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作品 - 20160206_543_8607p

  • [優]  決別2 - 三台目全自動洗濯機  (2016-02)

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決別2

  三台目全自動洗濯機

○街

 たしか雨が降っていたと思う。梅雨だっただろうか。ぼくは何度もこの空間に戻ってい
く。今だって大して無いけれど、もっとお金を持っていなくて誰にも会いたくない休日を、
その当時住んでいたアパートから二十分程度の、駅前にある街の図書館で本を読んでやり
過ごしていた。縦に並んだベンチの、後方の一つを選んで、その右端に鞄を置く。近くの
海外文学の棚から本を一冊取り出し、ベンチに腰を下ろしてそれを読む。チャールズ・ブ
コウスキーだったかもしれないし、リチャード・パワーズだったかもしれない。アンドレ・
ブルトンでは無かったことはたしかだと思う。それとも、もう少し歩いて雑誌コーナーま
で行きスポーツ雑誌でも読んでいたのだろうか。若い女性の声が聞こえてきて、ぼくは顔
をあげる。ベンチで横になり眠っているおばあさんに図書館員の女性が大丈夫ですか?と
声をかけている。彼女は仕事として声をかけているのだろうが、おばあさんはそれを無償
の善意として受け取る。ええ、大丈夫。ありがとう。そう言って、また眠りに就く。図書
館員の女性は諦めたのか、他の誰かに相談しに行ったのか、おばあさんの元から足早に離
れていく。ぼくはコンビニに寄って買っておいた週刊誌に視線を戻し、袋とじを音を出さ
ないよう静かに破って、そこに写った女性の裸体を眺めて落胆する。

 そして現在のぼく。書きたくなるような事柄は少ない。なにもしていないのと変わらな
いような仕事をこなしながら、その合間に文章を書いている。詩ではない。小説でもない
かもしれない、と考えるとぼくは空から街を眺める一羽の鳥になる。鳥はぼくの書いてい
る文章の枝で羽を休める。女の子ともおばさんとも呼べないような女性が話者で、彼女は
あらゆる物事に両面価値感情を抱いている。日の光は彼女の体を暖めながら彼女の影を深
く暗く引き伸ばしていく。月はこれから姿を現そうとしているのと同時に消え去ろうとし
ている。彼女は自分のことを小型の飛行機に喩える。わたしは街を眺めながら墜ちていっ
て崩壊した、と彼女は語る。それなのに生き延びた、と。ぼくにとって彼女は女性であり、
街でもある。彼女が崩壊したとは街が崩壊したということであり、彼女がなにも無くなっ
たと言うのは、ぼくにとって街にはなにも無くなったということだ。彼女は仕事を辞めて
都会を離れ、地方の住宅街にある実家へと戻る。彼女は生まれ育った道をぶらぶらと歩き
ながら、ある男の子のことを思い出す。気取り屋の本ばかり読んでいる彼。彼は作家にな
ったのだろうか。ならなかったんじゃないかなと彼女は想像してみる。彼女は彼について
なにか書いてみたいと思う。でも彼そのものは無理だ、彼にはもう十年以上会っていない。
彼女は彼ではない彼を作り出す。名前を決めなくてはならない。Kというアルファベット
は文学的なんだ、と彼が言っていたことを思い出す。カフカの『城』だっただろうか、『変
態』だっただろうか、思い出せない。カフカですらなかったかもしれない。わたしは文学
についてなにも知らないからKは使えない、と彼女は考える。ぼくだってよく知らない。
なんとなく彼に形が似ているから、と彼女は男の名前にSと付ける。結末はまだ決まって
いない。Sと彼女は彼女の書いている文章の中で出会う。墜ちてしまったのよ、と彼女は
語る。小さいといっても飛行機は飛行機よ。鳥だったら良かったのにね、とSは答える。
そうしたら街を壊すことも無かったし、地に墜ちたところで誰も気付かない。ええ、そう
かもね。そろそろ行こうかな、鳥は空へと飛び立っていく。眺めていた街はもう無くなっ
ている。遠くに海が見える。

 ぼくは図書館の中に戻っていく。ある男の姿が目に入ってくる。身長はぼくとそう変わ
らず、百七十センチ程度。季節はずれのダウンコートを着ている。坊主頭で三日か四日分
の無精髭を生やしている。体格は良く、格闘技でもやっていたのだろうかとぼくは考える。
彼は彼にしか聞こえない声でぶつぶつと言葉を呟きながら館内を歩き回っている。なにか
探しているのだろうが。歩くとは片足を過去に残しながら進んでいくことだ、と彼女の想
像したSは言っていた。


○海

男は海岸沿いを歩いている
太陽の位置を確認することで
向かうべき場所の
おおよその方角は理解出来る
あくまで昼の
陽の出ている間に限られるが
砂浜を、波止場を、
街中を、波の上を、
男は歩いていく

女は男の後を歩いていく
気付かれぬよう
距離をとって
声をかけてくる欲望を断りながら
たまに受け止めながら
遠くから、あくまで遠くから、
泣き声が聞こえている

夜の間
男は教室で暴行を受け
仕事場で脳みそを焼かれ
レトルトのコーンスープのように音をたてずに啜られる
銃で撃たれ、耳と鼻を削がれ、
目を刳り貫かれ、頭に頭巾を被せられ、
首をはねられる
血が流れて
海へ混ざっていく

女の屋根は爆撃され
髪は刈り取られ
強姦される
暗闇が女の中に入り込んでくる
壁も天井も清潔に塗られた
五人部屋の端のベットに
女は拘束される
どうせ目は見えないからと
花は無い
雲に隠れたからと
月は無い

男と女はどこかで出会わなければならない
どこだろう?
教えてほしいが声は聞こえない
花屋に寄る
女の子は可愛い
そうだろう?
色だけ決めて後は任せる
盲だからねえ
香りはどう?
花を近づける
わかるよ、良い匂いだ
場所を変え
筆箱の男に会いに行く
謝る
何度も祈るように

陽はまだ出てこない
男は海の上で立ち止まり
(時間というものが存在し)
振り返って
(前へと流れを進めているのなら)
波に腰掛けて待つ
(きっといつか現れるのだろう)
時間の端を両手で掴み引っ張る
背負うように左肩に掛けて歩く
追いつくように
追いつかないように


・決別

 まだ海は青いのね、と彼女は受け止めるように手を差し出す。彼は愛しあうかのように
その手を掴む。簡単なことさ、と彼は彼女に言う。ええ、そうかもね。