[5-2]
W:={aX+bX^2|a,b∈F5}とするとき,Wは多項式の和とスカラー倍によってF5-線型空間となる.W*の基底を一組求めよ.
[解答]
p,qを次で定義すると,W*の基底となることを示す.∀aX+bX^2∈Wに対してp(aX+bX^2)=a,q(aX+bX^2)=b.
(i)p,qが一次独立であること
c,d∈F5かつcp+dq=0とする。このとき、(cp+dq)(X)=0.従ってc=0.また、(cp+dq)(X^2)=0.従ってd=0.以上からp,qは一次独立.
(ii)p,qがW*の生成系であること
∀f∈W*を取る.f(X)=u,f(X^2)=vとすると,∀aX+bX^2∈Wに対してf(aX+bX^2)=au+bvとなる.ところで,(up+vq)(aX+bX^2)=au+bvより,f=up+vqとなる.以上からp,qはW*の生成系. ■
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20160816_394_9036p
- ミツカ :
何ら意味を成していない.言葉が少なすぎるが,削ったわけではないだろう.そもそも内容が無いから書けないのだ.何もない行間を読ませようという狡さはすぐにバレる. ('16/08/16 14:31:02)
- φοιτητής :
少なくとも数学的には意味のある問題と解答だが,文学として意味を成していないと仰りたいのだろうか. ('16/08/16 16:07:02 *1)
- ミツカ :
数字や記号はあくまでも人間の作り出した現実に対する代替物です。
計算を簡略化・簡素化するためにそれを用いるのは勝手ですが、最終的に解を導き出したのであれば、そこに現実を再代入してください。
そうでないものは、単なる数学オタクの自己満足に過ぎません。
数学は単なる物理の道具だって物理の小野先生がいつも話しています。 ('16/08/16 16:44:25)
- φοιτητής :
自然言語も「人間の作り出した現実に対する代替物」では.私は数学専門ではないし「小野先生」が誰か知らないけれども,「数学は単なる物理の道具」だなんて噴飯物ですよ. ('16/08/16 16:57:04)
- ミツカ :
すみません、最初に見たときは文字化けしていたようです。
改めて読んでみると、とても素晴らしい作品であることがわかりました。
でもこれって神様の作り出したものであって、人間の作品ではないと思うのですが、その点どのようにお考えでしょうか?
小野先生は私が一年の時に担任をしていた方です。 ('16/08/16 17:14:41)
- 寒月 :
私は「ここに居、発する」という風にしか読めない。詩は翻訳の一系統だと考えていたので、何を相手に分かるよう言い換えているのだろうか。さて ('16/08/17 07:19:49)
- φοιτητής :
ミツカ氏は適切な治療を受けてください.
寒月氏は,もう少し分かりやすく書いてほしい. ('16/08/17 13:00:48)
- kaz. :
意味はあるし、少しはわかるけれども、これ詩なの? メモじゃないの? こんなジャーゴンの塊、詩としては評価できないと思うよ。 ('16/08/18 06:32:56 *4)
- phy :
Xの0次項を飛ばして、F5について示すセンスがわからん。
だったらx,yで双対キレイに見せた方が良くない?
あと文面からF5の意味が伝わってこない。 ('16/08/19 23:40:31)
- 花緒 :
さすがにこれは下げ進行でしょう。もしこれに文学的意匠があるというなら、せめて、ペンネームだけでもまともなものを選ぶはず。一種の悪ふざけ、荒らしの類であることはほぼ確実。
いま、新作ラッシュで、一つもコメント付かずに落ちていっている秀作がいくつも見受けられる中で、これを上げるのは如何なものかと思う。 ('16/08/20 00:13:56 *3)
- phy :
んー?
神学・哲学・数学の詩からの距離って変わらなくない?
あと他のコメント見る限り、荒らしって本人は思ってないんじゃない?
数学は神の詩とも言うしね。まぁ、鑑賞にたえる美しい問題と証明かは疑問に思ったけど。
線形は定型で伝統、非線形は不定型で革新。
ミカタに囚われすぎだよ。 ('16/08/20 01:04:10)
- φοιτητής :
kaz.氏,
理系学生なら誰でも分かる程度の数学を「ジャーゴン」と呼ぶのは乱暴.
花緒氏,
「ή」「ς」で検索すれば分かると思うが,最初に書き込んだ際に文字化けしてしまい,訂正するのも面倒だしと,このままやっているだけで,悪ふざけや荒しの意図はない.
phy氏,
自解じみて厭だが,難問を美しく解くのでは,それこそ数学的な面白さだけに着目されてしまう.そういうことがやりたいわけではない.この問題設定は,あるテキストのほぼ丸パクリであり,双対基底云々と言わなかったことにも,それなりの意図はある. ('16/08/20 11:22:41)
- φοιτητής :
望月新一がABC予想の証明を文学極道の掲示板に投稿する世界線を見てみたい人生だった. ('16/08/20 11:26:57)
- φοιτητής :
追記
花緒氏,
「文学的意匠」とは. ('16/08/20 11:33:20)
- 赤青黄 :
数学だろうがなんだろうが、所詮言葉なんだから、文学極道に投稿するのはありだと思うし、そこについては何の問題もないと思います。
ただ、僕はセンター試験でひいひい言っちゃうくらい数学に弱いので、興味がない訳ではないけど、つまり本作は現段階に於いて全く読めないので、それに対して「馬鹿」と罵られても反論の仕様がない。という所から語るしかないんですが、端的に言って、数学っていうのはざっくばらんに言って世界言語になりうる可能性を秘めているのではないでしょうか。数学的な事象の証明の翻訳とか、そこら辺の事情はわかりませんが、大分文学作品よりは論理的であり普遍的であるということは、結構想像しやすいように思えます。一つの論理の集合体であるというのであれば、数学的な概念の捉え方を間違えなければ割と世界中どこでも通用すると言えば通用するかと思うからです。…といいつつもここら辺で色々問題があるように思ったりもしますが。
つまり、数学における証明そのもの、その過程を例えば散文作品、小説のように捕らえることだって別に可能と言えば可能だと思います。乱暴な言い方ですが、ニュアンスは伝わったと思い、この程度にしておきますけれども。
だから後はここにいるレッサーと本作の持つ性質が現状おそらくミスマッチ過ぎるので、そういうのが読める人がここに来るまでφοιτητήςさんがここに同系統の作品を投稿すればいいと思います。そしたら興味あるやつは集まってきますよ。もしかしたら来ないかもしれませんが、同系統の方がもし来たらこの形式だって文学極道の中に定着すると思いますし、評価のあり方についても議論が進むと思います。この作品が本気で書かれたものなのか、それともこの場のカウンターとして冷やかしで投げ込まれたものなのか、というのは正直に言って読める人がちゃんと読まないとわからないでしょう。
ただ、まぁ今回の作品んは理系学生なら読める話というので、割とハードルが低いのだと思いますので、ROM専で理系肌の方なんかはここにガンガンレス入れてよいと思います。
で、そんな僕がこれ読んで思うのは小林銅蟲『寿司 虚空編 -Sushi Kokuu Hen-』(https://comic.pixiv.net/works/1505)です。
巨大数に纏わる数学的な話を漫画で書いたものですが、半分くらい訳わかんないですが、それでも面白いんですよね。なんでかは上手く説明できませんが、ごネタ言い回してでいうのであれば、数学が全然わからなくても、もしくは分かる人にはもっと分かるように、もしくは全然わからないけどなんだか面白い、あるいはつまらないのになぜか読んでしまう、というような要素、そういうもの、つまり読ませる為の工夫っていうのは本作にあるのでしょうか。
わからない人には永遠わからなくてよい。というあり方を取るのであれば、別にそれでもいいのですが、そうじゃないのであれば、何か読むためのつかみどころが正直に言うと欲しいですね。僕の知らない世界をもっと見せつけてください。
('16/08/20 12:16:27 *2)
- 山田太郎 :
>赤青黄
>僕の知らない世界をもっと見せつけてください。
なにを寝ぼけたことをいってるんだよ。笑
こんな荒らし以下のゴミ投稿をいちいち揚げるな。
アイスキャンデーでもママに買ってもらって
あたまを冷やしなさい。
わかりましたね、ぼく。 ('16/08/20 12:27:16 *2)
- 赤青黄 :
山田太郎さん
>なにを寝ぼけたことをいってるんだよ。笑
>こんなゴミ投稿をいちいち揚げるな、ぼく。
>アイスキャンデーでもママに買ってもらって
>あたまを冷やしなさい。わかりましたね、ぼく。
そう思ってしまったので、ちょっとだけ恥ずかしいと思いましたが正直な思いを書きました。寝ぼけたレス書いて申し訳ないです。 ('16/08/20 12:29:31 *1)
- 山田太郎 :
「正直な思い」なんかだれも読みたくないとおもうよ。
「正直な思い」なら犬だって正直に吠えられる。そんなものだれが聞きたい?
そうじゃなく、少しでもじぶんの頭で考えたことを書いてはどうか。
こんな荒らし投稿が、最低の荒らし以下のゴミだってことはすこしでも考えれば
小学生だって理解できるでしょう。
たとえばわたしが15歳から習っているアラビア語を、こいつと同じように
どこやらのサイトから丸のままコピーしてここに貼り付け投稿したらどうなる?
خادم الحرمين الشريفين يصدر خمسة أوامر ملكية
النسخة: الرقمية الجمعة، ١٩ أغسطس/ آب ٢٠١٦ (١٩:٥١ - بتوقيت غرينتش)
آخر تحديث: الجمعة، ١٩ أغسطس/ آب ٢٠١٦ (٢٠:٠٤ - بتوقيت غرينتش) جدة - ا
案の定、文字化けしてしまったが、
数学的記述もこれも自然言語には違いないが、読める人はわずかだ。
アラビア語は右から左に書いていく。それすら知らない人がいるはずだ。
これが日本の「口語自由詩」かといえばそうじゃない。
その線引きは「常識」でするもので、ロボットにはできないのが、その手の
曖昧な境界線上の線引きだといわれている。
だけどわたしたちには、理屈抜きでその手の線引きはできるはずだ。
あまりにも恥ずかしい、荒らし投稿を持ち上げて云々するものではないとおもう。 ('16/08/20 12:41:16 *2)
- φοιτητής :
山田太郎氏,
「荒らし以下のゴミ投稿」とのことだが,論証がない以上,その発言には全く意味がない.仮に最終的な結論が正しくとも,証明に誤りがあれば0点である.まア,山田氏は,他作へのコメントに於いても,実質的なことはほぼ何も語りえていないことがほとんどなのだが.
赤青黄氏,
センター数学で躓く程度の知能の人間が,音楽や絵画はともかく文学を理解し,さらに創作を行うなど可能なのか? ('16/08/20 12:48:14)
- 山田太郎 :
>φοιτητής
おまえに〈論証〉なんか必要ない。クソはだれがみてもクソなんだ。
とにかく荒らしをやめろ。おまえに詩が書けるとは思わないが、人生、
真面目に生きろ。
おれがクソにいいたいのはそれだけだ。 ('16/08/20 12:52:09 *2)
- φοιτητής :
山田太郎氏,
>その線引きは「常識」でするもの
>理屈抜きでその手の線引きはできるはず
全く議論になっていない.理屈抜きで認める前提があるなら,その前提をまず提示した上で,結論が導かれるまでの論証過程を提示せよ. ('16/08/20 12:53:57)
- 山田太郎 :
>φοιτητής
純粋数学ではない、一般論証や一般議論は、まともな精神状態の人間とやるものだ。
(トゥールミンの定義、その1)
おまえのような常識の共同基盤を持たない相手とどのような議論ができると思うのか?
おまえはおとなしくクスリでも飲んで休んでいればいいのだ。 ('16/08/20 12:56:27 *2)
- φοιτητής :
山田太郎氏,
>おまえに〈論証〉なんか必要ない。クソはだれがみてもクソなんだ。
絶句.
>おまえはおとなしくクスリでも飲んで休んでいればいのだ。
突然「クスリ」という単語が出てきたが,山田氏の境遇の投影にすら見える. ('16/08/20 13:05:42 *1)
- 赤青黄 :
山田太郎さん
>あんたの「正直な思い」なんかだれも読みたくないんだよ。
>「正直な思い」なら犬だって正直に吠えられる。そんなものだれが聞きたい?
