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選出作品 (投稿日時順 / 全2作)

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しみこんできたものでいっぱいよ

  naka

     1

 千切れ途切れの脳みそキロバイトでは、一行最多、口腔が餓えて、こんにちわ。いかんともしがたい労働からビールの夕餉、私の欲するものが見て見ぬふりをしていた。
 読書している時はいい。快適超特急男or不快適置換男? 天候に左右されたり、天然パーマ、週末渋滞、よもや事故も。
 夏は何もかもが青いね、隆々たる穂先、何か考えよう、タッチ、何かを考えよう、いよいよアブクちゃんに出会う。よっ! 詩句とは足跡みたいなもの、こう言っても可、自らの足跡を巡る主人公=私の追放劇だと。
 コマ切れの脳みそ点々、アルコール容器転々、アロマ、私の軽々しさゆえ、尻軽かつ猪めいた足跡、血に足をつけぬ、私の引力に負けたコップの水の罪跡感、飢えに苦しみ、口腔が渇いて、子供を手当りしだい小突きたくなる狭心の原因かも知れない。


     2

 紙一枚隔てただけの密室で、私が何を考え書いてきたのか、ばいちゃ。まどろんでこそばゆい日々。腹から糸こんにゃくなのは、ところてんなのではなく、三杯酢か黒蜜なのか、ということが腹話術には重要なのだ。
 ここはいっそ、焼酎タイムしたい。ノットファウンド、ここは図書館の第一学習室なので、こっそりもすざんぬ。いやん、わたすが一人で飲む酒の味。しみこんできたものでいっぱいよ。


     3

 何か私には考えなければならないことが、カミナリ! それから、私が野原で朗らかにゴロゴロ転がって行く図を小一時間中数度も味わえるので、三半規管がゴワゴワ、轟々!

・女子と名のつく強者達「むずかしいものはわっかんない」。

・イートしながら生活者「きしゃぽっぽ」。

 私の鼻前で大概このような会話がなされた。けだし、むずかしくないものが、モクモクしない日など、はたしてこの世にあるものか。強者の好きな源氏物語、石炭の放つケムリ越しに、遥か彼方、彼の国の戦争(陵辱行為)をイメージさせた。
 一体、私のアルコール度数は、インチキラッパー気取りのポエトリーリィディング小僧である。いっそ、何も考えない、方角がありがたや、ではないか。どうせ羅針盤もデタラメさ。いつしかうすぼんやりした蚊帳、目蓋の冥土には、お客さん、私自身がきしゃぽっぽになって沈んで行く。
 ここは一つ、考えてみようよ。痒いところに手が届かないんではない、痒いところが分からないんだ、でも、痒いという感覚におそわれて、もぞもぞしている。何か私におそろしいことが迫っているような……。不幸は三度の兆候を示す。{鈍感/無視/密室}なんて、『かなしみよ、さようなら』と乾杯してイキたいものだね。


     4

 では、何を考えればいいのか。今、背中合わせに座っているとなりの、女子高等学校生が肌着を身につけていないため、スケスケブラジャーの、色彩はファッションピンクだと見え見えで、(皮膚アレルギーor汗疹?)、制服のシャツの袖と裾を捲し上げ、二の腕や脇腹を掻きむしり、その二の腕がやたら赤い。
 さて一体、何から考えるべきなのか。私の目線はこの頃、女子高等学校生の生足に向けられがちなのに、夏の糞あつい日本で、ルーズソックスを履いて御勉強していることは、頭が下がる思いだ。えっなに? 頭が下がる思いなのは、行き当たりばったりな生足をさらけ出しておいてルーズソックス、さらには御勉強している強者加減さ。で、人生における行き当たりばったりな覚え書き、なーんて対外しない「だめだめ!」んば御仁が行き着きそうな、袋小路のようにしか捉えられない一つの転向論でも子守唄にして、数えてみようか。よくよく考えてみれば、人間には二種類しか居ない。宿命を信じる者と、宿命を信じない者。さらに数えれば、{宿命を信じて蹴落とされる者/宿命を信じて愛される者/宿命を信じず蹴落とされる者/宿命を信じず愛される者}という四種類の類型が導き出された。
 これは大いなる哲学的ギモンである。しかし、共謀という言葉を、家族計画の計画通り、右へ二十六度にねじってみればよろし。兇暴になるのだ。“計画という名の共謀=兇暴”、ここには各々に対し、等しい関係性が認められる。


