選出作品

作品 - 20161119_343_9276p

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萩原朔太郎 と 月

  玄こう



 画学生の裏ポケットからじゃらじゃらなにやら楷謔 壊朽の小物が引き出される裂烈したがる言葉の了見はツーリスムのなかになにもない ただあるのは心地と人気ヒトケの寄せ看板 歩む路の傍らにひしめいている ういしくこもれる発光せしうむトラペジウム 遍く照らすを知らずとも 若木の燃ゆる心情の斑の星ぼしたち 雨濡れにただれ ちっぽけなノート ダダダダイナシだ アンニュイなタダゴトで被われ 譬喩歌の秘めたる雨空に 降りやまぬ便覧 あてどない偶成 宿命論的運命愛


 あの萩原かな 初期の音楽的リリシスムに吠える月よりも 駆逐された虚無の人格 感嘆とむせぶ後期氷島の冒頭… /日は断崖の上にのぼり、うれひは陸橋の下を低くあゆめり、そは我が永遠の姿、寂しき漂泊者の影なり、巻頭に掲げて序詩となす、断崖に沿いて陸橋の下を歩みゆく人、かつて何物をも愛せず、飛べよかし!殺せよかし!我れは何物をも喪失せずまた一切を失ひ尽くせり、…/

 と詩文のいくつかの一節を 萩原朔太郎の書かれた氷島の期に 遭遇した今日この日の古き夢の傷口 悪しきデカダンの歴史的現在をめくる瞬間瞬間に カタチを変えるその本質は不立 舌は違えど語り継ぐ

 彼の詩的散文もなかなかの縦横無尽ぶり… /憤怒と憎悪と寂寥と否定と懐疑と一切の烈しい感情だけが、僕の心のなかに残っていた……凛烈、断絶、忍従、鉄鎖、などの漢語は意味の上より、音韻する響きの上で、壮烈なる意志の決断や、鬱積した感情の憂悶やを、感覚に強く表現したもの、漢語がこうした詩情に適するのは、アクセンクチュアルな促音と拗音とに富んでるからである。すべての言語は、促音と拗音の多いほど弾性力が強くなっていく。


 加熱しすぎた風呂桶が小さければ小さいほど湯の温まりは激しいものだ アッツイ 怪訝と卑劣と醜悪の混在する水が爆発的に熱を帯び弾け飛ぶ 心情燃ゆる一語一語の火元が小さな容れものの水をも沸騰させるもの


/虚無の鴉
/我れの持たざるものは一切なり


 萩原のこの二篇の詩は好きだ これ見よがしと媚びず狙わず なんのけれんみもなく ただあるのはただ 人としての単独の叫びだ 単一者としての叫びだ だが社会的孤独を凌駕した無一物となるまでを 自己とこの2つの詩を 萩原は見切れただろうか 二つは一つにしてその一体物は二つの個物である その天分の頂きに屹立しえただろうか? 人生なる一語さへ詩のうちに配合せし 世俗のうちにうらぶれ すさむ孤独感に極めて似たように人間性を孕む 荒寥の地の詩も /…かうして人間どもの生活する荒寥の地方ばかりを…/


 んなものはハナからないのだ 形容と属性を否めつくした諸物のモナド その無一物 幅も広がりも少しも持たぬ一点の光源として トラペジウム 織り成す散開の群れ 飛び放つ 蒼くひしめく 発光体


    虚無の鴉

  我れはもと虚無の鴉
  かの高き冬至の屋根に口を開けて
  風見の如くに咆号せむ。
  季節の認識ありやなしや
  我れの持たざるものは一切なり。






        風
     どこからかにおひかぎつけやってくる

 

        月

     つきがなげくそのむかしのまだむかし
     せんりゅうとはいくつきとすっぽん?
     しらないぼくはつきをみてみてみてみ
     ふたまたかけてきみのめをみてつきみ
     ひとはながくつきとともにうたつづる
     ひとはなげくつきとともににしへむく
     うたいびとなげくつきこころのかがみ
     にしにしずむつきをみずにながめてる
     つきをごくりとのませるおはなしする
     つきつきつきつきおもいおもいおもい
     憑き着き尽き衝き突き吐き撞きならす
     想い念いつづけて面食らうそのつきに
     なにもないいまのぼくにはただのつき
     そんなきょうちがないからつきをみて
     みてみてみてみてみてみてみせられて
     ちらつくあかぐもみてみてみてみてみ
     そそぐひかりのきべんをちらつかせて
     のーとをぱったりとじそれでもみてみ
     つきになになげく? つきがながいか
     かみのてんじょうぱたりととじまのび
     しったところでなにがあるさああさだ
     あさはかなこころのかがみをしのばせ
     ちらつくまぶたのきさきにつきがある
     まぶたにまたたくつきはきっとつきだ
     こころにあるもののひとつがつきなら
     なげくつきはそのむかしのまだむかし
     なにもないかたずをのみただそこにあ



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