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作品 - 20190928_226_11471p

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清水のあるところ

  山人

通る車もない、山間のアスファルト道路の端に、うっすらと冷気の上がる清水があった
名があるわけではなく、灰色の塩ビ管が埋め込まれ、その脇にかつて子供が使っていたであろうか
イラスト入りのプラスチックカップが伏せてある
農民が一日数回通るであろうその道路は、雑草が蔓延り
熱病に侵されたヒグラシとニイニイゼミの沼のような鳴き声しかなかった
どの位の深さから湧き出るのであろうか、その地下水が地上に顔を出し、こぽこぽと容れ物を満たし
多くの人の喉を通っていったことであろう
その清水のことを知ったのは、数日前であった
こんなにも純粋で冷たく清涼な液体が、まだいたるところに残されているのだった


遠い昔のことだった
隣人の朝子は浅黒い顔で足が速く、彼女の後ろを息も絶え絶えになって走って行ったものだった
ゴールは「清水のところ」と決まっていて、そこには決まって冷気が上がり
大きなフキの葉がたくさんあった
こうすれば飲める、と、朝子はフキの葉を裏側に曲げてカップ状にし
そこに冷気の上がる清水を入れて、唇からこぼれる清水を拭きもせず飲み干していた
フキの葉独特の香りが、純粋な水と絡まり、腹の中に収まっていったときに
たぶん私たちは互いの顔を見合いながら笑っていたのだと思う



午後の日差しは容赦なく私たちを照らし
荒唐無稽のような舞のように体を躍らせ、働いた
一服の時にはその、汲んできた清水を飲みながら
朝子の首筋から光りながらなめらかに流れ落ちていった
あの、清水のことを思い出していた
休憩が終わるころ、再びヒグラシは強く鳴き
やがて夕立の音が聞こえ始めていた

文学極道

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