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ノートI

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十月二十五日。垣根越しにアッサムの花を見つける。
ノートIを開く。


ノートI

ウロボロスの眠り。皮膚にまとわりつく唾の匂い。ふやけた指先の微妙な襞と、上唇の先端とが触れ合う感触。
王国が瓦解し始めた頃のことだ。私は寝ても起きても左手の親指を吸い続けていた。屈強な矯正器具たちの、どこかぎこちない微笑みを覚えている。私の恍惚を片目に恥じらっていたのだと思う。親指の皮膚はオブラートのようにふやけては捲れ、捲れては口腔に溶けていった。ときおり指先から血が滲み出すこともあった。
七歳と八か月のとき、爪より少し下の皮膚が角化して直径一センチのタコができた。私は近所の病院に連れてゆかれた。半田ごてのような器具が親指に押し当てられ、ほんの数十秒で、タコは低温火傷の痕になった。その痕を労わるように、私は親指をしゃぶり続けた。
学校では羞恥と矜持とが綯交ぜになり、一人きりで過ごすことに努めた。休み時間にはひとけのない階段の踊り場の隅へゆき、校庭を眺めながら親指を吸った。授業中も机に顔を伏せて親指をしゃぶり、家に帰ると、学校で我慢した分、余計に力強くしゃぶった。
九歳前後で、指しゃぶりの癖は当人も気づかぬうちに消滅した。

指しゃぶりのもたらす自閉的な沈黙のうちに、私は、私の話し言葉を書き言葉へと置き換えていった。「たとえあなたが牢獄の中にいるとしても、そして四方の壁に遮られて世間の物音が何ひとつあなたの感覚に届かないにしても、それでもあなたにはご自身の少年時代が、あの貴重な、王国のような豊かさが、さまざまな思い出の宝庫があるではありませんか。」しかし、本当は牢獄と四方の壁こそ、王国の豊かさを半ば無意志的に創り出すのである。ゆえに王国とは書き言葉の建築に他ならない。王国がかつて存在したとすれば、それは常に痕跡としてでしかない。

私の親指に濃いマニキュアを塗りながら、あの豊艶な唇が辿ったいくつかの言葉を書き留めておきたい。王国を築こうとするものの宿痾を祝福するために。

「回想する限り、生は渇仰せざるを得ない。だから、呼びかけることをやめなさい。
舌の上に限りない懐かしさを浮かべて、微笑み続けなさい。
「予期と回想は、決して区別し得ないのです。反復への躊躇いを棄てなさい。声を漏らさず、
発願しなさい。あなたは満たされるゆえに死ぬのです。

ある種の人間にとって、最も恐れるべきものとして、満たされがある。

私はこのノートを立ち遅れるために書く。誰に宛てて書くわけでもない。私はこれを立ち遅れるために書く。すべての眠りの端緒のための、つまり、薄闇から言葉を奪うためのスケッチとして。
或いは、痕になることでタコが私とは別の存在になったように。

或いは、辿りなおされることで初めて輪郭を得る字形たちのように。

意味の拡張とは幻想に過ぎない。幻覚の遥か手前の幻想。意味は領界ではなく、欠落の砂丘を過ぎる風だ。風は砂塵を舞い上がらせ、語りへ逃れようとする眼差したちを塞ぐ。塞がれた眼差したちは盲目の恐怖から執拗に喚き立て、意味に掴みかかろうとする。そして砂が彼らを呑む。

意味への抵抗としての沈黙。その沈黙を支える肉としての口唇と親指。

王国は砂丘の中に築かれる。律法。城壁。尖塔。言葉のように整然とした家並み。しかし、すべてが完成した夜――往路にも心地よい疲労の漂う夜、砂嵐が訪れ、沈黙が王国を支配する。まず、月が掻き消される。次いで家々の戸の下の隙間から、幾筋もの流沙が滲み拡がる。女は麻布を巻いてその隙間を埋め、子供は砂紋を指先に弄ぶ。強風に神経叢を浸蝕された夜警らの、断末魔の叫び――母さん、これでやっと僕も……。砂塵が彼らの肺胞に流れ込む。疑塑性の丘陵は刻々姿を変え、王国は暁には砂の中へと埋没する。