>そうじゃなく、少しでもじぶんの頭で考えたことを書けよ。
>こんな荒らし投稿が、最低の荒らし以下のゴミだってことはすこしでも考えれば
>小学生だって理解できるだろ。
ただ吠えた訳ではありません。その前に色々書いています。それについての反論であれば聞きますし、その結果僕の分が無くなれば黙ります。
確かに、荒らしと言えば荒らしになるかもしれません。でも、そうじゃないといえばそうじゃないと思います。数学だってやり方一つで立派な読み物になると思います。芸術だとか詩になるか、みたいな所は僕に学がないのでわかりませんので回答出来ません。回答できないというのは何の考えもないという事です。
>たとえばわたしが15歳から習っているアラビア語を、こいつと同じように
どこやらのサイトから丸のままコピーしてここに貼り付け投稿したらどうなる?
コピーした物なのかどうか分かりません。φοιτητής :さんが書いたものではない、ある。という所を、ここで、議論しても無駄だと思います。アラビア語でも別にかまわないと思います。ただ、それをここに投稿するのであれば、翻訳くらいは頑張ってつけて欲しいですよね。そういう読まれる工夫は、最低限ないと所謂「ジャーコン」という形で終わってしまうだろうというのは同意します。
φοιτητής さん
>センター数学で躓く程度の知能の人間が,音楽や絵画はともかく文学を理解し,さらに>創作を行うなど可能なのか?
そこら辺、厳しいものあると思います。僕のそこについてはずっとコンプレックスです。知能がなければ、理解する事も創作する事もできないかもしれないです。
でも、そうじゃない奴もいるかもしれません。探せば例外もいるかもしれません。という所に望みを掛けて物を書いていますが、まぁ、それでもって何か残せるのかとうのは非常に難しい事だと思います。
僕はここで馬鹿を公言していますので、実質ここに関わっている事自体が、ここにとって、あるいは創作している方逹にとって、結果的に害悪になるだろうとは割かし思っていますが、それでも僕はここで物を書いていく予定です。率直なレスありがとうございました。
*僕としてはここで一応レスの返答はやめます。なぜなら、大体僕にレスしてくださった方の意見にほぼ同意しているからです。愚かだと思われても僕は各必要を勝手に感じたので書きました。お二方には深いなレスをしてしまい、申し訳ない。明確な約束に繋げる事はできませんが、なるべく精進に繋げていきたいです。 ('16/08/20 13:05:58 *3)
- φοιτητής :
山田太郎氏,
>一般論証や一般議論は、まともな精神状態の人間とやるものだ。
私が求めているのは議論ではなく論証であり,論証は,相手がどんな人間であっても,言ってしまえば相手が存在すらしなくても,できるものだと思うが. ('16/08/20 13:29:19)
- 山田太郎 :
>φοιτητής
>山田太郎氏,
>一般論証や一般議論は、まともな精神状態の人間とやるものだ。
>私が求めているのは議論ではなく論証であり,論証は,相手がどんな人間であっても,言ってしまえば相手が存在すらしなくても,できるものだと思うが.
おまえさん、やはり頭がおかしいよ。
純粋数学の、数式の論証なら相手が存在しなくともできるだろう。
しかし、何度もいうように「一般的な論議」(「詩とは何か」「口語自由詩とは何か」等)の議論の論証の場合は
お互いに共通の認識基盤(=これをトゥールミン・モデルでは〈論拠〉という)がないと
論証なんかできないし、意味もないんだよ。
だからきみは頭が弱いといわれるんだ。もう、相手はしないよ。これでおしまい。 ('16/08/20 14:21:01)
- kaz. :
理系ってあんた、まだ理系と文系の二項対立に囚われているわけ? こんなところで望月新一の名前を出したりして、彼に失礼やろ。あんた何もわかっとらんな。もうええわ。 ('16/08/20 14:27:28)
- 山田太郎 :
>赤青黄
>コピーした物なのかどうか分かりません。φοιτητής :さんが書いたものではない、ある。
>という所を、ここで、議論しても無駄だと思います。
あのね、ぼく。本人がレスレスで、じぶんからこういってるわけ。
この問題設定は,あるテキストのほぼ丸パクリであり
本人の発言にもとづいて書いてるんだよ。おれは。数学式の解がどれほど素晴らしくとも、美しくとも、
それは自然の姿であって人間の姿ではない。流線型、波紋、水滴、文様、オウム貝、蝶の翅、
あらゆるところに自然の美があり、そこには精巧な数学式がひそんでいる。
そのこと自体を否定はしない。
しかし、そのことと、人間のこころが生み出す有機的な美意識とは違うんだよ。
>知能がなければ、理解する事も創作する事もできないかもしれないです。
あほか。それじゃおれはどうなるんだよ。おれは低能児として特殊学級で学んだ知恵遅れなんだが、
おれよりはるかに低脳なアラメルモなんかが一丁前の顔をして詩を書いているが? ('16/08/20 14:51:37 *2)
- 赤青黄 :
めくじらたてんなよ爺さん。別にあんたの意見にそこまで反対してねぇってかいたつもりなんだが。 ('16/08/20 15:08:28)
- 山田太郎 :
よし! おれも男だ。
φοιτητήςくんにチャンスをやろう。
以下の数式を詩的に論証できれば、φοιτητήςくんの数式も
詩のひとつだと認めよう。
1+1=3
3ー1=0 ('16/08/20 15:11:58 *3)
- φοιτητής :
背理法で示す.つまり,1+1≠3を仮定して矛盾を導く.
1+1≠3の両辺に0を掛けると,0×(1+1)≠0×3.従って,0≠0.これは矛盾.従って仮定が誤りであり,1+1=3が証明された.3−1=0も同様に示される. ('16/08/20 15:26:21)
- φοιτητής :
実数から実数への関数fをf(x)=(x-5/2)^2で定義する.f(1+1)=f(3)なので,1+1=3.3−1=0は,fをf(x)=(x-1)^2で定義すれば同様にできる. ('16/08/20 15:38:02 *1)
- φοιτητής :
標数2の体に於いては1+1=0である…��
従って,2=0であり,3−1=0が示された.
また、標数3の体に於いては1+1+1=0,すなわち3=0である…��
��,�△�ら1+1=3となる. ('16/08/20 15:46:49 *1)
- 山田太郎 :
φοιτητήςくん
問題設定をちゃんと読んでないようですね。
以下の数式を"詩的"に論証できればと書いている。
数学的論証は求めていない。
1+1=3 は初めて子供が出来た夫婦が記念の指輪を注文したさいに、
内側に刻印した数式です。
3ー1=0 は、その中の一人でも失えば家族は崩壊するということを示している。
詩において数式はこのように用いられてこそ真価を発揮する。
純粋数学の数式をそのまま投げ込んでも意味はない。
それと、
わたしがきみや赤青黄に「めくじら立てた」のは、詩論をやるなら、やるで
ちゃんとした基本的な詩の知識や理論の上で徹底的にやれよということ。
中途半端な「詩です」作品と、中途半端な「と思う」意識で、だらだらと、
意味不明な論議をべたべたしているから、いいかげんにしろとなった。
もうさあ、無理はいわないから、φοιτητήςくん、詩を一から
お勉強して出直してきなさいな。そんな甘いものじゃないよ。 ('16/08/20 16:05:55 *1)
- φοιτητής :
山田太郎氏,
それただのクソポエジーでは. ('16/08/20 16:11:41)
- Kolya :
見た目がオシャレですね。俺は算数までしかできないから何書いてあるのかわかんないけど(てゆうかだれかそこのところ教えてよ。中学生くらいもわかるようにさ。何が書いてあるの?述語がぜんぶわかんないんだけど俺)、なんか素敵だなって思った。軽いよね、記述された言語としてのことだけどさ。とにかく見た目がオシャレです。 ('16/08/20 22:02:35)
- 5or6 :
読みました。物語が途中で打ち切りみたいな印象ですね。そのもやもや感しかない。
そこをポエジーと思う方もいるかもしれませんけど、式の中ではつまらないものです。
(p,q)シクシク。
失礼しました。 ('16/08/21 05:48:00)
- φοιτητής :
5or6氏,
日本語をきちんと使ってくれ. ('16/08/21 18:22:10)
- あ :
「理系学生なら誰でも分かる程度の数学」そんな演習をここに張り付けたということ?それじゃ、評価を得られないよねェ。 ('16/08/22 01:32:02)
- 匿名 :
「詩の在り方」なんてものに固執する馬鹿ほど滑稽なものはないな。
昨今の、トイレの写真ですら高尚な芸術となり得る現代では、
如何に数学的でろうが文学的であろうが詩は詩だ。
『詩の勉強』なんてものは自分の好みの詩を描く為の努力でしかない
西洋絵画と日本画のようなものだろ。性質が違うが互いに絵だ。
数式だって文字なのだから、文字は詩になり得る。
得てして、自分の思う物では無いものを荒らしだ荒らしだと喚くのは、自らの歩み寄りを放棄した愚鈍な獣そのものでしかない。
獣に詩は語れんよ。 ('16/08/22 05:50:24)
- 山田太郎 :
匿名くんよ
「ファーストキスは後悔の味だった」←こんな寝ぼけた雑文を、詩などといって
ここに投下しているアホウがなにをいってるんだよ。笑
えてして詩が書けないでコンプレックスを抱いた連中にかぎって、必ず、
匿名のような「逃げ口上」を言い出す。
詩なんてそんな安易に書けるものじゃない。ちゃんと基礎的な勉強をしろ。
どこやらから拾ってきて貼り付けたら詩ですって、そりゃアホのタワゴトだ。
こういうバカたちに安易に賞を与えるようなシステムも変えねばならない。
ゴミ溜めの洟紙にも及ばないクソをここに投げつけている匿名くんがそういうことを
いうのは百年ほど早い。
ここはおまえらの下卑たオナニー実演上じゃないんだ。やりたければどこか人の見えない
ところで独りでやってろ。 ('16/08/22 06:03:21 *7)
- 匿名 :
ほらな、歩み寄りを放棄した豚だ。「逃げ口上」だなんて形容をする時点でお里が知れる。
どこから逃げるというのだ?詩か?まるでライトノベルは小説ではないと言っているおじいさんだ。
純文学とドラッグセックスしている薬物依存症だよ。まるで。
線形空間の事を数式で表すのと「矢印が集まって構成される空間」と表現するのと、何が違うというのか。
用いてる言語が数学的か文学的か、それだけだろう。
詩が高尚なものか何かに見えてるのか?中学2年生でも詩の体を成す文章を気軽に書けているというのに。
やはり中毒者は言う事が違うな。本屋の棚に書かれているラベルを見てからじゃないと、許容すらできないとは。 ('16/08/22 06:16:44)
- 山田太郎 :
>「逃げ口上」だなんて形容をする時点でお里が知れる。
>どこから逃げるというのだ?詩か?
おまえは現代詩が読めないし、わからないんだよ。
そういう若者はごまんといる。
若者だけじゃない。現役の権威ある詩人だって現代詩が読めなくなっている。
それほどにいまは言葉が複雑化して(ということは社会構造が重層化して)
相互に流通する心的な構造(感性の秩序)が違ってきているんだよ。
だから他人の詩を理解するということや、じぶんの詩を立てるということが、
非常に努力や根気のいる時代になってきているんだ。
しかしおまえや φοιτητήςはそういう努力をすっぽかして、
とにかく一気に果実を欲しがっている。
だから小学生以下のタワゴトをほざいているにすぎない。
そんなに甘くないんだよ、現代詩は。なめるなよ。 ('16/08/22 06:22:48 *2)
- 匿名 :
この数式詩だって現代詩の1種だと言っているのに、それを頭から否定して入り荒らしだなどと罵倒した奴が、何をご高説垂れているのやら。
わかったつもりの老害が現代詩を騙ってやがる。ちゃんと語れんよ。貴様のようなコンクリート製の脳ミソではな。 ('16/08/22 06:27:27)
- 山田太郎 :
>匿名
>この数式詩だって現代詩の1種だと言っているのに、
数学は数学であって「現代詩の一種」でもなんでもない。
もしおまえがどうしても数式も「現代詩の一種」であるというのなら、
文学や詩のもつ最低要件である次の四つについて、 φοιτητής氏の
投稿作のどこが、そうであるか、ちゃんと指摘してみろ。
1.韻律 投稿作『線型代数演習』のどこにどのような〈韻律〉があるのか。
2.選択 投稿作『線型代数演習』のどこにどのような言葉の〈選択〉があるのか。
3.転換 投稿作『線型代数演習』のどこにどのような〈転換〉があるのか。
4.比喩 投稿作『線型代数演習』のどこにどのような〈比喩〉があるのか。
これらをまとめて「内在的表現」の要素といってもいいだろうが、いったい投稿作『線型代数演習』のどこにどのような
内在的表現がひそんでいるのか、ひとつひとつ説明してみろ!
