる。)あたり、技術というより感性に見るべきところがあるのかな、と。
さて、こっからは作品というよりあなたの人格面についての批評になるが、まず言いたいのは「そのレベルで、あなたは満足なのか?」ということ。その慢心、その自負があなたの現状の実力に基づくものであれば痛々しい。
ぶっちゃけ伸びしろはある。頭もいい。感性もある。ただしやってることは近代にやり尽くされたことを丁寧にやってるだけだし、詩句も美しいがベタで陳腐な部分が散見する。それに終始しない可能性を感じさせるポイントもあるが、自身がその先に行くつもりがないならそこで頭打ちだろう。
とくに、はかいしさんの批評にある「詩文全体がひとつの意味に収束する構造」というような指摘の意義を理解できず、「詩に意味は必要ないんですよ?」としか返せないあたりに、あなたの弱さが浮き彫りになっている。これは、現代文学に対する歴史的な視座のレベルに差がついてることの証左だろう。はかいしさんはたぶん、海外の現代文学の歴史的な動向を知っているからこそ、この指摘が出来たのだろう。あなたはそれを、近代シュルレアリスムの延長にある視点で批判したにすぎない。
まあ、俺は近代と現代のあいだで石橋叩きながら歩いてる亀さんなんでなんとも言えないが、あれだ。この庭はそれなりに面白いぞ。がんばりたまえ。 ('15/07/14 03:39:22)
- アラメルモ :
※改訂あり。
個人的な詮索、そして洗脳。ありとあらゆる記憶の蓄積から純粋に思考を解放させて読み解くのは非常に困難を伴う。
できるだけクリアーな気持ちで読むには時間も必要だろう。
脳と精神を切り離すように、いままでの自身から少し距離を意識して再読してみた。
意識と無意識が交錯する波間。閉じ込めた灯りから腹壁の痛み。
で、何か答えのようなものに導かれて読めてきた。
象徴的な鯨だということ、これは一読して理解できた。
破動され組み切られた言葉たちの繋がり。矛盾図。その構成に作用する意図を掴み取ることができなかった。
鯨とはまさに大きな物質を指した喩えそのもの象徴だが、
、実は人や家族の繋がりを読みあげた絆の象徴ではないのだろうか。
子供のときに読み聞かされた白鯨の記憶。いまでは数も減り、悲しみの象徴のような鯨たち。
言葉たちが痛みを映し出そうとしている。ああ、そうか、僕はサンプルさんの詩のときにも紐解いてみたじゃないか。
ここに意識して描かれたものは血脈であり骨や筋、それは家族の絆を悲哀に込めた詩なんだと。
もちろん不眠症が妄想に抱く、誤読だら。
どうだ、参ったのか。 ('15/07/14 05:27:46 *14)
- はかいし :
じゃああなたは誰にも理解されることを望まないわけだ。それなら僕も理解する気はないし、それに僕はあなたと話をしているのであって、田中さんと話をしているわけではない。勝手に話の内容をすり替えるなよ。 ('15/07/14 09:42:52)
- 田中恭平 :
>あなたが刃物を振り回しているものだから、僕がそれを制するために刃物を奪い取ったら、僕まで銃刀法違反にひっかかるみたいなことを仰るんですね。
>あなたの方が言葉のレトリックによって事実を捻じ曲げようとしているんですよ。
いや、これは兪の問題ではなく、論理の問題でしょう。
言葉のレトリック、についての文言に対し、拒否されるならば、何故「刃物」という
兪を使うのですか?
では、私は現実を提示することで、論理の問題に再提出しなおそう。
まず第一に、アフリカ人種の少数民族の間ではマジックの存在が信じられている。
或る村のケースでは「穢れた者の遺体に触ってはならない」という決まりがある。
しかし、穢れた者の遺体に触ってしまった村民Aが出たとする。
多くは衛生上やむを得ないことだろう。生理的反応でこの遺体を処理したいと
致し方ない場合もある。
それを発見した村民Bは決まりに則って、Aと遺体を引き離す。
そのときBは遺体に触れている。
さて、Bが村の長にAの行為を報告すると、村の長は村専属の呪術師に仕事を
依頼する。
Aは呪われた者だから、穢れを除いて欲しい。
そして、更にこのアフリカ人種の、どこかの中学二年生と違うところは
Bも呪われた者だから、Bの穢れを除いて欲しいと、しんじつ懇願する。
そして、この現実は、論理的に破綻を起こしてはいない。
*
作品の絶対性を主張する、しかしその絶対性を保証するものがない。
しかし筆者本人のみしか、その絶対性を信仰しているだけの場合、我々はどのような
リアクション、レスポンスをすべきか。
兪ではなく、現実の結果は、罵倒の嵐だった。
それは、
�∋笋聾斥佞鳳�いて例外である、主張した点、
あなたの主張の絶対性はなくなる。
なぜならば、例外を設けることは
個人の相対性を保証することに違いないから だ。
こんな子供でもわかる罠にかかっているのを理解していますか?