テレビのドキュメンタリー番組でポンペイの悲劇を知った夜、幼少期の微熱が私を襲った。

言葉の被膜には手で触れることができる。頬やエプロン、腿やハンカチと同様、それは実体だ。しかし、言葉の核となると、触れるどころか目にすることもできない。それは房状だろうか。紡錘状だろうか。それはタングステン原子の構造模型に似た何かかもしれないし、西向きの窓辺に射す十一月の陽光に似た何かかもしれない。いずれにせよ、それが円環に孕まれた単なる亀裂ではないことを、私は理解しているつもりだ。

階下の物音が止み、私以外の皆が寝静まる頃、〈おばけ〉は決まって部屋の片隅に佇んでいた。鼻先まで被った掛布団の下で親指をしゃぶりつつ、私はその黒々とした毛むくじゃらの巨体を見つめていた。〈おばけ〉は私を喰らおうと狙いながら、私に怯えているようだった。
私は彼のことが好きだった。しかし、彼と言葉を交わすことは終になかった。

或るとき〈おばけ〉は言った。「見えるだろう。彼は窓際で親指をしゃぶっている。彼は口を開けて、自らの声が押し潰されてゆくのを思い出す。灰に咽頭が塞がれてゆく。それだけだ。

〈おばけ〉はポンペイで死んだ。たった一つの態勢で、私にその名を呼ばれたから。

小一時間ばかり掛かって、〈おばけ〉の死骸を砂の中から掘り返した。軽トラックの荷台に担ぎ上げ、その脇にスコップを抛る。四肢は揃っているが、至るところ骨がむき出しだ。体毛は半分以上禿げ、眼窩は落ち込んで砂が詰まっている。
軽トラックを走らせて国道に戻り、閉鎖された実験牧場へと向かった。午後八時。古いサイロの中に死骸を運び入れ、干し草とともに火を放つ。それから車に戻り、家に着いたのは明け方だった。もし砂の中でまだ息をしていたら、ナイフで自ら屠るつもりだった。



生まれ落ちた瞬間に眼裏に映える流木を幻視せよ。

遠くに一本の木が見えた。男はその木のもとに辿り着こうとした。しかし、疲れ果てて歩くことすらままならなかった。そこで男は、「木よ、おいで」と言った。木は動かない。木よ、おいで。男は手招きをしながら、何度も木に呼びかけた。
やがて時が経ち、男は衰弱して死んだ。すると木が立ち上がり、男へ近づいてきた。そして、男の傍らを通り過ぎて波打際まで歩き、そこで頽れた。

或いは鏡を覗き込んだり、部屋を見渡したりして、誰もいないことを知る。この原初の不在の認識から、言葉が生じる。言葉はしばしば、疎外の種子であると見なされている。しかし、本当は疎外こそ言葉の種子なのだ。

そして親指とは、もうひとりの他者である。親指は言葉なき疎外において口腔を塞ぐ。

沈黙はこの占有に似ている。

私は耳を澄ます。すると、口腔の親指が急に熱を失う。

ふと右胸の下に峻烈な痛みを覚えて、私は道端に立ち止まった。十一月。遠足にでも行くのだろうか、赤い帽子を被った幼児たちが傍らを通り過ぎてゆく。私はその場にしゃがみ込み、靴紐を結ぶふりをして痛みが治まるのを待った。実体のある空洞に、脇の方へ肋骨を圧迫されていた。幼児たちが行ってしまうと、右胸に掌を押し当てながらゆっくりと立ち上がった。白い服を着た女が目の前を横切っていった。
医者はレントゲンの結果を見て、しきりに顎先を撫でて言った。ほら、ここ、右下肺部に浸潤影がありますでしょう。ちょうど横隔膜と肺の合間に。ここに種子が紛れ込んだんですね。しかも、ほら――医者は二枚目のレントゲン写真を指差した――胸膜炎を併発している。ええ、やられてます、完全に穴が開いている。右胸の痛みはこれによるものでしょう。え?種子って何か?そりゃあなた、言葉の種子ですよ……。あなた、書き物か何かなさるでしょう。しかしどうにも思うように書けず、ノートを引き千切って胸腔の穴に投げ捨てた……そのノートに書かれていた言葉が滲み出して、肺や横隔膜に炎症を引き起こした、というわけです。まあ、肺実質には神経が少ないから、胸膜にも手を出したんでしょうね。
医者は私の顔を覗き込むようにして言った。治療法はね、しばらく一切書き物をしない、ってことです。そして何より、肉に触れることです。