おれはこれから朝のトレーニングに向かうが、二時間ほどして帰ってきて、もしおまえが
納得のいく答えをしていた場合、
ちゃんと謝罪しよう。 ('16/08/22 06:37:37 *2)
- 匿名 :
韻律は問題文と回答という形でそれに倣ったリズムであるし、選択は一次独立や生成系というのがそれに当たるだろう。
転換は(i)を踏まえた上での(ii)の証明が転換と言えるし、比喩はこれらを数式として行っている事こそが秘湯だよ。
くだらないな。 ('16/08/22 06:46:17)
- 寒月 :
山田氏の「常に本気」の「さらに本気」を引き出したことに、この詩(?)の唯一の存在価値がある。読んでてピクピクした。1+1=3のクソポエジーなんてほろっとした。揶揄ではありません、朝の本気です。 ('16/08/22 07:31:09)
- 山田太郎 :
寒月さん
1+1=3のクソポエジーはわたしも面白いと思っているんです。
これは米ドラマの一シーンに出てきたお話ですよ。
数式もこんなふうに使われると、クソポジーでも、ほろっとします。
あと、匿名とかいうゴミはおれとではなく、幼稚園児とお話してなさい。
おれに口をきくのは千年はやい。ましておれのレスを罵倒するなんて、
一億年はやいよ。 ('16/08/22 08:38:31 *2)
- φοιτητής :
匿名氏,
「線型空間」と「矢印が集まって構成される空間」は違う.おそらく「線形空間」で検索して,「ベクトル空間のこと」のような説明を目にしたのだろうが,線形空間とは,厳密には,線形空間の公理を満たす集合,体,演算の組のことであり,あなたが思っているような,いわゆる高校流の矢印だけのことではない.例えば,実数値連続関数の成す空間に,関数の和と実数によるスカラー倍を導入すれば線形空間になる. ('16/08/22 08:57:01)
- φοιτητής :
一応言っておくが,問題の「設定」はあるテキストからの引用だが,文面はかなり変えてある.また,解答は完璧に自分で書いたものである. ('16/08/22 09:00:14)
- φοιτητής :
あ氏,
>「理系学生なら誰でも分かる程度の数学」そんな演習をここに張り付けたということ?それじゃ、評価を得られないよねェ。
意味が分からない.数学はあくまで題材に過ぎないが. ('16/08/22 09:04:30)
- φοιτητής :
それにしても,私の1+1=3の証明は,非常にユーモラスでそれこそ詩的だと思ったがな.評価が得られなくて寂しいよ.
あと,山田氏が書いた詩あるいは批評/詩論はどこかで読めますか? ('16/08/22 09:07:25)
- phy :
はっきり言った方がよさそうだね。
数学を読める身としては、
「端正だけど、そっけなくて、野暮ったい」
のがこの詩の印象。
中途半端な手抜きが見えるのは微妙だよ。
線形代数の華たる行列が盛大な手抜きであることを考えても。 ('16/08/22 09:08:59)
- φοιτητής :
phy氏,
ありがとうございます.そういうレスがほしかった.数学を題材に書くならもうちょっと工夫が要るのかなとは反省しています. ('16/08/22 09:16:08 *1)
- φοιτητής :
ネットリテラシが低いため,山田氏のこれはただの芸風であると理解するまで時間を要した. ('16/08/22 14:26:45)
- φοιτητής :
ところで山田氏の作品または批評/文学論はどこで読めますか? ('16/08/22 14:32:59)
- 山田太郎 :
匿名とかいう御仁よ。
いきなり「愚鈍な獣」だの「豚」だのと罵っておいてもう知らんふりか?
おい、「匿名」とかいうゴミよ。
ちゃんとした説明はいつするんだ?
>韻律は問題文と回答という形でそれに倣ったリズムであるし、
なんだ、これは。「それに倣ったリズム」の「それ」ってなんだよ?
おまえ真性のアホか?
こんな恥ずかしい回答しかできないのなら最初から、あなたのいう詩とは
なにか、教えてくださいと頭を下げてくればいいのだよ。
ゴキブリみたいにこそこそ「ケダモノ」だの「豚」だのと誹謗しておいて、
都合が悪くなるとこそこそ姿をくらます。
最低の、ゴキブリ野郎が。
ゴキブリ野郎といわれて腹が立つのなら、
「それに倣ったリズム」の「それ」がなんであるかちゃんと説明しろ。
説明がなければ、いつまでもおまえはコソコソ逃げ回る
ゴキブリ野郎の汚名のままだ。 ('16/08/22 14:36:57)
- phy :
>山田太郎さん
君、笑えるほどトランプくさいね。
自分に理解できないものは存在を認めないのかい?
時代の寵児だねえ。
魔女狩りはさぞ愉しかろう?
世界中が熱狂しているくらいだもの。
ふふ。
名のごとく、見事なポピュリズム。
ねえ、君。
既に秩序が崩壊した世界で、呪いのような前提条件に囚われるのは滑稽だよ。
自由詩の自由の意味を忘れたの?
ああ、それでも繰り返すのが人間かな? ('16/08/22 17:17:12 *1)
- 山田太郎 :
>phy
ずっと米ドラマを見ていたので気付かなかったのだが、また、アホウがなにか
書いているな。なになに?
既に秩序が崩壊した世界で、呪いのような前提条件に囚われるのは滑稽だよ。
呪いのような前提条件? はぁ?
数学は呪いのような前提条件の塊じゃないのか?
おれが1+1=3という数式の自在な詩的解釈を示してみせたのに、
数理的論理から一歩も抜け出られないで、数学の前提条件たる論理にがんじがらめになって1+1=3を
論証してみせたのは誰だ?
(これはこれでよくやった。ご苦労さんと褒めてやりたいものの)
数学(数式)は前提条件の塊じゃないのか?
既に秩序が崩壊した世界で、呪いのような前提条件に囚われるのは滑稽だよ。
そっくりそのまま、phyくんに返してやるよ。
もっとも、phyくんが、無限という概念に〈濃度〉という要素を導入することでそれまでの
数学の体系を根底から揺るがしたカントルの集合論のようなものを書いてきたのなら、
無条件でわたしはそれを詩として認めるにやぶさかではないが。
「呪いのような前提条件に囚われ」ない数式とはカントルの集合論のようなものをいうのだよ。
おれに向かって「呪いのような前提条件に囚われるのは滑稽だ」といったのだから、
phyくんはきっと最新の数学的な前提条件に囚われない、見事な数式をみせてくれるはずだ。
待っているよ。
ま、「匿名」のようにこそこそ逃げるのが関の山だろうが。
それとも何かな、数学の場合は前提条件があって当然だが、文学の場合は「音韻」なら
「音韻」が内的表現の一つとして前提されてはいけないというのかな?
「転換」や「隠喩」が内的表現の一つとして前提されてはいけないというのかな?
phyくんのような低脳が死守している数学的論理と違って、現代詩は言葉の「指示性」や
「合理性」や「利便性」をすでにして突き破って書かれているんだよ。
顔を洗って出直してきなさい。 ('16/08/22 20:14:05 *17)
- 玄こう :
『入門』の教科書(私は共立出版だったが、参考文献ぐらい掲載しておいたらどうだね?)
政経でも法経でも商科でも習うレベルだが、『型通りの知識』をひけらかし、誰でもできる『ワンパタな手続き』をひけらかし みとうもない (みっともない。)
もしあなたが理工系学生なら一回生二回生での一般教養次元であろう。理工出の私からしたら非常に恥ずかしい限りだ。
不親切な、唐突な、単位獲得のためのテスト問題の提示とワンパタな解答。レス対応も、
『理系の人々』は何かと自分の知識をひけらかしたがり、理系学生のなかのさもしい面面のなかには、アイドル系、漫ダラケ、電機街、ゲーム街、そういう場やスポットを自らの聖地のごとくほっつき歩き。(私も学生時代はそんな人々が多数いたが)、このブースの投稿者やトリマキはそんな輩たちか?、
そんなオタクらなら、秋葉繁華街でベンチに腰かけ、スマホでモンスターごっこでもやっていたらよろしいと思われる。そういう愉快な仲間がたくさん群がっているだろう、今年も夏休み。
これでも観ながら合コンの作戦でも立てたほうがいいんじゃね?野郎理系オタクは
https://m.youtube.com/watch?v=j5hXcS3KiFA
以上 、『どうでもいい』コメントをしてしまったが、
数学言語を詩言語にいかに接近させ成立させ得ることができるか?。そういう問いすら、『一般論として』説得する努力もなんらしないまま、こんなレスのやりとりにしても心許ない限りだ。
例えば、数理の神秘と詩の神秘とが直感的に結びつく接点について、神経学から、エトセトラ、とか、何でもいいから。
自らがそういう理系としてきちんと『物を語っていくこと』をしなければいけないだろう。あらゆる系統からいくつも自分なりに設定し論じなければ、『詩言語と数理言語との結婚などとてもじゃないができっこない。
レス対応を見ても半分遊びな態度だ。
岡潔を読んだことあるの?数学者の、広中や矢野健のエッセイ読んだことあるの?
こんなレベル(投稿もレス対応も)こんなレベルなら
譜面記号だってなんぼでも詩として誇張し、ごり押しできる。
くだらない、 ('16/08/22 21:42:44 *1)
- 山田太郎 :
おれは言いたいことの千分の一もまだいってないんだよ。
詩と数学の問題なんか半世紀も前から、たとえば吉本隆明などによって
考えられているんだ。(吉本隆明全著作集 5 文学論 2 詩と科学との問題)
そこで得た知識も、解も、問題点もほとんどまだ語っていない。
これからなんだよ、佳境に入るのは。邪魔するな。 ('16/08/22 21:51:49 *1)
- phy :
>山田太郎さん
そもそも文章を読めてないんだね。残念だなあ、君は散文詩も理解しないに違いない。
さて。
数学は前提条件を疑い、破壊し、再構築することで発展してきた。1/0や複素数が良い例だろう。
しかし君は、詩の前提条件を疑っていない。詩の理論とやらにまさしくがんじがらめになっている。
せっかく束縛から解放された自由詩をまた枠に嵌め戻す気か?
だったら主張すべきは「自由詩は現代詩としての役目を終えた」ということであって、「現代詩」を定義しなおさなければならない。
いったい君は、どこに立って「言葉の選択」と言っているのだろうね。
因みに、私は先程のコメントで、ただの一度も「数学」という言葉を使っていない。数学よりの単語すら入れていない。
その鈍さで、同じ言葉を繰り返す。
自分の掲げた看板くらい、常に背負え馬鹿者が。 ('16/08/22 22:18:24)
- 泥棒 :
いわゆる文学に対して
なかなか
ひねくれたセンスがあり
次作が気になるタイプでした。
でね、
こんなんでいいなら
いくらでも書ける気がするよ。
もっとおもしろく。
でね、
これ系の作品は
わからない読み手に
つまらないと言われたら
終わりだ。
(まあ、がんばれ
と言いたい。 ('16/08/22 22:35:27)
- φοιτητής :
山田氏
>「呪いのような前提条件に囚われ」ない数式とはカントルの集合論のようなものをいうのだよ。
カントールの素朴集合論が孕んでいたパラドックスを克服するために,その後公理的集合論が構築されたことを踏まえての発言だとしたら,相当に皮肉が効いたコメントですね.
玄こう氏,
もしあなたが本当に岡潔のエッセイを読んだうえで岡潔に心から共感するような人間であれば,私と分かり合うことは永遠に不可能だろう.話くらいは聞くがね.
