選出作品

作品 - 20181119_704_10906p

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月精(あるいは湿原精)

  本田憲嵩

――逆さまに曝された流線型の細ながい肢体。澄んだ水面の白い後ろ影は揺れる。世
界でも有数の赤い夕陽は沈んだ。そののちに訪れる、この心地よい夜の冷ややかさ。
その臀部の心地よいなめらかさ。そよぐ枝葉のように質感のある濡れた黒髪にも、水
の星星は灯る。君という樹木の体幹。透明な空気はその間げきを穏やかに穏やかに吹
き抜けてゆく。
ただの一度としてついぞ開かれることのなかったとされている、その旧い水門、その
錆びた重い鉄扉がついに開くとき、うっとりと揺蕩うように誘いながら、蛇のように
くねりながら、蛇行する水の断面もまた、その月影宿した、球根型の見事な臀部に、
どこまでもどこまでも纏わりついてゆく。たびたびに飛び跳ねる水銀色の魚たち。躍
動する生命たちの煌き。あるいは月の欠片のような迸り。しだいに間断なく跳ねまわ
ってゆく――


そうして辿りつく。魚たちのオルガズムはついに頂点に達する。


その両生類のように暗く湿った彼女の狭い股間。黒い陰毛の換わりには粘性の暗い苔
がびっしりと其処に繁茂していて、むしろ彼女の夜の奥の奥、彼女の毛深い陰部その
ものであるものは、まさに此処、この黒い湿原そのものである。
不意に鈍行列車の汽笛が夜空たかく鳴りひびく。レールを滑ってゆく車輪の音と葉の
ざわめきが静かな伴奏のようにながくながく響きわたる。それを合図として、湿原の
咽せ返るような芳香は濃い霧と結晶して、銀に輝く月はその織りなされた神秘のヴェ
ールを棚引かせてゆく。