少し古いジャズの音 甘ったるいピース
転がる海月と音のない街 街路樹に縛り付けられた三日月
青い夜に鼠が鳴いてる 階段を昇る歌声
香水の匂いがするステンドグラス 林檎の入った紙袋
西日の丘に落っこちた爆撃機から
タンポポの種が飛び散って 夜の街に花開いた
浮遊する言葉は二十五時の鐘に寄り添って
千鳥足の魂は旋回する 星空に放つショットガン
気まぐれ四行詩 四言絶句で言葉は死んでく
賛美歌の降り注ぐ街で鼠が鳴いてる
階段に座り込んだ子どもは 星空の向こうの悲しい大人のために
カクテルグラスに十円玉をたくさん入れてる
世界は三人連れの女の子でいっぱいなんだ
猫を連れて歩いて行こう みんな幸せだったふり
音楽と酔っ払いの世界を探してる
あとはもう無くていい
ドレッドヘアに指先からませて笑おう
女の子の足首にはいつもコウモリの影がある
ただただ言葉を紡ごう 意味なんて無くていい
生むために殺して 殺すために生もう
十字交差点の真ん中から人々は羽化していく
鼠は屋上に昇って力尽きる ヒマワリの種をポケットに入れたまま
セックスを覚えたての高校生みたいに 覚えたての英単語撒き散らして笑おう
伸ばした手は空を掴むポージング 高層ビル群に降り注ぐ燐粉
もう言葉でさえなくていい 十代の性欲みたいに撒き散らそう
誰もが飛び去る時ちょっと悲しい顔をした
街はオーガズムを迎えてる 律動にあわせて腰を振るんだ
屋上で乾いていく鼠のために(望んでいいなら幸せなあの子のために)
ピアノソロが終わらない 苦しみに似た絶頂
溶解した言葉が流れ込んで来る ぬるい夜風に鼠は砕けて行く
そして誰もが微細な粒子を吸い込むように歌った
同じシャツを着て手を繋ごう 言葉は孤独じゃない
- d :
今回もとてもよい詩だ。
イマジネーションの炸裂が続いているようで何より。
気になったところは、
>気まぐれ四行詩 四言絶句で言葉は死んでく
鮮烈なオリジナリティーの間に挿入されるこの陳腐な台詞は何かと?
十代の性欲みたいな〜の下りの扱いも難しそうだな。
>街はオーガズムを迎えている
とまで来ればかっこいいのだが、
「十代の性欲」という字義どうりの青臭いせりふで
予め引かされちゃうからな。
# 選者を慣れさせるのに何ヶ月か掛かるかもしれないが、
詩学や詩手帳にも出してみたらいいと思うよ。 ('05/07/12 01:23:11)
- ケムリ :
やっぱり、そこ引っかかりましたか。「その一行だけ浮いてるなぁ、でもここを下手にいじるとリズムが…」とか悩んだ末、そのまま放り出した感があります。
「十代の性欲」はその先に繋げる布石として使ったんですけれど、上手く作用しているかは自信のないところです。
追伸、「詩学」と「詩手帳」が何なのかわからないです。 ('05/07/14 13:11:54)
- d :
詩の活字雑誌ですよ。詩手帳は現代詩手帳の略。札幌の書店では入手が難しく、同人誌みたいに定期購読しないと読めなかったり、プロの詩人の糞みたいな最低の詩が本文に載っていて、ケツの方で小さな扱いの一般投稿者の詩のほうがずっと良かったりして笑えます。 ('05/07/14 14:59:33)
- ケムリ :
雑誌ですか。活字媒体での詩には全然触れてませんでした。期待そのものが無かったですし。
ところで、今の日本に「プロ詩人」っているんですね。どうやってご飯食べてるのか、気になるところです。 ('05/07/14 17:07:43)
- d :
プロレタリア詩人の略称かもしれないですね。わらぃ。
銀色夏生さんのようなポップに商業活動に乗れた人はどうだか解らないけれど、(というか、銀色夏生以外まったく思い浮かばない。)現代詩で生活している人なんて一人もいないと思う。谷川俊太郎のような御大でも大学の講師をしたり雑文書いたりしている稼ぎの方が大きいのではないかな。既存の活字詩誌媒体には現代詩を金に変えるシステムを作ることはできなかったどころか、作品を人目に付く状態におくことすらもできなかった。何せ本屋に売っていないのだから。詩集も詩の雑誌も。
読者の目に留まる可能性の高さは、可能態としてではありますが、ネットの強みですよね。しかしここから、金に替える道が見つからないのがイライラする。 ('05/07/14 18:28:53)
- ケムリ :
やはり、そういう現状なんですね。大手出版社とフォーラムのような場所が提携すれば可能性の面ではあると思いますけれど(採算とは別勘定ですけどね)詩は敷居が低すぎる(ように見える)のが難点なんですよね。
ネット詩は膨大な人口を持ってるので、可能性はあると思うのですけれど。既存媒体がネット詩を認めるのはかなり難しそうです。某詩賞の酷さが十二分にそれを物語る。
優秀な詩人の集まりと商業ベースの繋がりが求められているな、とか思います。難しい道ですけれど。ネットから広がって踏み出した、新しい詩の組織が必要になっていると思います。結局、金にならないところに良いものはそうそう生まれませんから。
なんか話し過ぎました。最近、本格的に投稿をするようになって、どうにもこの世界の閉塞感というか、そういうものを感じるんですよね。どうにも。 ('05/07/14 20:54:56 *2)
- まーろっく :
一言でこの作品の感想を言えば、広さはあるが高さや深さがない。