白壁の家。広い居間の真ん中に低木が植わっている。私は水をやろうとキッチンへ向かう。キッチンには女が立っている。女は横目に私を見ている。
居間に戻ると、低木の姿が消えている。窓際のソファに歩み寄り、その片隅に腰を下ろす。窓の向こうをトラックが通り過ぎてゆく。

治療機序=最初から影だけであったものへの同一化。

私は肉に触れた。肉は私の指先を呑み込もうとしたが、肉の中に巣食う洞まで指先が行き当たると、嘔吐反射のように自らの外へ押し戻すことを繰り返した。指に絡みつく粘膜は、唾液と違い、実在の不透明さに白濁していた。

六歳のときのことだ。居間から玄関へ私を連れ出そうとする女の手を逃れるため、テーブルの脚にしがみつき、泣き喚き、足掻いていた。朝、担任の先生やクラスメイトが玄関先にまで迎えに来て、私の名を呼んだ。女はいつになく恐ろしい形相をしていた。激しい攻防の末、私は辛うじて勝利した。誰もいない家の中で――女もどこかへ出て行ってしまった――一日中フローリングの床に寝転がって過ごした。
あの静けさを、私は至福と信じて疑わない。

あの、無音の淵から引き上げられてゆく乳房のような静けさ。

沈黙は不穏さと静けさの合間をさまよう。口を紡ごうが耳を塞ごうが、沈黙はいずれの岸辺にも辿り着かない。

静けさとは充溢であって、欠落ではない。

欠落とは、無への認識の途上にある何かである。無が十全に認識されるとき、それはそれが時間に与える密度において、充溢と変わりない。いや、むしろ喪失を予め刻まれていることにおいて――喪失は記号に肉、或いは痛みを与える――充溢を上回りさえする。
ここにおける密度とは、認識の飽和としての静けさ、ないし安らいへの指標である。
つまり、無は認識されうるばかりか、抱かれうる。
在るものは自らを孕むとき、無への端緒をつかむ。
眠りにつくものはすべて、それぞれの仕方で自らを孕むだろう。

そして無の認識は、自らと自らでないものとを一つの円環につなぐ。

そして親指が唇に触れ、口腔に滑り込む。在るものは掠れ、無が刻々を満たす。

一つの原初的な図形。

淡い栗色のカーテンが膨らむ。その柔らかな襞に掌を埋める。
日向に猫の拉げた骸を見つけた午後。

家のすぐ向かいに広場があり、よくそこでシロツメクサを集めて遊んだ。イチイの木が中央に立っていて、その幹の小さな虚が眼窩のようで怖かった。しかし、いま思えば、ああして遊んでいる最中は、親指のことなどすっかり忘れていたのだ。イチイの実を石で潰して、集めた汁にシロツメクサを浸して食べた。誰もいない静まりかえった白昼の広場は、まさに私の縄張りだった。

風に扉が開いて、廊下の薄暗がりの奥に寝室が浮かぶ。
決して足を踏み入れてはならない。
階段の踊り場に延びる矩形の陽光。その中に音もなく舞う埃の煌めき。
小さな振り子時計。無生物たちの呼気。
絶えた呼び声の残響。

残滓の解剖。
カーテンのない子ども部屋で親指をしゃぶりつつ、私は思念に耽った。私の目に映るこの窓枠は、何度時軸の上に浮かんで沈み、沈んでは浮かび、沈んだきり息を潜めることは終にないのか。言葉は、別の言葉へ継ぎ合わされることをどうして渇仰して已まないのか。

母胎にあるときから、ひとはマスターベーションによって自らを養い、自らの輪郭を確保するのかもしれない。私の場合、遅くとも四歳のときには、マスターベーションをしていた憶えがある。そもそもの初めにあった行為は、マスターベーションであろう。そこから自己受精まで、眠り一つ介するだけで辿り着けるはずだ。

眠り。或いは曳航を免れること。或いは呼び声を響かせないための信仰。

私は窓際に座り込んで半日を過ごした。何かを埋めようとすることに抗うには、そこに予め埋め込まれているものを見出すほかない。

だから、刻むのではなく、掬い取ることに言葉を費やすべきだ。

よく晴れた日の正午の囁き。「喰い殺されたくはないだろう?

