その人がいると雨が降る、その人が男であれば雨男と呼ばれることになる
そういう他愛もないがよく知られたことがある。おれは雨男だ
雨男のおれがあるときに気づいたのはおれが傘を持って出ると雨は
降らない
傘を持っていないと雨が降り、おれは濡れながら歩いた
知恵のついたおれはいつも傘を持って歩くようになった
スマートな折り畳み傘では駄目なのだった
諸君、おれが無用の傘をいつも持って歩いているのは
心配性だからではないんだ
きみらが無用で邪魔なものとして、電車に乗っているととくに
そういう目で見られるが、おれが腕にぶら下げているこの傘は
つまり、たしかに無用だ、だが、無用であることが幸いなのだ
勘違いしないでほしいのだが、おれは悪徳の話をしているのではない
おれは無用のおれの詩の話をしようと思う。たしかにおれは
無用なものを書く 書いた 書いている
無用であることは幸いである
おれの詩の必要とされる世界にきみたちは棲みたいか?
おれが詩人として威張りくさる
そういう世の中に
なればいいのに
そうは思わない、おれはけっして
嘘ではない
おれのついた嘘は別の種類のものだ
雨男はおれだけではなく、雨女だって大勢いる
おれだけが無用の雨傘を持っている
かのようにふるまうのは卑しい人間だった
と思う、雨に降られている雨男におれはおれの雨傘をそっと差し出す
おれはそういう人間だ
なぜなら、相手がそれを断ることを知っているからだ
見知らぬ中年男が差し出す傘を受け取る人間はいない
ぼくは今のきみが立っているその場所で雨宿りがしたい
この傘を受け取ったら、さっさとどこかへ行ってくれ
傘を受け取らせる手練手管を含めてもしも、ありがとう、と
受け取れる男がいたとしたら、そいつは晴れ男だ
雨男はおれの傘を受け取らず、晴れ男にはおれから傘を受け取る機会が訪れない
だからいつか、おれはおれの雨傘をどこかに置き忘れることにする
死後、天気雨の降り続いた明るい路地裏を風が乾かせば、
雨男たちの置き忘れになった傘が切れた雲のすき間に吸い上げられてさっぱりと消えてしまうといい
難しくはないはずだ、そう祈るばかりだ
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20200820_294_12065p
- 0 :
よろしくお願いします。
おれ、雨男、書かれたもの
そしておれの無用な詩、晴れ男、と拾って
一連目は おれ、を雨男にそのまま置き換えて読んでみたら読めました。
それか、おれ、を消してしまっても。
おれは無用のおれの詩の話をしようとおもう。からは
置き換えがききませんでした。雨男は飽くまで、おれの中の部分集合だからかな、と
そう、読み始めると
おれが際立ち始めて、でもやはり立ち位置、は変わらないのでしょう
はじめの2行をあえて書かれたことは
おれ と
だからいつか、からの最後の5行に
芯を持たせて、まあ、書かなくても芯は揺るぎはしないのだろうな
と感じました。
失礼します ('20/08/21 11:52:48)
- 菊西夕座 :
真の晴れ男はそもそも傘を必要としないわけですね。
雨に打たれる恐れはないのだから。
しかし、この男は傘を手放せない。
裏を返せば、雨男であるということの象徴を負ってしまっている。
それで、この男が受け取らないと知りつつ、他の雨男に傘を差しだすのは、
その雨男が、傘をもつくらいなら、いわばにわか晴れ男になるくらいなら、いっそ真の雨男のままでいいということを知っていて、そのあっぱれな態度をこそ認めているからなのでしょう。「雨男の天晴さ」というのも奇妙な字面ですが。
そうなると、この傘を持った男はいよいよ、真の晴れ男にも、真の雨男にもなれない、中途半端な階級に属することを受けいれてしまうことになる。この曖昧な状態でどうして、「鬼に金棒」なのか?
