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作品 - 20160909_491_9092p

  • [佳]  奏淋鳥 - アラメルモ  (2016-09)

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奏淋鳥

  アラメルモ


県境から山手に逸れると錦川の下流につながる
整備された広い交差点は海岸を見渡せる国道へも近い
海を眺めながら車を走らせていると街はすぐにみえてくる
帰りの渋滞を避けようと、たまに山手に逸れるのだが
この古い二車線に歪む黄ばんだ道路も
いまでは買い物客の多さですんなりと抜けることはない
ハンドルを切ることもなく、通りすぎていく。

この道を左手に見やれば鳥が丘団地がある
入り口はすでに暗渠に覆われた路肩
その昔わたしが杭を打ち、重い測量の機械を背負っては何度も山道を通った
汗と黄土にまみれた場所だ
雑木林に囲まれた低い山
この辺り一面は目立つ商店もなく、屋根瓦の民家がひっそりと点在していただけだった
当時、二十歳を過ぎたわたしは一年以上何もしないで家に引きこもっていた
ファッション雑誌の切り抜きを、ガラス板の裏側に貼り付けては眺めて楽しむ
不登校の子供が暗いタンスの中で何時間も空想に耽るように
そんな子供を心配しない親はいないだろう
まだ少し雪の残る季節だった
重機の運転をしていた叔父に測量のアルバイトを勧められた
勧められたとは言っても、ほとんど強制的に仕事を持ちかけられたのだ。

小さな森が切り開らかれ更地になるのには新鮮な驚きもあった
大木が倒され、唸りをあげるブルドーザーに削られ、みるみるうちに斜面には線が引かれる
その姿を見ていると、もう後には戻れない心境になってしまう
「ここの白菜を全部抜き取ってくれ」
背の低い厳つい顔をした年長の現場監督からそう言われた
吐く息の冷たい中、最初の仕事は人糞を撒いた肥がそのまま残る、野菜を土から抜き取る作業だった
真っ白な軍手が、まるで罪人のように泥と肥やしに染まる
見かねた運転手のおっちゃんが降りて来て手伝ってくれた
一日の仕事が引けた、涙を抑えていた
わたしはいまでもはっきりと記憶している。

スケールを両手に剥き出しの山を駆けめぐる
硬い岩盤を避けて杭を打ち、丁張りで堀方を示していく
安全靴の長い紐を結ぶ、辛い仕事だった
それでも二本と線の引かれた淡色のヘルメットを被る、建設会社の若い監督たちはやさしくしてくれた
段々とブロックが積まれ、団地の姿になるまで二年くらい頑張った
若くて体力もあった、何よりも意地があった
仕事が一段落着いたとき、雇われていた下請けの会社から正社員になれと誘われたが、断った
土太い腕、日焼けした顔、飯粒を啄む、手荒い男たち
キツい、辛いだけの仕事を抱え込む意味がわからない
腰を痛め、たぶん身体も気力も彼らには就いていけない、そう思った
、平屋の大きなスーパーが麓にみえてくる
車を停めた、駐車場の、二階建てのプレハブが軋む音。

団地という枠図が整うと後は建て売り業者の仕事だ
そんなときに会社を定年していた親父が、雑役係で臨時の職を紹介してもらう
家から団地まで通うのには距離もある、親父は50ccのカブで通っていた
仕事に関してよく文句も言っていたが、そこを辞めてからは口癖のように懐かしんでもいた
一度二人でこの団地を眺めにきたことがある、けれど、
途中の渋滞で口喧嘩をしてしまった
無口に顔を強張らせたまま、新しい家々が建ち並ぶ高台を目指してぐるりと一周する
頂上にある円形の白い大きな貯水槽、小さく見下ろす鳶たち
入口の付近にあった家の壁
その薄く褐色に塗られた縁取の線だけが眼に付いた
、路傍と、、意識は薄れ。