頭に浮かんだイメージが並列的に書かれているだけで、語と語、文と文、連と連が関係付けられていない。それらは孤立しているか、かろうじて作品の筋書きを支える程度の結合しかしていない。これでは言葉を費やしても費やしても作者の内面世界を描出することはできない。それでじれったくなって
余計に言葉を費やす。月だ、猫だ、女の子だ、鼠だ、ヒマワリのタネだ…と
果てしなく広がってゆくばかりで、そうしたものが立体的に関係付けられていないために印象に残らない。性が主題のようではあるけれどそれも大量の言葉の中に埋没してしまっている。 ('05/07/16 22:43:10)
- ケムリ :
まーろっくさん
とりあえず、性が主題では全く無いです。この詩に意味は一つもありません。純然にイメージの膨張だけです。「音楽と酔っ払いの世界」が唯一のテーマと言っていいと思います。ギリギリの繋がりを持たせた文が爆発すればそれでいい、といった詩です。内面世界ではなく、酔いに歪められた現実を表現したかった。乱暴に言ってしまえば、「キモチ良ければそれでいいや」って詩です。
ただ、夜の街のネオンをふらふらするような快感を共有したい、というのがテーマで、そこには月も猫も鼠も女の子もセックスも全部必要なんです。そして、酔っ払いの思考はもちろんどこにも向かわないわけで。 ('05/07/16 22:54:49)
- まーろっく :
それには共有を可能にする方法が必要だと思いますが。 ('05/07/17 00:03:57)
- ケムリ :
それは、心地のよい言葉、つまり、広がりを読み手に想起させる言葉を(成否は別として)使うことだと僕は考えています。読み手それぞれの思考の中で、なるべく多くのイメージを拾ってくれる言葉です。それには色々な方法論がありますけれど、僕が好んで使うのは「シュールでありながら馴染みのある言葉」といった感じのものです。カクテルグラスの十円玉も、猫も、女の子も、ドレッドヘアも、ヒマワリの種も、幸せなあの子もその流れの中で生まれた言葉です。トリップには立体感はありません。ランダムで規則的な揺れがあるだけなんです。(しまりが無い、というのは否定しません)
僕にとって、詩はアルコールやマリファナと同義です。酔うためのもの、快楽を得るためだけのものです。社会性や人間性や、あるいは抒情などと言ったものは、僕には価値のあるものとは思えないんですよ。ただ、その気持ちよさを共有したい。読み手に押し付けたい。言葉でセックスしたい。内的世界の描写も、筋書きも、基本的にはないんです。(そうではないものもありますけれど。「シベリアじいちゃんと唄の無い街」はそういう詩ではないです。)そこからは勿論、ある程度のストーリー性は読めるように書きますし、それを主題と捉えてもらっても構いません。そうも見えるように書いてます。でもそれはジンとウォッカ、あるいはマリファナとリタリンくらいの違いでしかないつもりです。そういう意味で、この詩は初めてここに投稿した詩に次いで純度が高いんです。
「曇り空の爆撃機」では恋愛感情の味付けをしました。「青いジャム」では浮遊感と日常を見せました。「ヘッドフォンチャイルド」では頽廃や孤独の気配を出しました。でも、それはただの味なんです。アルコールそのものではないつもりなんです。もちろん、主題にも見えるように味付けされてますが。本当ならこの味付けは余計なんですよ。でも、それが無いと、僕の技量では詩として成り立たなくなってしまう。飲めるものなら純度100%で飲んでもらいたいんですけれど。昔の詩で失敗したので、それは当分はしません。
長々とこういうのを語るのは非常にみっともないのはわかっているんですけれど、ちょっとこういった話もしてみたかったんです。許してください。 ('05/07/17 03:23:37 *1)
- ミドリ :
ケムリさんへ
ロートレアモンを想起しました。意味につながれて生きていたくない。「疾走感」の中に言葉をひとつひとつ繋ぎとめていく。どこで立ち止まるべきなのか。そこで初めて「意味」に出会う。
一発ずつ打ち込まれる「弾丸」に、銃身の振るえを手に感じる。
それだけを「感触」にした詩のようにも思えます。
どこかケルアックのような詩の印象も持ちました。
どこか「関わり」のない世界への旅立ち。
どこかアナーキーな匂いも薫るけれど、究めていない感じ。
世界とのつながり方がわからない。それがムンムンと放射されていて、詩に編みこまれていく言葉。
どこかで「痛切」に交わりを求めていく。
言葉はたったひとつの武器だ。
その意味にとても真摯になろうとしている。
詩という言葉のランドマークタワーに、螺旋の階段をかけ。
風雪にたなびく「孤独」に一対の灯り浮かべる詩の行為。
意図されているものは十分に伝わる。
でも筆を握らせるその「生」に十分な発熱がない。
という気がした。
まだこの先。十分に学べる詩人だ、という僕の感想。期待してます。 ('05/07/17 19:46:18)
- 榊蔡 :
まず導入。
>少し古いジャズの音 甘ったるいピース
これはわかっていていっているのか。
雰囲気だけでいっているのか。
ジャズってのは今後もずっとあすこにあって、古くも新しくもならない。
むしろ少し古い、っていうなら、この詩の眼差しをそこに置く強度が、詩人自体にあるのか?