予め失われてあるものを思慕することでしか、失うことは免れ得ない。
自ら手放したと認識するものはすべて、手放されたものとしての自らを認識できない。
この認識の切断が、失われつつあるものへの思慕を妨げ、失い難いものへの愛着と、失い難さという観念それ自体を枯渇させる。
しかし、枯渇は涌出の前触れであり、永い引き潮である。
喪失を記憶に縫合するためには、自らが喪失される記憶を辿り直さなければならない。衝動と恐怖。故にその遡行には、ともに喪失される他者が――「私はあなたとともに私を失くす」と告げうる他者が必要である。

親指は死んだ他者である。

再び開かれうる形でしか、円環を閉じえないこと。既に亀裂のあるものを閉じようと足掻けば、自ら肢体を損ない、その損なわれた肢体を自ら消化するほかないということ。いわば円環とは、自慰と自死の中間形態なのだ。

ここに眠りが要求される。

市役所前から路面電車に乗り、山裾から海岸へ広がる市街地を横断して、終点より一つ手前の旧英国領事館前で降りる。そこから十五分も坂道を歩けば、山頂行のロープウェイ乗り場に着く。三階建てのその建物の、二階は市街地を見渡せるカフェテラスになっていた。私はそのカフェテラスでパニーニを食べるのが好きだった。窓際の席からは海と漁港と、海岸線沿いの街並みが一望できた。
坂の多い街だった。幅広い舗装された坂道もあったが、細い、民家の合間を縫うような石畳の路も無数に走っていた。或る教会の裏側に延びる石畳の路の曲がり角から、家々の屋根の向こうに小さく、杉の木立に囲まれた公園が望まれた。家の近所の公園だ。遠くにあるそれを眺めるのが好きで、その坂道を幾度も行き来しては教会のベンチに腰掛けて休んだ。恐ろしい無為に躰の内側を貪られてゆく感覚を、一刻一刻、舐め尽すように味わいながら。
日曜日には信徒と偽ってミサに預かり、ホスチアを口にした。私は捜していた。

〈おばけ〉よ、あなたはどこにいるのか。

書き言葉を紡ぐとき、それが必然性を帯びるには、ただ零れ落ちるものを視野に認めさえすればよい。すると書き言葉の方から、それを拾い上げてくれる。例えば橋の欄干からパンの屑を抛ると、鷲の群れのうち、必ず一羽だけが舞い降りてそれを喰らう。必ず一羽だけが。他の鷲たちは見向きもせず、悠然と円を描き続けている。
その円の中の沈静。

掌底には金木犀の花弁が降り積もっていた。
十一月、私はあなたに手紙を綴った。
「言い様を失った出来事でマスターベーションをしてください。」
手紙は宛先不明で送り返されてきた。すると、あなたはもういないのか。
もう一通の手紙。
「言葉の訪いを待つことができない。咽頭が裏返り、失語の赤い果肉が剥き出されているようだ。」
投函した帰り、何気なく回り道した路地で櫟の木を見つけた。見失って久しい赤い
果肉に埋もれる黒い胚珠

例えば、眩暈について書き留めた覚書の断片。「私はあなたを求めて、あなたの喉を披いた。けれどもそこには、私の愛しか見つからなかった。愛は不在を創造し、自らが創造したその不在へと呑み込まれる。私はあなたを愛しているのだ。」

仮に円環の切断が許されるならば、何かを憎むことができなくてはならない。これは自己原因を孕む存在の抒情的帰結である。しばしば憎しみは果肉に埋もれ、土に落ちて腐食する。しかし最後まで残るものがそれだ。

黒い胚珠を舌先に載せて笑う顔。

憎むべきは円環の破壊者である同一性だ。
自同律と差異の私生児にして持続の淵源、言葉、記憶、死、他なるもの、それら一切の母胎である同一性だ。
濡れた親指のタコの痕だ。