この男は自らの傘をして、無用であるといい、無用であることが幸いであると述べている。それはもはや、晴れとか雨とかいったことは関係ないということであり、雨男や晴れ男の階級をもとっぱらおうという狙いがある。この男があえて無用と呼ぶ傘=詩というもののしたたかさとは、おそらくこういった何者にも属するまいとする半端者の野心の企てなのではないだろうか。
そうだからこそ最後からの2行目の
>雨男たちの置き忘れになった傘が切れた雲のすき間に吸い上げられてさっぱりと消えてしまうといい
というなんとも奇妙な、あらゆる所有権や所属圏から離れた、いたずらに透明な解放感を願うのでしょう。 ('20/08/22 10:05:19)
- 飯沼ふるい :
長い前置きから入ります。
芸術と自己満足の違いって、鑑賞者の有無だと思う。
芸術としての詩の目的のひとつに、新しい感性の拡張が考えられる。なんかよく分からんけどグッと来るものの表現型。
そのための手法として、個人的な理屈を掘り下げていこうとするのは意義のあることとは思う。その理屈の根源に、書き手からも鑑賞者からも隠された叙情、グッと来るものがあるかもしれないから。
そういう理屈を超えた理屈、ともすれば屁理屈に隠れたものを掬い上げるのに、作文のお決まりルールを守っていては飽きたらない。
ルールからはみ出た自由な書き方を詩が許してくれなきゃなんのための詩かと。
だから芸術としての詩を鑑賞するには、ある程度の論理の破綻や日本語のおかしさも受け入れないとおもしろくないと思う。
と、けっこう当たり前そうなこと長々書きましたけど、どこまでおかしな日本語を許していいものか、とんと分かりません。
鑑賞する側も読み方考えなきゃならないとしたら、書き手はどの程度鑑賞者への配慮をすべきなんでしょう。だって詩は読まれてなんぼで、読まれなくていいなら日記に書いとけって話になるから。
破綻した言葉を使うなら、それなりに言葉を超えた意味、叙情を感じたいんですけど、なかなか難しい。
で、ようやくこの作品の話。
語り手の人称の連続や過去形と現在進行形の混乱は詩として読める。敢えてやってそうな感じはところどころ見える。
>……そういう目で見られるが……つまり、たしかに無用だ、
みたいな前後の文の不安定な接続も、語り手(書き手?)の抱く、雨と傘との印象にたいする距離感の表れにも見える。
ちなみに私は単純に雨をネガティブな要素として、傘をそれから己を守るものとしてか読めませんでした。
「おれ」の連発具合からも、無用なものは幸いとして、詩を称え卑下する具合からも、語り手は過剰な自意識を重ねに重ねることで雨なるものに蓋をしていそうだなと。
他者に傘(自意識、詩)を差し出すこと、それが叶わぬことを自認しているあたり、己そのものが「無用」である可能性を恐れてもいそう。他者の傘になりたいけど、なりえない自己嫌悪が「ぼくは」あたりで八つ当たり気味に出ていそう。
だからこそいっそそんなもんなくなれという願い。
「無用の、おれの詩の話」でも「無用のおれの、詩の話」でもある作品かなと。
そう読むなかで引っ掛かるとこがいくつかありまして。
>おれは雨男だ
>雨男のおれがあるときに……
>……天気雨の降り続いた明るい路地裏を風が乾かせば、
>雨男たちの置き忘れになった傘が切れた雲のすき間に吸い上げられてさっぱりと消えてしまうといい
これらは詩文でなくて悪文ではないかと。
前者は技巧的にはあるような書き方だけど、ここで同じことを二度重ねる意味は感じられない。
後者は読点で繋がないほうがよかったのでは。下の文と繋がり悪いし、下の文そのものの読みにくさも相まってなんだか無意味に回りくどい。
「雨男たちの置き忘れていった傘が」でない理由も分からない。丁寧語ならまだしも「忘れになった」って、合ってます?