     5

 図書館の第一学習室でありながら、別の密室で原稿用紙のマス目は使用せず、裏側の白紙に、硬度HBの鉛筆二本(長短)を用いて、鬼ッコの真似をして楽しむチャーミーな私がどうしようもなくて好き。過渡期、つまみを欲する権利は私にはない。孤立を求め連帯を求めず、力及ばざるは酒の所為、酒が尽さずして座することを拒否する気持ちだけ。
 となりのスケスケブラジャーは依然背中を向けて、夏休みにも関わらず、iなのか、最新型ヘッドフォンを着用し、そこからコンパクトに音が洩れている、「さくらんぼ」みたいなフレーズを歌う生足歌手と思われた(徒然)。
 千切れた脳みそ……、シンコペーション、……ファッションピンクの蚊帳の中、腐った齲歯が疼いて、たまらぬ口臭をまき散らし、スケスケブラジャーは御仁とチューしている。待ち合い室で、調理本に隠れながら、しかし、どこもかしこも見え見え。焼酎のかわりにペプシを飲んでいた。御勉強は補強作業、途切れた線路できしゃぽっぽ遊び、再度組み替えられた眼球組織のおかげで、人生がモグラになっていく。スケスケブラジャーが内包しているものまでは見えず、若さとは貧相な出来事ではないじゃない。むっちりした生足に、耽美。


新月の下

  

     1

 この原稿を書いているのは、秋だ。直下される問いこそ「失ったものは何だったのか?」であり、正確にしたためれば「失ったもの、何?」だったように思う。つまり、女言葉なのだけど、いまとなっては、声を記憶していたテープがない。したがって、ブツという形は失われ、曖昧な活字の様式で、劣化した皮一枚を剥いだムツゴロウのつるつる。そして、阿多多羅山のつるつる。潤んでいるのは、テポドンだ。美辞麗句された声が劣化していくけど、“もののあわれ”であろうか?

「失ったものは、何?」まるっきりオレオレ詐欺の図々しさで、受話器から声が漏れている。この声は、野太いので、多分、中年の男性。換金したぬくもりは、消毒液の匂いしかしない。それを潔癖だと認識している前頭葉はゆがんだ柔軟運動。えいさえいさ、ほっさほっさ、あれは、時代劇か、ビリーザブートキャンプだったか。元気に勢いよく放出された子供時代、「やすらぎが薄らいでいく前夜に残されたメッセージを、酔いどれの鐘にしてはいけませんよ」と、おかあさま。秋ネクストイコール冬だから、子供時代は冬なのである。

 声は、重なり合い、ぬくもり、教会での合唱、エコール・ド・パリ、鉄の冷たさで、戦車は出来ている。ドイツ兵の子供を孕んだ為、髪が剃られ、裸に剥かれて行進しちゃうシャンソン人形、ひらひらと紙幣がバラまかれた黄金に輝く町並みで、行進する者達と、それを取り巻く者達と、乞食と、おかあさまと私は、鈍器を手にしていた。重複する声、重複する合唱、抱擁するたび火花になって、紙幣が燃え、やがて町並みは火の洪水。鈍器が太陽で、私たちは一人一人、太陽を所有していた。火の洪水、太陽を放り捨て、逃げまどう牛とにわとりの足並み。どがどが、ぎゃーてー、ふぁでらっく、さわがしいはずなのに、ツーんとした耳鳴りがして、涼しげだ。
(おならってくさいね)ひとのにぎわいは、皮一枚剥いたムツゴロウの光沢で、受話器を動物に渡してはならない、エンド・スロー・テポドン、お金に換えられた肉は、消毒液の匂いが漂う、それを清潔だとイメージしている草原で、直下していく。



