選出作品

作品 - 20200504_620_11858p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


『在りし日の歌』 ― 各論

  アンダンテ

私が作品について語るには、先ず、いったんその作品を作者不詳にする必要があるのです。作者を作品解釈の唯一の拠り所にしない事、それが肝心なのです。作者を無視するのではなく距離を置くこと。作品を通じて作者を抽出するのです。ロラン・バルトが言うように《ある作品が「永遠」なのは、不特定多数の人に唯一の意味を植え付けるからではなく、ひとりの人間に多種多様な意味をもたらす(『批評と真実』》からで。また、バルトは言います。《読者とは、あるエクリチュールを構成するありとあらゆる引用が、何一つ失われることなく記入される空間に他ならない(「作者の死」)》と。ダンテの作品がそうであるように、ジョイスの作品が然り、西脇順三郎の作品が然り、そして、田中宏輔氏の作品がそうであるように。

・閑話休題


・・・・・・・・・・(十)春

・この詩は、「悲しき朝」(『山羊の歌』)と同じく「生活者」昭和四年九月号に発表された。制作年次は未詳である。恐らく長谷川泰子が去って行ったのちの春、大正十五年頃の作と思われる。中也はこれより先、長谷川泰子と出逢った頃、『分からないもの』という小説を書いていた。大正十二年末頃、富永太郎とも小林秀雄とも出逢う前の時期のことだ。

・・・グランドに無雜作につまれた材木
・・・――小猫と土橋が話をしてゐた
・・・黄色い壓力!

・これは、その小説の中にある『夏の晝』と題された詩。
・グランド・材木・土橋・小猫――これは単なる叙景詩ではない。ここに表出されている風景は悉く人工的で、猫さえも人に和う獣としてある。そして<黄色い壓力!>という一句が置かれることによって、人の世の地上の模写にすぎなかったこの有り触れた風景は、音無しの狂気を湛えた場面へと一変するのである。昭和三年、河上徹太郎に宛てた手紙の中で、中也は次の様に言っている。<「私は自然を扱ひます。けれども非常にアルティフィシェルにです。主觀が先行します。それで象徴は所を得ます。それで模寫ではなく歌です。……(後略)」。>詩作の初学び期、既にこのような詩観が作品として結実していた。 

・・・大きな猫が頚ふりむけてぶきっちょに
・・・一つの鈴をころばしてゐる
・・・一つの鈴を、ころばして見てゐる
・・・・・・・・・・(「春」より)

・在りし日において見られるこの抒情歌は、紺青となって空から降りかかるしずかな春の、しずかな春の狂気の今日と同時進行している場面として歌われてゆく。

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*註解
・和う:あう
・初学び:ういまなび
・紺青:こ あを


・・・・・・・・・・・(十一)春の日の歌

・中也は、衰弱してゆく我が身を見送る。

・・・うわあ うわあと 涕くなるか(「春の日の歌」第三連三行目)
・・・ながれ ながれて ゆくなるか?(「春の日の歌」第四連三行目)

・ここで旌はされている「なる」という断定の助動詞「なり」の活用は、その事を能く愬えている。素より中也は語法にいついて厳明な姿勢で臨み、正鵠を射るように賓辞を配している。中也の詩に見られる破格は、真剣で持って開く刀背打の破調だという事を知らねばならない。

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*註解
・旌はされ:あらはされ
・愬え:うったえ
・刀背打:みねうち


・・・・・・・・・・・(十二)夏の夜

・『在りし日の歌』後記に「作ったのは、最も古いのでは大正十四年のもの、最も新しいのでは昭和十二年のものがある。」とある。
・大正十四年下旬、長谷川泰子は中也の許を去る。<「七月中原は山口へ帰った。九月最初の媾児。小林は二十三歳、泰子二十一歳である。」(大岡昇平『朝の歌』)。>中也が富永太郎の紹介で小林秀雄を訪れたのは、四月初旬のことだ。

・・・――疲れた胸の裡を 花辯が通る(「夏の夜」第四連三行目)

・十年の年月を経て、「雨の日」でこの花辯は次の様に夢となって出現する(『在りし日の歌』では「雨の日」は「夏の夜」の前におかれている)。

・・・わたくしは、花辯の夢をみながら目を覺ます。(「雨の日」第一連四行目)