その家の玄関口には大きな庇があった。正午の陽射しを避けて、私は庇の陰に身を潜めていた。誰にも見つかってはならない。六歳の私は学校のみならず、家を一歩出たら、どこまでも緘黙を貫いていた。近所の人に見つかって声を掛けられでもすると、互いに無駄に狼狽することになる。私はもう一度、音符が描かれた鳶色のボタンを押した。抜け殻の居間と廊下に、どこか間の抜けたチャイムの音がくぐもって響く。やはり、誰もいないようだ。買い物にでも出かけたのだろうか。今日が午前授業であることは知っているはずなのに……。
しばらくして、私は裏口に回ろうと思い立った。塀と壁の合間、伸び放題の雑草の生えた薄暗がりの中に足を踏み入れる。塀にランドセルの端を擦りつつ、裏口の戸の前に来て、不意に私は尿意を覚えた。裏口の戸は閉まっていた。塀の向こうからテレビの音が漏れてくる。それが異様に不快で、再び草を踏んで表に戻った。
尿意は刻一刻と増してゆく。眩暈のするほど陽が眩ゆい。私はランドセルを下ろすこともせず――誰かが通りかかれば、文字通り跡を絶って逃げ出さなければならなかった――ひたすら母の帰りを待った。いつしか股間に生温い感触が沁み拡がった。
私はその場から一歩たりとも動こうとしなかった。親指を唇に持ってゆくことさえ躊躇われるほど、白昼の刻々を息苦しい緊張が浸していた。
母が買い物袋を手に返ってきたとき、私は口がきけなかった。
股間は既に乾いていた。
あの日、私は亀裂が在るという事実を初めて認識した。

故にこのノートにおける一切の書き言葉は、緘黙の遠い木霊に過ぎない。

カーテンと緘黙の合間に潜む殺害。そこで鳥たちが空白に裂かれた。

円環の南と北に、痛みと笑いがある。

目に映るものを見、耳孔に響くものを聴くことで、両極から離れ、斥力と引力の限りない均衡としての静謐、すなわち円環の中心部に至る。

男は胸を患っていた。そして、自らの死期が近いことを覚っていた。男はノートを一枚破り、そこに鉛筆で遺書、と書いた。私はこの人生に満足しています。私は満足して死にます。男は実際、満ち足りた笑みを浮かべていた。紙の上の文字たちは、見る見る意味を失っていった。激しい胸痛の発作に堪えつつ、男は最後の行を締めくくった。さて、この紙切れで紙飛行機でも作るとします。

思えば、円環など一度もあった試しはない。
親指が虚像に過ぎないとすれば、死が実像なのだ。

ここに一幅の肖像画がある。死んだ男の遺影だ。子どもがその画を描いたらしい。男の注文なのか、子どもの独創なのか知らないが、額縁の中で男は大口を開けて笑っている。生前男は、病棟の一番静かなところを探し回り、それが薄暗い非常階段の踊り場であることを知ると、点滴棒を引きずりつつそこに毛布を運び込んだ。そして、壁際に蓑虫のように蹲り、一日の大半を過ごした。看護師たちは夜毎男を病室へ連れ戻すのに苦労した。男は子どものようだった。



視界に映えるものの外在を信頼しよう。活字は頁の上に整然と並んでいる。これ以上に完成した秩序を内在に認めることはできまい。

声は痛みを要求するものだ。私の場合、右胸の下が痛む。胸膜が引き攣って鋭い疼痛が小刻みに走る。息が荒くなる。掌を当てると少し収まるが、咳き込むと痛みのあまり蹲ってしまう。もっともすべて気のせいなのだ。レントゲンを撮れば、浸潤影の一つも見つかりはしない。しかしいっそう確かなことは、口を噤んでいる限り、痛みはないということだ。痛みがないと、核も芯もない踏みつぶされた果肉のような沈黙が胸に押し拡がる。視野が焦点を失い、喉が異様に乾く。その息苦しさに思わず声を上げると、痛みが走る。

踊ることが好きだ。同一性は片目を瞑りながら踊り、自ら足を絡ませて倒れ込んで笑う。私はその笑い声に合わせて踊る。同一性は私の踊りを見て、腹を抱えて転げまわり……すべてが笑いに包まれるのだ。

一々の語の倒潰に拘泥しなければならない。その瓦礫の上に立ち止まらなければならない。

よく白昼夢を見る。天井の高い暗い部屋の中でひとつの躰が燃えている。その煙が天井に燻り、出口を捜して渦巻いている。やがて両開きの窓が開く。風が吹いたのだ。しかし、煙は天井から降りてこない。躰は燃え続け、窓は鎹を軋ませて再び閉まりかける。

