細かい雨が降る朝に、
伝えたいことが
何もなくなって、
笑えなくなる
小向の厩舎では追い切りから戻った馬たちの
水を含んだ体温が
空へ向かう
そうして、また
雨が降る
そんな朝を
かなしい、と
傲慢に思っても
何も思わなくても、
また、
朝が来る
顔を入れた飼葉桶から
草を食む音がきこえる
世界で一番やさしい音階が
雨音を消して、
多摩川が静かに流れる
海へ向かって、
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20140721_157_7553p
- 子豚 :
Lisacoさんの初めて読みました。二連目がいいなと思いました。 ('14/07/21 10:54:22)
- 中田満帆 :
エスキースどまりという感触がする。まだまだ書き込める余地があるようにおもう。 ('14/07/21 13:17:54)
- RIO :
読みながら李白の「静夜思」を思い浮かべました。
4連が五言絶句の4行とシンクロしている感じ。
ピタッと着地が決まったのではないでしょうか。 ('14/07/21 18:14:21)
- 右肩 :
Lisacoさん、こんにちは。
細かい雨を見ると、体の中が濡れてくる。
乾いたラッピングペーパーがひたりと言葉に張り付いて、やがてじわじわと破れてくるので、もう誰にも届けられなくなる。
笑いは言葉の属性なので笑えない。意味なく笑うというのは、実は生きた人間のすることではない。
だから世界は言葉無きものが治めている。
たとえば、馬。正確に言えば馬にもプリミティブな意味での言語があるかもしれないが、「私」は馬の言語を認めることができていない。ただ言葉無き他者という総体の一部として馬は走り、甘い汗が循環して世界は治まる。
風景、というものの持つ意味を「私」の体は考えている。
体もまた意識が斜視する他者である。悲しみであろうとなかろうと、意識される感情は傲慢で不潔でしかない。
天体の運行が何万の人の、傲慢な主体を縊り殺しながら、朝の倦怠が繰り返される。倦怠は人のものでなく、他者についての属性なのだろう。
「私」はそれに気がつく。
飼い葉桶から草を食べる。馬が食べることは、すなわち私が食べることであり、時間も無言で自分の尻尾を食べている。
多摩川の水が海に向かった亀裂を這い進み、今度はやさしさが「私」を攫う。
そして「私」はたちまち人という悲しみを肯定する。
こんなふうに読んでいました。 ('14/07/21 18:57:08)
- Lisaco :
子豚さん、コメントありがとうございます。
二連目を書いて何とか作品に出来そうだと思い最後まで書いた作品です。 ('14/07/22 00:09:14)
- Lisaco :
中田満帆さん、コメントありがとうございます。
わかり易い指摘をありがとうございます。私も「もう少し」という気持ちが残っています。分量的にはこの辺りがいいのですが「もう少しちょっと」という感じで、それが中々難しいのですが。多分、筆力が10ある書き手が7の力で書いた物と7の力しかない書き手が7の力を出して描いた作品の質の違いのような気がします。筆力をあげたいです。 ('14/07/22 00:16:20)
- Lisaco :
RIOさん、コメントありがとうございます。
李白まではなんとか知っていましたが「静夜思」を知りませんでした。勉強になりました。 ('14/07/22 00:19:55)
- Lisaco :
右肩さん、こんばんは。コメントありがとうございます。
自分で書いた作品ながら右肩さんのコメントを読んで考えさせられました。まったく見当違いという事ではなく右肩さんの言葉になると深いなぁ、と。丁寧に読み解いて頂いてありがとうございました。いろいろな発見がありました。 ('14/07/22 00:37:20)
- やさしいあくま :
こんばんは。
ギャップがそそるんだよなぁ。
原稿用紙サイズ。そのまま新聞に投稿できます。 ('14/07/22 04:58:29)
- すずらん :
心にふれる佳い作品だと思いましたが、題は『ショートストリーム』かな。『ショートストーリー』というには(長さではなく)内容が足りない感じ。盛り沢山にするという意味ではなく、立ち位置の違い。たとえば1つあげると、ストリームなら2聯目の「空へ向かう」とラストの「海へ向かって」はすごく納得。そこにあるのは物語ではなく、作者の心の道筋だから。でもストーリーなら2聯目のほうは「空へのぼる」かな。(これ、個人的な印象です。) ('14/07/22 07:05:13)