・花辯は泰子を彷彿させる喩えには違いない。この詩は、泰子が去ったのちに書かれたものなのか?私は泰子が去る前だと思いたい。花辯は、
去る前の泰子の顔ではなかったか。恐らく、大正十四年七月から十一月の間の作に違いない。
・この詩は、『在りし日の歌』の流れを先取りしている。

・・・開いた瞳は をいてきぼりだ、(「夏の夜」第三連二行目)

・この<をいてきぼりの瞳>が<〓馬の瞳(「臨終」)>や<動かない瞳(「〓い瞳」)>よりも先の発想である事を、中也は知らずに詠む。
・初節の<あゝ 疲れた胸の裡を/櫻色の 女が通る/女が通る。>から<――疲れた胸の裡を 花辯が通る。//疲れた胸の裡を 花辯が通る>
と振る強引とも思える畳み掛けと、<開いた瞳は をいてきぼりだ、>との取り合わせは何故か『在りし日の歌』の時の流れにそぐわない。燃焼できずにいる中也の生理が、夏の靄の中に暑く徘徊っているようだ。
・空焚き寸前の空間。二人の男と、一人の女が現有している筈の生存空間の中で、中也一人が時差ボケしていた。どちらがの姿が滑稽か。決定的結びつきと思われる瞬間を胸に抱き生きる男と女の姿と、そんな人間現実からいつも取り残される中也の姿。男と女、そこが問題だ。

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*註解
・胸の裡: むねのうち
・銅鑼:ごんぐ
・著物:き もの
・徘徊って:たちもとって


・・・・・・・・・・・(十三)幼獣の歌

・昭和十二年八月二十一日の日附を持つ『ランボウ詩集』の後記で、中也は次の様に言う。

・・・所で、人類は「食ふため」には感性上のことなんか犠牲にしてゐる。ランボオの思想は、だから嫌はれはしないまでも容れられはしまい。
・・勿論夢といふものは、容れられないからといつて意義を減ずるものでもない。然しランボオの夢たるや、なんと容れ難いものだらう!

・幼獣が抱く星も。なんと受け容れ難い夢であったことだろう。

・・・獣はもはや、なんにも見なかった。
・・・カスタニエットと月光のほか
・・・目覺ますことなき星を懐いて、
・・・壺の中には冒涜を迎へて。

・この第ニ節は、<カスタニエットと月光のほか>が<見なかった>に掛かるか、或いは<目覺ます>に掛かるかによって、獣と星の性格がまるで違ってくる。中村稔は『中也のうた』に於いて、「およそ詩を味讀することと謎解きとは全く関係ない。」と断った上で次の様に言う。

・・・……ここでうたわれているのは、目覺ますことない星をいだき、火消壺の中に冒涜をかかえて、カスタニエットと月光のほか何も見ない、
・・そのために燻りつづけてやまない一匹の獣の心である。……

・<見なかった>に掛かる解釈なのだが、成程そのようにうたう詩人もいるに違いない。しかし、それは中也の歌ではない。詩法に従うのは謎解きではないので、私は<目覺ます>に掛かる熟読を採る。

・・・カスタニエットと月光のほか
・・・目覺ますことなき星を懐いて、

・<目覺ます>は、他動詞「目覺す(めざます)」の連体形であり、中也は自動詞「目覺める(めざめる)」の連体形「目覺める(めざめる)」を用いてはいない。私たちが見ていると思っている星は、火消壺の外に輝く星ではない。実は、私たちは火消壺の中にいて夜空を眺めていたのに相違ないのだ。幼獣が抱く星は、夢からうつつに返る星ではない。それは、カスタニエットによって呼び起こされ、月を弾けて栄える夢の星。カスタニエットは燧石と共振している。燧石を打って造った星の光を浴びて、月は明るむだろう。

・・・獣はもはや、なんにも見なかった。

・正になんにも見ない獣として、中也は句点を打つ。それはカスタニエットと月光だけを見るような中途半端な姿ではない。見るという創造物を知る行為を放逐してしまうほど無防備になって、燧石を打って自ら星を造る営みに没入する幼獣の姿なのだ。
・神もなく認識もない<太古は、獨語も美しかつた!……>と、中也は歌う。そこには、美の発見と創造とが一緒である営みがあった。

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*註解
・燧石:ひうちいし
・太古は、獨語も美しかつた!……:「幼獣の歌」終連第四行目