壁紙を張り替えた。寝台は昔のままだ。私は冬を待った。多くのものが凍え死んだ。しかるべき場所にそれらを埋葬しなければならない。書き留めるための灯がかえって陽射しを遠ざけてしまう。

墓銘は掠れ切ることで初めて完成する。

名付けることを怠ったがゆえに見失われた風景はどれほどであろう。しかし、風景が見失われて初めて、言葉の領域が空白の中に生まれる。本当は見失われたものを捜すことの徒労をこそ、記述すべきなのだ。

噛み砕いた乳房への追悼として、すべての墓石は口を噤む。

私は追憶された名の絶えざる回帰である。
私は
高架橋の下のマンホール
に埋葬
される六角形の瞳孔
 無脊椎 咳嗽 溶食
される石灰(見なさい)と囁かれて終わる
夢の統辞を書き留めた紙切れ「窓際に並び置かれた自家中毒する観葉
植物たちに何を伝えよう。お前たちの
母が欄干で死んだことかそれとも
木曜日。私は或る哲学者の伝記を片手にミスタードーナツに入った。コーヒー一杯で午後の講義までの時間を費やすつもりだった。一番奥の窓際の席に腰かけ、机の上に本を置く。コーヒーに一口だけ口をつけてから、栞のある頁を開く。一行ずつ指先でなぞりつつ辿ってゆく。「……デーモン……プラトン的イデア……性愛……自己誹謗……その言葉は宗教的な響きすら……最初の数日間に味わった自己分裂について……」(162)。私は本を閉じた。コーヒーは少しも覚めていない。向かいの席に腰かけている男と一瞬だけ目が合う。私は表紙を開いた。哲学者の最晩年の写真。次の頁を捲る。父と母の肖像。父の顔はいかにも子どもじみていて、母の眼差しは異様に虚ろだ。それから屋敷。哲学者が幼少期を過ごした家らしい。その家の屋根に三つの窓がある。細い眦をいっそう細めて薄笑いする三つの目。

三つめの目は本来、額の裏側に埋もれていて外気に晒されることはない。それが晒されてあるということは、額の皮膚と肉とが切り裂かれ、閾を越えた眩ゆさを感受するよう定められたということだ。おそらくは自然の手によって。しかし、眩ゆさのあまり瞼を閉じてみよ。そこには閾を越えた昏さが広がっているだろう。

だから、いつでも手の届くところに手鏡を置いて、額に亀裂が走っていないか確認し続けなければならない。しかし、両目同時には映らないような小さなものに限る。眼差しが鏡面に照り返り、額を傷つけることだってありうるのだ。

卑屈さの自覚が恥辱と信仰を産む。両者とも同じ床で育つ。

額が地に触れるとき、そこに自意識が鬱血して頭蓋内圧を亢進する。つまり、熱と悦びとが訪れ、官能となり発作を引き起こす。額は繰り返し地に打ち付けられる。
けれどもこの営みによって目が潰されることはない。それどころか、地に打ち付けられる度、視神経の一時的な障害のために網膜に光が走る。澄み冴えた閃光が昏い視野を貫く。

卑屈さから最も遠い営みは、静かに地に俯せていることだ。額と地の境に漂う言霊に耳傾けていることだ。

意志的に創り出された痛みは、いかなる場合にも観念の核とはなりえない。言葉という分散媒の中で、肉の痛みを核として結晶する観念はすべて、偶然にもたらされたものである。そしてそのような観念だけが、肉の痛みへの対抗に資する。

そもそも痛みとは発生や構築の機序に潜む何かであり、解体や腐食の過程とは関係がない。「少なくとも私はそのように確信している。」

この言明を「知覚している」と言い換えるまでの刻々を生と呼ぶべきだ。

まるで螺旋を下るかのようにこれらの着想を綴っている。正直なところ、いつ言葉が尽きるか、どこでこのノートを終えるべきなのか分からない。明け方に川縁の路を散歩する。水面に朝焼けが映えて、それはときに澄み冴えた菫色、ときに酔うようなロゼ色をしていた。或る橋の袂を越えたところに芒が繁茂しており、私は緩やかな土手を水際まで降りて、芒の穂をむしり取った。しかし、掌には何も残らなかった。

