選出作品

作品 - 20201031_188_12186p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


『源氏物語』私語 〜野分〜

  アンダンテ

・・〜野分〜

遣唐使が廃止され、国風文化の最中(さなか)に『源氏物語』は書かれた。藤原道長を中心に置
く摂関家の時代は、謂わば第一次鎖国時代だった。安史の乱で楊貴妃が殺され、その後唐王朝は
衰退の一途をたどっていった。そんな折、菅原道真は唐に見切りをつけ遣唐使の廃案を朝廷に提
出した。その後、唐が滅んだので打ち止めになった。もし遣唐使が続投していたなら、超貴族
(藤原家)とその顔色ばかり窺う貴族たちの巣窟、宮廷社会という極めて特殊舞台での紫式部の
活躍はなかったかも知れない。玄宗帝は息子の嫁楊貴妃を略奪、年は倍以上離れていた。


 ・御屏風もかせのいたくふきけれはをしたゝみよせたるにみとをしあらはなるひさしのおましにゐ給へる人ものにまきるへくもあらすけたかくきよらにさとにほふ心ちして春のあけほのゝかすみのまよりおもしろきかはさくらのさきみたれたるをみる心ちす……
 ……かのみつるさきさきのさくらやまふきといはゝこれはふちのはなとやいふへからむこたかき木よりさきかゝりて風になひきたるにほひはかくそあるかしと思ひよそへらる

 野分は毎年、秋にやってくる。屏風などは片隅にたたんで寄せてあり、御簾も巻き上げられたり
もした。それは、垣間見のチャンスでもあった。夕霧の垣間見が始る。「きよら」と最上の誉め言
葉でたたえられた紫の上は樺桜、玉鬘は山吹の花、明石の姫君は藤の花に喩えられた。


 ・いまゝいれるやうにうちこはつくりてすのこの方にあゆみいて給へれはされはよあらはなりつらむとてかのつまとのあきたりけるよといまそみとかめたまふ

 夕霧十五歳。垣間見のエキスパート父源氏に垣間見さえも固く禁じられていた紫の上の姿を風見舞の折つい垣間見てしまった夕霧。風が吹き荒れ夕霧 のいるところが見えそう。いったん退き、源氏が帰って来たところにさも初めて参上したかのように声作りして簀の子のほうに歩み出る。≪されはよあらはなりつらむ≫源氏は節穴ではない。夕霧の所作はばればれ。そのことには深く立ち入らず、大宮の住む三条の宮ついで秋好中宮のところへ風見舞にいくように命じる。


 ・空はいとすこくきりわたれるにそこはたとなく涙のおつるををしのこひかくしてうちしはふき給へれは中将のこはつくるにそあなるよはまたふかゝらむはとておき給なり……

 ・しのひやかにうちをとなひてあゆみいて給へるに人ゞけさやかに おとろきかほにはあらねとみなすへりいりぬ……

 ≪しはふき≫≪をとなひ≫前述の≪こはつくり≫と同じく咳払いの意。まめ人と言われる中将は
よく咳払いをする。咳を聴いただけで中将だと源氏に気づかれるのだ。同じ伝達の咳払いでもそれ
ぞれニュアンスの違いがある。式部は聴いた者の反応と絡ませ、じつに巧妙にその場に溶け込ませ
る。

 ・
 ・なにゝかあらむさまさまなるものゝ色とものいときよらなれはかやうなるかたはみなみのうへにもおとらすかしとおほす御なほし花文れうをこのころつみいたしたるはなしてはかなくそめいて給へるいとあらまほしきいろしたり

 源氏のお伴しながら、秋好中宮、明石御方、玉鬘そして花散里を見舞う。花模様を織り込んだ布
地に、最近摘み取った紅花とつゆ草の花で染めた二藍色の着料。あまりにも素晴らしい。花散里の
染色の見たては南の上(紫の上)にも劣らないと源氏は感心する。


 ・中将にこそかやうにてはきせ給はめわかき人のにてめやすかめりなとやうのことをきこえ給ひてわたり給ぬ……

 源氏は三十六歳、若紫を見染て二十年近くの月日が過ぎている。若紫から野分まで二十二帖で埋まっている。これは単純なストーリーではない。様々なプロットが絡みあって転回していく。

********註解
:底本には『校異源氏物語』池田亀鑑編著を用いた。