選出作品

作品 - 20171122_488_10040p

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掃除をしていたら降ってきた話たち

  田中恭平

 

 年賀状が出せない話

 そろそろ年賀状について考えてもいいころだ、と思って今年はどういうデザインにしようか考察していると、喪中はがきが届いている。
この家は確か去年も喪中で寒見舞いを出したような気がすると調べてみると、かれこれ五年喪中をもらいつづけていたのだった。
こういう時である。死神の存在を確信するときは!


 チューニングメーター

 ギターを調弦しようとしたが、その機械チューニングメーターがない。
仕方ないので自分の耳で調弦するが、自分の耳はおかしいので何度やっても失敗する。
仕方なし、おかしい音のギターのままでブルーズなどを弾く。あんまり耳汚しなものだがら、ギターの裏側を叩いて音を出す。両手を使って音を出す。楽しくなってくる。
それを聞いた森の動物たちが集まってきて、仕方がないので寒いがキャンプファイヤーを行った。
目が覚めるとお礼なのか、マッシュルームが沢山葉っぱの上に置いてあった。


 髭

 髭という存在が解せぬ。大体髭を伸ばしている人間の方が少数ではないか。髭が文化だった時代も終わり、清潔感やら、チラシを見れば健康志向というのが今のご時世だ。
頭の毛も要らぬ。すね毛も要らぬ、要らぬ、要らぬ、と断捨離をつづけていった結果、自分のあしあとさえ消してしまって
何で自分は生きているのだろうか、はてな、などという現代人が現れる。なるほど、髭はそのために生えていたのかと、その存在を解した。

 
 カフェイン

 今年は日記を中断した。変わり映えのないセピア色でもしていそうな生活を活写して何になるのだ、というか飽きた。
代わりに毎日コーヒーを飲んだ。しかし、毎日日記を書いて三年目になるんです、と人にいうと、ほほう、と何か感銘を与えられるかも知れないが、三年間コーヒーを飲んでいます、というと
別段風が吹くのみというか、だから何やねん、つまり、物を書くことは,物を摂ることの上位にあたるのである。
本当にそうか?という自分がラーメンを食べたあとの欠伸をしている。


 大道芸人の死

 ある夜のこと 冬の寒さで大道芸人が腐りかけたベンチの上で死んでいた。
ポリスは躊躇したようである。この大道芸人のメイクを落としていいのだろうか。
結局身元確認の為に、大道芸人の死体のメイクは落とされたが、それを落としたポリスはそれ以来夢というものを見なくなった。
味気ない人生になってしまった、と思ったそうである。


 詩人の夢

詩人は夢のなかでも詩を書いている。Aが詩人になった理由は夢で詩を書いていたからだそうである。しかもそれはたいそう長い詩で最初、
 よからん報せと草花は言う
の一行しか覚えていなかったらしい。時々同じ夢を見ては二行目、三行目がわかるのだが、それではいつになったらその詩は完成するのか。
 Aは口の悪い親戚から早く天国に行ってしまえ、といわれている。


 使命

ある日散歩コースをテクテク、テクっていると、絶対に風邪をひいている、という着ぶくれにマスクをかけた男が座っていた。
彼はなぜ風邪をひいているのにベッドで横になっていないのだろうか?気になった僕は「大丈夫ですか?」と声をかけてみた。
男は無言のまま手をさしだしてきた。五百円玉を一枚のせてあげると「もうすぐ子供たちの帰る時間だ。俺には子供を守る使命がある」と言った。
僕は何か間違っていると思いながら、何の価値もない自分の人生にいたみいるばかりだった。


 コンビニエンスストアの煙草

 ある夜のこと 禁煙しているが思い切ってコンビニエンスストアへ入ると
そこにはやはり壁一面に煙草が二百種類くらい売られていて、みんなスベスベしてきれいだった。
これぞ文化、といおうか辞めた身からすれば一体人間は何をやっているんだと思いつつ、ルル滋養内服液を買った。
風邪の神様が、「目で読める嗜好品を書くのが詩人です!」と云っていて、うるさい夢だった。



 ペニスが二本あってもしょうがない話

 ペニスが二本あるひとが世界を動かしている。そのコンプレックスゆえにそんな下らないことをするのだ。
さて、わたくしは上記発言で誹謗中傷を受けるだろうか?
僕も胸が痛いのだが。


 秋の月

 すっかり十二月下旬の寒さといわれるが、ある日の夜月が人をおかしくすることにも飽きてしまった、と相談の電話をかけた。
対応したケースワーカーの体は徐々に自分の体がカルシウムになってしまっていることに気づかなかったようである。
段々白熱する電話に、ケースワーカーは全身の汗でとけて消えてしまった。


 ルーティン

 金が欲しくて働いて眠るだけ と忌野清志郎は歌った。僕の人生もおおまかにいえば御金が欲しくて働いて眠るだけである。
ただ僕はテレヴィを視る代わりに自分の夢をみているのである。
それでルーティンという語感がポッキリと折れそうなところを、なんとか今宵も耐え抜いているのである。


 ぼんやりとした不安

 芥川竜之介は大変なヘヴィスモーカーで一日に百本煙草を吸っていたそうである。
その彼の遺書の「ぼんやりとした不安」だが、煙草というのは恒常的不安感を作りだすと、アレン・カー著書の「禁煙セラピー」に書いてあった。
芥川は煙草のことを悪魔が持ち込んだだか悪魔だが、どうのこうの書いていたが、煙草によって殺されたのかも知れない。
個人的に、私は私の年齢より下(三十歳以下)で煙草を吸っている子に憐れみを覚える。
いいじゃないか、禁煙一日目、全身がボロボロになって作動しないという地獄に身を置けるおまつりが味わえるのだから。


 自殺つながり

 カート・コバーンは現在でも広く処方されている睡眠薬、フルニトラゼパムとシャンパンをカクテルしたものを嗜んでいたらしい。
そうしてラリリして気持ちよくなっていたところは直接的な自殺の原因ではないとして、ところできみはしっかりとした靴を履いているか?
私は毎朝仕事の為に安全靴を履いているが、なかなか良い感じである。地に足ついている感じが大切なのである、と嗚呼、説教臭くなってしまった。
たまに白樺の木に安全靴でキックを入れていい気になっているのは内緒である。