痛みの感受が粗雑であるから、悪寒や眩暈といった不純物が生じるのだ。音楽が澄んでいるように、感受することも澄んでいればよい――尤もこれは形容矛盾だ。

仮に書き言葉の中に安寧を孕ませることができれば、もはやそれが応答を要求することもないだろう。つまり、何も書かないでいることができるだろう。

一日中宛てもなく街を歩き廻り、疲れ切って部屋に戻る。そしてカーテンを閉め、ベッドに横たわり、壁と天井の境目を見る。ここに言葉が付け加わりさえすれば、生活は完成する。言葉を欠くことができたとき、生活は解体され、ベッドとカーテンと壁と天井が、部屋に残る。マンションの一角の仄明るい部屋に。

紡がれてゆくそばから解けてしまう仕方で、初めて言葉は音楽の欠片を掴む。

胎生期の旋律を再現しようとするすべての試みは失敗を免れない。まさにその失敗から郷愁が、郷愁から喪失についての認識が生まれるからである。そしておそらく、喪失についての認識から言葉が生まれる。

或いは、階段を上り踊り場で立ち止まる。踊り場の窓から庭を見下ろすと、そこに私の見知らぬ男が立っている。しかし、その男の横顔は確かに誰かに似ている。誰だろう。私は彼を知っているかもしれない。私は窓を開けて声を掛ける。男は私の方を振り向く。その顔は穏やかな笑みを浮かべている。私は男に名前を尋ねる。しかし男は微笑んでいるばかりで何も答えない。私は仕方なく窓を閉める。例えばそのように、空白を書き言葉で埋めてゆく。

沈潜するための場所に呼び声は木霊しない。呼び声の木霊しない場所を探して私は街中を歩き廻る。空白があるせいで言葉は浮かび上がるのだ。

私は瓶を机の片隅に置く。空の瓶だ。それに陽が射して緑青がかった影を伸ばすのを見る。見ることで何かを得ようとしない。瓶が空のままであるように。しかし肉の朽ちる歳月を思ってしまう。

親指を包丁で切断する夢。

十一月五日。実家から電話がある。母が死んだ。交通事故で。爽やかな秋の風が部屋を通り過ぎてゆく。

礼節を守ることが何より大切だ。

穴は埋められたとして、無くなりはしない。穴とは、裏返った充溢であり、穴がなければ充溢もない。ひとは言葉や音楽や肉でもって穴を埋めようとする。穴は埋まる。それだけだ。埋められる前と何一つ変わらず、穴は穴のままだ。

気を紛らわせることが、聖体より上にあるような信仰、つまり、最も純粋な信仰。

烏が窓枠の中を横切ってゆく。二年前の十月二十五日、書斎で縊死した父は、数年来鬱病を患って通院もしていた。

身体は困難さを蒙ることで持続の上に屹立する。それを打ち崩すことはできない。その前に恥じながら跪くか、或いは正気を犠牲にするかだ。

風の強い日だった。咳はすっかり已んでいた。陽射しはノートを横切り、机の縁のところで撚糸のように細くすぼまって絶えていた。雲が見えた。見る間に屋根の向こう側へ姿を消してゆくその雲を追って、私はベランダに出た。そして、その日の明け方に見た夢を思い出した。男が腹を抱えて笑っていた。男の肛門から透明なチューブを垂れていた。私は男と向かい合うようにして、薄暗い沼の畔に立っていた。男は腹を抱えて笑っていた。透明なチューブの中をゆっくりと血が降ってゆく。不意にその男が父に似ていると思う。男に話しかけようとした瞬間、目が覚める。

