医者は、手がないからいけない、そう言った。途端、電話が切れ、二度と繋がらなくな
った。たとえ手がなくとも、医者なのだから、僕の手でよければ、さしあげても構わない
から、呼んでこよう、そう決意した。
必ず、医者を連れてくる、彼女にそう言うと、どこにもいかないで欲しい、彼女はそう
こたえた。彼女の手は、まだあるが、弱々しく透きとおり、かわりに、肩甲骨の隆起した
あたりが、パジャマをつき破り、やわらかい羽毛につつまれ始めていた。
まっ暗な通りをゆく人は、誰もおらず、まっ暗なのは、飛翔する人たちが、膨大な数の
感染者たちが、ひかりを遮っているからだ。そして、未だ手を持つ人たちは、誰もが感染
をおそれ、ひかりさえ漏らさぬよう、戸をかたく閉ざしているのだ。
医者もまた、例外ではなかった。病院の戸を激しく叩き、僕の手は、金具をこすり、血
を流した。あわれんでくれたのか、若い看護士が一人、細く戸を開き、残念ですが手がな
いんです、そう言って、ほとんど見えなくなった手で、消毒液と、包帯を渡してくれた。
駆け戻るあいだ、ぎゃあぎゃあと、まるで年老いた、赤子のなくような声が、何千何万
と降りそそぎ、建物に、地面にこだまし、通りに充溢し、空へかえっていった。耳をふさ
いでも、その声は、僕の内側で反響し、僕の口をついて、漏れた。ぎゃあぎゃあと、なき
ながら、僕の手がなくなっていく、透きとおっていく。
転ぶように飛びこんだ、部屋には、もう、彼女はいなかった。薄いカーテンが、無数の
羽ばたきが巻き起こす風に、ちぎれそうに揺れ、ベッドの上で、彼女から抜け落ちた羽毛
が、くるくると舞っていた。消毒液が、床板にはねてこぼれ、包帯が、開いた窓から外へ、
どうしようもなく、流れていった。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20110802_323_5415p
- 評者 :
いいね、これはいい。一枚絵のイメージが見事に浮かんだ。この書き手はいろいろとヒネったものを書きたがる傾向があるけど、実際のところイメージの書き手なんじゃなかろうか。背中から羽根が生える。このありがちなイメージをここまで持ってこれるのはたいしたものだ。羽根の生えた病者たちで埋め尽くされる空が、見事に想起された。
つまらない細工がないのもいい。手が無いから行けない、というのが一つのナンセンスか、あるいは比喩なのかと思いきや、ド直球だ。ラストもいい。開いた窓から外へ、どうしようもなく「包帯が流れていく」。しっかり書かれている。
もちろん、詩特有の短さから現れる描写の不足。たとえば「手が透き通る」だとか「羽根」に関してはもっとミチミチと描写を詰め込んだ方が、生々しさがより出ると思うんだけど。しかし、それでも羽根が生えた病者達で埋め尽くされた空というイメージの威力が凄まじい。ぎゃあぎゃあと鳴きながら、だ。視界が埋め尽くされるようなイメージの勢いは、それを補って余りある。
これはいい。意外性もテクニカルさもほとんどないけれど、愚直な書き方とイメージ一発でここまでいけるのか、と思わされた。ヒッチコック、夢十夜、バラード、いろんなものが頭をかすめていったけど、結局最後は一つのイメージに収斂された。よく出来てる。 ('11/08/02 16:13:37 *1)
- 泉ムジ :
○
評者さん、こんばんは。コメント有難うございます。
以前に書いた即興をほんの少し手直ししただけなので、私好みのひねくれが足りないですね。「僕」という主語も、愚直さには嵌っていても、やはり好みではありません。
嫌いじゃないけれど、面白みがなくて、また、切実だったはずの感情が、今の私には遠いもので、新しい題名を考えるのに苦労しました。どうにも現実とは繋がらず、満足には至りませんでしたが。
ラストは、「僕には、もう、手がなかった。」とあったものを削り、「どうしようもなく、」を加え、流れる動きでまとめました。上手くいっていると感じられたようで、幸いです。
「いい」と言っていただけて嬉しかったのですが、次はもっと罵倒するに足るようなものが投稿したいですね。
以上で、有難うございました。 ('11/08/06 22:04:08)
- んなこたーない :
こんにちは。
みじかい怪異譚で、手の変わりに羽が生えはじめるという単純な(?)寓意にのってすなおに読めばいいだけだから、ぼくのような怠惰な読者でもおもしろく読めました。
ただその上でないものねだりをするようだけれど、流れに乗って読むにはまごついてしまう箇所がいくつかあり、それが気になりました。一例をあげれば、冒頭の「手がないからいけない」の「いけない」。「行けない」なのか「よくない」なのか一読では判断がつかず、前者であることを確認するのにかえり読みをする必要があった。
こういう読みやすさ読みにくさというのは体質の問題かもしれず、その点イメージ喚起力というのも同様のようで、一読目には何の抵抗もなかったラストシーンも、二度目には、そんなにうまく包帯がほどけるものかしら? とか、いらぬことを考えてしまった…… ('11/08/07 14:54:13)
- みつとみ :
