・・・〜 帚木 〜
・はゝき木の心をしらてその原のみちにあやなくまとひぬるかなきこえんかたこそなけれとの給へり女もさすかにまとろまさりけれは
・かすならぬふせ屋におふる名のうさにあるにもあらすきゆるはゝ木〻ときこえたり
帚木の巻名は源氏と空蝉の歌のやり取りから来ている。
・帚木のこゝろを知らで薗原のみちにあやなく惑ひぬるかな
この源氏が空蝉に送った歌は古今六帖五雜思の歌
・そのはらやふせやにおふるははききのありとてゆけとあはぬきみかな
を本歌としている。
「帚木」はいたずらに長く退屈でくだらない。光源氏はさほど複雑な人物ではないので、余計な伴奏はいらない。「空蝉」への導入部として、かろうじて終部に存在感を示しているにとどまる。
・……ことかなかになのめなるましき人のうしろみのかたはものゝあはれしりすくしはかなきついてのなさけありをかしきにすゝめるかたなくてもよかるへしとみえたるに……
「もののあはれ」が初見される場面。夫をなおざりにして、ことさらもののあはれを吹聴し和歌に身を入れ込むのもどうかと思う。そう、左馬頭に言わせている。藝術至上主義云々ではない、よくもながなが女の品定めに與をついやすのか。読者を憤慨させるほど上手い言葉運び、感服するしかない。
・……こゑもはやりかにていふやう月ころふひやうおもきにたえかねてこくねちのさうやくをふくしていとくさきによりなんえたいめむたまはらぬまのあたりならすともさるへからんさうしらはうけ給はらむといとあはれにむへむへしくいひ侍いらへになにとかはたゝうけ給はりぬとてたちいて侍にさうさうしくやおほえけんこのかうせなん時にたちより給へとたかやかにいふをきゝすくさむもいとおししはしやすらふへきにはた侍らねはけにそのにほひさへはなやかにたちそへるもすへなくてにけめをつかひてさかにのふるまひしるきゆふくれにひるますくせといふかあやなさいかなる事つけそやといひもはてすはしりいて侍ぬるにおひてあふことの夜をしへたてぬ中ならはひるまもなにかまはゆからましさすかにくちとくなとは侍きとしつしつと申せは君達あさましとおもひてそら事とてわらひ給ふいつこのさる女かあるへきおひらかにおにとこそむかひぬたらめむくつけき事とつまはしきをしていはむかたなしと式部をあはめにくみてすこしよろしからむ事を申せとせめ給へとこれよりめつらしき事はさふらひなんやとてをり……
蒜を使っての神経戦。にほいを口実に門前払い。臭い歌のやり取り。だまって聴いてればなん
だこれは、つくりばなしにも程がある。そう籐式部丞を責め立てる。「をり」式部は負け惜しみを
言いながら坐っていやがる。
退屈だとは言いながら、ついついのめり込んで読まされてしまう。いまさらながら、紫式部は
凄い。
紫式部は、九九六年父藤原為時が越前の国司になった時、京を離れている。民衆の逞しさに触れたものの、『紫式部集』に次の歌を残す。
・磯がくれおなじ心に鶴ぞ鳴く汝が思ひ出づる人や誰ぞも
擬人法を用いて、京の都を恋しがっているのだ。宮中の女は、京の鳥籠のなかで外の空気を吸うこともかなわず一生過ごすことになる。紫式部は外の風にあたって自分の居場所を思い知った。
……けはひしつる所にいり給へれはたゝひとりいとさゝやかにてふしたりなまわつらはしけれ
とうへなるきぬをしやるまてもとめつる人とおもへり中将めしつけれはなんひとしれぬおもひのしるしある心地してとの給をともかくも思わかれすものにおそはる心ちしてやとおひゆれとかほにきぬのさはりてをとにもたてす……
夜ばいするも、「や」と怯えさせ残念な結果に終わる。色男もかたなしだ。『源氏物語』は人に
読ませるために書かれた物語。かって芳賀矢一が≪乱雑な書物が日本の大古典であることは情けない≫と嘆いたが、古典的名作を読み解くような気構えは捨てよう。
・……まことに心やましくてあなかちなる御心はへをいふかたなしとおもひてなくさまいとあはれなりこころくるしくはあれとみさらましかはくちおしからましとおほすなくさめかたくうしと思へれはなとかくうとましきものにしもおほすへきおほえなきさまなるしもこそ契あるとはおもひ給はめむけに世をおもひしらぬやうにおほほれ給なんいとつらきとうらみられいとかくうきみのほとのさたまらぬありしなからのみにてかゝる御こころはへをみましかはあるましきわかたのみにてみなをし給ふのちせをもおもひ給へなくさめましをいとかうかりなるうきねのほとを思ひ侍にたくいなくおもふ給へまとはるゝ也よしいまはみきとなかけそとておもへるさまけにいとことはりなりおろかならす契なくさめ給ふ事おほかるへしとりもなきぬ……