窓のない部屋は一つの救いではないだろうか。

坂道は弓なりに延びて丘の頂の総合病院へ続いていた。細い道にもかかわらず、車通りが多かった。病院への直行バスが渋滞で遅れることもあった。坂の麓の十字路には、ファミリーレストランとガソリンスタンドが向かい合うようにして建っていた。私は朝毎にファミリーレストランまで坂道を下ってゆき、六人掛けのボックス席でコーヒーを一杯だけ飲み、また坂道を登っていった。病院の正面フロアは数年前に改装されたばかりで、大型の液晶テレビが待合席の前に据えられていた。いつもNHKのニュースか連続ドラマが流れていたが、妙に音量が小さく、一番前の席に座らなければ何も聴こえないくらいだった。平日は患者たちが病棟からフロアへ出てきた。私も退屈しのぎに音の聴こえぬ大型テレビを見たり、外来患者やその付き添いの家族を観察したりしていた。休日には受付の前に幾つもの列ができ、廊下や階段をひっきりなしにひとが行き交っていた。地下二階にある陰気で古臭いカフェテリアでさえ混み合うのだった。それは一年を通してそうだった。この地区では唯一の総合病院なのだ。私は三階の病室の窓から駐車場を見下ろして昼間を過ごした。だだっ広い空間に転々とともる街灯が、夜と、靄がかった早朝には妙に現実離れしたものに見えた。窓下には植樹されたばかりの樫の苗木が並んでいた。或る昼下がり、足取りも覚束ない子どもがその苗木を縫うようにして歩き廻っていた。私はその子どもをどこかで見たことがあった。確かにそのときも赤い服を着ていた。少し離れたところに父親らしき男が立っていた。子どもは何に躓いたのか、前のめりに勢いよく転んだ。そしてしばらく倒れ込んだままだった。父親が両脇を掴んで抱き起すと、子どもはようやく大声を挙げて泣き始めた。私は点滴の液体が尽きたのを確認して、ナースコールを押した。若い女の看護師がやってきた。マスクのせいで表情はほとんどうかがえない。点滴の袋を別のものに取り換え、看護師が病室を出て行くと、既に二人の姿は見当たらなかった。それから数日後のことだった、坂の麓のファミリーレストランで、私は窓越しに二人を見つけた。男はホットケーキを小さく切り分けて、子どもの口に運んでやっていた。

指先に纏わりつく冷気を払い除ける術はない。或いは、その術を得ようとして、人は家族を創る。

光や影は夥しく見いだされるだろう。しかし、薄明や薄闇が得られるとは限らない。

繰り返し眼裏を過ぎる虫たちを追うように坂を駆け下りてゆく。何を失くしたのか思い出せない。虫たちは視界に白い糸屑のような残影を残して左右に流れ去ってゆく。石畳の坂道は路面電車の走る大通りに繋がっている。陽射しが眩しい。

砂浜で新聞紙が燃えてゆく様を観察していた。新聞紙は見る間に燃え尽きた。灰は潮風に浚われていった。ハマナスが咲いていた。その向こうに停まっている白の乗用車から誰かが私を見ていた。私は鞄からもう一束新聞紙を取り出して、ライターで火をつけた。

一度蹲ってしまうと、そのまま躰が硬直して、二度と立ちあがれないという予感がある。

感覚の季節があった。私は同じ区の別のアパートへ移った。ベランダからは公園が見えた。柵の向こうで塗装の禿げたキリンが笑っていた。

部屋の床に横たわり、部屋を見渡すと、そこに壁や天井や、棚や机があることが分かった。
始まりにあったものはこの白さに違いなかった。暗い白さだ。それに焦点を合わせた途端、眩暈に襲われる。白さの手前には指が伸びている。何かを掴みあぐねて沈みかけているようだ。

鮮明な認識にしか安らいはあり得ない。

夢を見た。すぐそばにブランコがあり、金網の向こうには夕方の街並みが見えた。掌があり、それに私の右の頬が触れていた。左の頬はもっと柔らかく暖かいものの上にあった。私は公園のベンチに横たわっていた。女の声がした。それは私の名を呪文か何かのように唱えていた。

自動車の水を撥ねる音に混じって、男の声がする。近所のガソリンスタンドからだ。この部屋からいま男の見ている光景を見ることはできない、という認識。或いはその認識の中に取り残されてあること。

或いは待ち望まれるものがどのような名で呼ばれるのかを知ることによって、

手元に残ったものと言えば、一通の手紙くらいだ。「……Oのことは、本当に残念に思います。Kは怒り狂っていた。僕は、彼が人を殺すのではないかと思ったことが少なからずある。確かに、傍目にはいつも温和でしたが、Oは自分に惨めさを与えた人を決して許さなかった。その惨めさが、自らの人間的な欠陥に由来すると自覚していたがゆえに、彼は、ついに自らを殺してしまったのです。」

待ち望まれるものがどのような名で呼ばれるのかを知ることによって、
刻々を耐え凌ぐことができる。

文学極道

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