「手がない」とはなすすべがないという、意味か、実際に医師に「手がない」(なくなった)のか、どちらだろう、という意味合いの不可解さと、どちらであっても起こり得てしまった事実としての不可解さが、出だしから読み手に感じられて気になる作品となっている。読み進めているうちに、手が失われ、肩甲骨から羽がはえていき、にんげんが空へと飛んで行ってしまうということが、作品中の事実として、恋人を「手がない」病から失ってしまいそうな、男性の口から淡々として語られる。不可解あるいは不条理な現実と、恋するひとに対する哀しみがにじんで伝わってくる。「病院の戸を激しく叩き、僕の手は、金具をこすり、血を流した。」
地上でたくさんのひとが空へ飛んで行ってしまう。新たな生命を得たように。
「駆け戻るあいだ、ぎゃあぎゃあと、まるで年老いた、赤子のなくような声が、何千何万と降りそそぎ、建物に、地面にこだまし、通りに充溢し、空へかえっていった。」
ラストの連も激しさのあとの静寂がある。「消毒液が、床板にはねてこぼれ、包帯が、開いた窓から外へ、どうしようもなく、流れていった。」
青空は失われた腕のように透明で、悲しい。この作品は痛みと愛情を大事に抱えつつ、そして美しい。
('11/08/07 15:39:06 *1)
- 笹川明彦 :
幻想小説のダイジェストを見てしまった感じ。こういうのは詩として評価されるのだと知りました。僕も挑戦してみます。背中に翼が生えてくるという、昔からあるネタですが、なんだか熱のでた子供の為に、夜中、小児科医の診察を求める親のような空気が混ざっていて昭和。
>病院の戸を激しく叩き
病院より診療所がいいな、と思いました。
短いが、ホラーでなく、純文学な匂い。津原泰水先生の小説を読んだ後と、よく似た感触。女性の書き手は耽美に遠慮がないですね。
書き手は詩作において、読者らに遠慮している気がします。へりくだるような創作姿勢は怠惰ですね。孤高にはまだ遠いと思います。 ('11/08/07 21:10:11 *1)
- 泉ムジ :
○
んなこたーないさん、こんばんは。コメント有難うございます。
「読みやすさ読みにくさ」は、一概に良し悪しと決められないものだと考えます。
読みにくい文章は、情報を多く詰められ、また、読む速度を遅らせる。故に、量が少なく「単純な」物語のラインを持つ文章に緩急を与えるという効果があるのではないでしょうか。
まあ、「この文章にそんな大層な効果はなかったよ」と言われたら、黙っときゃあよかった、って感じですが。
「手がないからいけない」は、読み手を戸惑わせ興味をひくためでもありますが、「手遅れ」の意味を予め告げるものでもあります。
読み返して思ったのは、以前投稿した「ポップソング」という文章で、右肩さんにいただいたコメントの、
「現在は成就されてしまった死を、その確実な予感の時に遡って体験しようとする」
を、またやっているということでした。
ラストについては、そうですね、そもそも包帯がどういう状態にあるのかについての描写がないので、不満を抱かれるかもしれませんね。
私の中では、手に持っていたものが落ちてほどけていった、という感じですが、手に巻かれていたとしたら、確実に手がなくなってほどけていったのでしょうね。
「流れていった」は、こぼれた消毒液からも導かれているものなので、変えようがないです。
以上で、有難うございました。 ('11/08/13 20:48:04)
- 泉ムジ :
○
みつとみさん、こんばんは。コメント有難うございます。
なんだかとてもストレートな読み方をされていて、まあ、ストレートな文章だから、仕方ないんですが、気恥ずかしいです。
淡々とした語り口になるのは、手癖かもしれません。あるいは、結末が決まりすぎていて、俯瞰してしまっているのか。
みつとみさんが挙げられた3つの文は、いずれも元の即興に手を加えた部分です。他に大きく変えたのは、2行目の電話のくだりです。
タイトルについては、粕谷栄市の、手元にないのでうろ覚えですが、「撲殺」の「凶暴な青空のある朝に、」という一節と、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」あたりから来ています。
以上で、有難うございました。 ('11/08/13 21:11:41)
- 泉ムジ :
○
笹川明彦さん、こんばんは。コメント有難うございます。
どうなんでしょうね。ここが「詩投稿掲示板」じゃなくて、「文芸批評版」とかだったら、「幻想小説のダイジェストに過ぎない」とか「ネタがありきたりでそういうのは読み飽きた」と、一顧だにされないかもしれませんね。
「昭和」というのがちょっと気になっているんですが、言われてみれば確かにそんな感じがして。私たちは「平成」ってのをもう20年くらい生きてしまっているんですが、これぞ「平成」の作品ってのはありますかね?
>女性の書き手は耽美に遠慮がないですね。
このコメントは正しくないですね。私の知っている「津原泰水」も、私自身も、男性ですから。まあ、見分けづらい名前を用いていることが原因と思われますので、私については申し訳ありません。
「へりくだるような創作姿勢」が、具体的にどういう行為について書かれたのか解りませんが、「怠惰」というのはその通りだなと思います。
自ら進んで「孤高」になりたいとはまったく思いません。生来、頑迷な自惚れ屋なので、手前勝手に満足し、ここに投稿する気がなくなってしまいます。
以上で、有難うございました。 ('11/08/13 21:43:38)