泥棒氏,
ありがとうございます. こんな場所で言うことになって恐縮ですが,私は泥棒さんの詩がとても好きです. この文学極道というサイトを紹介してくれた友人が褒めていたので,この前読んだのですが,どの作品も素晴らしかった.応援しています. ('16/08/22 23:08:24 *1)
- 山田太郎 :
> φοιτητής
まずは「荒らし」呼ばわりしたことを謝っておきたい。
あなたのいうとおりもちろん、カントルのバラドックスを念頭に置いて、
カントルがphyとかいうバカのいう論理の牢獄から科学(論理)を解き放った、
ところに詩人を感じたということです。
あと、phyとかいうバカや玄こう、あ氏らがいうところの、
●「理系学生なら誰でも分かる程度の数学」そんな演習を....云々
●政経でも法経でも商科でも習うレベル.....云々
こういう批判の仕方をする人間の気がしれない。
こいつらはおそらく高等数学ならなにか高尚な詩的雰囲気があって、四則演算は高等式
より劣って詩的ではないというインテリ幻想にとりつかれているのだろう。
数学の難解さの程度なんか、詩的であるかどうかとはなんの関係もない。
数式を使って世界をどう変えてみせたかどうかだけが問われているのだ。
もっというのなら、自然言語がどうのこうのという問題でもない。
言葉は表現されてはじめて言葉になる。
詩人という人種ならだれでも数学は好きだとおもう。
わたしも三十代にはじぶんの限界まで没入して、ああ、ここがおれの壁だという
ところまでいって、ぷっつりやめた。
無学な者相手に数学的知識を振り回す輩かと誤解したことを謝罪しておきます。 ('16/08/23 05:47:03 *4)
- 山田太郎 :
>phy
>数学は前提条件を疑い、破壊し、再構築することで発展してきた。1/0や複素数が良い例だろう。
あんたのいってるそれは数学における「仮定」の話じゃないか。
数学でも論理学でもある仮定の上に存在しているのはあったりまえの話だろ、この薄らバカが。
しかし、その仮定を崩して解を求める時の数式そのものは、ある一定のルール(前提条件)に基づいている。
おれがいったのはそのことだ。
>しかし君は、詩の前提条件を疑っていない。詩の理論とやらにまさしくがんじがらめになっている。
はぁ〜??? きみアタマ大丈夫?
詩作品における詩としての要件「韻律」「選択」「転換」「比喩」などは前提としてそのような要件があるのではなく、
まず歴史的に蓄積された作品群があり、それらの作品群から、詩として成り立たせている要素として抽出されたものだ。
本来「前提条件」でもなんでもない。おまえがかってに「前提条件」といっているからそれに合わせてやったのだが
詩のことなんかなにも理解していないのだね。
おれがいってることは「詩の理論」でもなんでもない。詩そのものだよ。
>馬鹿者
馬鹿者はおまえだよ。笑 ('16/08/23 06:12:15 *8)
- あ :
名前がでたので、すこしだけ。この作品は「演習([5−2]問題設定と[回答])」だけで成り立っていて、他の表白文は無いわけです。本人は『数学はあくまでも題材に過ぎないが』と述べ、『難問を美しく解くのでは、それこそ数学的な面白さだけに着目されてしまう、そういうことがやりたいわけではない』そして、『この問題設定は、あるテキストのほぼ丸パクリであり云々』と述べている。そうなると、本人の回答?題材に着目する以外に何があるというのだろう。この回答で一体何を表現したかったのだろうか? ('16/08/23 08:23:14)
- φοιτητής :
あ氏,
「論理」そのものを詩にしたかった. ('16/08/23 08:54:53)
- あ :
私見ですが、論理は言葉で支えられています。例えて言うなら、どんな迷路でも壁伝えに進めば出口に行くことができる。言葉は壁で、壁伝えに進むことが論理的行為と言えるでしょう。ファイト!がんばってください。 ('16/08/23 09:37:03)
- 山田太郎 :
べつの言葉で言うならば論理は、直感と身体的(生活的)な経験によって、より強く支えられる。
論理そのものを詩にしたいのならば、論理的に書く必要はないとおもう。
おれほど非論理的な人間はいないだろうけど、じつは論理のかまたりのような人間だから。 ('16/08/23 09:42:07 *2)
- すずらん :
例えば、『関数模型』の美しさは(現代美術家杉本博司さんの言葉を借りれば)野心なき芸術の宿り、なのだろうなと思うけれど、そうした宿りがある作品ではないし。
田中宏輔さんの数学詩のように数学観が美しく言語表現されている作品でもないし。寧ろ、観を破綻させて現場主義をもちこむみたいな?
> W:={aX+bX^2|a,b∈F5}とするとき,Wは多項式の和とスカラー倍によってF5-線型空間となる.W*の基底を一組求めよ.
起点から時間が動いてゆき、或る種の構造(スカラーは梯子のイメージだし)によって或る場が生成される。その成り行きを起こすものを求める。
みたいな、線型代数観を作者がパクった問題に乗っけているタイトで美しい文だと思います。
それが[解答]に入ると一転して、問題の美文で見せられた観はうっちゃられて、時間の流れはぶった切られているし、機能表現みたいだし。
だったら問題で「求めよ」と言ったのは、数学美を示す解答ではなく、思考機能の謳歌?
作品からは、よくわからなかっです。
あと、[5-2]とF5の数字はイミフでした。
数学テキストの箍をはずされ注釈なく詩板に置かれているので、ちょっとした臨場感の演出と軽く受けました。 ('16/08/23 09:47:06 *2)
- φοιτητής :
すずらん氏,
[5-2]は問題番号です.F5はF_5と表記すべきだったかもしれません.この定義はすこし面倒なので略しますが,簡単に言うと標数5のとある体の慣用的な表記です. ('16/08/23 10:22:41)
- φοιτητής :
できれば新作の方にレスをくれるとありがたい.あるいは,新作を踏まえてこちらにレスしてほしい. ('16/08/23 11:27:57)
- 山田太郎 :
天才詩人氏のいうような、文学だろうと株式指標だろうと数学だろうとマンガだろうと
言葉は「テクスト」として同じように扱えるというのは、文学の本質をすこしも知らない
低脳の言い草であって、そんなかんたんな話じゃないんだよ。
西欧の文芸理論に盲従している低脳日本人のタワゴトだとおもうよ。 ('16/08/23 11:28:35)
- アラメルモ :
数量に支配されている現実。若いうちに何でも試してみればいいと思う。
そのうちに厭きてきて駄目なものは駄目だとわかります。
いい年をしてイチイチ目くじらを立てる方がおかしいのではないか。
笑っておけばいいのだ。 ('16/08/23 11:45:33)
- すずらん :
お返事ありがとうございました^^ イミフに感じたのは、出典の記載がなくて問題番号いるかなぁとチョット思ったからのですが、でも問題番号がある方が臨場感ありますよね。F5についても、表記としてはわかったのですが、なぜ標数5を選ばれたのかなぁと興味が湧いたからでした。
(新作、私も読ませて頂きますね。レスをお約束した作品があって、そちらを完了してからになると思いますが。) ('16/08/23 12:44:13)
- 山田太郎 :
ところで馬鹿者とおれを罵倒した低脳phyくんからの返事はいつくもらえるのだ? ('16/08/24 07:10:33)
- phy :
お? 一回文章を読めてないと指摘したのに、また雑な読みに妄想(>あと、phyとかいう…)を加えたレス入れて、それで返信が来るとでも思ってるの?
すごい自信過剰。
あるいは私の良心に期待してる?
大概愉快な人だな。
拍手ついでに。
君が言ってる「詩の要件」とやらは、せいぜい詩の分布における最頻値であって、詩の範囲を示すものではない。
第一、現代芸術一般をあなたは理解しているのか?
その上で、断定の世界に生きるのなら、敬意を表そう。
「歴史は繰り返す」
戦争も間近だな。
P.S. 後だしジャンケン何回もやった割りに、「いつく」は放置なんだね。吹いたw
あと今回はお付き合いしたけど、「君にこの作品の荒らし扱いをやめさせる」という私の目的は既に果たされているから、モチベーションがもうないんだよね。
では。 ('16/08/24 21:11:03 *1)
- シロ :
これは詩情を無機質に分解した作品なのでしょうか。
詩情は物理的に形として表現することは難しいわけですが、この作品は新しい意味での詩情と言えるのかもしれませんね。 ('16/08/25 07:28:56)
- 山田太郎 :
phyくんへ
>君が言ってる「詩の要件」とやらは、せいぜい詩の分布における最頻値であって、詩の範囲を示すものではない。
phyくんは、ちゃんとわかって言葉を使ってるのかな?
1.詩の分布における最頻値
2.詩の範囲
この〈1.最頻値〉と〈2.範囲〉は a.だれが b.どのようにして決定するのかな?笑
逃げないで、答えてもらいたい。
すくなくとも「詩の範囲」というからには「詩の範囲」を決定するなんらかの理論があり、それに基づいて、
能書きを垂れているのだろうから。
それともあれか、またしても幼児のように言葉で書かれたものはすべて詩だとか??
ギャーギャーわめくしか能がないとか??
もちろん言葉で書かれたものがすべて詩ではないが、ときに「詩にはなりうる」。
だから、わたしは「数式は詩じゃない」といってるのではない。
現にわたし自身が1+1=3という数式で詩を示した。
しかし投稿の数式は詩の価値としては限りなく0に近い。
なぜ0に近いか。わたしのいう詩の〈価値〉の要件を満たしていないからだ。
ついでに詩の価値の要件とした「韻律」「選択」「転換」「隠喩」とはどういうことを
意味しているか、
吉本隆明の表現論から学んだ、おれの初歩理論のひとつをここに示しておきたい。
こういうことはどんな参考書にも書いてないからよく読むように。笑
さて、
ノーベル文学賞をとった川端康成の小説『雪国』の
あまりにも有名な冒頭の一行は、こうはじまっている。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
この文章を例にとって「韻律」「選択」「転換」「隠喩」について
考えていることを、いま、ここで即席に語ってみたい。
1.まず「韻律」。
吉増剛造がいった「凄い韻律になればいいのさ」(『燃える』)
のあの「韻律」だが、それがこの文章のどこに見出されるか。
国境の 5
長いトンネルを 8
抜けると 4
雪国であった 7
「長いトンネルを」の「を」次の行に繰りあげれば、
国境の 5
長いトンネル 7
を抜けると 5
雪国であった 7
であるから、
音数律としてはほぼ、五七調になっているとみなせる。
七五調が軽快であるとすれば五七調は重厚といわれている。
次に語尾母音の声調を確かめてみる。
国境の (\お)
長いトンネル (\お)
を抜けると (\お)
雪国であった (/あ)
語尾の母音は、お→お→お→あ、となっているのだが、このとき「あいうえお」という
声調を思い出せばわかるのだけど、最後の「お」音は最初の「あ」音に比べて
調子の低い、底に着地したようなある種の心的暗さを漂わせている。
だから語尾母音の声調としては、お\お\お\あ/となる。
次第に底へ底へと心的な気分が落ち込まれていき、いきなり浮揚する感じが出ている。
韻律は指示性のほとんどない、自己表出(内的表現)のかたまりである。
韻律に関してはまだ点検すべきところはあるがこの程度でいいだろう。
2.次に言葉の「選択」。
国境の
「越後湯沢の」、でもなく「上越線の」でもない。「国境の」である。
「国境の」と選択したところにこの作者の美意識と計算がある。
長いトンネルを
「真っ暗なトンネルを」でもなければ、「清水トンネルを」でもない。
「長いトンネルを」と言葉を選択したところにこの作者の美意識と計算がある。
以下、同様。
「抜けると 」「雪国であった」も同じ。
どの選択語彙も言葉に特定地域や習俗や特定の歴史への縛りがなく、読み手の自由意識を
かきたてる曖昧さとして選択されている。
3・つぎに「転換」。これはもういうまでもないだろう。
真っ黒な長いトンネルと雪国の真っ白な世界の対比、転換のあざやかさ。
この転換は順接ではなく逆接だがまったく無理のない鮮やかな転換です。
選択と転換は一体のものといえるわけで、「国境の」でわたしたちは
有刺鉄線で囲われたツンドラ地帯や大平原などを想起する。
つぎに「長いトンネル」で一気にイメージが真っ暗闇な穴へと転調され、
つぎに「抜ける」という動詞の運動感覚でそこから開放され、
最後に「雪国」という銀世界がひらける。
4.最後に「比喩」。
「雪国」は比喩ですね。
もっというと、この一行全体が比喩です。
退屈で陰鬱な暗い日常から別世界へと赴く人間の不安や胸の高鳴りを
「国境の長いトンネル」に託し、そこから離脱して新世界へ突入した歓喜と驚きを
「雪国だった」であらわしている。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
最初のわずか一行にもこれだけの内在的表現の要素がひそんでいる。
このような手間のかかる分析を『雪国』の全行において読み込んではじめて文芸的な評価が
できるというのが吉本の「表現論」というものなんです。
テクスト論ではこういう分析はできません。
なかでも「転換」ですね。転換のない詩ってのはつまり、現実社会や世間一般をそのまま
認め、受認した精神の写像なわけです。つまり順接ばかりで逆接がない言葉。
そういうものをわたしは詩とは認めない。これは理論でもなんでもない。詩の本質だとおもっている。
自由詩だからどんな言葉でもどんな形式でも自由だ。それはそうだろうけど、そこに
韻律や選択や転換や比喩がなければ詩としてはほとんど価値はない。
phyとかいう低脳みたいにね、言葉で書かれたものだからなんでも詩的価値がある
なんてそんなバカなことはないわけです。
まして「詩の分布における最頻値」なんて、吹き出したのはこっちでしてね、
ちっとも詩やことばや文学がなんであるか爪の先程も理解していない低脳の
いうことなんですよ。 ('16/08/25 07:56:38 *10)
- phy :
>山田太郎さん
君はイイタイコトばかりで、読む能力に欠けている。
知恵遅れ、だっけ?
