雨
橋
橋
橋
雨
雨
雨
雨
雨
橋
橋
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20131111_978_7133p
- れたすたれす :
こうゆうのって意味を考えるとだめなのよね^^;。
狂犬だと思えばええねん。 ('13/11/12 08:48:08)
- 鳥 :
れたすたれすさん
すみません。
修正をはかりましが、表示がうまくいきませんでしたので・・・
いえ、キョウヲイキル、メイケン?たれす?ちゃん?ですよ^^;
ありがとうございました。 ('13/11/12 13:22:14 *1)
- 田中宏輔 :
2文字に限定したところが肝でしょうね。情景が浮かびやすいです。ただし、雨と橋は垂直に交わっていると連想するのがふつうなのでしょうから、橋は横に並べたほうが、よりリアルなフォルムに見えるとは思うのですが、まあ、それは、ぼくだけの見方かもしれませんが。 ('13/11/12 14:17:16)
- 鳥 :
田中宏輔さん
冒頭の雨一文字を一旦削除した上で、しばらく考えてみます。
情景が浮かびやすいとのこと。よかったです。
そうですね。本来であれば右から左へ表示したいですが。
見たままになりますかね。
ありがとうございました。 ('13/11/12 17:02:12)
- 田中宏輔 :
さいしょの雨は必要だったような気がします。なぜなら、ヴィジョンとして、橋に焦点をあてるまえに、雨を目にするだろうからです。まあ、ぼくの見解は、おそらくより凡俗なものの見方からきていると思いますが。 ('13/11/12 18:13:29)
- れたすたれす :
これは現フォのほうがええみたいやね。縦書きのが^−^。 ('13/11/12 21:20:01)
- 黒髪 :
鳥さん
こんばんは。これは、犬の視点に映った情景を上手く言い表そうとしたのである、と考えましたが、それなら、そういう断りを率直に書くべきだろうな、と僕は思います。橋が繰り返されるところは、散歩で戻ってきた情景であると僕は想像しました。この詩だけでも面白いとは思いますが、もっと発展させて、豊穣な表現に至るまで突き詰めることができれば、さらにおもしろいと思います。たとえば、普通っぽい詩の中に、突然この詩が現れたら、すごく面白いような気がします。視点の切り替え、印象操作ですね、心に響く表現を考えるのは、詩を書く上で大事だと思います。 ('13/11/12 22:17:58 *2)
- 田中宏輔 :
黒髪さん、それは、ジョイスのユリシーズで試みられている手法ですね。 ('13/11/12 22:29:25)
- 黒髪 :
田中宏輔さん、12章で犬が出てくるってやつのことでしょうか。難しそうで柳瀬訳の本を表紙だけ見たんですが、すごそうですね。また読んでみたいです。とてもとても興味がわいてきました。鳥さんに感謝です。 ('13/11/12 22:35:00)
- 田中宏輔 :
そのとおりです。 ('13/11/12 22:42:46)
- 森田拓也 :
鳥さん
こんばんは。
おじゃまします。
フォルマリスムとか、前衛の近代・現代詩のスタイルですよね。
一つの解釈の可能性として、犬を表面化させた、書き換えをしてみても、
いいですか?
*
「犬」
橋
橋
橋(を渡る子犬
雨
雨
雨
雨
雨(にそっと濡れて
橋
橋(の向うで待つお母さんのもとへ ('13/11/12 23:14:12 *1)
- 鳥 :
田中宏輔さん
雨
橋橋橋
雨雨雨雨雨
橋橋
という感じでしょうか?