     2

 皮一枚剥いだシャンソン人形から生まれた赤子が娘になり、水槽を抱えていた。その中には、皮一枚剥かれたまま泳ぐムツゴロウと沈んだシャンソン人形、少女は水槽の硝子細工の青さから蒼穹をイメージする。虚言癖と自傷癖と拒食症を煩い、拒絶こそゲーゲー吐き散らかす新しい父親の粒子はステンレス、保温が約束されたようなものだ。許容する排他イコール自己完結の暖は持続し、水槽を抱き、濡れたムツゴロウも飛び出す。ふるえながら貫いてイク父親の息子に、「期待外れだよ!」とアバズレぶる気品はまだなかったから、抱き寄せられた肌の冷たさに戦慄、射精されてゲーゲー吐き散らかす沈んだシャンソン人形の構造がプリズム、一度ならば二度でも三度でも同じこと。【射精するものは、排除するもの?】のちにどんな男性でもヤラセるサセコになり、父親のキン玉をヨーヨーに仕立てて、悪人を退治する秘密結社の一員になった娘の保温を約束した射精イコール性交の関係性は持続し、底でムツゴロウが跳ねていた。父親が突っ込んでいない方の穴から排泄、昨日食べたとうもろこしのつやつやに、シャンソン人形をめり込ませながら。



     3

 再生されることのない過去に意味はない。だから、振り返った私は取っ替えッコで、いつでも声は首筋の後ろではなく、胸襟の前側でもなく、交点か底辺から聞こえてくる。水槽の硝子細工を蒼穹に見立てていた少女、いつしか水槽は割れ、破片もまた青い。まだ少女ではなかった私を突き抜けていくイメージの蒼穹が、漏れている中年男性によって粉砕、刈り取られたシャンソン人形の赤い髪がドーナッツ状に、そして、ベッドを支えている五名の巨人たちの関係性で私は創造した。エンド・スロー・テポドン、受話器から声が湿り、換金するぬくもりは消毒液の匂いしかしないから、「やすらぎが薄らいでいく前夜に残されたメッセージを、酔いどれの鐘にしてはいけませんよ」、ゲロとうんちと精液まみれの幼い娘をきれいだと思う人間がいるのなら、およそどんな人間にもきれいになれるチャンスが一度は訪れた。言葉が飲み込みにくいのは飲み込みたくない、どのような事実であろうとも再生してはならない声があるからで、少女の選択肢は書き手という設定の作中人物の私からすれば、二通りしかなかった。スカトロおとうさんだけの天使になるか、どんな男性が相手でもヤラセる天使になるか。集約とか帰結じゃないね、点在かつ混在でしかない。



     4

 ところで、この散文のタイトルは、『新月の下』なのだけど、いっこうに登場する気配がない。なんで『新月の下』なのか、作者はもう忘れていて、忘れたものを取り戻す術がない以上、代用品を使って、模造していくしかなかったデタラメさを、読者に謝罪しなければなりません。
 整合性を組み直して、どういう主題かを陳述していきます。「あっ、新月だ」って言うおかあさん似の女性がいて、そう言う女性との関係性を失った主人公の私は、新月を見るたびに、はかなげな記憶をイメージしてしまうわけではない。この散文は、「あっ、新月だ」という女性の影を追い求め、水槽の蒼穹に憧れる少女と重ねるさえない主人公のさびしさとはまったく関係ないのであり、性行為のように声が流れてきて、(戸惑いとはどのような工合なのだ?)とついつい考えてしまう〈あなた〉の舌の青さを描写することに、モチーフがある。赤かった空がいつのまにか青くなっていて、その青さは星の光をあぶり出し、ほんのりと影をのばす。



     5

 口元がミルキーウェイ。まさしくテポドンの軌道だね。阿多多羅山のつるつる、お客さん、私はもう生きていますよ、風をゆらしているのが、私なのです。

 あの月は、隠されていない。ただ、見えないだけ。黒く、ドーナッツ状の髪、耳をすませば、心のどこかで飼っている“可哀相な少女として体現される不幸”が、別の化身になって見えたであろう。姿を変えても、指し示す方角は同じ。なぜなら、羅針盤こそ〈あなた〉だからだ。

「気持ちの重みに沈んでいきながら、言葉の軽さで浮かんでいく、まるっきり天使の冗談だね。しかし、私はけっして天使になりたくないので、ステンレスの底に沈んでいる。本当は誰も天使になりたくなかったよ」

文学極道

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