先生にわかりやすく教えてもらわないと、正確にインプットされないんだな。目を引いた文や句だけつまみ食いしてるだろ、君。
まだやるなら。
「自由詩」の定義は?
「散文詩」についての見解は?
「詩として価値がない」=「詩ではない」?
「韻律・選択・展開・比喩」は全て満たす必要があるのか? 「最低要件」か?
「表出」と「認知」はそもそも一致するのか?
「一致すべき」というのはパターナリズムではないか? そしてパターナリズムはナチズムの危険性を孕むが、それについての見解は? マイノリティ排除はどういう結末を呼ぶか? 民主主義は集団の多様性を持って、正常に機能するのではないか?
以上よろしく。 ('16/08/25 08:49:11 *1)
- 山田太郎 :
>phy
>山田太郎さん
>君はイイタイコトばかりで、読む能力に欠けている。
そっくりそのままお返しするよ。
せっかく書いてやったのにきみは何も学んでいないのだな。
「自由詩」というからなんでも「自由」?
あほか。きみは小学生か? 大笑いだ。
「束縛から解放された自由詩」? どんな束縛から解放されたのだ? うん?
表現史的には、定形の枠組みから解放されたのだろうが? それを「自由詩」と
名付けただけだろうに。
自然言語で書かれたものはすべて「自由詩」? あほか。
>まだやるなら。
>「自由詩」の定義は?
きみのいうような何でもかんでも自由という意味じゃない。
よく勉強しなさい。
定形詩に対する非定形詩のことです。
>「散文詩」についての見解は?
曖昧すぎて答えようがない。問を発する時は、
ちゃんと範囲を限定して答えられるように論理的に問うこと。
この質問ひとつとってもきみが低脳だということは明白。笑
>「詩として価値がない」=「詩ではない」?
あのなあ、詩の価値というのは伝達性にあるのではなく表出性にあるんだよ。
もっといえば言葉の伝達性(指示性)と自己表出性の織物のごとく描かれるものなんだよ。
そこで言葉の表出性をx軸とし、言葉の指示性をy軸とするならば、
その座標上にある詩表現の価値が決定される。
y軸上にある伝達性のみの言葉を0としx軸上にある表出性のみのことばを100とするならば、
0といっても言葉である以上、完全な0ではないが、座標上にある限りなく0に近い表出を
詩の価値がない(詩ではない)といっている。
たとえば交通標語などは伝達性に偏っているから指示表出性に傾き、「あら!」のような感嘆詞などは自己表出性が高いことになる。
*指示表出と自己表出。わかりにくい語彙だと思うので、解説。
指示表出=リアリティ(現実)の表出。意味をもたらす。
自己表出=アクチュアリティ(生命)の表出。価値をもたらす。
>「韻律・選択・展開・比喩」は全て満たす必要があるのか? 「最低要件」か?
これも上に同じ。それぞれに0°から90°までの開きがある。
>「表出」と「認知」はそもそも一致するのか?
意味不明。おまえ、最低限、詩の表現理論を学んでこいよ。数学バカが出る幕じゃない。
>「一致すべき」というのはパターナリズムではないか? そしてパターナリズムはナチズムの危険性を孕むが、それについての見解は? マイノリティ排除はどういう結末を呼ぶか? 民主主義は集団の多様性を持って、正常に機能するのではないか?
おまえのような低脳相手に言葉遊びしている暇はない。
この問の答えはそれまでの解答をみれば明らか。表現理論はイデオロギーではなく科学だ。寝言をいってるんじゃない。
>以上よろしく。
以上、おまえが低脳だということがますます明らかになった。
それだけのことだ。 ('16/08/25 09:45:16 *9)
- 寒月 :
んー、うまくいえないけど。詩の金玉は山田太郎がまだ握ってる。揶揄では勿論ありません。素直に整理しています。 ('16/08/25 19:54:33)
- phy :
>作者
ごめん。わざと。燃料投下しつつ、色んなコメントが集まれば面白いかなと思って。貴方の忍耐に感謝します。
>山田太郎さん
まず、川端康成のノーベル文学賞受賞には、サイデンステッカーの名訳が欠かせない。その上で、英訳の分析まであれば、勉強になっただろうね。
「自由詩」については、以下参照。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/自由詩
「現代詩」についても、以下参照。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/現代詩
「散文詩」についても、一応。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/散文詩
>「詩の価値がない」=「詩ではない」?
意図するところが違う。=が成り立つかどうかを聞いている。
ところであなたは「表出性」と「伝達性」をx軸とy軸にとっているが、この二つは直交するのだろうか?
また、連続分布のどこに線を引いて0とそれより大きい値に分けるのか?
>「韻律・選択・『展開』・比喩」は全て満たす必要があるのか? 「最低要件」か?
「転換」ではなく「展開」でいいのか?
それから「全て満たす必要がある」のか聞いている。
>「表出」と「認知」はそもそも一致するのか?
あなたが表現として意図するところと、他者からの認知は一致するのか?
>「一致すべき」というのはパターナリズムではないか? そしてパターナリズムはナチズムの危険性を孕むが、それについての見解は? マイノリティ排除はどういう結末を呼ぶか? 民主主義は集団の多様性を持って、正常に機能するのではないか?
あなたの理論に関する態度は「原理主義」に見える。
また、科学にイデオロギーが入り込まないと思っているのだろうか? ('16/08/25 21:27:11 *2)
- 玄こう :
>もしあなたが本当に岡潔のエッセイを読んだうえで岡潔に心から共感するような人間であれば,私と分かり合うことは永遠に不可能だろう.話くらいは聞くがね
というレスをもらいレスに応対させていただく。長く文書を綴らせていただくが、お暇ならお目通しください。学生当時岡潔の春宵十話という本を科学と倫理だったか名前失念したが科目でレポートさせられ、とんとご無沙汰。まぁほとんど読まずに感想文を提出したかな。 数理の世界も“人間のあみだした脳髄の賜物であると考えている”感情も観念も思想も我々の持つ日常の言語と相等しく。 (例えば“等しい”とは数学記号で“=”で表すが、英語の言葉では“is”に相当するんだ。 と。今亡き詩人・芸術家が話してくれたね。些細な命題かもしれないが自分の感性にすごく中る一言だったね。)※
電車内で携帯バッテリーがまたしても赤いため、後で雑談かもしれないがレス続けます。
※が彼が知てったからか自身が閃いたのかはわからないが、そういう些細な一言に私が驚き、『あっもしやそうかも』、という仮定から、いくつも任意なる実例を経験しながら、『あぁ確かにそうや!』そうして仮定が仮定でなくなり、いつしかあるひとつの世界像がだんだんに生まれてくる。それはその人固有の観念としてかもしれないが、そういう観念が動的に繰りながら新たな世界像をツクる。
詩は私はその人固有の世界が氷山の一角のように海面に少しだけ、その詩の文に現れているにすぎない、と考えている。すなわち理路整然と導くプロセスを求めるような、『物語』(譚や短編小説など)とは、違なる性質を持っている、と思っている。(あなたがあるレスレスでここの田中氏の詩が、難解かもわからない、詩にはそんな性格があるから、……2年3年かけて、詩のもつそうしたところを念頭にし、慣れていけば自然と馴染んでくるのではないかと思う。)
二篇続けて投稿されたのを読ませてもらい、ちょっと質問というか教えてほしいというか考えてみて面白いことが、長く自分にはあり、
>基底
>単位元
>或いは単位ベクトル
>若しくは単位円
※※
数学における概念で上記のには何かしら共通したものを感じているのだが……、それはどんなものか?、
“1”かもしれないが、
なぜ?、
どうして?、
数字の体系それぞれを理解しやすく展開しやすくなることでしかない功利的な偶然の共通規定なんだろうか、いやもっとそのなかに※※の本質があるのか?。、ちょっとそんな素朴な問いを、投稿を読み感じた次第だ。
変なところに目や疑問が向き思い考えを巡らせたことがあったが、ご自身はそれについて何か考えたり、何か知ってることがあれば、たずねてみたいのだ。
上の※※は
>数理の世界も“人間のあみだした脳髄の賜物であると考えている。”感情も観念も思想も我々の持つ日常の言語と相等しく……。※※※
というものはやはり数学にも持ち込まれているかもしれない、表層では見えないが、内在するものがいくらでも※※※としてあると考えているが、
あなたの考えや意見や異見、ついでながら話して欲しいきがする。
数学の記述は小説を読むようにやる、(ゲーテル)。数学とは感情…(名前失念)数学に没頭し一生涯それに生きた人たちのそういう言葉を私は考えてみたりもする。せっかくの機会だ、また春宵十話を読み返したい、あの頃は何も読めていなかっただろうから。だいぶ長くなったか、以上、
……………………………
いや、文書を綴るのが好きだから続ける。
以下かなりまた輪をかけ一人呟いているだけの懐古録の日記だ。だから別に読まんでもよろしい…………………………が、お暇な方はどうぞ。
理学生のグダグダ
学生時、物理の材料実験系でしたから私は数学などというのはとかく申し訳なさげに、様々な自然現象の裏付けとしての手段でした。物理ではやはり数学を道具だてに物理現象を理解する、というのは、そう。
当時を忘れさせないでいるのは、一年次の基礎物理学の講義だ。その先生もだ。金曜日の午後であるから出席者もまばら。教壇に立つ黒い眼鏡に隠れ、彼の覗く眼光は、いつも上目に教室の天井だ。、第一声のお決まりは『森羅万象』と発句?する。そうして、アリストテレス(がどうとか)、ソクラテス(がどうとか)、ユークリッドが、ゲーテルが、ボルタが、ガリレオが、江戸の数学者の関や、やらやらと、過去の科学者の面面のちょっとしたエピソードを話して聞かせる。話しおえると私らに背を向け、無言でおおよそ一時間、師はボードと対峙する。わけのわからん物理の算術、数式をチョークで(私の20年前の当時は黒板だった。)黒板にいっぱい数式を書き連ねていく。
そうなれば、一時間ゲット。寝るわけだ。森羅万象の小話だけ聞ければもういい、充分。寝る。まぁ毎日の睡眠が3時間4時間だったから眼球が飛び出そうなぐらい寝たくて寝たくて仕方なかったからだろう。
学生時当時は親が学費も金もないから、朝も夕も配達し夜も集金バッグを40万近く鞄にかけながら大学に通っていた。本当にもっと勉強したかったがなかなか出来ない環境を暮らしていた。触りしかできずにいて悔しい思いが募る。
(今の若い学生、好きなものが好きならとことん没頭し学ぶ。それができるのも学生時だけだ。有益、役立つことはない、学問や芸術の粋なるものには、そういうものは少ないが、しかしひとついえるのは、その人の将来に向け禍根を引きずるようなものはそこには一切ない、直接社会に役立つものはそこにはない。……だが、内臓には肉付けされている、知識ではない、実にわからないところで、幾年か幾十年かし活きてくる。(文書が逸れた。)
一時間寝てそして講義の終わりに、待ってましたと頭を上げて、先生の課題レポートをメモ帳に写しとる。まともにノートなどとったところで無駄だ。だがレポート課題は持ち帰る。解答出来る代物ではないようなものを学生に出させる。
『ある関数f(x)の線上に、真円rを一定の回転速度で転がせたとき、円上の点Pの描く軌跡を導け。』(ヒント、極座標)
??なんだ極座標って。寝てるからわからない、ネットもないから図書館へ行く。一週間が経ち二週間が経ち、、あれ?これ高校、矢野健太郎編の微分積分の参考書をペラペラめくり、うあぁっ、サイクロイドの数式をぶち込んだらいいだけのことじゃ。
こうした一瞬の閃きがどれほど歓喜にむせんだか。だが、そんな粋な体験が大学時に鮮明な記憶とし、自身にしかわからない一瞬の喜びが一生もんだったりすることがある。
………………つづく?