いいかもしれませんね。
嗅覚を適用すればよりタイトでは?とも思い消しましたが、
導入部としてわかりづらい、後の雨5つが唐突で不明瞭か?など。
別に思うところもあり戻しましたが。考えます。
ありがとうございました。
れたすたれすさん
ですかね(笑
まあ、こちらはこちらで、はい。
ありがとうございました。
黒髪さん
>普通っぽい詩の中に、…面白いような…。
なるほど!です。
実はこの作品は、元は定型詩の形をとっていたものでしたが、
犬の一文字から試みた次第です。
お散歩から無事にお家へ生還を果たす…飼いたいです(笑
いろいろと示唆くださりありがとうございます。
ジョイス作品。興味深いですね。
こちらこそ感謝です。
森田拓也さん
こんにちは。
・・になるでしょうかね。視覚詩とでもなるんでしょうか。
試みてみればこれはこれで楽しく深いです。
元は「快楽犬」という定型作品でした。
いろいろな詠みがなされるようです。
ありがとうございました。 ('13/11/13 12:50:05 *2)
- 田中宏輔 :
雨
橋橋橋
雨
雨
雨
雨
雨
橋橋
かな。 ('13/11/14 14:27:26)
- 宇野康平 :
初めて文学極道というサイトに来て、初めて読んだ詩がこれとは、、、
何も響かないのは私のせいですか。 ('13/11/14 16:43:17)
- 鳥 :
田中宏輔さん
田中さんの意見を参考に、同じようなものなど、いくつかを試みてみましたが、文字数や空白などとの関係からしっくりこないようです。
ですので今はまだこのままにしておこうかと。
ありがとうございます。
宇野康平さん
すみません…はい。 ('13/11/14 17:02:36)
- 宇野康平 :
鳥さん。
しかし、試みとして面白いと思います。はい。 ('13/11/14 17:08:45)
- 鳥 :
田中宏輔さん
再度
書き換えを行って下さったものについてお聞きします。
二連に並ぶ“橋”の二文字と、三連の“雨”の五文字との間に、いくつか空白が置かれましたが、何か理由があれば教えて頂きたいのですが。
宇野康平さん
こんなものに… すみません。
よかったです。
ありがとうございます。 ('13/11/14 18:36:20 *1)
- らんたなむ :
明らかこの場では評価されにくい類いの作品。それがいいことかどうかはともかく、個人的には響くものが殆どなかった。 ('13/11/15 23:18:55)
- 鳥 :
らんたなむさん
こちらでの評価云々についてはよくはわかりません。
自身もこういったものは初めてでして、犬の一文字、ストイックなイメージなどから急遽直感的に行ってみたという。
安易だったかもしれません。
ありがとうございました。 ('13/11/16 01:27:56)
- すずらん :
はじめて見て、景色をとらえるアングルが変化していくのに気づいて、面白いなと思いました。これって誰のアングルなんだろう?なんだか小さな存在みたいな。。。そっか、犬だ。と思いました。内容はラストをさらに、たとえば
靴
雨
雨
傘
までアングル変化するともっと表現できたかも。たて1列だから表わせたアングル変化だと思いました。 ('13/11/16 08:40:52)
- 鳥 :
すずらんさん
このままでよいかなと思いますが、田中宏輔さんの案などを参考に、視覚的な要素を取り込むのもありかとも。
傘や靴もありかもですが、現時点ではこれ以上取り込む理由がないようです。
少し話しますと、犬(いぬ、空白にこだわる感じです。
変化を楽しめたとのこと、良かったです。
ありがとうございました。 ('13/11/16 13:43:39)
- イロキセイゴ :
ダダイスト新吉の「皿皿皿皿皿皿皿〜〜〜倦怠」とか言う詩。多分東京都内の(当時は東京市制度ですが)どこかの飲食店(料亭?)の厨房で皿洗いのアルバイト?をやっていたのでしょう。丁度ダダイスト宣言をした頃の詩と言われて居る。「皿」と「倦怠」の2語だけの詩。などがこの詩が念頭にあって検索して居て覚えておこうと思った次第です。何となく繰り返しの部分に触発されて。ああ、田中氏は山村暮鳥の「いちめんのなのはな〜」をあげていますね。あれも印象的な詩。繰り返しの妙。 ('13/11/17 19:53:51)