に加速、帰結する。
*
さて、現実の話その2
浄土真宗の開祖、親鸞は念仏によって阿弥陀に救済される、を教義として示した。
親鸞は息子を使いに出して、民衆の今で云うクーデターを最小限度のものに
留めようとした。
その親鸞の馬鹿息子は、念仏の他にも親鸞に秘伝を教授された、と嘘をつき
民衆のクーデターを阻止しようとしてしまったのである。
そして、馬鹿息子の嘘の秘伝に、「絶対性」を孕んでいることを盾として
民衆のクーデターは反対に激化したのである。
あと、呆れているので、もうレスは必要ないが、こんな害毒を失明者に朗読したら
殴られるだろう、ということを、リアル、僕と僕の文芸仲間のなかで結論したことを
報告して、終わります。 ('15/07/14 16:54:20 *3)
- 蛾兆ボルカ :
作者が詩論を持とうとするのは、有益なんだろうなと思います。酷評に対して、作成方法がわかってない読者には読めませんよ、というような角度から答えるのも、別に悪くはないと思うな。
ただやはり、「あんまり上手くないなあ」と感じる表現がありました。
二点、指摘します。
>腐敗した光の海を何千羽もの鳥が渡っていく
空を見上げて、縦に10横に10、ドットを打ってみてください。
奥行き10なら、それでもう千ですよ。
そしてそのブロックが二三個あれば数千。
数千羽いりゃあ、群れだろうけど、多量を協調する文の中では、違和感があります。あまりにも少ないのでは。
>吼えるような風が耳の奥で膨らんで、弾力のある青い音色を吐き出してゆく
この風は、吼えるのか吼えないのか。
「風が吼える」、のならいいんだけど、「吼えるような風」がなんか別のことをしたというのだから、「いかにも吼えそうだけど吼えない風」の話でもありえますよね?
隠喩のほうが分かりやすいのに、なぜか直喩で吼えるようなと書いた変な表現で、私の個人的な趣味からすると、たいへん好感が持てます。私は自分の詩作について考えるときは、隠喩を敵視してますから。
そうなのですが、そうすることによって生じる歪みが味わえるように書かれてないですね。
作者が、「吼えている風が(吼えるのをやめて)あることをした」と書こうとして誤記したのなら、そういうふつうの書き方のほうが良いと思います。
でももしまんいち、本当に「吼えるような」風としたかったのなら、そういうとこから深めると、面白くなるんじゃないか、と思いました。 ('15/07/14 20:24:59)
- 遼旅 :
ある日の私を見たので、
私から「オナホール」という語を取り出したということはやっぱり穴兄弟でしたね
残念です
あなたはあなたのオナホールにふで突っ込んでよろしく書いてろよと思いました
おつかれさまでした ('15/07/14 20:38:54 *2)
- GENKOU :
あなたはRさんとおんなじ名義の方かな
レスをさっと閲覧して 似てて いけないね
もしそうならマナーに反するから同じ名義にして
できたら実名で、やっていっていいんじゃないか
レスを読みそんなことも感じたね。
詩作を独自に煮詰め(理詰めだが)
じっくり詩作に励んだらいい
十年越し選手のおっさん 私もそんな年齢だが
知識偏重でヌクヌク歌会披露してるシンガリら
なんかが君を排除することだろうが、めげずに
励め。常連投稿者がカタカタ遊び半分で字打ち
安楽に片手間に文字を打つようなものさえ平気
で見せびらかして楽しんでいただけてありがと
サンクスコンビニ店長がキャリアのないバイト
の見た目の『鮮度』を人事でふるっている人に
負けんな ××× ここにあり だ
対人レスに対しその人の素養を詮索して
逆罵倒はいけない、マナーに反する
自分の作を自分にはわからなかった点を
懐疑し指摘してくれる他者にも少し感謝
していい、と思うな
そして批判された点をちゃんと憶えておくことだ。
その作者があとあと作品のなかで、批判した部分が
必ず意識され投稿するだろう。
批判したからには当然その人は作のなかで意識し
示していくだろう。いやそうしなきゃ 批判の
有意性も価値も、掲示板の積み上げも 2CH
と同類のレベルになるから 心してみんな批判
してるうだろうから。ちゃんと誰が何を私の詩に
批判を呈したか憶えておいたらいい。
そうやって掲示板は良い方に向く
あと私からもう一点、言葉をデッサンせい
と述べたのは 視覚の次元で述べたのではないんだ
説明が足りなかったな
http://bigakukenkyujo.jp/blog-category-44.html
このブログが すべてではないし 絶対ではないがね
あなたのレスのなかに一語 “研究”てのがあったね。
今は自分の詩の研究段階かもな
おっさんからみたら この詩じゃ まだまだ 「御小水」 かもしれないが