ということを考えさせられることから、この詩が始まる。
導入の効果としては、疑問からはじまるのはどうなのかと思う。
その後解決するつもりがあるのならウサギとツノ。
しかし平然と過ぎてゆくね。
>香水の匂いがするステンドグラス 林檎の入った紙袋
林檎の入った紙袋、に対し、
香水の匂いがするステンドグラス、の陳腐さが、どれほど致命的だかわかるだろうか?
ガラスってのは向こうかコッチしか映さない。
香水っていうのなら、その印象も記すべきだと思う。
たんに偽装、てんなら、この詩の主旋律を読み手の方から放棄してやる。
ステンドグラスに自分の唾液の匂い以上のものを想起できるやつが実際いるかね?
ここでこの詩は、
語感を離れた、ずーと遠い異世界になる訳だ。
こんな詩じゃ、
詩人以外には単なるノイズだな。 ('05/07/17 21:37:06)
- ケムリ :
榊蔡さん 罵倒、感謝します。
ジャズ談義になると、底の浅いジャズ好きの僕にはついていけそうもないので、その辺りは言えませんが、スタンダードナンバーであるBlue bossaに「少し古い」は不適切でしょうかね。ジャズは古くならないなら、ロックもパンクも古くはならないでしょう。でも、僕らは「少し古いロック」も「少し古いパンク」も問題なく使いますよね。ピストルズは少し古いパンクじゃないですか?そうなると、それは個人的感覚ではないですかね。個人的感覚繋がりで、僕にはステンドグラスから時分の唾液の匂いは欠片も想起出来ません。僕が想起するのは、キリスト的な口当たりのいい悪臭です。そして、「自分の唾液の匂いのするステンドグラス」はあまり心地よい言葉とは思いませんが。普遍と個は切り離すべきではないですか?僕は、榊蔡さんの感性に合わせて詩を書くことはしませんよ。僕は僕の感性でしか書けません。
林檎の紙袋と香水のステンドグラスは、詩に反キリスト教的な神のイメージを付与するために使ったものです。印象だけを持ち、意味を持たないイメージの切れ端です。その部分で言葉をつなげています。陳腐だと言われるのは仕方ないですけれど。僕は元クリスチャンなので、この手のイメージを多用します。そこにはガラスの個の形質は、殆ど関係が無いです。「ステンドグラス」のイメージはガラスとは違います。向こうもこっちも映しません。カトリックのステンドグラスを想像してみてください。そこに自分が映る余地があると思いますか?
それと、ノイズの何がいけないんでしょう?僕の詩はノイズです。はい、その通り、としか言えません。酔いはノイズに近いものです。でも、可変的なイメージを持ったノイズであろうとしています。前述したとおり、印象だけを持ち意味を持たない詩です。(ただし、読み手には何らかの意味を想起させることを狙っています)ですから、その批評は少し方向性が違うと思いますが。 ('05/07/17 23:10:39 *1)
- ケムリ :
ミドリさん
アナーキーさは結果として出ているんだと思います。別に、アナーキーであろうとは思いません。ただ、言葉に対しては真摯でありたいと思っています。「表現のための表現、言葉のための言葉」というのが詩だと僕は勝手に思っているのですが、その中で世界とか人とか意味は不純物だと思うんですよ。少なくとも、それらが主幹となった詩ではありたくない。表現は意味のためにあるのではなく、意味は表現のためにありたい。意味はただの味付けに過ぎない詩が書きたい。最終的には、完全に意味さえも消したいんです。
ディズニーの「ファンタジア」というミュージックビデオをご存知でしょうか。あの感じに少し近いかな、とか最近思ったりもしました。 ('05/07/17 23:22:42 *1)
- 榊蔡 :
プロ詩人の話題も含め、端から見てて、詩、講評ともに活発だったので、ちょっと過激につついてみました。語感にのっかて書いてるだけかと感じられたけれど、詩人がきちんと、言葉の背景を踏まえている、というのが良く解った。
ステンドグラスのイメージについても詩人のものの方が適切だと思う。けれどステンドグラスのある部屋やチャペルに香油の匂いがある、というのと、ステンドグラスに香水の匂いがする、ではだいぶ印象が違うとも思う。ガラス、という物質は匂いを保持しない、という経験知識もある。蛇足だけれど、唾液の匂い、というのは、ガラスに対したときの自分の息の匂い、ってことなんだけれど。
それと、おなじ行の、林檎の入った紙袋、という感触と接点が明確なものに対し、列記でこの、香水の匂いがするステンドグラス、があるのは同位的でない、という印象がやはり残ってしまう。たぶんステンドグラスは遠くにあって、匂いは主観の鼻先にある、というのがイメージを想起する弊害になってる。同じ行内における描写方法の飛躍、っていう意味で、再生しづらい。
>僕は、榊蔡さんの感性に合わせて詩を書くことはしませんよ。
これくらいハッキリいってくれる方がこちらもやりやすいです。詩も講評もけっきょくはお互いの印象を相手に差しだすことしかできないし、そのうえで意義のある影響を多少でも与えあうことができればと思います。 ('05/07/18 11:42:59)
- まーろっく :
映像で表現できるものを詩で書く意義はあまりない。もちろん紙と鉛筆で済むというコストの問題は芸術の本質と無関係です。
頭の中に生じた主として視覚的な想像を言葉で伝達して、それが「イメージの炸裂」や「文の爆発」に果たしてなるでしょうか?