話しが長くなってしまったようだ
わたしは誰に話しかけているのか
一人公園のベンチに腰かけていると記憶に溺れてしまうのだろう
もちろん、この入り口付近に設けられた敷居の基礎を作ったのはわたしだが、誰もそんな事に興味はないのだ
梅や銀杏の木に添うような、柘植や皐月を囲む手入れの行き届いた花壇
色鮮やかに敷き詰められた石畳や、背凭れが鋼で装飾された木製のベンチも
明日は子供たちや小犬に蹴散らされる、浅瀬の砂場に日が暮れるまで
労した人間の面影もない、何処にも在りはしないのだ
両手をあたまの後ろに組みながら、深く背を沈めて物思いに耽る
あしをまえになげだし、からだは空にむかって、たおれた
手前の道路を小走りに去って行ったのはランニング姿を乱した中年の男だった
遠く、まだ手付かずの森を眺めていた
それから一組の若い母子連れがやって来たが、いつのまにかその姿は見えなくなっていた。

景色の中で小説が読みたくなるときがある
誰も居ない場所を探していたりすると、なかなか見つからないことに気づく
周りの状況が気になればなるほど寂しさもまた実感するのだが、
そのようなときに若い男女連れが現れようなものなら、たちまち逃げ出したくなってしまう
今日はたまたま誰にも逢わずに済みそうな気配だ
ただ脇にある公衆便所の扉の鍵が閉まったまま、人が出てこないのは妙だった
見たこともない木々の葉が生い茂り、ひっそりと佇み、まるで季節を見過したような公衆便所
使われているのだろうか、と近づいてみる
中からがさがさと、紙の擦れる音がした
団地の入り口は岩盤だらけで、重い掛矢を何度も振り回した
測量の機械が読めるようになると気分は一人前の現場監督だ
監督たちが寝泊まりする、麓の事務所には暇潰しによく誘われたが
同じ下請けの人夫たちの目線を避けるのは辛かった

、煙草を吹かし、物語を数ページめくる
あれからもう一時間くらい経つのだ
車の冷房が効きすぎて腹でも下しているのだろうか
それともまわりを意識して出られないのか
わたしは立ち上がり、できるだけ足音を立てないように、もう一度ゆっくり便所の方へ近づいてみる
扉の入口は赤に黒文字の鍵がかかり、まだしっかり閉じられているようだ
耳をそっと近づけてみた
しばらくすると、またがさがさと擦れる音が微かに聞こえてくる
風か、外から小窓に吹き込んでくる風の悪戯に違いない
誰も居ない狭い隙間を通り抜けて、ここに居るのです、と鳴き声を囁いているのだ
淋しい音、窓は固く閉じられていた
壊れているのだろうか、しかしあの耳元に残る小さな擦れは気のせいだろうか
緊張に身構えれば、手は硬直してしまう
決心して扉を叩いてみた、最初は軽く二度、間を置いて二度、大きく拳で叩いてみた
そして扉の取手をぐいぐいと力強く廻しながら
「誰か、誰か居るのですか?」
返事はなかった
沈黙に、あのがさがさと擦れるような音が止んだ
とたんに戦慄がはしる、首筋から全身が強張った、誰もそこには居ない
、暖かな汗の滴に枝の葉が揺れた
団地のプレハブに備え付けられた粗末な洗面器の板張り
干からびた梅干しの種がひとつ転がっていた。

陽差しが波を運ぶ
点在する剥がれた道路のつぶやき
葉が黄緑色に染まる頃
梅の木や銀杏にやってくるのは小さな小鳥たち
野鳥は朝を告げるばかりでメジロの鳴き声も忘れている
カナリアとは漢字で金糸鳥と書くが、その由来はアフリカ大陸の北西、大西洋に浮かぶカナリア諸島である
見たことも、その鳴き声も聴いたことのない鳥だ
少し喉が渇いてきた
道路も通勤帰りの車で満ちてきた
たおしていたからだをゆっくりもちあげる
いくら青空を見上げても、雲の中までは見えてこない、森
私は捲れた文庫本を後部座席に放り投げ
、冷めた車のエンジンを始動させた。










奏淋鳥…………カナリア(金糸鳥)