とにかくだ 君の身の丈のレスで、詩に対する情熱は感じた。 ('15/07/15 00:11:45)
- ペスト :
あさんへ
説明文と仰っている時点で、おそらく何も理解できていないんだと判断しています。
NORANEKOさん
>性的な営みを想起させる詩句についてだろうか。
皆さんがこれらの言葉から低俗な性的イメージを想起したのであれば、それは皆さんの責任です。そんなことに怯えていたら僕は自分の使う言葉に制約が出来てしまいます。それとそもそも、この作品では何も想起しないでください。
>まず言いたいのは「そのレベルで、あなたは満足なのか?」ということ。
既に上の方で”確かにこの手法自体もまだ研究途中ということもあり、完成度という点では僕自身満足しきれる段階までは達していませんが、それでもある程度の価値は認めています。”とコメントしています。
「詩文全体がひとつの意味に収束する構造」はこの作品でも出来上がっています。それを満たすことは詩にとって必要不可欠な条件です。皆さんはまだこの作品を読む時点でつまずいているので、そこの判断がついていないだけです。
アラメルモさん
一人であらぬ方向へ進んで行ってしまったみたいですね。
はかいしさん
僕は新しいことをやったんです。それなのに皆さんがそれを当たり前のように理解してしまったら、それは何も新しくなかったということになります。だからこの現状にまずは満足しているのです。
僕が誰にも理解されることを望まない?だとしたらどうして僕は皆さんにわざわざ、こんなにも糞丁寧に説明し続けているのですか?
と、ここまで丁寧に書かなければ、あなたとは会話が成り立たないんですね。人とちゃんと話したいのであれば、ここで詩の勉強をしているより、まずは国語の勉強をしてきた方がいいと思います。
田中恭平さん
僕は詩の中で比喩を用いることを否定しているんですよ?別にここでの説明だってこの作品の中で使ったような言語を用いても僕としてはいいのですが、皆さんがこの作品をわかっていないように、そこでする僕の説明までわからなくなってしまいます。
あなたの犯した失態の責任を僕にまで擦り付けないでください。それでは僕は、あなたが田村隆一さんの言葉をその背景も知らずに間違った解釈をして持ち出したことに対し、それを知らんふりして放っておけばよかったということですか?この話はこの忠告で終わりにします。他人の言葉を不用意に持ち出すな。
僕の言葉の使用が皆さんの言葉の使用と違っていることは確かですが、それをもって僕の言語が絶対的であると言っているのではありませんよ?。<”青い海”といえば、”海”というものを基準にして、そこから”青い海”を参照させるのです。ところが絶対的な言語があるとすれば、それは一面に広がった地図の中からその座標を指定して参照されるのです。>と書いてあるのをちゃんと読みましたか?僕のあげ足を取りたいばかりに、大事な点を見落とし過ぎです。
>僕と僕の文芸仲間のなかで結論したことを報告して、終わります。
また他人を連れてきて。仲間を2、3人集めてきたくらいでそれが客観的な意見になるとお思いですか?どうせならあなたの仲間でない人を集めて話し合ってください。数の大きさという何の役に立たないものでしか、自分の正しさを主張できないというのは寂しい人間ですよ。
蛾兆ボルカさん
”何千羽もの鳥”というのは”何千羽もの鳥”を表現しているのではありません。”吼えるような風”も同様。僕はこの作品でどういう比喩の技巧が優れているとかいう話をしたいのではありません。僕はこの作品の中であらゆる比喩を一個も使っていません。
GENKOUさん
ここでも既にそうなっているように、僕は敵の多い人間でして、他所では実名を出していますが、当然その名前も嫌われているのです。皆さんの周りにいる、一番嫌われている人間が僕の正体でしょう。
人は、その人が礼節をわきまえていないだとか、謙遜をしらないだとかいうことで、その人の言うことを頭から嘘だと決めつけるのでよくありませんね。
>十年越し選手のおっさん 私もそんな年齢だが知識偏重でヌクヌク歌会披露してるシンガリらなんかが君を排除することだろうが、めげずに励め。
これで知識偏重ですか?正しい場面で正しく知識を引用できている人をまだ見たことがないのですが。おそらくもう片方の天秤がすっからかんなので、それが乏しい知識であろうと、そちらの方へ傾いてしまうんでしょう。
めげろと言われたってめげるつもりはありません。そもそも僕のやっていることはめげるとかどうというものではありません。僕が知りたいから知ろうと努めているだけで他人は関係ありませんからね。それを他人に理解させるかどうかについては、要検討ですが!