・・・・・・・・・・・(十四)この小兒

・詩集『在りし日の歌』の題名には、「去年の雪」「在りし日の歌」「消えゆきし時」「過ぎゆける時」などが考えられていた。題名『在りし日の歌』、第一パート標題『在りし日の歌』、「含蓄」の副題「在りし日の歌」が付けられた正確のな時期は不詳。清書した原稿を小林秀雄に渡したのは昭和十二年九月二十六日。恐らく、この頃には決定していたものと思われる。長男文也が生まれたのは昭和九年十月十八日、亡くなったのが昭和十一年十一月十日。中也は、上野孝子のお腹にいる時から文也のことを日記に書き、死後「文也の一生」を起こしている。

・・・黒い草むらを
・・・コボルトが行く
・・・・・・・(「シャルルロワ」)

・コボルトは洞窟を番する精霊。黒い草むら、そしてコボルト。この詩句の持つイメージから「この小兒」と「幼獣の歌」は生まれた。

・・・コボルト空に往交へば、

・このコボルトは空高く飛び歩く精霊ではない。黒い草むらをコボルトが行く。揺れる葉先が、この小兒にとって空のすべてなのだ。割れた地球の片方に腰掛け見えた空。それは空高く聳える空ではなく、浜と水平に臨む海の果ての空だった。

・「この小兒」は昭和十年五月頃制作された。
・詩集『在りし日の歌』の扉に添えられた献辞「亡き兒文也の霊に捧ぐ」は、ヴェルレーヌの『言葉なき恋歌』に流れる無人称的抒情の燈火を呼び熾すように、聞こえぬ音を奏で続ける通奏低音となって名辞以前の世界へと誘う。

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*註解
・「シャルルロワ」:−ヴェルレーヌ−『言葉なき恋歌』ベルギー風景
・往交へば:ゆきかへば


・・・・・・・・・・・(十五)冬の日の記憶

・この詩の単調な調べは、何故かヴェルレーヌの詩「秋の歌」を呼び起す。

・・・啜り泣きつきなく
・・・ヰ”オロンを弾く
・・・・・秋の一日
・・・打ち沈むたましい
・・・心悲し
・・・・一色の日々。

・・・・・狭まる息かながら
・・・・・そして蒼ざめながら
・・・・・・・時鐘の鳴り響く日々、
・・・・・私は自分を思い出す
・・・・・在りし日のかずかず
・・・・・・・そして私は噎び。

・・・私は吹き立ち上がり
・・・吹き迷う風に乗り
・・・・・ひたすらに漂う
・・・そちこちで
・・・まるで
・・・・・落葉のよう。
・・・・・・・・(ポール・ヴェルレーヌ「秋の歌」:『土星びとの歌』― アンダンテ訳 ―


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*註解
・一日:ひとひ
・心悲し:うらかなし
・「秋の歌」:『土星びとの歌』― ポール・ヴェルレーヌ ―
・・・・・・CHANSON D’AUTOMNE
・・・Les sanglots longs
・・・Des violons
・・・・De l’automne
・・・Blessent mon Coeur
・・・D’une langueur
・・・・Monotone.

・・・・・Tout suffocant
・・・・・Et bleme,quand
・・・・・・・Sonne L’heure,
・・・・・Je me souviens
・・・・・Des jours anciens
・・・・・・・Et je pieure.

・・・Et je m’en vais
・・・Au vent mauvais
・・・・Qui m’emporte,
・・・De ca,de la
・・・Pareil a la
・・・・Feuille  morte.
・・・・(Poemes Saturniens,1886 -–Paul Verlaine -)


・・・・・・・・・・・(十六)秋の日

・「秋の日」の脚切は、散らう落葉のように往還を蔽う。そして夏の「夢」は、躍り滑る幾千もの浪の鱗を刷るように水面を圧す。

・・・・・・・夢
・・・一夜 鐡扉の 隙より 見れば、
・・・・海は 轟き、浪は 躍り、 
・・・私の 髪毛の なびくが まゝに、
・・・・炎は 揺れた、炎は 消えた。

・・・私は その燭の 消ゆるが 直前に
・・・・〓い 浪間に 小兒と 母の、
・・・白い 腕の 踠けるを 見た。
・・・・その きえぎえの 聲さへ 聞いた。

・・・一夜 鐡扉の 隙より 見れば、
・・・・海は 轟き、浪は 躍り、
・・・私の 髪毛の なびくが まゝに、
・・・・炎は 揺れた、炎は 消えた。

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*註解
・「夢」:『未刊詩篇』の中にある詩。昭和十一年、『鶴』七月号に発表。尚、「秋の日」は『文学界』昭和十一年十月号に発表。
・鐡扉:かねど
・轟き:とどろき
・燭:ひ
・直前:ま え
・腕:かひな
・踠ける:もがける