- RIO :
そうそう。
タイトルの付け方なんですが、
1:タイトルがあって書き出す場合
2:書いているうちにタイトルが見えてくる場合
3:気持の推移のまま書き進めて、後からタイトルをつける場合
ショートストーリーは3かな。
3の場合、タイトルづけはむつかしい。
いま、3、4個考えてみたけど、詩世界を狭めるものばかり。
こいうときは緊急避難的に最初の一行をタイトルにする手もある。
「細かい雨が降る朝に」
ショートストーリーというタイトルが物足りないので愚考してみました。 ('14/07/22 08:29:37)
- Lisaco :
やさしいあくまさん、コメントありがとうございます。
新聞投稿ですか。私はネットで詩に関わったので本当に狭い所しか知らないのかも知れません。足元を広げて行けるといいのかな、と思いました。 ('14/07/22 08:31:27)
- Lisaco :
すずらんさん、コメントありがとうございます。
私は文学的な素養もなくて詩を書くことは苦手な分野に立ち向かっているという感じなのでコメントに逐一納得してしまいます。で、タイトルを決めるのも毎度難しいことの一つです。『ショートストリーム』なんてぴったりなんでしょう。ストーリーなら「空へのぼる」、、そうかぁ、そういう細やかさを身につけたいです。 ('14/07/22 08:44:12)
- Lisaco :
RIOさん、再びありがとうございます。
良いタイミングでタイトル付けに関するコメントをありがとうございます。ご指摘のように『3』でした。すずらんさんへのコメントと重なりますが、タイトル付けは難しくて、その結果毎回かなり安易に付けています。今更のような発言になってしまいますが、タイトルを付ける行為って改めて作品全体を見渡す行為でもあるんですね。これから心して考えようと思います。タイトルの付け方、参考になりました。 ('14/07/22 09:10:15)
- Lisaco :
タイトルをご意見を参考に変更せて頂きました。
改行も一ヵ所変えました。 ('14/07/22 09:21:27)
- DAHD :
これには何度かコメントを入れたのです。
しかし厩舎や競走馬にはすこし思い入れが強すぎて、さしさわりもあり消しました。
わたしの好みとしては圭作良品の部類に入ります。
で、もうコメントしないでもいいような気がしていたのですが、タイトルの変更に
ひとこと感想を述べさせてもらうと、
むかし「ジェットストリーム」という長期のラジオ番組があり、わたしは深夜よく聞いておりました。
いや、なにもないんです。ただ、それを思い出したということだけです。タイトルが似てるとおもったんです。
ストリームというのは横の流れをイメージさせます。だけどこの詩は縦の往還のイメージがわたしにはあります。
雨。馬の体温(汗が蒸気のように上がる)、そしてまた雨。飼葉桶へつっ込む頭。
音階。は高低です。縦の流れです。海へ向って流れる多摩川は、眺められたパースペクティブとしては上下です。
んなもので、どうも「ストリーム」はなあと、すこし違和感をもちました。 ('14/07/22 20:35:59)
- Lisaco :
DAHDさん、コメントありがとうございます。
確かに川は横の流れをイメージさせますね。住んでいる所が多摩川にもほど近かったので土手から見る川は横に流れていました。
私も馬には思い入れがあってこの作品は馬の『生』というところから立ち上げたものです。競走馬生命は短く、馬に限らず人の生涯も短いものかも知れません。そんな短い生を一つの物語(ストーリー)として考えました。すずらんさんにタイトルの指摘を頂いた時に、どこかで生まれてどこかにたどり着く川の流れのようにも思い、私たちの生もまた風景の中の一つとしてストリームの方がぴったりのような気がしました。いずれにしても後付けです。詩句のイメージとのちぐはぐさはあると思います。その辺り、次回はしっかり考えて付けたいと思います。詩句を細やかにイメージして頂いて感謝です。 ('14/07/22 21:20:21)