おわり ('16/08/25 22:22:21 *4)
- 山田太郎 :
phyくんは中学生か?
論理的思考脳力がまるでダメなようだな。
じぶんの頭で考えることもできないし、
他人のいってることを理解する努力もできないようだ。
だから質問がまったくトンチンカンで答えようがない。
川端康成『北国』の分析にどうして英語訳の分析が必要なのだ?
川端がノーベル賞をもらおうともらうまいと、
『北国』という作品の分析とはなんの関係もないだろう。
あるいは
>「表出性」と「伝達性」をx軸とy軸にとっているが、この二つは直交するのだろうか?
というがなんで直交させる必要があるのか?笑
人のいってることを一ミリも理解できないようだね、きみは。
まずは人に尋ねてばかりいないで、じぶんですこしは勉強しなさい。
自由詩の定義も知らなかったのだから、きみがすこしも詩のことを知らないことはわかる。
ならば質問するための最低限度の知識を得てから尋ねるのがマナーだろ。
きみは頭がそうとうに悪そうだから、まずは議論のマナーを学ぶ必要がある。
初心者にこれはぜったい読んで欲しいという議論のマナーの初歩本を挙げるから、
図書館で借りてまずはこれを読むこと。
●議論のレッスン 福澤一吉 生活人新書
これは論理というものの世界標準であるトゥールミンモデルの入門書。
アマゾンのカスタマーレビューを読めばこの小雑誌がどれほど凄いものか
わかるとおもう。目からウロコ間違いなし。
それから吉本隆明の以下の本を読むこと。
●言語にとって美とはなにか
●共同幻想論
●心的現象論
この四冊がわたしに質問する前に読んでおくべき基本だな。
この四冊をちゃんと読んでないと正直、いくら話をしても無駄。
時間はいくらでもある。今日明日中に決着をつけるべき問題じゃない。
晩秋ごろにでもまた質問してきたまえ。喜んでお相手するよ。
(もっともきみに理解できるとはとうてい思えないけどね。きみの頭じゃ数ページで
お手上げだろうから。笑) ('16/08/26 06:29:37 *3)
- phy :
>田中太郎さん
あなたは自分で「ノーベル文学賞をとった川端康成の小説『雪国』」と言っているんだよ。
「言葉の選択」について散々論説を書きながら、あなたは何故自分の論説において言葉の取捨選択をしないのだろうか?
あなたが川端康成のノーベル文学賞受賞についてどうでもいいと思っているなら、「ノーベル文学賞をとった」などと書くべきではないと思うが。
その上、『雪国』ではなく『北国』? 当て付けにしても大概だな。
一応突っ込んでおくが、y軸上の点がx=0なのは、直交座標系においてだろう。
本題にうつろう。
自由詩は世界の変容を捕らえるために、あらゆる形式と内容から自由である必要がある。何故なら、形式と内容に制限を加えた場合、その制限は蓄積された過去の詩に由来し、現在の世界の反映とはならないからである。
しかし一方で、世界全体が過去への回帰を指向しているという認識に基づくなら、過去の詩から抽出した規則に従うのもまた自由詩と言えるだろう。わたしはこれを現代詩と呼びたいところだが。
次に。
詩において韻律が求められてきた理由の一つは暗唱性の向上だが、インターネットの発展により暗唱及び暗記という行為の意義そのものが揺らいで来ている。個人が逐一記憶しなくても、必要な時に検索すれば良いという意見は今後大きくなっていくだろう。
さらにSNS等の発達により、コミュニケーションの中心が音声から文字(+絵)に移ってきた現在において、それでも詩の評価基準として韻律を据え置くことに妥当性はあるのだろうか? 文章を読む際、頭の中で音声として再生しない層は着実に増加している。
ところで、田中宏輔氏の『□詩』は、意味も音声も剥奪され、視覚的規則性のみ残された興味深い作品だった。 ('16/08/26 08:33:30)
- 山田太郎 :
>phy
おまえ、そうとう低脳だな。
>あなたが川端康成のノーベル文学賞受賞についてどうでもいいと思っているなら、
>「ノーベル文学賞をとった」などと書くべきではないと思うが
ノーベル文学賞をとった川端康成の『雪国』と紹介したからといって、どうして
英文に翻訳された『雪国』を分析しなければならんのだ?
おまえ頭、大丈夫か?
>一応突っ込んでおくが、y軸上の点がx=0なのは、直交座標系においてだろう。
誤解を与えたかもしれないが「直角座標」です。
平面上の直交する二軸の各要素(x=自己表出, y=指示表出)で、任意の点の座標を表したものです。
ちゃんと読んでれば分かりそうなものだが?
>本題にうつろう。
>自由詩は世界の変容を捕らえるために、あらゆる形式と内容から自由である必要がある。
>何故なら、形式と内容に制限を加えた場合、その制限は蓄積された過去の詩に由来し、現在の世界の反映とはならないからである。
↑
短歌でも俳句でもちゃんと現在の世界を反映しているが?
数式を使って現在の世界を反映したければかってにやればいいだろ。
それもまた数式の枠内ということで定形詩の一種だから口語自由詩ではない。
しかしまあ、一部のマニアが読むような「数式詩」があってもかまわない。
おまえのような低脳がよろこんでみてくれるとおもうよ。
>次に。
>詩において韻律が求められてきた理由の一つは暗唱性の向上だが、
そういう寝言は寝てからいいなさい。笑
なにが「暗唱性の向上だ」。おまえが中学生以下の低脳であることは
もう閲覧者みなが気がついているんだよ。
おれはヒマ人だからおまえのような低脳の相手をしているが、あまりバカなこと
いってんじゃないよ。
韻律てのは音楽性が言語表現に転化したものなんだよ。
どうして音楽性が言語表現に転化できるのか。不思議なことだが、そもそも人類が
有節音を発したときから、意味はなくともある種の感情=不安や喜びを音声の韻律の
変化によって伝えることができたことの名残であることは確かだろう。
なにが「暗唱性の向上」だ。こんなところでバカ丸出しにしてんじゃねえよ。あほう。 ('16/08/26 09:05:15 *3)
- φοιτητής :
玄こう氏,
少なくとも私には,基底,単位元,単位ベクトル,単位円に何かしら繋がりがあるとは思えません.そもそも私は数学の専門家ではないから,本当の数学者から見れば何か深淵な繋がりがあるという可能性も否定はできないが. ('16/08/26 09:40:56)
- phy :
>山田太郎さん
人に吉本隆明を薦めるわりに、岩成達也は踏まえないのか? ('16/08/26 10:02:30)
- 山田太郎 :
>phy
>人に吉本隆明を薦めるわりに、岩成達也は踏まえないのか?
いや、だから、どうして「岩成達也」が出てくるのだよ?
さっぱり思考回路がわからない。
吉本隆明の詩論は世界水準のものとして海外でも評価されているし、
ミッシェル・フーコーなどとも対談している。
岩成達也の詩は読んだことがあるが、かれの詩論は世界標準のものではないし、
ほとんど体系化されていない。
きみが岩成達也を出してきた理由は何なのか?
教えてほしいものだ。
きみは、さきの『雪国』が英文に翻訳された文の分析の必要性についてもちゃんと答えていない。
そんな英文を分析する必要がどこにあるのか?
わたしにいわせると、きみは頭がどこか分裂している。
この数式詩の投稿者も頭がどこか分裂していることは間違いない。
そういうのはおれ、心的現象論やったからすぐにわかるんだよ。
で、精神異常者というとなんか悪いことをいったみたいだけど、そうじゃなくて、
詩を書くような人はみな、どこか精神に異常をきたしているわけなんだよ。
そういう意味できみらはその異常がある閾値よりはみ出してしまっただけのことだから、
精神科で治療すればすむんだ。
やっぱり数式という、解のあらかじめ予定された世界に、純粋数学の論理といういわば
「牢獄の手法」で感性を閉じ込めるという精神のベクトルというものを考えると、
これはどこか異常であるとしかわたしには思えないんですよね。
だからといってやっちゃいけないとはいわない。やってもいいけど、自分たちが
そうとうおかしいんだよってことは押さえておいてほしいね。 ('16/08/26 10:15:41 *4)
- 田中宏輔 :
ぼくは詩はなんだって、ありだと思うタイプの書き手だから、このような書き方の詩があった方が、詩にとっては、多様性の一つとしてよいと思っています。そして読み手が理解できないものも、ぼくは書いていいと思っています。それもまた詩の世界を広げることになると思っています。ぼくなんか、自分にさえ意味のわからないものを、ときどき書きます。フォルマリズムの詩のような気がします。つぎの作品も楽しみにしています。いま投稿されておられるもう一つの作品ではなく。 ('16/08/26 12:17:16)
- phy :
>田中宏輔さま
深謝。
>山田太郎さん
↓岩成達也を持ち出す理由
http://gold-fish-press.com/archives/38135
>まず、川端康成のノーベル文学賞受賞には、サイデンステッカーの名訳が欠かせない。その上で、英訳の分析まであれば、勉強になっただろうね。
意味
1.皮肉(>「言葉の選択」について散々論説を書きながら、あなたは何故自分の論説において言葉の取捨選択をしないのだろうか?)
2.指摘:あなたの言う「文学の要件」が世界標準であるならば、川端康成『雪国』の英訳でもそれが維持されていないと、 ノーベル文学賞受賞という結果に結び付かない。ノーベル賞の審査対象は英訳かスウェーデン語訳である。
なお、この詩が「異端」であることを私は始めから認識している。(>魔女狩りはさぞ愉しかろう?) ('16/08/26 12:33:14)
- 山田太郎 :
この詩が〈異端〉であるなんてちっとも思わないが???