- 鳥 :
イロキセイゴさん
そうですね。
ダダや新吉、あるいは新国誠一?でしたか。
などを意識してという感じでもなく。
リフレインというものになりますか、
がやはりインパクトありのようです。
ありがとうございました。
('13/11/17 22:54:27)
- 田中宏輔 :
ああ、イロキセイゴさん、皿皿皿ですね。そこから、心草さんのるるるるるるまで飛んじゃいました。 ('13/11/17 23:19:15)
- すずらん :
鳥さん、靴と傘はじつは提案ではなくて質問みたいなものだったのですが…。なんとなく作者にも気づかれていないコンセプトなのかなぁと感じたので。技法の新しいものは見るけれどコンセプトの新しいものはこちらのサイトには出ないみたいだなと思っていたので、珍しいなと。いずれにせよ面白かったです。ありがとうございました。 ('13/11/18 21:46:10)
- ケムリ :
試みとして面白いってさ、こーいうのもうウンザリするほどやられてるっしょ、過去に。そういった系譜の中に並べて比較したとしても、ゴミと断ぜられてしょうがないんじゃないですかね、この作品って。
鳥さんに限らずの話ですが、コンセプチャルな作品って大体先行する何かがあるんですよ。そして、よっぽど凄まじく何かをブチ当てるようなコンセプト以外は、おおよそ先行作品と比較されて評価されます。そういうことに対して、もう少し敏感になった方がいいんじゃないですかね。わかりやすく言うと、くっだらねえ思いつきを作品にする前にちょっと自分振り返ったらどうだよオマエ、って話です。
それでも表現したい何かがあるならそりゃ書くべきですよ。でも、この作品はホントに何も僕に与えない。今さらこんなん書いて、というかコレ書いて投稿できる神経が理解できねえ。もう少し努力しろよ、面白い作品書こうとしろよ、どんだけ読者にすべてゆだねて書いてんだよ、と思います。読者に対して恐怖感を感じない人には、読者が自分の望む読み方をしてくれて当たり前だと思う人には、評価を得ようという気概がない人には投稿して欲しくないですね。
鳥さんの作品は、ほんっとに全体を通してクソつまんねーです。お互いにとって時間の無駄です。とりあえず、書く前に読んだ方がいいんじゃないですかね。一般論ですけど。 ('13/11/20 03:36:32)
- 鳥 :
すずらんさん
ケムリさん
わかりました。
ありがとうございました。 ('13/11/20 05:06:17)
- すずらん :
鳥さん、ごめんなさい、立ち読み程度なので寸感のみ書かせていただいたのですが…言葉足らずでした。偶然の産物かなと感じたんです、この詩に埋もれている新しいコンセプトを。で、色々に造詣の深い方々と作者との応答からソレが掘り起こされたら面白いなと思ってコメントを読ませていただいていました。偶然の産物は誰にでももたらされるものではなくて、詩の女神が鳥さんのピュアでやわらかな詩心に微笑んだから、そんな風に感じていたんです。科学でもそれまでの概念を覆す発見の発端は偶然の産物ということって結構あるんですよね。この詩に埋もれている新しいコンセプトは(ケムリさんおっしゃるように)確かに時代を揺るがすほど革新的なものだとは私も思わないけれど、作者に詩の女神の微笑を無駄にしないでほしいと願います。過去から現在に続く潮流の中でどこに位置しどんな意味を持つのかをしっかり把握せよ、とケムリさんは言われているのだと思います。それ抜きには糸の切れた凧になりかねないと私も思います。ただ、よく陥りがちなのは、新しいコンセプトの意味に気づかず従来のステレオタイプに嵌め込んでしまい押し流してしまうこと。時に非ずということなのだろうと思います、もし今回掘りおこせなかったとしても。立ち読み読者の気ままな感想ですので、笑ってお読みいただければと思います。たびたび失礼しました。 ('13/11/20 09:13:36)
- 森つかさ :
現代詩というのは、普通に読むだけでは意味が分からないことを、一部の人の間でのみ理解し合うものですか?