- すずらん :
うぁ、ストリーム気に入られたんですね。素早くて、ちょっとびっくり(^^
私はstreamの意味
「流れ、川、小川。 (液体や気体などの)一定の流れ。(時や思想などの)流れ。(交通などの)流れ。」などの流れ
でストリームをとらえたので、時間や人生や命の流れにも合うかなと。ピッタリみたいでしたね。
横方向に限定したイメージはなかったのですが、イメージの違いは外来語の面白さかもしれないとチョットした発見でした。(^^ ('14/07/22 22:05:47 *2)
- 破片 :
多摩川は個人的に凄く馴染みの深いスポットなので、最終連、とくに最後の二行が、他の人には何でもなさそうに見える詩句なのに、様々な感情が自分の中に去来するのがわかりました。
俺の知る(訪れる範囲での)多摩川に厩舎の記憶はないので同じ多摩川でも距離の離れた場所なんだろうなと思います。そう思うと、何処から来たって関係なく、みんなひっくるめて海へ向かうということに言い知れない寂しさを覚えました。 ('14/07/23 02:20:21)
- Lisaco :
すずらんさん、
川、時、思想、作品の中にあるあらゆるものの流れとして言いあてることができるタイトルだと思いました。タイトルを考えることの大切さ考えるきっかけをありがとうございました。 ('14/07/23 07:41:29)
- Lisaco :
破片さん、コメントありがとうございます。
馴染みの深いスポットの名前が出ていると様々な感情が押し寄せて来る感じ、すごくわかります。小向厩舎は川崎競馬の馬たちの厩舎なので多摩川でも河口に近いです。
>何処から来たって関係なく、みんなひっくるめて海へ向かうということに言い知れない寂しさを覚えました。
私にとって多摩川を経由した馬関係のスポットは何ヵ所かあり、その言葉はとても感慨深いものでした。寂しさと懐かしさと半分ずつくらい。 ('14/07/23 08:05:28)
- RIO :
最終連を読みながら、谷川雁の詩句を思い出していました。
(前略)
厩の一角、兵舎の物音から遠く、つめたい乾草の匂いに寝転び、
馬たちの大きな歯が燕麦といっしょにかみくだく夕べの協和音のなかで
僕はよく思ったものだ「おれも世界もこうして暮れて行くのだ」と。
「こうして」とはどんな内容を指すのか、説明できない一本の矢印のようなものであるが、
兵士の感情のロマネスクもすっかり忘れてしまった今日でも、
僕は時々その言葉に蘇る。その瞬間以外はおそらく死んでいるのだ。 『題のないことば』
やさしい音階、協和音。馬はそんな存在だったのを初めて気づかされました。 ('14/07/23 08:38:23)
- Lisaco :
RIOさん
RIOさんのコメントで今の日本で馬が飼い葉を食べる音を知っている人の方が少ないことに改めて気づきました。投稿する前にそういう意識を持っていたらもっとどんな音か想像できるような書き方をしていたと思い残念に思っています。
谷川雁さんの作品はその点とても豊かな想像を引き出されるように思います。いいですね、この作品。馬が飼い葉を食べる音は本当に何とも言えない心落ち着く音です。今の時代は乾草がそのままの形状ではなくドッグフードを何倍にも大きくしたようなキューブ状になっているので少し音が違うんですよね。音が荒いというか。食べるものが人工的なものになると音もやさしくなくなるようです。 ('14/07/23 19:27:55)
- RIO :
その「やさしい音階」が今後どんなかたちになるのか、楽しみにしています。 ('14/07/23 21:34:29)
- DAHD :
>RIO :
>その「やさしい音階」が今後どんなかたちになるのか、楽しみにしています。
うへっ! まるで大先生の言い草だな。(笑)
ひとりの人間に粘着するために現れ、
陰湿なつきまといを正当化するために
他の人たちには真面目な批評のそぶりをみせて
偽善的な倫理的のことばを語る。
おまえのやっていることはサイコそのものだろ。 ('14/07/24 15:56:36 *2)
- Lisaco :
RIOさんのコメントも素直に受け取れましたが、DAHDさんもとても真摯に詩に向かわれている方だからこそのお言葉と感じます。お二方ともありがとうございました。 ('14/07/26 09:35:54)