詩の書けないやつならだれでも思いつくことだろう。
たんに詩になってないといってるだけだ。
「数式詩」という定形分野でもつくって
みなと遊んでいればいいのではないだろうか? ('16/08/26 14:43:57)
- 田中宏輔 :
これだけレスポンスがつくのですから、作品として価値のあるものだということでしょう。ぼくの全行引用詩も、はじめて投稿したときの拒否感はすさまじかったです。HNを替えてまでしてくるアラメルモさんからの執拗ないやがらせを、まだ憶えています。持続して、書いていってほしい書き方の作品です。 ('16/08/26 15:12:59)
- 山田太郎 :
>田中あつすけ氏
>これだけレスポンスがつくのですから、作品として価値のあるものだということでしょう。
レス数と作品の価値とはまったく関連がない。
むしろこれまでの経緯からするとその反対のほうが多かった。
>ぼくの全行引用詩も、はじめて投稿したときの拒否感はすさまじかったです。
誤解しているようだが、わたしは「拒否」しているのではない。
詩の価値がほとんどないと言っているだけ。そう感想コメントしただけなのに、
「ケダモノ」だの「豚」だのと誹謗中傷されたから、それに反論しただけだ。
詩の価値が低い理由は特殊な定型(数式)の枠内でしか語れないから。
いや、語るというよりゲームの快感でしょ。そんなものは詩とはまたちがう
面白さじゃないかと思うがね。 ('16/08/26 15:26:00 *3)
- 田中宏輔 :
定型をつくるというのは、たいへんな偉業だと、ぼくは思っています。これまで、自由詩のなかで、定型をつくった詩人はごくわずかです。この方が、これから自由詩のなかで、定型をつくられるのなら、それはここ、文学極道の詩投稿欄の名誉となると思います。 ('16/08/26 15:29:43)
- 山田太郎 :
いや、「定型」を作るなんてことはできていない。
そもそも数式は何千年も前からあった。
問と解をそのままコピーしたり、問の解をそのまま記述しても
それは数学そのものであって「定型」ではない。
文学極道投稿欄の名誉になるようなものであってほしいと願いますが、
このままでは、ただの数式のコピーにすぎない。 ('16/08/26 15:32:05 *1)
- 田中宏輔 :
このようにまったく異なる見解がいくつもあらわれるということのなかに、すばらしさがあるのだと思います。ぼくは目を瞠ります。 ('16/08/26 15:32:36)
- 山田太郎 :
いや、数式をそのままコピーするようなものより、
ふつうの言葉でちょっとびっくりするようなことを書いた幼児のほうが
よほど素晴らしいとわたしはおもう。
それから「まったく異なる見解がいくつもあらわれ」てはいない。
そもそも「見解」などという立派なものは皆無だ。
ただただ、わたし以外の人たちは、いいか悪いかだけをつぶやいているだけ。
田中さんとかそれから天才詩人さんらのような、芸術一般をすべて「テキスト」と
して融合して語れるし、批評もできるんだという考え方は、すこし時代遅れの、
近代主義者の言い分であって、
言葉の表現という問題からすると、もうぜんぜんおかしいんです。
小説も詩も標語も株式指標も数式も、どうしてそういうふうになったのか、
なぜ、それぞれ文明の発展とともに分化されて、
アメーバーが食指を広げるように、それぞれ固有の原理原則をもった表現の
形態をもつにいたったか、そこをすこしもわかっていない。
はやい話が、詩や文学が行き詰ったら、必ずこのような先祖返りという退化現象が
起きる。
なんでもかんでも「詩」という範疇に入れちまえと。
標語も株式指標も電話帳も数式もどんどん拡張して縄張りをすてて融合してしまえと。
そういうことは、理論的には出来ても、じっさいにはなんの意味もないんです。
田中さんのいう、どう表現しようと結局「わたし」の表現だという、そういう近代主義的な
遅れた思想というか、個人幻想の捉え方というのは、単純すぎてお話にならないわけです。
この文学極道では田中さんや天才詩人氏がそういうバカなことをいって、どんどん、
詩の領域の拡張ということを考えている。
詩の領域の拡張は大変大事なことだしおもしろいことだけど、田中さんや天才詩人氏のいまの
低劣で退化したような考え方じゃ理論的には、あるいは口ではそういうことをいえたり、
やれたりしたことろで、すこしも進展などないとおもいます。
おそらくただの空疎なお祭りにすぎない。コーリャとかああいうバカがそれに乗っているが、
運営が冷静なのがいまのところ唯一の救いです。 ('16/08/26 15:36:14 *2)
- 山田太郎 :
田中宏輔さんの引用詩の場合はそれをなぜ書くかというモチーフと
それをどういうふうに展開するかというビジョンがあった。
φοιτητής氏にはそれがなく、ただ書いてみて、
周囲の反響をうかがっているだけ。
なんのテーマもモチーフもビジョンもない。
あるなら、ちゃんと注解して理解を求めるべきだろう。 ('16/08/26 15:47:51 *1)
- 田中恭平 :
植物を愛することに植物学は不要であって
天体を愛することに於いては天体学なんてものは尚不要ではないか
って足穂は書いているけれど
数式の良さというのは寧ろ、ヒューマニズム、ドロドロとしたものも
偏執であれ美しさというものを排したところにあって
つまりこれが詩というか文学であるとすれば
それらと拮抗していて反文学、反現代詩(なつかしい!)でないと
いけないのではないか。
すると、ここに投稿したとき、定義上は是を詩とみなしたからで
この作品は寧ろ評価されない、その定義が否定されなけれは、反である証は得られない。
どんどんボコられていいんじゃないでしょうか。
これは倫理的視座ですけれど。
(コメント 誤字編集しました) ('16/08/26 16:37:51 *4)
- st :
φοιτητήςさん、あなたの立場は実無限派なのか可能無限派
なのか、最も重要な前提ですよ。
ちなみにカント―ルはもちろん実無限派で、クロネッカーは可能無限派でした。
すべてはこの前提から始まるのですよ、数学は。
1文字の草野心平の冬眠「●」でも詩だという人もいるので、その人たちに
とってはこの出題-解答も詩といえば詩ですが、冬眠「●」は詩ではない
という人も多く、クロネッカーがリンデマンによる円周率 (π) の超越性
の証明(1882年)を「美しいが、しかし意味のないものだ。何故なら超越数
は存在しないのだから」と言っているように、これを詩と認めない、あるいは
山田太郎さまのように詩の価値が低いという立場によって"美しいが、しかし
意味のないものだ"ということもありうるのです。 ('16/08/26 16:42:16)
- 田中宏輔 :
たとえ否定的なものとはいっても、ひややかな無視よりも、こんなにたくさんコメントがつくことは、芸術家にとっては、うれしいもののような気がします。それに、山田太郎さんのコメントで、作者も得るところがいろいろあったんじゃないでしょうか。 ('16/08/26 17:13:12)
- 山田太郎 :
田中恭平さんやstさんの言い方をわたしなりに敷衍すれば、
数学が詩に近づくのなら、それなりの過程があるはずで、詩人よりもまず、
その数式を見て数学者たちが瞠目するような数式を創造しているはずだし、
詩が数学に近づいたのなら、これまた、その段階を踏むはずで、いきなり
ありきたりの数式の問と解をコピペして、これが詩でございますといっても
いったいだれがそれを評価出来るのか? ということです。
素晴らしい詩だとか、美しいとか言ってる人は無理をしているとおもう。
あるいは、じぶんが少々数学ができることを自慢したいだけだろう。
あまりにもいい加減でデタラメな思いつきにすぎない。
もっとも人類の進歩や発見はデタラメな思いつきの積み重ねということがあるのも
また事実だ。しかし、この投稿詩にはそのような、心のときめきも、
雷に打たれたような衝撃もなにも感じない。
もちろん、投稿は自由だが、わたしは一作見ればもう十分です。
こういう詩が好きな人があれば好きにすればいいけど。 ('16/08/26 17:17:24 *2)
- 田中宏輔 :
もう執念ですね。びっくりするほどの。怖い。 ('16/08/26 18:31:11)
- 田中宏輔 :
ぼくも全行引用詩を、ここに投稿させていただいたときに、どなたかから、「一作で十分」と書かれた記憶があります。死ぬまで「全行引用詩」を書きつづけるつもりですけれど。 ('16/08/26 18:40:56)
- アラメルモ :
おい、おい、ちょっと待ってくれよ、アツスケ。はじめて投稿したときからHNを替えてまで執拗な嫌がらせって、、それ俺じゃねーだろ。凪さとか誰かだろ?俺は応援してたよ。きみが投稿はじめてから二年〜三年目くらいまで二人はLOVE2だったじゃんか。ボケたの?ヨロシクネ。イエー。
それからもういい加減にしやがれ。数学数学って2301あたまいてーんだよ。 ('16/08/26 19:10:04 *3)
- φοιτητής :
各位,
今後この作品に言及するのであれば,別に投稿した「ある例題を解くまでの道程に生まれる詩」を踏まえてほしい.もちろん強制ではないし,そもそも強制する権利など私にはないが.
st氏,
何故この詩を読んで無限の話が出てくるのかさっぱり分からない. ('16/08/26 20:05:17)
- 山田太郎 :
執念といえば執念だね。おれのこいつに対する嫌悪感は半端じゃない。
いわゆる学識詩人(「IQ高官」)への嫌悪、反発は死ぬまでやめるつもりはない。
少なくともここは伝統的に代表から代表へと受け継がれているはずだが、
「現代詩」から「読まれるもの」がテーゼだ。こんな数式、おばあちゃんから
子供まで、だれにでも読めるわけねーだろ。なめるな。 ('16/08/26 20:07:49 *1)
- 田中恭平 :
追記
私は別段、この詩をきってはいなくて
自由詩の自由という語が定型詩に対する自由詩だとすれば
本来的に、詩は自由ではないのか、というと普遍意識として
定型詩の方が、現代では特別な立場にある。
ノンフィクションという言葉がありますけれど
フィクション、つまり作り話、嘘に対して接頭語としてノンを冠するならば
創作されるものは、前提が作り話である、ということを
現在、共有している。
現代詩の語が、定義するものと、例えばこの品は私はテキストだと
思うのですけれど
文学極道を眺めていると、現代詩というものとテキストは
何か フィクション ノンフィクションの関係性の中で対しあっているというのが
あると思うのです。
急ぎ足で書きましたが、テキストとしての品として
極めて極端にふりきっているのが、この品であるかも知れないと思います。
('16/08/26 20:16:54 *1)
- φοιτητής :
下らない横槍は承知で言うが,「おばあちゃんから子供まで」,範囲狭いなw ('16/08/26 20:17:23 *1)
- 山田太郎 :
>φοιτητής :
>各位,
>今後この作品に言及するのであれば,別に投稿した「ある例題を解くまでの道程に生まれる詩」....
だから、そんな詩はどこにも生まれてないっての。あんたの妄想だよ。 ('16/08/26 20:17:54)
- アラメルモ :
三年くらい刻を経てからかな。嫌がらせだと受け止めたのはアツスケ本人がバカだから。
鴎州塾ですかねここ。変な人ばかり。 ('16/08/26 20:25:52)
- 山田太郎 :
>田中宏輔
>ぼくも全行引用詩を、ここに投稿させていただいたときに、どなたかから、「一作で十分」と書かれた記憶があります。
実際、そうなんじゃないの?
わたしは最近、面白く読む姿勢を考え出したから読めるようになったけど、ふつうは
田中さんのは一作で十分と思う人が多いでしょ。
でなければあなたの詩集はもっと売れているはずですよ。
一作で十分というのはある意味、あなたの詩が詩である証拠ともいえる。
そんなことで文句をいうとは!
もっともこの愚劣な数式の放り込みには、荒らしとしか思えないけどね。
運営がこれを優秀賞にあげたら逆に面白いのだけどね。 ('16/08/26 20:36:25)
- 寒月 :
このたくさんのコメントって山田太郎さんの「さらに本気」に付いたようですよ。ずっと読んでて、この作への批判を通り越して、「詩」に対しての山田さんの思いを感じます。体中から鱗が落ちました。!。舞踏。/「何を相手に分かるように言い換えているのだろうか」=「もう少し分かりやすく書いてほしい」でこの作への興味も無くした。 ('16/08/26 20:49:00)
- 玄こう :
>少なくとも私には,基底,単位元,単位ベクトル,単位円に何かしら繋がりがあるとは思えません.