いろいろとにぎやかで色鮮やかで、匂いもあるような想像がめぐらされているようです。しかし、それを伝達している文そのものはいたって平叙的で日常的な言語の規範を脱しておらず、したがって日常の秩序のなかでほしいままな空想を楽しんでいるようにしか見えない。決してアナーキーには見えないのです。
詩が材料としているのは視覚ではなく言葉です。詩は言葉で書かれる以上意味から自由ではありえません。詩人ができるのは言葉の意味を逆手にとって、日常世界とは違う新しい言葉の世界を作ることです。言葉と言葉が激しい化学反応を起こして日常的な意味を超えた新しいイメージを放っている作品は、読み手に日常世界が崩壊してゆく陶酔を与えることさえあります。言葉そのものがドラッグでありうるのです。 ('05/07/18 14:50:06)
- ケムリ :
まーろっくさん
>映像で表現できるものを詩で書く意義はあまりない。
これは、一つの考えかたです。僕とは相容れない考えかたです。こちらでも言いますけれど、普遍と個は切り離すべきです。僕は、全く逆にイメージの爆発以外のものを詩で表現する意味は一つも無いと思っています。抒情だとか、そういうものですね。書くこともありますけれど。詩は言葉で書かれる以上、意味から自由ではありえない、というのも一つの考えかたで、悪く言えば「定説」でしょう。そういわれるから余計書きたくなる。「小説で表現できるものものを映画で表現する必要は無い」と同じような論調に思えますね。表現の方法が変われば、そこに独自の善さが生まれると僕は思いますが。
文そのものが平易であり、日常的な規範を脱しないのは、日常的じゃない文章で書かれた(前衛詩でありますよね。言語からすら脱した詩が)ものは、僕の中で意味を成さないからです。嫌いなんです。ああいうのは。日常的な言語の中にこそ、非日常はあり、表現は日常的な言語で成されるべき、というのが僕の考えかたです。ありふれた材料で化学反応を起こすのが僕の目標なんですよ。それに、ありふれた言葉が一番読み手のイメージを多く拾って、詩を拡張させてくれるとも思ってます。手持ちの言葉を使わない詩人は卑怯者だと僕は考えてます。自己の中に無いものを使った詩は良い詩ではあり得ないはずです。だから、僕は手持ちの言葉しか使いません。イメージの炸裂は、現実の中にこそあるはずです。ポケットの中身を見せるような詩でありたいんです。詩そのものがドラッグでありうるのは良くわかります。僕が詩を好むのもその延長上ですから。しかし、純度の高い、限りなく100%純粋なドラッグとしての詩が僕の目指すものです。
もう、いい加減つじつま合わせや筋書きから詩は自由になるべきです。最も自由な言葉に制約はいらない。より言葉の原質に近いのは、意味ではなく純然なイメージではないかと思います。 ('05/07/18 15:07:05 *3)
- ケムリ :
榊蔡さん
過激に言ってくれると、過激に返せるので非常に嬉しいです。僕は基本的に叩かれてイジける人間じゃないんで、どんどん叩いてください。反論出来れば反論しますし、納得したならその旨を書きますので。正直嬉しかったです。
ステンドグラスについては、僕の日常にあったものなので、感触に近い印象として残っているんです。ただ、読み手との距離を遠ざけないためにカソリック的なイメージを薄めました。それが「香水」なんです。語感を大事にしているのは確かです。イメージと語感の両立が最も気にするところです。まず、次々に読んでいける文章でなければならないですから。
結局のところ、僕の提示するイメージは不定形であやふやなものです。この詩で成功しているかどうかは別として、読み手のイメージがそれを補い、完成させる自由な詩が書きたいんです。 ('05/07/18 15:21:24 *2)
- tomo :
イメージを言葉にするというよりも、言葉でイメージをこしらえるという感じかな、私の場合は。だから必ずしもイメージをこしらえなくても別のものでもいいわけです。
>街路樹に縛り付けられた三日月
確かに映像的なセンスを持った詩句なのだけれど、そのまんま西にある三日月って感じで、言葉のセンスは希薄だと思う。 ('05/07/19 01:23:17)
- ケムリ :
tomoさん
言葉とイメージはニワトリとタマゴで、順番が無いものだと僕は思いますけどね。まぁ、それは各人各様だと思いますが。
>街路樹に縛り付けられた三日月
ここは映像として灯るべき箇所なので、言葉よりイメージが優先されてます。シンプルに想像出来ればそれでいい箇所です。でも、言葉のセンスも両立できてリズムも崩さない表現があったら、そっと教えてください。僕には思いつきませんでした。 ('05/07/19 04:51:54)
- 浅井康浩 :
ケムリさんがレスをくれたことへの感謝のレス。