だとしたら、この詩は暗号に近いですね。
僕にはよく分かりませんでした。 ('13/11/20 13:21:49)
- 田島新一郎 :
アンドレイ・タルコフスキー監督の映画が好きであると同時に
純粋に形としての文字の流れを目で追うのが好きな私は楽しめました。
ですが、これにもう一捻りアイデアを加えてみても面白いのではないでしょうか。
これはこれでシンプルでいいですが、J・M・G・ル・クレジオとまでは言わずとも、タイポグラフィで遊ぶのなら「文字遊び」の前後に一定量の文章を書き、
そのコンテクストと「文字遊び」の関係性の中で楽しさなり、美しさなりを表出させれば、より文学的に、或いは詩的に豊かな作品ができるのではないかと思います。 ('13/11/21 03:32:35)
- 鳥 :
すずらんさん
森 つかささん
田島新一郎さん
難しいものではありません。
雨を察知した犬→雨の降り始めた方向へ→橋を駆ける→橋の途中にて雨に打たれる→犬が死ぬ→雨が橋を駆ける
身体が細分化されサイボーグと化した場合、情動や言葉はどのような変質を果たすのか。果たさないのか。
また、助詞や助動詞などはじめ、文字情報をできうる限り無効にし、空白が生きるようにできるかや、どのような印象や情報を与えうるのか、与ええないのか。
そうしたことにも関心があったようです。
ご提案、批評や感想を下さりありがとうございました。 ('13/11/21 08:41:03)
- ぼけなの? つっこんでほしいの? つっこむよ? :
〉難しいものではありません。
〉雨を察知した犬→雨の降り始めた方向へ→橋を駆ける→橋の途中にて雨に打たれる→犬が死ぬ →雨が橋を駆ける
難しすぎだろ ('13/11/21 09:48:30)
- ケムリ :
鳥さんは、きっと自分と他者の分化が出来てないんだと思うんだよ。
これを書いたら相手はどういう風に読んでくれるだろう?どういう風に伝わるだろう?と予測するっていう、人間がガキの頃から積み上げるべき能力の蓄積をやってない。
詩が上達しない人に良くあるパターンだけど、読者がどれくらい自分の書いた文章を自分の意図通りに読んでくれるかを見誤ってると、どれだけ書いても基本的にはムダになる。まぁ、偶然の一発はあるかもしれないけど、再現性のある技術は身につかない。
この作品からその意図を読むのはもうツッコミ入ってるけど、僕でも無理。
「読者が怖くない人には投稿してほしくない」って書いたけど、鳥さんの場合は多分それ以前で「読者」ってものについて実質的に考えたこともないんだろうと思う。もちろん、その辺の計算をかなぐり捨てて「何回ミスってもいつか当たればOK!」って書き方も詩の方法論としてはナシじゃないんだろうけど、文学極道は合評による技術の進歩、つまり「上達」ってものに重きを置いてるので、そういうのは許容されない。読みの自由の中に可能性としての作品をただたんに投擲するっていうのもここ以外ならホントにアリだとは思うんだけどね。それだと、合評が意味をなくしちゃうから。読者からのフィードバックを生かせないなら、わざわざ苦しい思いしてここに投稿する意味がない。
まぁ、なんていうか基本的に読者ってのは不親切でこっちの意図なんかまったく汲んでくれない理不尽な存在と思っておけば大体間違いないです。 ('13/11/21 16:02:29 *1)
- 海月 :
初めて書き込みさせていただきます。
この詩に対して、ダダイズム及びタルコフスキーが俎上に
載せられているのを拝見し、
それならば、ここに於いての批評については、この詩がアナーキーでなく
叙情を追うものである限りは、シュール・リアリズム的な手法を論ずるのが
最適ではないでしょうか。
ダダはシュールの母体であり、タルコフスキーがあの魅力的な水を扱うシーンでは
まさにシュルリアリストといっても良い側面を強く見せるからです。
さて、それではこの詩のどこに「解剖台の上での蝙蝠傘とミシンの幸福な出会い」
があるのでしょうか? そこがポイントです。
まず、「詩」のフォーマットと「雨」。これでは蝙蝠傘と雨粒の出会いと同じく
全く何の「詩的な発光」は生み出しません。まるで演歌の作詞のように
ルーティーンです。
「詩」のフォーマットと「皿」、これはやはりフラッシュしています。「皿皿皿皿・・・」まるで詩的なフラッシュの連射を見るようです。
そして「雨」と「橋」これもミシンが木綿布に出会ったように、
なんら発光しません。
例えばそれならば、「橋 橋橋滴滴滴滴滴 橋橋」の方が
まだ超現実的ではないでしょうか。表層を扱っただけの例で申し訳ないですが。