初めて拒絶された光源氏。強引にリベンジを果たす。そもそもエロスなきプラトニックな関係などなく、論より関係。むかしの人は直接的だ。関係した後でも論は遅くない。空蝉はなにを今更とおもうかもしれないが、源氏への感情のうらおもてをこれっきりとしはぶきし、他言はしないでと言い残す。<とりもなきぬ>鳥が鳴くにも、こぬ人に別れを告げるもない。空蝉は光源氏との関係を絶つ。
……人にゝぬ心さまのなをきえすたちのほれりけるとねたくかゝるにつけてこそ心もとまれとかつはおほしなからめさましくつらけれはさはれとおほせともさもおほしはつましく……いとおしとおもへりよしあこたになすてそとの給ひて御かたはらにふせたまへり……
光源氏は空蝉の弟に取り入り、なんとか空蝉の心を引き入れようとするのだが、百パーセント純毛である空蝉にお手上げだ。宮中での男女の恋沙汰は、むろん現代の恋のゆくえでは測れない。だが、心の乱れはそう変わらないだろう。おもわせ振りは、今も昔も恋の谷間へと揺り落とす。
*****註解
:底本には『校異源氏物語』池田亀鑑編著を用いた。
・・・〜空蝉〜
・うつせみのみをかへてける木のもとになを人からのなつかしきかなとかきたまへるをふところにひき入れてもたりかの人もいかにおもふらんといとほしけれとかたかたおもほしかへして御ことつけもなしかのうす衣はこうちきのいとなつかしき人かにしめるをみちかくならしてみゐたまへり……あさましと思ひうるかたもなくてされたる心にものあれなるへしつれなき人もさこそしつむれいとあさはかにもあらぬ御けしきをありしなからのわか身ならはととり返すものならねとしのひかたけれはこの御たゝうかみのかたつかたにうつせみのはにをく露の木かくれてしのひしのひにぬるゝそてかな
再度の夜ばいも空蝉に逃げられ、間違いと気づきながらも空蝉の夫伊予介の先妻の娘軒端萩を抱いてしまう。この窮地に及んでもちゃっかりしている光源氏。
・空蝉の身をかへてける木のもとになほ人からのなつかしきかな
空蝉が残して行った小袿をいつも手元に置いて見ている。空蝉は人殻で「空蝉」の巻名の由来となる。空蝉と光源氏の恋のみちゆきはもどかしい不倫。
・空蝉の羽におく露の木がくれてしのびしのびにぬるる袖かな
源氏が和歌をいたずら書きした畳紙の片っ方に想いしたためる。この和歌は伊勢御の引歌と見られている。しかし、この歌が伊勢御のものかは不透明なので何とも言い難い。しかしながら「空蝉」はこの一首に語り尽くされている。
ここまで読んできて『源氏物語』にはあからさまな都の四季の描写がみられない。
・春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。
・夏はよる。月の頃はさらなり、やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。……雨など降るもをかし。
『枕草子』はいきなり季節めぐりからはじまる。
・秋のけはいの立つままに、土御門殿の有り様、いはむかたなくをかし。……やうやう涼しき風のけしきにも、例の絶えせぬ水の音なむ、夜もすがら聞きまがはさる。
『紫日記』もあきらかに清少納言を意識して「秋のけはい」を醸し出している。
……月はいりかたのそらきようすみわたれるに風いとすゝしくなりてくさむらのむしのこゑ〜もよほしかほなるもいとたちはならにくき草のもと也(「桐壷」)
季節は即物的に置かれる。吹く風にみだれ髪がさわぎ、顔を打つようだ。
桐壷の更衣は夏に死に藤壺は春に死ぬ。
……野わきたちてにはかにはたさむきゆふくれのほとつねよりもおほしいつることおほくてゆけの命婦といふをちかはす(「桐壷」)
夏も深まり、野分めいた風が吹く中、荒れた庭をさらした更衣の里に靫負の命婦が訪れる。
夏の夜の悪夢のようなあはれさだ。
・すゝむしのこゑのかきりをつくしてもなかき夜あかすふるなみた哉えものりやらす(「桐壷」)
鈴虫が鳴きつくしても、それにもまして涙が止まらないと命婦が歌う。
・いとゝしく虫のねしけきあさちふに露をきそふる雲のうえ人かこともきこえつくなんといはせ給ふ(「桐壷」)
なき濡れている草深い侘び住まいにお見舞い下さりまして、尚も涙の露を置き添えて下さいました。そんな愚痴をこぼしそうに存じます。そう更衣の母君は車に乗れずにいる靫負の命婦の許へ伝える。
このようにして、何気なく四季へ心配りがなされていく。
清少納言も和泉式部も紫式部と同じ空気を吸っていた事実がある。記録はあっても、千年後も名を遺すことは尋常なことではない。
*****註解
:底本には『校異源氏物語』池田亀鑑編著を用いた。
選出作品
作品 - 20200822_312_12067p
- [佳] 『源氏物語』私語 〜帚木〜 〜空蝉〜 - アンダンテ (2020-08)
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『源氏物語』私語 〜帚木〜 〜空蝉〜
アンダンテ