・・・・・・・・・・・(十七)冷たい夜

・睡魔がさざ鳴き、衰弱が詩人の鼓動と共に前進して行く。昭和十一年、それは雨が色褪せする季節だった。濡れ冠る中也の心はわけもなく錆びつき、いや止処もなく錆びつき、そして風化して行った。

・・・丈夫な扉の向ふに、
・・・古い日は放心してゐる。
・・・・・・・(「冷たい夜」第二連一行、二行目)

・丈夫な扉の向こうでは、絆が足掻き振り棄てられる兒と母が、海老のように反っくり返った目をして、黒い浪間に溺れていた。

・・・おお浪よ、おお船!凡てを飛び越えよ、飛び越えよ!
・・・昔はわが魂は塵を嘗めた。今は此上ない血潮に地を塗れしめる。
・・・《おお季節、おお寨!
・・・如何なる魂が欠点なき?》ジャン・アルチュウル・ランボオ。
・・・・・・・(「鑠けた鍵」より ―三富朽葉 ―)

・ものの数ではない生命の為に、幸福という季節は一体何時やって来るのか。中也は、「幸福」と題してラムボオを次の様に訳す。

・・・季節が流れる、城寨が見える。
・・・無垢な魂なぞ何処にあらう?

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*註解
・止処:とめど
・此上:こよ
・寨:とりで
・《おお季節、おお寨!/如何なる魂が欠点なき?》:ラムボオ『地獄の一季』の中の「錯乱II」に出てくる詩句。三富は小林秀雄よりも早くラムボオに触れ『アルチュウル・ランボオ伝』を起こしている。
・・O saisuns,O chateaux
・・Quelle ame est sans defauts?
・季節:とき
・城寨:おしろ
・魂:もの
・「幸福」と題して:「新しい韻文詩と唄」では、無題。尚、『地獄の一季』の反古草稿では、この詩の位置は空白であり”Bonr”と仮題のみ記されている。又、別の草稿の冒頭に散文で”c’et pour dire que ce n’est rien ,la vie ;voila donc les Saisuns.”(生命なんぞ取るに足りぬという事を言う為に…季節が、ほら季節が其処にある。)と一行記されている。


・・・・・・・・・・・(十八)冬の明け方

・「冷たい夜」は『四季』に、「冬の明け方」は『歴程』にそれぞれ発表された。これより先、中也は昭和十年五月『歴程』第一次創作号に「北の海」(『在りし日の歌』)と「寒い!」(『未刊詩篇』)を発表していた。
・地上はやりきれぬほど寒く病み、雨が色褪せする季節に春はない。パンドラの匣にユピテルの電光が通る。失せゆく希望を後びさりしながら眺めている瓦。此処には、とりとめもなく風化してゆく風景があるばかりだ。

・・・空は悲しい衰弱。
・・・・・・・・私の心は悲しい……
・・・・・・・・・(「冬の明け方」第二連五行目)

・気づかぬままに其の一生を終える小兒、或いは自らを知ってでもいるように立ち昇る煙。悲しみは上の上の空へと、道伝いに足を引き摺りながら歩いてゆく。

・・・生きてゐるのは喜びなのか
・・・生きてゐるのは悲しみなのか
・・・どうやら僕には分らなんだが
・・・僕は街なぞ歩いてゐました
・・・・・・・(「春の消息」『未刊詩篇』より)

・殻を失った軟体動物のように無防備な中也の命は燻り、剥き出しになった血は異次元の季節の中へと浸透してゆく。だが其処には、あの黄金時代の城寨は何処にも見当たらなかった。

・・・太古は、鮮やぐ俺の記憶を辿れば、俺の生は心という心が無垢に舞い、酒という酒は溢れ出る饗宴であった。
・・・・・・・(ラムボオ『地獄の一季』***** の中の冒頭の詩節 ― アンダンテ訳 ―)

・・・Jadis,si je me souviens bien,ma vie etait un festin ou s’ouvraient tous les coevrs,ou tous les vins coulaient
・・・・・・・(Une Saison en Enfer *****)