さらに「切れた雲のすき間」も「頭痛が痛い」みたいな二重感ある。「雲の切れ間」ではダメだったのか。
とか色々思う。
この二つは作品内の表現として正しいものではないように思う。詩の話の連のような作品の味わいを深くする妙な文とは違う。
悪文もまた詩としてありのままを受け止めるべきなのか。私はまだその境地にたどり着けてません。詩情の有無で線引きしてしまいます。
個人的にグッと来ないおかしな文は悪文。
なのでもしかしたら私のほうが意味分からない読み方でズレた突っ込みをしてるのかもわからない。 ('20/08/22 15:07:12 *1)
- 玄こう :
こんにちは
鬼に金棒、はどこに行ってしまったのだろう、読んでいて思いました。 文中での効果的な役割を果たせておらず、「雨男に雨傘」と対にするだけの物語の動きも見られず、少々残念な気がしました。 読んでもあまり面白くなかったので、もう少し鬼と雨男の交わりにスポットを宛てて書いてみたくなりました。 人性の備えた鬼と雨男が、俺の詩が、俺の詩が、と言い合いをしてるうちに二人は持っている雨傘と金棒とを交換するに至る。 してみたら鬼には猛雨が襲い、雨男のほうでは雷が降ってくる。 たまらず二人は交換した金棒も雨傘も投げ出して、しまう。 そうした単純素朴なお伽でも書けないものか、と思いました。 文の質も物語の展開も最近どうも芳しくない気がします。 もう少し面白く書けないものかと、やきもきしながら読ませてもらいました。 ('20/08/22 15:25:49)
- ゼッケン :
Nobody knows いない人が知っている。日本語だと知っている人がいないという否定形になる。
インド・ヨーロッパ語族の0と日本語の無は違う概念のような気がする。
0さん、こんにちは。ナマステ。ゼッケンです。
>雨男は飽くまで、おれの中の部分集合だから
分析ありがとうございます。で、これがおれの詩に関してついた嘘なんですよね。だって、最初におれは雨男だって、おれは雨男集合の要素だと言うてますもの。それが詩のところでは立場を逆転させて雨男という属性を自分が所有したかのように言う。
後半ではそういう己の倨傲を反省、雨男たちのひとりに戻るんだけど、自分の性はどこまでも姑息だね、という構成です。 ('20/09/09 00:44:21)
- ゼッケン :
菊西さん。だいぶ返事が遅くなった。
どうしてこうも作品に入り込んで読めてしまうかな。
私から注釈つける必要はもうないですよね。
> 雨男であるということの象徴を負ってしまっている。
スティグマと言ってしまうと大げさかな。
でもまあ、ちっちゃいやつな。かすり傷程度の。
いまだに詩を書くこと。卒業を先送りにし続けている後ろめたさ。
そこからの開き直りというか。 ('20/10/02 00:33:52)
- コテ :
云われたい事が明確でした。八月の末に読んだら良い詩なのでしょうね、ざぁざぁとした雨の後読みたい、
このような生活の時では有りませんが、詩前だけに嘘をつかないでいれたら、ゼッケン様もほかにも云いたい事が増えればきっと楽しいですね。 ('20/10/02 07:17:24 *4)
- ゼッケン :
>個人的にグッと来ないおかしな文は悪文。
ぐっとこない。Good night. おやすみなさい。ゼッケンです。起きろ。ふるいさん、こんにちは。長いこと、返信できず、申し訳ありませんでした。
悪文の潔い定義、ありがとうございます。
>なのでもしかしたら私のほうが意味分からない読み方でズレた突っ込みをしてるのかもわからない。
なんか悩ませてしまったようで、私も心苦しい。だが、あえて言おう。悩め!
>下の文そのものの読みにくさも相まってなんだか無意味に回りくどい。
私たちは読みにくさ、無意味さ、それらをなぜ厭うのか? 読んでて疲れるからです。我々の脳は神経活動の効率化を目指します。
>「切れた雲のすき間」も「頭痛が痛い」みたいな二重感ある。「雲の切れ間」ではダメだったのか。
ひとつの物象「雲の切れ間」を原因と結果に分けて「切れた雲のすき間」と記述しているのは因果の存在を示すためで、ここに傘が吸い込まれるのは、「有るもの」しかない世界では無用な存在さえ無用の用の因果律に回収されてしまうことを描いている。これを私の文章を読んで分かれとは言ってないので、念のため。ダメだったのかと聞かれたからダメだと答えるその理由を述べました。ナマステ。 ('20/10/10 11:38:31)
- ゼッケン :
>鬼に金棒、はどこに行ってしまったのだろう
鬼が金棒を振るわなくても良い状況は周囲にいる人間にとっては幸いです。
で、役立たずであることが人々の幸福なんだって思い込めれば無敵のごくつぶしになれるじゃん、ってことで、そういう勝手な意味を込めていますよ、玄こうさん、こんにちは。ゼッケンです。
> 文の質も物語の展開も最近どうも芳しくない気がします。 もう少し面白く書けないものかと、やきもきしながら読ませてもらいました。
次の何かを模索中ということで。 ('20/10/10 12:49:20)
- ゼッケン :
>八月の末に読んだら良い詩なのでしょうね
期間限定であっても「良い詩」になりうる可能性があるというご指摘、ありがとうございます、コテさん。こんにちは、ゼッケンです。
で、コテさんの本当に言いたいことは、成立しない条件をつけることで、結局、この作品は良い詩ではない、という現実を浮き彫りにするという。しかも、その条件は作品の外に設定されたことで、作品自体は救いようがないということまでほのめかすという。オッケー! ('20/10/10 13:01:15)