1
どしゃぶりの雨のなかを
あなたは傘もささず
自転車で走り
あの 泥と埃の街で
なにかを捜して回っていた
もとめるものなど
みつかるはずもなく
盛夏といえど
ずぶ濡れで帰るあなたの顔は真っ青で
捨てられた猫のように目がへこんでいた
鉢合わせしたあなたに
傘を差し出すと
あなたは哀れむようなわたしの目に気づき
その傘でわたしを叩いた
わたしは恥ずかしさをおぼえて
あなたの気が済むまで雨のなかで叩かれていた
それはむしろ夏の嵐にふさわしい小気味よい打擲だった
雷鳴が遠ざかるころ
わたしはあなたを自転車の後に乗せて
帰っていった
あなたはわたしの背にもたれて半分眠り
前かごには
折れた傘がしずくを垂らしていた
2
もう三十も半ばになるというのに
精神を病んだ彼女は子どものままだった
ねえ、なんて、なんて?
おもしろいとおもうと必ず聞き返してくる
何度でも笑いたがるのだ
ねえ、なんて、なんて?
といいながら、もう笑いころげる準備をしている
気に入ると
少なくとも片手の数ほど同じことをしゃべらされた
なんでおれが、こんな我がままで
エゴのかたまりのようなキチガイ女の相手をしなきゃ
ならんのだ 神さま どういうめぐり合わせなの?
内心腐っても 微笑みをつくる
わたしはふつうに喋っているつもりだが
彼女からすると おかしくてしょうがないらしい
山のような向精神薬を飲む合間に
彼女は
ごはんをたべる
薬が食欲中枢をずたずたにして
彼女の食欲は宙に舞う紙切れのようだ
ガム一枚差し出しても首をふるかとおもうと
とつぜん大食らいする
ラーメンは必ず汁から飲みまして
それもゆっくりと味わいながら飲みまして
器に麺のボタ山が残るのでございます
そのボタ山が時間がたつとなにか膨らんでまんじゅうのようになり
こちらは気が気でなく
できるものなら汁を分け与えてやりたいのですが
ボランティアでやっている
資格もないカウンセラーもどきという立場ではそうもいかず
無理に微笑んでやりますと
当人はふんふんとハミングしながら
ボタ山をくずしはじめ
最後にチャーシュウを惜しそうに口に放り込むのです
すこしずつ減らそう
麻薬のようなものだから
一気にやめるなんてとても無理だし逆効果だから
一日一ミリずつ薬をけずって
そう、
半年から一年かけて薬を減らしていこう
ね?
猫なで声で
いったら
うなづいてくれた
おお! 大工の倅よ 不倫の母親の息子よ
おまえを
信じてもいいような気がしてきたよ
彼女は一年かけてがんばってくれた
途中、断薬の苦しみを断つために
雨のなかへ飛び出し 狂気のように走り回って
だれも救ってくれないのに
なにかに救いをもとめて 半狂乱になったことがあり
嵐のなかを捜しにいったことがあった
(あのとき、なぜ傘でぶたれたのかわかっているか?)
彼女が薬物から脱して元気になっていく姿をみながら
ぽつ、ぽつと、わたしはバイクの面白さを教えた
彼女はバイクの免許をとった
ヤマハのビラーゴを買い
知らぬ間に
北海道を一周してきたよ という
ダルマさんのように着込んでひとりで雪原でポーズをとる
真っ赤な陽を照り返す笑顔
送ってきた写真に なぜか胸が少し痛んだ
わたしは彼女に
指一本触れたことがなかった
数週間後
あまり話したことのない母親から篤報をもらった
九州で事故を起こしたのだという
早朝4時のできごとだった
沖縄へのロングツーリングを誘われたが
断ったことを母親に話した
「いろいろ、ようやってくれたんやてね」
はじめてお礼らしいことばをもらった
ケータイの蓋を閉じて
これでわたしもせいせいするかとおもった
厄介なお荷物といえばお荷物だったじゃないか
じぶんの義務は完璧に果たしたのだから
カウンセラーもどきとしては満点だろ?
いまでは悔いている
映画の一コマのように
強く抱きしめてやればよかった
歳の差で彼女の両親に遠慮することはなかったのだ
シラノ・ド・ベルジュラックのようにせまれば
彼女はくすくす笑ったかもしれない
ねえ、なんて、なんて?
なんていった? もう一度いって?
それからだ 心療内科に駆け込んで
大嫌いな安定剤のお世話にならざるをえなくなったのは
わたしは案外、彼女のエゴ丸出しの我がままに
ずっと ずっと長いあいだ
介護されていたのかもしれなかった
選出作品
作品 - 20161201_992_9310p
- [優] 嵐の中で、抱きしめて、 - 山田太郎 (2016-12)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
嵐の中で、抱きしめて、
山田太郎