いいたいことはいっぱいあったのだけれど、多すぎたのではしょって。
はしょったので読みにくいですが、悪意はないので。
ほとんど、批判です。許して。
1、作品がテクストであることをわすれているのでは。
>ただ、その気持ちよさを共有したい。読み手に押し付けたい。言葉でセックスしたい。
>内的世界の描写も、筋書きも、基本的にはないんです
や、まーろっくさんにたいするレスとして、
>とりあえず、性が主題では全く無いです。この詩に意味は一つもありません。純然にイメ
>ージの膨張だけです
>飲めるものなら純度100%で飲んでもらいたいんですけれど
という発言をよんでいて、どうも書き手は、自分の意図したそのままの通りに近い感じで、
(もちろん、読み手それぞれの思考の中で、なるべく多くのイメージを拾ってくれる言葉
という発言もあるのだが)
詩を読む人にも、その通りによんでほしい、と感じているようですが
詩はテクストとして読まれるのであって
そのような書き手の、考え方には、すこし、違和感をおぼえたりします。
>最終的には、完全に意味さえも消したいんです
まず、イメージだけで意味だけを完全に消したい、と言っているが、
イメージのための単語は意味まで招き寄せる、ということを知っておいてもらいたいです。
>ドレッドヘアに指先からませて笑おう
>女の子の足首にはいつもコウモリの影がある
>ただただ言葉を紡ごう 意味なんて無くていい
>生むために殺して 殺すために生もう
たとえばこの連は、三行目に書いてあるように、作者としてはイメージだけで
意味を殺した連なのだろうけれども。
ドレッドヘアは、まず、アメリカン・アフリカンやブラックカリビアンのイメージと意味をもたらしてきます
もちろん、
ドレッドヘアには
歴史的な文脈と、
日本のなかでのファッションとしての文脈
があり、一連目からはどちらも想像することができます
そして、二連目、コウモリの記述へと続くのですが、
足首にタトゥーはおしゃれな女の子を連想させます。しかし、コウモリという単語は、
トランシルヴァニアはもちろん、一連目の関連からいえば、
中南米アメリカのイメージを連想させます。
そのことで、
一連目の、ドレッドヘアの歴史的な意味を補足する役割を果たしています。
そして四連目の言葉は、
歴史的な文脈
日本のなかでのファッションとしての文脈
というドレッドヘアのふたつの文脈に対して、どちらに結びつきやすいかというと、
やっぱり、歴史的な文脈のほうに結びつきやすい。
もちろん、おしゃれな女の子にたいして、結びつくとしたら、中絶のイメージだが、
むすびつけるのにはすこし苦しい
たとえば、ハイチの黒人による白人への復讐としての大虐殺の文脈などを、
すんなりと思い起こさせてくれます
僕の中で、この連は、意味として受け取ることもできるということです。
もちろんこのことは僕の、たわごととして受け取ってくれてもかまいません。
ただ、このような捉え方をするひともいるのだ、ということだけ。
(もちろん、この文脈でよんだ場合も、それを補完してしまう語が、この連以外にも
ちりばめられているということも注意すべきところだと思います
そしてそのようにして読まれることでこの作品は意図とは逆の、非常に強固な意味を
まとってしまった作品となる可能性があるということです)
たとえば、適当な例として、(他の作品で)
>眠れ眠れ 銅のうさぎみたいに
と書いているが、ぼくにとって「銅のうさぎ」とはバリー・フラナガンの
「大きな跳ねる野兎」であり、「ボクシング」という「野兎」シリーズのオブジェ作品であり、
その作品では、ウサギが飛んでいたりボクシングをしていたり、非常に活発な
動きをしていて、それを思い浮かべるぼくは、
「眠れ、銅のうさぎみたいに」といわれても、まったく正反対のイメージが浮かんで、
どうしようもないし、またなんで、
銅のうさぎが、眠りのイメージと重なるのか、バカバカしい言い回しをしたものだ、
なんて思って、作者にとって「銅のうさぎ」とはなんの意味なのか、
また「銅のうさぎみたいに眠れ」とはどういう意味を持つのか
「銅のうさぎ」がなぜ「眠り」とつながっているのか、などとかんがえてしまう
ことになる。
つまり、書き手が
>その気持ちよさを共有したい。読み手に押し付けたい。
といわれても、読み手はテクストとして読むわけで、読み手としては
書き手の、思い込みにたいして戸惑うことがある、ということです。
2、「手持ちの言葉」の意味するものはなにか
>手持ちの言葉を使わない詩人は卑怯者だと僕は考えてます。自己の中に無いものを使った
>詩は良い詩ではあり得ないはずです。だから、僕は手持ちの言葉しか使いません。
書き手にとって、手持ちの言葉とはいったいどういう意味なのか?
