選出作品

作品 - 20161201_979_9308p

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潜り込んで、冬の道へ

  田中恭平

 ポエットの落とした滴に残像が、コカ・コーラのラベリング・カラーに変わって、マッシュ・ポテトのような聖夜が、いつか人間であった聖人をおもいださせてくれます。ピリオドを打てば、人は文明があり、そこに侵入した者、そして手先は、「今」あまねくまま、ピアノをガシャーン、ガシャーン、濁音させます。
冬の花の戯言、聞かないこと。僕とあなたは手をとりあって、どこにでもある、使用の禁止されたブランコで、言ってはいけないことだって言います。
すべては戦時下の日本に於いて、この文章は記し成されます。敵か、味方か、判別のできなくなった私はどうにも、統合失調的足取りで、背中から、影の入ったところ、入り乱れる遊戯性に、骨と化してしまったから、入りやすいのでしょう。
賢い者は語り始めます。口を問わず身体で、進行方向と真逆に向いた風の中に、耳を澄まし、あどけないプリマドンナは、その愛らしい一張羅を、私に見せて下さったのです。
僕は手帳をもって、そこに記します。「dear:〇〇〇〇〇」
あまねく、すべての思想そのままに、しかし思想に満足せぬ餓鬼たる私は、考え過ぎているのでしょう。ただ愛することが励しみ、だった頃よりつづく、飛行機の滑空、に、それを手帳の中に記すとして、私はワイアードの中で、配列の組換えを合法的薬品をもって、受動的になしているのでしょうか。いいえ、私は歩いています。ただ一本のさびしい道を歩いているのです。 どうでもよいことこそ、かつてランボーがめいでたもの、であったとして、あなたにかける明るい想いは命ひとつ。
この一生では足らないのか、とさくっと思えば、涙が両目からほろり流れる。
いつまでもそれらを眺める時間にいる、弥勒に於いて、ライスシャワー、降らずとも確かにのブランコの感触を、赤いテーピングと記録しつつ、忘れてしまうのでしょうか。いいや、そんなことはありませんよ。と、先導者がいることに気づきました。充足なる、充実なる営みの中で、ラッキーやチャンスを製造する者がいるとして、しかしこの身焦がれるわたしたちが互いに過去、毘沙門天祭に於いて一度離れたとして、「今」野遊びに交際している事実、あなたはいつもシャンプーの香りをさせて。先導者とふたりの間をすすっとレモンカラーの自転車に乗った傀儡子が遮りこう述べました。
「この道は、何もないからいけない。この道をいっても何もない。ふたりには愛しかないから。愛に換算できるものがないのだから、この道を行ってはいけない。特にオマエ、なんだその伸ばした髪を切ってみろ」
 詩、がふりました。さらさらと詩の頁が、ふりそそいできました。僕の手帖からだって詩がブワッと溢れて、それらがこの冬の日に透かされながら、さらさらさらさらと降り注いで消えていきました。彼女は、先導者は、傀儡子は「今」だけを遺して静かにその詩の中へと納まっていきました。さようなら、さようなら、さようなら。宇宙形をした茸が静かにウン、とそのままに、その茸たる宇宙にいて僕は、やっぱり孤独だったのでしょう。
またクリスマスがやってきて、僕はサンタクロースに電話をかけようと思います。「今年は不勉強なのでプレゼントはいりません」空っぽのコカ・コーラの瓶の前で。