・永遠の春を見出そうとするラムボオの望みが、地獄の一季節への扉を開く序幕であったように、――中也も又、扉の鍵を手にしたのか。否、むしろ補綴の効かない半透明の扉、なにものでもない扉そのものと化した。
・生からの離脱?とんでもない。彼ほど生への密着を苛酷なまでに試みた者はいない。虚無。それは言葉ではない。生を分離させる接着剤なのだ。私のこの表現は間違いだろうか。そうではない。言葉で考えると矛盾に思えるだけの事だ。水中の天井が同時に水面であるように、それは名状しがたい事実なのだ。

・・・さわることでは保証されない
・・・さわることの確かさはどこにあるか。
・・・・・・・・・・(大岡信『さわる』より)

・私たちが小石を拾うとき、それは小石に触れているのではない。さわることができないと知ったとき、私はいのちが目覚めるのを覚えた。Quelle ame est sans defauts? 如何なる魂が疵なく目覚む(アンダンテ訳)。不透明な孤独となって虚無の中へと没入してゆく。この亡念の境に身を置く中也の姿は、昭和二年小林秀雄宛『小詩論』に於いて既に認められる。中也はラムボオを引いて、次の様に結論を下す。

・・・Ah! Que le temps vienne,
・・・Ou les coeurs s’eprennent!
・・・そして僕の血脈を暗くしたものは、
・・・「對人圏の言葉なのです。

・・・Je ne suis dit:Laisse,
・・・Et qu’on ne te voie,!!!

・そして、昭和二年八月二十二日の日記には「ランボオを読んでいるとほんとに好い氣持になれる。なんときれいで時間の要らない陶酔が出来ることか!/茲には形の注意は要らぬ./尊い放縦といふものが可能である!」とある。

・・・なにも
・・・ない
・・・隙間が

・・・渚なみ
・・・と
・・・砂浜に
・・・さわる

・・・さわる
・・・乙張と
・・・さわる

・・・なにも
・・・ない
・・・隙間が
・・・なければ

・・・なにも
・・・ない

・・・渚なみ
・・・も
・・・砂浜
・・・も  

・・・なにも
・・・ない
・・・・・(大岡信「さわる」より)

・虚無の隙間に現象と実像を尋ね探るに似て、物質を現象と実体とに識別する行為は夢魂のざれ事に違いあるまい、何処までも物質を辿り、漁り捲ればいい。もがく指先では、嘗て実体と呼ばれていた虚無の隙間と、そして今もなお現象と言う名の意識対象とが空掴みのまますり抜けている。灰白の闇の中で言葉が呻吟う。あなたは、何時の日か目覚めるのだろうか。

・・・青春が嗄れ
・・・呪縛に囚われた、
・・・優しさ故に憧れ
・・・俺は身を崩した
・・・・・(「最も高い塔の歌」― アンダンテ訳 ―)

・中也は翻す、小難しい意識を吹き飛ばすかのように三観を込めて!!! qu’on ne te voie,!!! そして虚無からの目差しを以て抒情する。

・・・農家の庭が欠伸をし、
・・・道は空へと挨拶する。

・この飛動的風景は、誰の意識にも昇ることなく中也の現身に寄り憑く。それは、現在が虚無の持続と化した者の当然の帰結に違いなかった。何故なら、未来が希望もなく記憶もない過去として立ちはだかる空の奥を覗いてしまった中也にとって、対人圏の言葉に凭れかかり意識したとしても、今私たち見ている風景は在りし日の風景でしかなかったからだ。

・・・天は地を蓋ひ、
・・・そして蛙聲は水面に走る。
・・・・・・・(「蛙聲」第三連『在りし日の歌』)

・・・その聲は水面に走って暗雲に迫る。
・・・・・・・(「蛙聲」最終句)

・空の奥が変転する瞬間の兆し、そんな風景の振る舞いがあった。

・・・qu’on ne te voie!!!

・誰もお前に気づかぬように虚無の隙間に埋まり、空の奥のその奥の虚無の空である現在へと逃脱する事、それが中原中也という詩人の生活空間であり、生活方式だったのだ。

**********
*註解
・Ah! Que le temps vienne,・・・・・・・ああ!絶頂の時は来ぬものか、
・Ou les coeurs s’eprennent!・・・心が酔いしびれる そんな!
・Je ne suis dit:Laisse,・・・・・・我が身に言い掛かった‥埋まれ、
・Et qu’on ne te voie,・・・・・・・誰もお前にきづかぬ様にだ、
・・・(Chanson de la plus haute tour:「最も高い塔の歌」― アンダンテ訳 ―
・意識対象:こ と ば 
・呻吟う:さまよう
・Je ne suis dit:Laisse,/ Et qu’on ne te voie,!!!:中也はラムボオのこの二句を次の様にやくしている。
・・私は思った、亡念しようと、/ 人が私をみないやうに。
・欠伸:あくび
・蛙聲:ぁ せい