>僕は手持ちの言葉しか使いません
というが、
ステンドグラス
千鳥足の魂
星空に放つショットガン
四言絶句
世界は三人連れの女の子でいっぱい
賛美歌
人々は羽化していく
高層ビル群に降り注ぐ燐粉
ぬるい夜風に鼠は砕けて行く
という言葉たちが、どのようにして「手持ちの言葉」となっているのか。
とくに
ショットガン、四言絶句、爆撃機、鼠は砕けて行く、という言葉に対して、書き手は
どのような意味と理由で、それが「手持ちの言葉」だといえるのか。
>手持ちの言葉を使わない詩人は卑怯者だと僕は考えてます
>言葉に対しては真摯でありたいと思っています
というのなら
それなりの根拠があるのでしょうが。
とにかくぼくには、上記の言葉が「手持ちの言葉」である、と断言できるような実感を
もてるような人が、いるようには思えないのですが。
どのような意味と理由で、それが「手持ちの言葉」だといえるのか、
それを書いてほしいとおもいます。
3、読み手と共有する単語の選び方について
なによりわからないのが、
>夜の街のネオンをふらふらするような快感を共有したい
といい、
それを共有する方法として
>広がりを読み手に想起させる言葉を(成否は別として)使うことだと僕は考えています。
>読み手それぞれの思考の中で、なるべく多くのイメージを拾ってくれる言葉
をつかうことだ、といわれていますが、
賛美歌、ショットガン、ドレッドヘア、四言絶句、という単語が、どうして
>読み手それぞれの思考の中で、なるべく多くのイメージを拾ってくれる言葉
となるのかが、わかりません
賛美歌、からは、ベートーヴェンの第九のコーラル以外のイメージを思い浮かべれて
しかもそこからイメージが展開できるひとがそうざらにいるとは思えませんし、
ショットガン、についても同様です
四言絶句に至っては、「漢詩」というイメージぐらいしか浮かばないのではないかな。
「なるべく多くのイメージを拾ってくれる言葉」ではぜんぜんない気がするのだが。
4、意味を消すことについて
意味を消したいということと、
「共有できる単語」というものをちりばめる、
という二つの方法は、両立するのか
共有できる単語をちりばめることは、
読み手にとって、ひとそれぞれのコードに触れてしまうことで、意味を誘発させてしまう
ことではないのか。
また、賛美歌、ショットガン、爆撃機などの単語自体をちりばめること、
それ自体が、意味をけすどころか意味をつくりだしているのではないか?
ひとつの方法としてカネッティの言葉を引く
「モロッコで過ごした数週間というものアラビア語もベルベル語も敢えて習得しなかった
わたしはなじみのない、さまざまな叫び声の迫力をいささかも減じたくはなかったのである
わたしは音自身の欲するままに、音そのものによって掴まれたかったし
不十分かつ不自然な知識によってそれをいささかも弱めたくはなかった
・・・
(その声には)「アッラー」の「ル」の音を出そうにも肝心の舌がなかったのかもしれない
神の名はそれにとって、縮められて「エーエーエーエーエー」という音になったのである
しかしそれは生きていた
それは比類なく倦まず弛まずおのれの唯一の音を出したし、何時間も出しつづけた
ついにそれがこの大広場全体にあって唯一の音
ほかのあらゆる音のあとに生きのこる音と化してしまうまで」
きこえてくる声をそのままに書き写すこと。
たとえば、
聴こえてくる声を「賛美歌」という枠組みを与えることによって意味を生じさせるのではなく、
たとえば「グレゴリウス聖歌」を聴こえてくる音そのままに
「あーあーいーえーみぃーしぃー」と書いてしまうこと
それが、言葉の意味を消すことのひとつの方法となるのかもしれない、ということ。
もちろんその「生」のこえを生かすだけの方法を他の部分でとることで
その声の価値を伝えること
もちろん、そのまえに陳腐すぎる言葉の羅列をどうにかしなければならないが。
5、書き方について
頭に浮かんだイメージが並列的に書かれているだけで、語と語、文と文、連と連が関係付
>けられていない。それらは孤立しているか、かろうじて作品の筋書きを支える程度の結合
>しかしていない。
というまーろっくさんの言葉は、この作品の特徴を言い当てているように思います
このような書き方にたいして
>これでは言葉を費やしても費やしても作者の内面世界を描出することはできない
という考え方もあると思うし
>ギリギリの繋がりを持たせた文が爆発すればそれでいい
という考え方もあると思う
どちらも、うなづける考え方だとおもいます。
問題なのはきっと、「ギリギリの繋がりを持たせた文が爆発」していないからであり、
だからこそ、だらだらと言葉をついやしただけの作品にみえてしまい、
書き手の文章のもつ意図がつたわらないことで、それよりも、
「内面世界を描出すること」に価値をおいたほうがいいのではないか、
という指摘がでてくるということだと思う。
この文章の書き方は村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の冒頭の書き方に似ている
「飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側を飛んでいた虫の羽音だった。
