選出作品

作品 - 20160502_390_8788p

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ネオン街

  

薄口だ、田んぼにまみれた土を、黒長靴の粘土を落とし、街にやってくるものよ、若者よ、首を絞めて殺した地鶏の濃厚な出汁は、どこで啜っているのだ若者よ、花板を夢に、追回しの日々を過ごした、あのド塩辛い涙をどこで薄めているのだ、舐めながら、味見するのか若者よ、尻のポケットの薄っぺらでキラキラな財布の中身も薄っぺら、まるで5000円札が、デフレしているじゃないか、こんな薄っぺらい時代悪に呑まれてしまうな、若者よ、呑まれてしまうな若者達よ!3才まではみんな天才だったんだ、物心という船がやってきて、みんな一緒に乗ってしまって、心に同じ制服を着て安心、見た目の違い?ジャニーズの、黒人の、白人の、それの何が個性だそんなもの!!!という風に、僕も10代の頃、目上の人間に思われていたのかと思えば、なるほど合点がいくから仕方がない。時代に置いていかれた、僕のようなさみしい中年は、昼からカラオケ喫茶でジジババを楽しませたり、偽物を売る、薄くスライスした生ハムの経験、若者に他ないと思えば、それなりに黙っていることも、それなりに“善”、雑草と呼ばれる、一般的という言葉は好みませんけれども、雑草を記憶に収めるのが、趣味というよりも、人生が光そのもの、のようなものですから、僕の器にはピッタリだということを、前置きとして据えて置かなければ、大きな植木鉢ですよ、地球はね、有利な場所、不便な場所はありますけれども、記憶がそれを判断してしまうと、雑草には逢えないというか、成れないという、時をね、使わせてくださいとお願いするわけではないですよ、流れていますのに、それを相変わらずと呼んで頂けるのは、吝かではありませんし、感謝とか大袈裟な話でもないのですよ、雑草としては、滲んでいますけれど、波長ありきですので、あえて、合わせる必要はないと、感じていますし、せせらぎを、若者のリズムで感じることが出来ているか、心を聴くことは出来ませんけれど、もしも聴こえたら、離れてゆく、そのような準備はどこかでしていますし、またいつか、と願っているときは、触れている、こんなに透明であったのかと感じたときに、水は生まれる、のだと、はじまりは絶え間なく、歩き続けているのですから、誰も見ていない世界を、誰も見ていることと知り、手にすることなく息絶える、それが至極当然な答えだと思いますし、見ているふりかもしれませんし、対応は単なる優しさであったかもしれませんが、自然に足が止まってしまうことも、ロスのない、タイムロスであった日がこの世に現れて、切り取られた空は四角く、力強く、力強く、いつもよりしっかりと力を抜きながら、丸みを帯びた互いに観つめあう言葉を、雑草でするように、私に見えないものは、絵的にすべて信じてみたく、ネオン街をさせられてしまいますし、二度とありませんけれど、思い出の焼き回し、もう一度、若者したいと思います。