もちろんこんな陳腐な例よりは、タルコフスキーの「ストーカー」で見られる
(水たまりをカメラが舐めながら、水中の)毀れたイコン−古銭−破れた詩集の切れ端−
錆びついたマシンガン−漂う油脂−レンズの下の小魚・・・・と続く「詩的な発光」の方が
何万倍も役に立ちますが。 ('13/11/21 17:56:16)
- ケムリ :
ちなみに、海月さんの言ってる技術は
文学極道では伝統的に「イメージの連鎖」と呼ばれてる。
「詩的発光」ってのもいい術語だね。ちょっと抽象的すぎる感はあるけど。
この技術は、ウィトゲンシュタインの言う「家族的類似」って観念で説明できると思う。ある種の共通項(もちろん、共通項そのものを読者に感じさせてるうちは技術としてレベルが低い)のあるイメージや単語を並べて、どんどん飛躍していく手法。
ここでコンセプチュアルな作品をやる人に言いたいんだけどさぁ。
我々も、一応10年以上詩の界隈で何千何万っていう作品読んできてるわけよ。僕に関しては、「俺以上に実創作ベースで理論を実地検証してる奴ァいねえ」くらいの自負もある。そこに出す前に、「自分の作品が提示するに値するものか?」ってことくらいは疑問に感じてくれよ。もちろん、失敗や届かないのは構わない。
しかし、他人の思いつきをポンと出されてそれを読まされるのは些か苦痛だ。僕が差し出した労力と書き手が差し出した労力がまるで釣り合っていない。奴隷みたいな気分になる。
自分に疑問を持ちながら、必死こいて考えて出してきた作品はその出来如何に関わらず俺は必死に読むよ。もちろん、時間さえあれば技術論的な議論にも応じたいと思ってる。もともと、僕はそれをできるようになるために大学まで行ったわけだし。まぁ、院は挫折したけどさ、カネなくて。そのうち行く。
ただ、必死こいてくんねーかな。お互い。限りある人生のリソースを消費してこれやってるわけだしさ。必死でやんねーとお互い得るものないよ? ('13/11/21 18:50:02 *1)
- New order :
鳥鳥鳥
鳥雨鳥
鳥鳥鳥
のほうがよい ('13/11/21 20:22:31)
- 海月 :
ひとつ付け加えさせてください。
また、私は美術系なもので、用語がど
うしても文学的でなく、また情緒的す
ぎるきらいがありますがご容赦くださ
い。
ディプレイスメントという技術が、
シュール・リアリズムにはあります。
これは作者の発想: イメージの限界を超
える為に、全く予期しなかったリアリ
ズムの出会いを誘導するもので、オー
トマティズムとも称することも出来る
のですが、作者の意図を極力排除した
上で、その作者の選択によって作者の
能力さえ「超えた現実主義」=超現実主
義となる訳ですが、これが昨今全く活
用されていません。
ビジュアルな例を引くと、「炎」に
オートマティックに現実の事物を組み
合わせていく=「時計」「キリン」「椅
子」という具合で、実はこれらはダリ
の作品となっている訳ですが、詩に於
いても「玻璃の衣装を着た探偵」や
「銀河鉄道」などはこの技術の応用が
感じられます。
先にいただいた、New Orderさんのア
イデアは「四角形」と「囲む鳥」「囲
まれた雨」が上記に適合する部分があ
り、鳥さんから提起されたコンセプト
が、シュールを通じてお互いの参考に
はなっているとは存じますが、私の例
を含め、思い付きの段階以外の何者で
もないので、ケムリさんが仰るよう
に、これを煮詰めて作品を磨こうでは
ありませんか。
少なくともここには「私の心がどうし
た」とか「愛がこうした」などの、誰
も見たくはない「個人のアルバム」な
どよりは可能性があります。 ('13/11/21 21:30:40)
- すずらん :
>きっと自分と他者の分化が出来てないんだと思うんだよ。
この1文を読んで、手触りとしてケムリさんはこの詩に埋もれているコンセプトをも感じ取っておられるんだなと思いました。私がこの詩に面白さを感じたのは『多様な言語世界の名称』が消えていることだったんです。それも仏教でいう涅槃へと向かう『多様な言語世界の名称』(【無明】の働き)の止滅とは逆方向において。鳥さんの
>身体が細分化されサイボーグと化した場合、情動や言葉はどのような変質を果たすのか。果たさないのか。
を読んで、合点がゆきました。この詩は、分別は出来るけれど(ケムリさんの言葉を拝借すれば)「分化」ができないモノ(鳥さんのイメージでは「サイボーグ」)の世界観を表わしているのだと思います。それゆえに「雨」「橋」が一直線上に連続して並ぶ。それゆえに詩人は【視覚的に】【シナリオ的に】【イメージ連続体的に】この詩の世界をそれぞれの詩観から分化しようとする。ソレはさながらサイボーグに感情の世界の様相を教えているようにも私には見えました。現代は、ロボットが私たちの生活のなかで身近なモノとなり、生命とそうでないものとの差異は何なのか、そして言葉にかかわる心の深層の働きとは何なのか考えさせられます。詩に詳しくない私は生命科学の領域からこの詩を読んでいたようです。