蠅よりも小さな虫は、目の前をしばらく旋回して暗い部屋の隅へと見えなくなった。
天井の電球を反射している白くて丸いテーブルにガラス製の灰皿がある。
フィルターに口紅のついた細長い煙草がその中で燃えている。
洋梨に似た形をしたワインの瓶がテーブルの端にあり、
そのラベルには葡萄を口に頬張り房を手に持つた金髪の女の絵が描かれてある。
グラスに注がれたワインの表面にも天井の赤い灯りが揺れて映つている。
テーブルの足先は毛足の長い絨毯にめり込んで見えない。
正面に大きな鏡台がある。その前に座つている女の背中が汗で濡れている。
女は足を伸ばし黒のストッキングをクルクルと丸めて抜き取った」
という視点が移ってゆくたびに見えるものを描写してゆく方法で始まる
小説の始まり方に似ています
限りなく、では、ラリッた主人公の視点からの描写として、
この作品では、書き手の設定した、酔った男からの視点の描写が、
書かれているわけで、そう考えれば、
「頭に浮かんだイメージが並列的に書かれているだけで、語と語、文と文、連と連が関係付けられていな」くても、
そのような書き方が効果をあげていることがわかります。
ただ問題は、導入部の考え方がよいとしても、
どのように「爆発」させるか、というわけで。
もちろん小説は150ページもあり、それに対し、詩は、ほんの
32行なのですから、いかに同じような書き方をしても、
ただの描写で終わってしまうのだから、いかに劇的に(つまり
書き手のいう「爆発」させるか)するかということが力の見せ所となるわけで。
それは書き手が考えるしかないのであって、
あとはお願いします。
どのような方法で「爆発」させようとしていたのか、
具体的な例をだしてその方法を教えてください。
おまけ
アルコールなマリファナ、その他にたいして、「酔うためのもの」という効果にだけ
目を向けるのではなく、文脈や歴史や意味などもみてみることについて。
>詩はアルコールやマリファナと同義です。酔うためのもの、快楽を得るためだけのもので
>す。社会性や人間性や、あるいは抒情などと言ったものは、僕には価値のあるものとは思
>えないんですよ
アルコールにもマリファナにも、意味や文脈がくっついてくるのでは?
アルコールをただ酔うためのもの、とだけ規定してしまうことは、ひどくおかしなことだ
とおもいます。
あたりまえのことですが、アルコールのなかにはさまざまな文脈があります
それは「社会性や人間性や、あるいは抒情」というものに関係してくることのように
思います。
たとえば、この作品をよんでいて、まず、酔っているのが前提ですが、
書き手が何のアルコールを飲んで酔ったのか、と想像してしまうことは、
まずだれでもすることだと思います
もちろんこのような酔っている主題を書くのにはそれなりにアルコールに凝っていらっし
ゃるんでしょうが、アルコールをただ酔うためだけのもの、とすると、書き手は、甘った
るいイチゴの味付けのチューハイだけで酔ったのかもしれない、とも想像できるわけです
もちろん、イチゴ風味のチューハイで酔ったやつなんかが、このような大仰な独白を吐い
たとしたら、ただのキモイやつなわけで。
それなりのナルシスティックな独白をするのには、それなりの道具立てが必要なわけで、
たしか、バーボンにアウトローとかいう酒あったよなぁ、あれは悪漢たちのレクィエム
のために造られた酒だったような、とか
「ギムレットにははやすぎる」などとつぶやきながらでもよし、
とにかく、それなりの「意味」でコーティングしたいと読むものとしてはおもうわけで
そこらへんを
>価値のないもの
といわれても、カルーアミルクとかでこの独白じゃあ、
読むほうとしても、ちょっと、って感じです。 ('05/07/27 04:58:37 *5)
- ミドリ :
浅井さんへ
ちょっと、書き込み失礼します。
僕の感じでは、ケムリさんの試みというのは、その「構文と文脈」でできている世界観そのものを突き崩したい。
そういうところに出発点がある詩だと思うんです。
「タトゥー」とか「ドレット」という文脈をひっぱりだしてきて、構文を重ねてみるという読み方。
そういう読み方も同時できる、とってもおもしろい詩だと思います。
「構文と文脈」という考え方は、僕らが言葉を「発明」した時から形成されてきた考え方だと思うけれど、それに窮屈さを感じる。
浅井さんもその思いを同時に詩に託そうとしている、という意味では同じことを、手法の差はあれどしようとしている。
僕はその辺のところを感じながら詩とレスポンスを読みました。
いやー、おもしろいです。 ('05/07/27 21:57:32)
- d :
これだけレスの付く男も珍しいな(´ー`)y-~~ニヤニヤ
時代にはトリックスターの役回りをになう奴という者がおり、
貴殿なんかはオンオフ問わず、今一番エネルギッシュな詩人なんじゃないかと思う。
ケムリや軽谷さん佐藤さん他文学極道の投稿者みんなが大挙して活字媒体に殴り込みを掛けたら面白いんじゃないかと思う。