・・・・・・・・・・・(十九)老いたる者をして
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・――「空しき秋」第十二

・詩集『在りし日の歌』には、[在りし日の歌]という標題を持った四十二篇と[永訣の歌]という標題を持った十六篇、合わせて五十八篇の詩が収められている。『老いたる者をして』は、その第一部四十二篇の折り返し点に位置する詩のように思える。副題に配された「空しき秋」の二十数篇は、関口隆克・石田五郎と共同生活していた下高井戸の家で一晩の内に書き上げたという。昭和三年十月、中也二十一歳の時だ。関口隆克によると十六篇あったとのことだが、いずれにせよ昭和五年五月『スルヤ』で発表された第十二篇を残して他は散佚したという。

・・・老いたる者をして静謐の裡にあらしめよ (「老いたる者をして」第一連一行目)

・対人圏の言葉の中で生きつづけ老いてゆく者にとって、<静謐の裡にあらしめよ>とは、山奥に幽閉されるに等しく苦痛を強いられる日々に違いない。悔いる事は、人にとっていつの日も非現実的な事柄なのだ。

・・・そは彼等こころゆくまで悔いんためなり (「老いたる者をして」第一連二行目)

・<悔いん>、この「ん(む)」という語り手が非現実な事柄と知りつつも願わずにはいられない助動詞の一語に由って、中也という詩人の生活空間が現実の中に流れ出す。この詩が、単なる諧調の整った抒情とも在来の老いの境地とも異なっているのはその為なのだ。

・・・こころゆくまで悔ゆるは洵に魂を休むればなり(「老いたる者をして」第二連二行目)

・洵に魂を安らかにすれば、必ずこころゆくまで悔ゆる事が出来る。そう、詩人は歌う。虚無の隙間 ―― それは、空に触れ風に触れ小浜に触れ、然も振れることなく静謐の裡に在る。物事は単に物が有るという事実から起こるのではない。虚無の裡に物が存在する事に由って、はじめて物事が起こるのだ。物は意識の有無に関与することなく、虚無の隙間に置かれて在る。意識せねば知れざる物として在り、意識すれば知られる物として在る。

・・・あゝ はてしもなく涕かんことこそ望ましけれ
・・・父も母も兄弟も友も、はた見知らざる人々をも忘れて
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
・・・・・・・・反歌
・・・あゝ 吾等怯懦のために長き間、いとも長き間
・・・徒なることにかゝらひて、涕くことを忘れゐたりしよ、げに忘れゐたりしよ……
・・・・・・・(「老いたる者をして」第三連および反歌)

・「空しき秋」が作られた時と前後して、中也は『生と歌』の中で次の様に言っている。

・・・……辛じて私に言へることは、世界が忘念の善性を失つたといふこと、つまり快活の徳を忘れたといふことである。換言すれば、世界は
・・行為を滅却したのだ。認識が、批評が熾んになつたために、人は知らぬ間に行為を規定することばかりをしだしたのだ。――考へなければ
・・ならぬ、だが考へられたことは忘れなければならぬ。
・・・直覚と、行為とが世界を新しくする。そしてそれは、希望と嘆息の間を上下する魂の或る能力、その能力にのみ関つてゐる。
・・・認識ではない、認識し得る能力が問題なんだ。その能力を拡充するものは希望なんだ。
・・・希望しよう、係累を軽んじよう、寧ろ一切を棄てよう! 愚痴つぽい観察が不可ないんだ。
・・・規定慾――潔癖が不可ないんだ。
・・・行へよ! その中に全てがある。その中に芸術上の諸形式を超えて、生命の叫びを歌ふ能力がある。
・・・……

・「空しき秋」二十数篇はヴェルレーヌの『叡智』を意識して書かれた。理解する事と影響を受ける事とは別物だ。その意味で中也はヴェルレーヌにより憧れ、ラムボオよりも触発されたと言える。

**********
*註解
・静謐:せいひつ
・裡:うち
・在来:ありきたり
・洵に魂を;まことに たまを
・徒なる:あだなる
・熾ん:さかん