作品としては確かにまだまだと言われても致し方ないとも思います。たとえ思いつきによる偶然の産物だったとしてもコンセプトの意味がしっかりつかめれば積みあがってゆくように思います。立ち読みの癖にとお叱りを受けそうです。失礼します。 ('13/11/21 21:54:54)
- 田中宏輔 :
この作品のよさの秘密は、2文字という限定された文字数にあると思う。 ('13/11/21 23:13:41)
- にねこ :
田中さんに、同感。
わたしは、イソップ童話を思い出しました。
見飽きた手法で、評価はわたしには出来ませんが、勇気と姿勢が好もしいです。 ('13/11/22 03:55:30 *2)
- 田中宏輔 :
俳句や短歌を見飽きた手法と呼ぶひとがいるかもしれない。しかし、ぼくはそういうタイプの書き手ではありません。この2文字に限定された厳しさに、作品が引き締められているのを感じます。たしかにこの手法は、いままでにありましたが、ぼくには才能が感じられます。まあ、才能を感じる感じないは、読み手側の問題でもあると思います。イマージュが喚起されるかどうか、それは、読み手の知識と経験に大いに依存するものですからね。ぼくはたいへん刺激されました。この数週間に、この詩投稿掲示板で目にした作品のなかでは、いちばん鮮明にイメージが喚起されました。 ('13/11/22 06:32:42 *2)
- 鳥 :
ケムリさん
批評合評により上達を目指す、そうした場であることを承知しているつもりでしたが、“読みの自由の中に可能性としての作品”を歓迎する場であるととらえてしまっていたようです。
自由と責任を履き違えていました。
お恥ずかしいですが、盗んだテクニックで行く先もわからないままに、自由六才の白痴図から走り出していきつつ履き直していかねばと。
いろいろ御心配してくださり恐縮です。ありがとうございました。 ('13/11/22 08:10:16)
- れたすたれす :
「好語(こうご)、説きつくすべからず」(大慧武庫)
狂犬に首輪つけよう思うても、こいつの首はすり抜けよるだけだっせ〈嗤。
国会でやっとる秘密法案もこれぐらい空転したらおもろいのに^−^。 ('13/11/22 08:16:40)
- ryo :
この詩のタイトル、最初は「雨」と思っていました。
だから最初の「雨」を消してみるとなったとき、
やってみたら単に漢字の羅列にしかならないのにと危惧しましたが、
今も一行目は「雨」で安心しました。
ところでこの詩の風景は誰もがどこかで見たことがありますよね。
北斎でしたか、広重でしたか、
長い線のような雨が降りだした橋。
その上を慌てて走る人。
その人をタイトルの「犬」に変えて読むと面白い。
吉本隆明に「佃の渡しで」があり、
辻征夫に「吾妻橋」「橋」があり、
この雨の橋を渡ったのが、吉本でも、辻でも市川団十郎でもなく
一匹の犬だった。
犬を出すことで雨と橋の世界に動きとドラマが込められた。
そう読みました。 ('13/11/22 08:32:43)
- 鳥 :
海月さん
シュールリアリズム的手法では他に「アンダルシアの犬」などもありますね。
演歌であり、詩的発光がない。はい、確かにそうかもしれません。皿皿皿…は視覚音響ともに喚起させるものがあり、面白い作品だなとあらためて気づかされました。
タルコフスキー作品に見られる水を扱うシーンは映像美の極みで、宗教的な崇高さを感じさせる力がありますね。
当初はたとえば、振り乱した舌とその先にたまる唾、打ちのめされた犬の性器から血と精液が橋を…など。途中途中に雨(水を喚起させる、そんなシーンを並べ立ててはいました。もう少しシンボリック?と言うんでしょうか、なものにできないかなどと感じたようです。
黒澤明「七人の侍」などに見られる雨の中の戦闘シーン、こちらがより近いかなという感じになりますか。
いずれにせよ、雨を持ち出せばドラマチックレイン、ベタベタになってしまいました。
ありがとうございました。 ('13/11/22 08:54:10)
- 鳥 :
ケムリさん
一月に2作品まで投稿可能ということで、遊びの度が過ぎた、そんな感じになるでしょうか。申し訳ありません。 ('13/11/22 09:04:49)
- 鳥 :