俺やためいき、木立悟などネット第一世代には変なプライドやわだかまりが在って一般投稿者として雑誌のケツの方に乗る気には毛頭なれなかったのだが、若い人はどんな垣根も越えて、どんなところにもどしどし出て行けばいいと思う。
まずは「詩学」へ。一番脳みそが柔らかいまともな雑誌だ。去年ちょり君が新人賞取っているし、君らならハイサー楽勝!(^Д^)ギャハっと行けると思う。一応未発表、ネットでの発表もダメといっているが、実際は一行一句変えただけでも載るからネットでの活動を規制される心配も要らない。新人賞とっても10万円しかもらえないが、あの同人誌業界内での発言力は持てるようになるぞ。みな、どしどしチャレンジしてくれ。
それから、あとで正式大々的に告知するがうおのめ文学賞が始まっている。
http://uonome.omega-zz.com/bungakushou/
気鋭の先鋭ネット小説家たちが集っています。毎年面白いよ。 ('05/07/27 23:19:10)
- ケムリ :
昨日から、どうレスを返させてもらったものかと随分悩みました。でも、一つ最初に言うならば、お互いのツールの使いかたが違うんですよね、根本的に。でも、それ以外に大差は無いんですよ。
1への返信 ドレッドヘアは僕の世代のイメージ、夜の街のイメージにひっかかるものです。コウモリと足首からは、定まらないふらふらな足取りの想起を狙っています。コウモリのお話、はご存知ですよね、ケモノでもトリでもないって奴です。それらを内包する若い女の子のイメージに全てはかかります。それはまた夜の街の中に含まれる一繋がりのイメージです。ただ、それを描写するだけでは面白くないので、読み手の頭の中でノイズがかかるように遊んでいるのもこの詩なのですが、人によっては読み取れない、あるいは個のイメージのなかに沈むのもある程度覚悟の上ではあります。意味はある程度含まれています、でもそれはただの味付け、というのが僕の詩で、意味を以って表現とする(表現は意味の補強ではない)というのが僕の考えです。最終的に目指すものは、またちょっと別なんですけどね。
2への返信
手持ちの言葉、とは自分の思想の中から生まれてきた言葉を指します。借り物の言葉じゃないってことです。単語そのものに着目されると、その仕切り目は曖昧ですが、要するに日本語として平易であり、その独創性は発想にのみある言葉です。手持ちではない言葉とは、前衛詩にあるような言葉としての体裁さえ投げ出したようなものや、あるいは擬古典体のようなものですね。詩というのは各世代の言葉で書かれるべきだと思うんですよ。というより、前述したレスで「日常的ではない言語」とある程度のくくりを出してあります。
3への返信
これについては、「同調」してもらえないと言い訳無用な部分なので、何も語れません。
4への返信
意味の誘発は狙うところです。その部分でノイズが入り表現が歪むのもある程度は仕方が無いです。個の中で読まれる詩であることを求める以上、読み取りかたも個にかかっています。その意味で、読み手の混乱さえ僕は求めています。もう一度、いいます。意味はあっても構わない。しかし、全体を貫く意味は要らない、誘発される意味を表現の方法とする、表現と意味の価値の逆転が僕の狙うところです。意味は表現のためにあるんです。 ('05/07/28 06:33:53)
- ケムリ :
5とおまけへの返信
まず、村上龍の描写方法に似ている、というのはかなりのショックですね(笑)大嫌いな小説家なので。あんまり関係の無い話ですけれど。
この詩での爆発は、勝手に進行してきたイメージが、それぞれのクライマックスを夜の街で共有するところにあります。「鼠」がその代表的なものですね。成功していないならば、語っても意味の無いところではありますけれど。
アルコールについては、アルコールに文脈や社会性はあるでしょう。でも、僕はそんなもの要らない、という人種なんです。そんなものどうでもいい、切り捨ててしまいたい、という人間もいるんです。アルコールの種類や社会性を問わない人間にとって、アルコールの種類は大した問題ではないです。アルコールにまつわる文脈もくだらないものと切り捨てるのが僕です。 ('05/07/28 06:47:33)
- 浅井康浩 :
>昨日から、どうレスを返させてもらったものかと随分悩みました
ケムリさん、大変、失礼な質問、ごめんなさい。
サイトの性質上のことを考慮しても、
嫌な思いさせてしまった。
ごめんなさい。
質問にこたえてくれて、ありがとう。
納得。 ('05/07/28 21:15:05)
- ケムリ :
いえいえ、楽しいと言えば語弊がありますが、基本スタンスとして僕はこの手の議論が好きです。ただ、どういった言葉を使えばある程度伝えることが出来るか、非言語的な感覚をいかに言葉に置き換えるか随分悩んだということです。
というか、これくらい強烈に言ってもらったほうが気兼ねなく返せるので安心なんですよ。全く気にしないでください。僕も気兼ねなく意見出来ますし。ここはそれを前提に置いたサイトなのですから、僕自身中々思い切れませんが。
これからもよろしくお願いします。批判であれ肯定であれ、自分の言葉に向かい合ってもらえるのは嬉しいことです。 ('05/07/28 21:25:03)