あなたとそれについて深く対談できれば、な、という希望はそがれた、ちょっと残念ですが。
まぁ、数学を専攻してなくても、数学は定理や定義や公理を用い、自らであれこれプラモのパーツを組み立てる類いで、教科書に依存しながらの、(ペンネームも変な2チャンネルじみた作者名であるも然り、)
数学カタギでもない者が、数理を使い、文学に精通している読者にアテツケてみた、という、お試し投稿かな?。自己解放のカタルシスか?。
数学を含め理学の論文系はそれこそ、専門のテクストから次のテクストへ、書籍や論文をくまなくアサリながら、自分のその分野での『これだ!』という方向性を直感的に探りながら、
理系?の人(あなたの専攻が)てっきりそう思っていたが…もしあなたが数学ではないにしても理系出身、もしくは在中であるとして、ながら詩にまでも手を伸ばしたいなら、
数理哲学をたくさん読んだらどうか、と思う。ホワイトヘッド、ラッセル、ヴィトゲンシュタイン、そうした人の書籍が、(数理と文学の橋渡しを私にしてくれた!。)
そういう書籍を手に開き、1ページ読み、またもう1ページ読み、『自分から深く考えること。』
そうしたものを自分のメモ帳にこまめに、自分が感じたこと、考えたことを言葉に残しておくこと。
詩や文学に『専門知識』は要らない。自分から深く考えることだ。そういう訓練をしなきゃ詩なんか書けんよ。
話しを交わしたいことを、いっぱい準備していたが、すごく残念だ
ショボショボ。
good-bye (′ .')y-~~~ ('16/08/26 23:57:05 *2)
- 田中宏輔 :
山田太郎さん、ごめんなさい。思潮社オンデマンドという限られた詩集のなかだけど、ぼくの詩集が、いちばん売れているの。こちら→http://www.ailight.jp/Amazon/Search/All/%E6%80%9D%E6%BD%AE%E7%A4%BE%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89 ('16/08/27 00:22:53)
- 田中宏輔 :
そのなかでだけど、『全行引用詩』が2番目に売れているの。ほかに名前の知れた詩人は何人もいらっしゃるんだけどね。こんど、思潮社の現代詩文庫に入った詩人もいらっしゃるんだけどね。 ('16/08/27 00:25:33)
- 田中宏輔 :
この方の作品は、これまでの日本現代詩にはなかったフォルムをつくってらっしゃるって段階だけでも、ぼくはすごいと思っています。もしも、ぼくに、「日本現代詩100選」をつくらないかって、お話がきたら、この方のこの詩のフォルムはぜったいに入れるつもりです。それくらい、この詩のフォルムは、強固だと、ぼくは思っています。 ('16/08/27 00:35:08)
- 田中宏輔 :
思潮社オンデマンド ランキング ごらんになられたときに、うえで、ぼくが言及してる順位が違ってたりしてたら、ごめんなさいね。ランキング順位、ときどき変わるから。 ('16/08/27 00:47:50)
- 玄こう :
田中さんへ
>これまでの日本現代詩にはなかった、
フォルム×フォルム×フォルム 笑)
どっかの書籍やテクストやテキストを写し盗り『自作と称する』のを“フォルム”と考えてらっしゃるんだとわかりました。そんなもんは、ユニクロのプリントTシャツと一緒じゃないかと思うがね。
作品のあなたの過去の似た形式を自分で知らなかったのだが、あとに続いて発明した、笑)んだろ。
質問します
あなたにとって
フォルムって何を指すのですか?。どういう意味で考え用いてらっしゃるのか、判りかねています。
(ご自分のネットループを貼り付けずに、文書長いから、携帯電話やし)
できれば短い文で数行程度でまとめご教示ください。 ('16/08/27 01:08:17 *1)
- 田中宏輔 :
意味のわかる日本語を書きなさいよ。「作品のあなたの過去の似た形式を自分で知らなかったのだが、あとに続いて発明した、笑)んだろ。」なに、この日本語。それとも日本語じゃないの? ('16/08/27 01:33:13)
- 田中宏輔 :
フォルムは「型」って意味だけど、それ以外に意味があるのかしら? ('16/08/27 01:41:35)
- 玄こう :
頭は産まれつき確かに悪いですよ。数学の偏差値も40だったから事実、だが記憶力とか洞察力においてはまだまだ負けられないがね、。
美術で意味するフォルムは、かなり感得してきたのです。(石膏の塊・人間や動物や静物のデッサン)
だが“詩の持つフォルム”というのが、まだまだ感得できていない解らない。
だから…お尋ねした次第。
なかなか一言二言では表しにくい、ならけっこうけっこうコケ・コッコウです。
も、私はそろそろ寝ます。 ('16/08/27 01:52:38)
- 田中宏輔 :
「詩の持つフォルム」というのがわからないというよりも、日本語自体がわからないんでしょ? なに、この日本語、「作品のあなたの過去の似た形式を自分で知らなかったのだが、あとに続いて発明した、笑)んだろ。」 ('16/08/27 01:58:51)
- 田中宏輔 :
「記憶力とか洞察力においてはまだまだ負けられないがね、。」 えっ? はっ? ええっ? ('16/08/27 02:11:32)
- 玄こう :
確かに私は、日本語も上手に綴れない。
フォルムは型というのは辞書にも書かれている。
そんなことは私だって百も承知しています。
あなたの創作のフォルムが過去にあったみたいに、
私も書いた詩でも似た経験がありました。
>詩の書ける自身の自信余りてチリジリの字
>のの字色 のの字色
>のびのびの のびのびの>伸びきった
>すべて言葉のお花のオハナムケに
>目の
>託す
>毛筆隠者のけむくじゃら>底
>暗部の
>息する
>かまほりの
>れんこんの
>どいてミルク
>の
>城の合間の
>四つんばいの
>目の歯の
>口の痔の
>ケツの
>ちゃんと蹴れ
>景色のにしんの
>夜店閉店夜店の
>欠けもの
>ものにももののケケ文句>詩の死の紙のノシ袋
>のの字色の助詞無きことずての世迷言
>兎の
>楓の
>オチ
>駄文オチ駄文駄文の駄文落ちダウンのダウンのおちゃべりダウンのダウンオチ/トチクルトチクルトチクル脳の/味噌汁の/落ち葉添えてモハエロエロのゲゲリンタマチクリン/ノノジイロノだ!ノジイロ!/すべての詩のすべてのくだけたくだらぬくだをものものものもうすクダの/土手足ミルクの揚げ足トリのお膳立てのドテの/のこのこノコノココウス鳥の喉巣興からこの今日から/ここ朽ち果てろざま!!/いやいやまだ参るか参るか参るも参るも/漂浪(ひょうろう)包帯巻く千鳥足の出た屁へ/さらさら沙羅双樹のしんじるたまげたゲのゲの下駄のしたの尻のしめくくりの/しのしのしのしのしねぶくろ/ふくろのせんのふうぎりがみふうせんのふうされた風物詩/しんじる枯れるも、終わるもすべて良し/しわがれのどぶえの矢!の目!/ほほぼねうぬぼれほほぼねおれるやさきやなにようげんこうななんのなんの/おほおれみいよげこげこなにようげんこうななんのなんのほおれみいよげこげこ/げりあおがえるめのめのめのめの矢の芽のやめのやめのやめのやめのややめのやめの/めやのめやのめめしいめのめのゆめのゆめのめのみょうみょうみょうしん/みょうみょうしんみょうみしんしんみょうしんしんみょうみしんしんみょうみしんしんみょうみしんしんみょうみ
現代詩人の那珂太郎が【似たことを】詩でやっていた。後で知り愕然とした思い出があります。【自分のオリジナル作品でありつつも過去に似たことを誰かがやっていた、似たような型。
かたや田中さんの引用や、こちらの投稿者、詩の入口にも入ってない人が、どっかの数学教科書を詩のなかに『あて嵌め』、それが詩のフォルム?『型』なんですか?。
フォルムを云々するという段階がそんなふうなら、あまりに甘い気がする。もっと厳しい態度で、求めるべきでは?
あと、
今月の詩の日めくりのなかの、ミロの彫刻についての珍トークの文書を読み、私が思うことがあります。勿論、彫刻の(美術の)フォルムについてのこと。清岡の教科書を引っ張り出してもそんな、文学!の作家には、わかるはずもない内容を、田中さんの作以上に、
`_´
思うことを、一言二言、次の投稿される作品で余談としてレスするつもりでおります。
作品については
もう少しポジティブな態度で、次は送らせてもらいます。
以上です。
寝ます。
失礼しました。
≡夜半から≡のコメントを立て続け、田中さんに宛てに、他者さん、作者さんにお騒がせした。m(_ _)m。
っわり。 ('16/08/27 03:32:52 *2)
- 田中宏輔 :
二度と、ぼくにからまないでほしい。 ('16/08/27 03:48:08)
- 田中宏輔 :
どこかで、二度とぼくにからまないて書いてなかった? 記憶力あるってさっき書いてなかった? びっくりだわ。二度とぼくにからまないでくださいね。気持ち悪い。 ('16/08/27 04:02:22 *1)
- 田中宏輔 :
もうあなたへのレスはしません。時間の無駄ですから。バカバカしい。 ('16/08/27 04:04:07)
- アラメルモ :
いつもはサッサと消すくせに、他人を持ち出すときは消さないのね、アツスケあんたって人は。
間違えて書き直しするくらいならいちいち名前出さないでよね。失礼なやつ。 ('16/08/27 04:25:16 *1)
- すずらん :
>山田太郎さん
> 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
驚かれるかもしれませんが(引用の意図に反して)、『ある例題を解くまでの道程に生まれる詩』をふまえてこの『線型代数演習』を読むと
川端康成の『雪国』の冒頭とのタップコップは、山田太郎さんを、前衛小説詩みたいなこの作品を理解しようとする読み手の良きガイドに押し上げていると思いました。
ぶつけ方もぶつける方向も当たってはいないと思いましたが、『雪国』とは、その直感にはひたすら脱帽です。 ('16/08/27 10:58:25)
- すずらん :
>φοιτητήςさん
『ある例題を解くまでの道程に生まれる詩』をふまえて、この『線型代数演習』を読み直し、三島由紀夫による『雪国』評を少し思い出して、この作品は数学語を用いた前衛小説詩みたいだなと思いました。
(先ほどレス欄に目を通したら、『雪国』があがっていてチョットびつくり!視点は違いましたけど。)
でも前衛小説詩と読むには、呆気ない感じがしました。といいつつ、この作品の中では、なんて言葉1つ1つがシャープでシーンを抱えているのだろうと感動もしました。詩の言葉の新たな発見に感謝します。 ('16/08/27 12:15:35 *1)
- 田中宏輔 :
山田太郎さんの「田中さんのは一作で十分と思う人が多いでしょ。/でなければあなたの詩集はもっと売れているはずですよ。」という見解は、いったい、なにをもとにしたものなんだろう?
思潮社オンデマンドというところから出てる比較だけど、ぼくの『全行引用詩』は、そこそこ売れているようです。ここ→http://www.ailight.jp/Amazon/Search/All/%E6%80%9D%E6%BD%AE%E7%A4%BE%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89 ('16/08/28 14:09:29)
- 田中宏輔 :
phyさんへ □詩、ごらんくださり、ありがとうございました。最新詩集に収録したかったのですが、思潮社オンデマンドは、amazon で本体を制作するのですが、amazon のコンピューターがエラーという表示をして印刷できませんでした。ですから、□詩の完全版は、ネットで、つぎのところでしか、ごらんになれません。ルビも□がきれいに入っています。→https://docs.google.com/viewer?a=v&pid=sites&srcid=ZGVmYXVsdGRvbWFpbnxzaGlzaGlvcmFjbGV8Z3g6ZWNhMDBiYzZkYzk1YjFm ('16/08/28 14:17:37)
- 山田太郎 :
田中宏輔さん、そこは数日前に読みました。
田中さんのが売上トップというので、感心するやら、びっくりするやらでした。
大したものだと思います。わたしには関係ないけど、文極でコメントを交わす者として、
なにやらうれしかったです。
ただ、わたしがいったのはそこまで範囲を限定したものではなく、
入沢康夫とか荒川洋治とか野村喜和男とか、
そういうった人たちの売上とを漠然と想像してのことです。
田中さんの詩がそういう人たちより売上が多いということであれば、
これはもう脱帽ですし、深く謝罪するしかないと思います。
どうもほんとうにすみませんでした。
ご活躍、たいへん素晴らしいことだとおもいます。 ('16/08/28 14:22:20)
- アラメルモ :
そう、田中アツスケは文極に感謝すればいい。文極のおかげさまだよ。
もういいから自分のことは。書くところが違うでしょあなた。いい加減にしなさい。 ('16/08/28 14:23:09)
- 田中宏輔 :
山田太郎さんへ
ごらんくださったのですね。ありがとうございました。
アラメルモさんへ
もちろん、文学極道の詩投稿掲示板のおかげです。ぼくの創作行為の幅が拡がりましたよ。こころから、感謝しています。でも、書くところは、ここでいいんじゃないかな。話題として出てきて、ぼくがそれに対して答えたのだから。 ('16/08/28 14:29:19)
- 田中宏輔 :
山田太郎さんへ
思潮社でいま売れているのは、つぎのようなものです。新しく出たものが売れる傾向があるようです。→https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1/353-7460141-0355568?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E6%80%9D%E6%BD%AE%E7%A4%BE&rh=n%3A465392%2Ck%3A%E6%80%9D%E6%BD%AE%E7%A4%BE ('16/08/28 14:39:44)
- 田中宏輔 :
ぼくの詩集がこのトップページに出ていたときもあります。 ('16/08/28 14:42:07)
- 田中宏輔 :
ぼくは数学的な価値にではなく、この詩のフォルムに着目しました。ぼく自身がフォルマリストだからだと思います。 ('16/08/28 14:51:24)
- 田中宏輔 :
むかし、思いついたのですが、「1+1=1」も正しいと思ったことがありました。1つの粘土と1つの粘土を合わせて1つの粘土にできますものね。この考え方からすると、「2+3=4」なんていうのもできますし、いろいろな計算ができそうです。 ('16/08/28 14:54:33)
- 山田太郎 :
「1+1=1」や「2+3=4」が正しかったり、
あるいは田中さんのとはまた違って無から有が生まれる数式
「1+1=3」がそのまま、ふつうの人たちから受け入れられるのは、
そこでは数式が人工言語から自然言語に転換されているからでしょう。
1や2といった数字が規範を離れて自由なイメージをもつからですよ。 ('16/08/28 16:02:00)
- 田中宏輔 :
その通りだと思います。 ('16/08/28 16:05:34)
- 山田太郎 :
常々、畏敬している「すずらん」さんや田中宏輔さんが認めるのだから、
おそらくこの投稿作にはなにか斬新なものがあるのでしょう。
今後の進展を長い目で見守っていきたいとおもいます。 ('16/08/28 17:53:45)