New orderさん
鳥-囲む…駄洒落詩になるんでしょうか。
田中宏輔さんからの案を参考にして練っているうち、LOGO(ナノブロックのようだと思っていましたから、とても面白いと。囲む/囲まれる。囲碁のセオリーに照らした場合、鳥先雨死ですね。
そして鳥の回りには炎がめらめら、そろそろ焼きがまわったようで香ばしさが漂っています。そんな気持ちにさせるようです。
ありがとうございました。 ('13/11/22 09:25:01)
- 海月 :
一旦鳥さんが締めたのに蛇足になるかも知れませんが、
>当初はたとえば、振り乱した舌とその先にたまる唾、打ちのめされた犬の性器から血と精液が橋を…など。途中途中に雨
これ絶対面白いですよ、物凄く映像的で,正に伝説の墨汁を混ぜた雨のクロサワの映画、またはそれこそまさにブニュエル的な「アンダルシアの犬」見たいです。確かにこれを人に見せるレベルまで洗練させるのは苦しいですが、それが出来るか、または鳥さんの発想の発端でもこちらに伝われば、鑑賞者と共犯者になることができます。私としては是非見せてほしい。
美術でもよくあるのですよ、最初はAを発想する、面白いのでより洗練させてBになる、そこで本来作品の核とは関係ない世間の事情とかがいろいろ入ってきてCになってしまう。作者はA-B-Cの流れをもちろん知っているので納得できるが、鑑賞者はいきなりCを見せられては、せっかくのフレッシュなテーマを持っていたAが全く伝わらず、Cに共感できない。せっかくのテーマは出産されずに終わってしまう。
私は上記の最初のアイデアはまさにこのAだと思います。是非間引きすることなく産み落として私たちに見せて下さいよ。 ('13/11/22 10:30:54)
- 鳥 :
海月さん
自動書記と呼ばれるものでしょうか。
ダリなどは夢からインスパイアされたと見聞きしたりしますが。
詩では活用がなされていない現状、知りませんでした。
今後煮詰めていくか否かは未定ですが。
サイトへの可能性を感じられたとのことで、よいのかどうかわかりませんが、
よかったです。
ありがとうございました。
すずらんさん
たしかに消していますね。そこからなにがしか浮かび上がるものはないか、そんなことなども。
ロボットやサイボーグはまだまだこれからという感じですが、感情らしきものをあらわにすると、
どんなものとなるのかなど、興味深いです。
ありがとうございました。
田中宏輔さん
文字の数は、考えらしきものがたしかにあってのものですが、
二文字で締められていることに感じ入ったとのことで、
あー・・きわどい部分を突いてこられて、うーん・・さすがだなーと。
参りますという感じです。
ありがとうございました。
にねこさん
勇気と姿勢とイソップ物語。
・・・わかりました。
ありがとうございました。
田中宏輔さん
詩ではなく、短歌や俳句に近いものとなるんでしょうか。そのように感じてはいました。
最終連からくる厳しさは、それまでに示される不連続な空白や、橋や雨の連打、
それらが効いているといった感じでしょうか。
あるいは、意味内容からももたらされるという。
凄惨な世界ではあります。
ありがとうございました。
れたすたれすさん
またかいな〜!^^;
国会・・・空転・・・ポチだけに?
ほんまやね、Oh My Dog.
ありがとうございました。
ryoさん
たしかに浮世絵などありましたね。広重の東海道五十三次の一枚でしたか。
単なる風景画と思っていましたが、そうでもないのかな?という。
無数の斜線が打ち付けられるように描かれている、刷られている。
ドラマ性を感じたとのこと、よかったです。
ありがとうございました。
海月さん
・・・そうですか?
凄惨な模写をしていたものでした、ですからそこからの反動もあってのものかもです。
まさに共犯となってしまいかねない、ですが(笑
ABCの流れ。なるほどです。考えるべきですね。
漂いたい気分ではありますが・・・
ありがとうございました。
熊尾英治さん
コチラモシニタクナリマス・・
あ、おられませんでした。
失礼しました。
ぼけなの? つっこんでほしいの? つっこむよ? さん
難しいお名前ですね。
ありがとうございました。
('13/11/22 18:56:49 *2)
- 熊尾英治 :
to 鳥さん
コンクリートのようなものを書くことに成功しているという印象を受けました。その意味で現代詩的ですね。敢て無生物に徹するようなスタイルにもかえって新しさを感じます^^ ('13/12/26 03:40:43)
- ベイトマン :
ヽ( ・◇・)ノピヨピヨ ('13/12/26 19:25:56)