>自分の作を自分にはわからなかった点を懐疑し指摘してくれる他者にも少し感謝していい、と思うな
この作品に対しては、そもそも皆さんがまだ読めていないので、批評というところまで達していません。ただの批判です。批判は頭を使わなくたって誰でもできます。僕は無礼で最低の人格の持ち主に違いありませんが、それでもここでしている説明はどれも終始一貫した真面目なものです。
>そうやって掲示板は良い方に向く
僕にはこの掲示板の運命なんか知ったこっちゃありません。この掲示板を良い方へ向けたいのであれば、僕ではなく他の人に訴えたほうが効果が大きいと思います。
>あと私からもう一点、言葉をデッサンせいと述べたのは 視覚の次元で述べたのではないんだ
ブログを読みましたが、これは小説家なら訓練すべきものだと思いますが、詩人は絶対にしてはならない訓練です。とはいえ、ここから始めなくてはならない人もいるのかもしれませんが、僕はやりません。 ('15/07/15 03:15:00)
- アラメルモ :
深読みし過ぎたようだが、情脈的には間違っていないと思われながらも、これはアレだな。
もっと図形的な状態を表そうと試みられてるのかな。
冒頭から語尾を拾えば、〜ゆく。〜ている。〜ながら。〜した。と続き、終わりの連へと結ばれてゆく。
受動的な動きから能動的な動きへと、ものに対して意識は重なり合うように変換されて、これらを無意識の作用と対比させている訳だ。それは叶わなかった願望への指標。
つまり、アレだ。
〜結んでひらいて、手をひらいて結んで〜
虚構の中を、磁場や重力に絡み合う輪のようにもつれながら、言葉は意識の中を行ったり来たりとさまようわけだ。
まだ見ぬ空間へと導かれるように、未知の円環を描きながら。
改訂文
「幻を生み出すように。基準を求め思考する人間もまた、産まれながらにして比喩という幻想を作り出している。
もしも知覚できる言葉の記号を相対的に組み換えることができるならば、
、実際、鯨が空を泳いだっていいし、虹が大地を突き抜けて宇宙に飛び出してもいいのだ。幼い子供たちが描くように。
人間には眼に見える限界がある。創出されたイメージを全て読み取ることは誰にもできない。
知覚感覚的的な苦痛は認識で補うしかない。」
精神の痛みとは何だろう。それは自己による認識の差異でしか計れない。
羽のない鯨とは、まさに対立の痛みを忘れた墜落の天使。
おお、まるで降臨したミカエルじゃないか。
違うね。
羽のない鯨とは
ひとつの象徴を基準にして、そのことに繋がる意味を分断することによって浮かび上がる喩。
飛ぼうにも飛ぶことのできない、生命という重しに繋がれた筆者自身のことなのだった。丸井。
しかし、二度めでピン、と閃かないものを書いても誰も振り向かないぞ。
だから、実験的作品なのね…………納得。 ('15/07/15 04:58:37 *12)
- 田中恭平 :
先天に失明している方に、或る物、事象、景色を、言葉で説明し、失明している方に、それを理解して頂く、驕っていえば、想起&想像して頂き、感動して頂くなんて果たしてそんなことは可能なのだろうか。
私は無理だと考える。そもそも、言葉というもの自体、無力である。東北の震災後、短歌の雑誌で、言葉の想起するイマジネーションを、現実が越えてしまった場合に「言葉は無力だ」という、論に達する文をよく読んだ。しかし、そもそも言葉とは無力なものである。
詩作品を発表する、例え、その詩が写生であったとしても、その詩は、言葉という、喩で構成されている限り、現実の物や事象ではない。そして、その詩を解しようとするとき、脳内で思考された言葉もまた喩である。
つまり文芸評論の場に於いては、それが「例え話でない主張」であったとしても、言葉という喩で、それが構成されている点、前提化されている。人間は、言葉、言語という喩を活用しなければ、コミュニケーションをとるより他なく、だからそれを拒否する場合、「現実」に取敢えずの論拠を置く。
あらゆる言葉は、喩であるから、喩を交えない、言葉を用意ない、合評がしたいのであれば、可能ならば、殴り合いをすればいいだろう。過分に70年代的ですが。しかし喩を用いないで、コミュ二ケーションを保証することは、つまりは、その場の人間すべてが、失語症にならざるを得ない。
だから、私は「現実」に論拠を置くのである。先天性失明者に海を想起、想像させる、という一方的表現は、逆に失明者のイマジネーション・ダウンになる可能性があることを示唆する。そんなことは暴力、害悪なので、してはならないというのが、私の意見である。
この私の意見は、過分に優しさを含んでいると思うがそうではなく、例えば失明した方に、海をイマジネーションして頂きたい、そのような明確な意志が確固としてあるならば、失明者と共に実際に海へと出向いて、遊べば済むのではないかしらん?「俺も愉しい」ということである。
これは、先に書いた短歌雑誌の文、「現実が言葉のイマジネーションを越えたとき、言葉は無力だ」というメッセージを、「つまり言葉が無力であることの前提に立ち、現実を共有せよ」と言い換えているのである。 ('15/07/15 11:19:23 *3)
- 蛾兆ボルカ :
ペストさん
そうですか。鳥じゃないんだ。それならしょうがないのかも知れないですね。鳥じゃなくても三次元なら同じですが。10×10×10の格子点程度はたいした数じゃありません。
二次元なら数千でも多量だと思いますよ。
例えば、蛾が卵をあなたの手にびっしり産み付けていくとします。
蛾の種類にもよるけど、手のひら一杯隙間なく産んでだいたい500個ぐらいだろうな。「何千もの」卵なら腕一本びっしり(^O^)
田中恭平さん
>先天に失明している方に、或る物、事象、景色を、言葉で説明し、失明している方に、それを理解して頂く、驕っていえば、想起&想像して頂き、感動して頂くなんて果たしてそんなことは可能なのだろうか。
僕にはお二人のやり取りは高度すぎて理解できないのですが、レイモンド・カーヴァーの「大聖堂」という短い小説が、そのマジックをやってみせてますよ。
超絶技巧ですけど、原理的にできないわけじゃないです。
あと、都内では20年ほど前に、アーティストたちが全盲のひとの手を引いて絵の美術展を見せる企画がありました。
参加した詩人と美術家が偶然一人づつ知人にいて、話を聞きましたが、どうも言葉のやり取りだけで美術鑑賞させることができるらしいのですよ。
不思議なので覚えているのですが。 ('15/07/16 09:45:20)
- イヤレス芳一 :
レス数が増えれば増えるほど、
作品の中身よりも、
作者の中身に興味がいってしまうという、
典型的なパターンのやり取りですね。
文学極道というのは、
作品そのものの良し悪しよりも、
こういう炎上気味なやり取りのほうが断然盛り上がるということを、
あらためて再確認しました。
エンジョイ炎上ですね。
場が静かになると、
誰かが悪役を買って出て、
それにつられた人々が群がり、
一時の賑わいを見せ、
また自然に終息していく、
その繰り返しですね。
諸行無常ですね。
この作品については、
難し過ぎて僕にはなんのことやら、
さっぱりわかりませんでした。
羽のある鯨だったらポエムですけど、
そうじゃないところに、
この詩の秘密があるんですね。 ('15/07/17 21:38:15)
- 蛾兆ボルカ :
芳一さん
そこは難しいとはいわないっす(^^ゞ
一休さんだってやってんじゃん。
闇の夜に啼かぬ烏の声聴けば 産まれぬ先の母ぞ恋しき
(一休禅師) ('15/07/17 21:44:50)
- イヤレス芳一 :
>ボルカさん
慌てない、慌てない、
夏休み、夏休み。
すみません、
さっぱりわかりません。
無い物ねだりみたいな感じ? ('15/07/17 21:58:27 *1)
- 蛾兆ボルカ :
芳一さん
そう(^○^)
要するに、あんまりにも真顔でイミフなことを言われちゃうと、聞かされたひとは、『ヤベッ!何か理解しないといけないのかな!』、的に思い込むってことですよ。
そういう力をテキストに持たせる技巧が存在するってことは、分かりきった話です。
それ以上に何かがあるのかどうかが難しいとこだけど、そりゃあ慌てない慌てない、一休み一休み、ってことなんでしょうな。 ('15/07/17 23:32:13)