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作品 - 20151210_535_8491p

  • [優]  #07 - 田中恭平  (2015-12)

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#07

  田中恭平


二〇一五年十二月二日に、人間は考える葦なので、私の目は勿論、節穴でした。
一日は煙草ではじまる。ソフトパックに煙草が十一本。昨日、九本喫ったということ。
昨日の、九本目の煙草は、昨日で去るべき一本。今朝の一本目の煙草は、今日まずあるべき一本で。
火を点け、その火へまた、更に火を点け。それは人の感涙に対する、涙だったりするもの。
路上に、缶が転がっていて、缶は、寒の中に転がっていて、十二月の月間、缶は、寒の中に転がっていて。
沁みるのは、何ですか。水ですか、痛みですか。想い、書きつける為の、ペンのインクですか。
ともかく私は、縁側で煙を吹き、それは浄土へ届かないとわかっている。今朝は、朝陽が目をうるませて。
こんにちは、ニコチン。そしてポケットから出す、リボトリール錠。すこし、清い水でもって含んで。
ピンッ、と、唇が水の冷たさに切れ。血は、智とならず脳の報酬系に訴え、私は出血を笑ってしまいます。
おはよう、おはようと、すべての神経に訴えようと、もう一本分エコーの煙を含みます。


あなたは、スクランブル・エッグの、スクランブル交差点を渡らずに立ち止まり。こころはどうしている?
こころを、フォークで突けば、やはり冬のフォークの冷たさ。両手で覆った両耳の端も冷たい。
言葉が、耳へ挿入されないのが救いで、周囲の人はみんな黙している。ノイズはあなたに加害する。
周囲の人。父親、母親、兄弟、ペット。そこにいても、非在であったとしても、みんな黙している。
そんな朝にも慣れてしまって、スクランブル・エッグを平らげるに、黙々、フォークを動かす。
あなたと、周囲の人みんな、とに疎通はない。孤独という自由はあっても、息を深く吸い込むことができない。
あなたはスクラングル・エッグを平らげ、「いただきました」と告げる。しかし言葉は返ってこない。
寝室に戻り、ノートPCを開き、詩のサイトの詩を読み、家族関係に、呪われている人の詩を読む。
読んだ詩は、家族を称え、感謝しているのだが、あなたは呪いを念じ、書かれていると、かんじてしまう。
スクラングル交差点を渡らないまま挙手をして、しかし、何を口から発すればいいかわからない。


私はエコーをジュッ、と水で火を消して、吸殻を、ガラス・ケースに詰めると縁側から寝室へ戻る。
楽しいことは少ない。楽しいことは、この世のダイヤモンドだ。八千円そこらのギターを抱える。
音楽は数学であり、ギターはパズル・ゲームであった。録音機の電源を入れ、RECボタンを押す。
譜面はなく、あったとして、読むことができない。パズルに解答は不要だ。解答があっても答えは私が決めます。
今、という言葉を書いても認識するときそれは古い。い・ま、の「ま」を書くとき「い」は過去にある。
今を追いかけ、指を動かし、今を追いかけ、指を止め、静かに音律は脳を、溶解させていき――――ピンッ!
パツッと、ギターの弦が切れ,頬にアタり傷をつけ、私はその出血を笑ってしまいます。
ち、が、見えますか。ち、が見えますが、血は、皿の上に乗った、小さな点です。
調子の悪い腕時計が二本、デスクの左端に置いてあります。彼らの蛍光灯の数字、鈍く、光り。
共鳴しているのは、時計の盤上にない「13」の数字。それはどこにあるのかと、少し窓を開ける。


オハヨウゴザイマス、タマカワサン、イラッシャイマセ、モウシワケアリマセンデシタ、タマカワサン
タマカワサン、オソレイリマスガ、ハイ、カシコマリマシタ、タマカワサン、ショウショウオモチクダサイマセ
シツレイシマシタ、タマカワサン、オマタセ イタシマシタ、アリガトウゴザイマシタ
マタオコシクダサイマセ、あなたは十の言葉のくりかえすにつとめる。鏡の前。
オハヨウゴザイマス、タマカワサン、イラッシャイマセ、モウシワケアリマセンデシタ、タマカワサン
タマカワサン、オソレイリマスガ、ハイ、カシコマリマシタ、タマカワサン、ショウショウオモチクダサイマセ
シツレイシマシタ、タマカワサン、オマタセ イタシマシタ、アリガトウゴザイマシタ
マタオコシクダサイマセ、あなたは十の言葉へ身に浸す。トイレの鏡の前。タマカワサンは多摩川でした。
退社の時刻となり、あなたはオフィスを出て、少し歩いて東横に乗り、東京方面に向かった。
多摩川は暗く、あの夏の、夕焼けに栄えるうつくしさはなく、恵比寿で下りれば、そこは明るかった。


私はライヴ・モニターを通して、夜の郊外をさっさと見ている。ライヴ・モニターはこころでした。
スーパーマーケットの前、365日、朱い風車を吹き回しつづける、初老の男を越えて、北進する。
枯れそうな、鶏頭花の頭には目がついている。目は瞳となり、瞳は眼となった。無視して進む。
風がつめたいのは、こころが冷たいからだと思う。コンビニが明るいのは、こころが明るいからだと思う。
トリスのあたらしい瓶を買い、古くなった体へ少しながしこむ。喉から胃までを、すこし燃やして。
胃も、こころのシニフィエに過ぎない。血管も、弛緩する体も、やられる脳も、こころのシニフィエに過ぎない。
寒椿も、落ちた葉も、葉の先よりこぼれる露も、月もこの雪も、すべてこころのシニフィエに過ぎない。
強い父も、賢い母も、やさしい姉も、頭の良い妹も、飼い猫も、野良猫も、野犬も、あの初老の男も。
現実は、こころのシニフィエに過ぎない。だから私は白いこころを吐きつつ、こころを踏みしめて、歩く。
嗚呼、しかしライヴ・モニターにノイズがまじって、鶏頭花の眼が、ゴロリと落ちた。


あなたはほろ酔いで帰宅して、やはり言葉のやりとりのない家のキッチンで水を飲む。水は美味しかった。
昨日、ほろ酔いで帰宅して、言葉のやりとりのない家のキッチンで水を飲んだ。水は美味しかった。
一昨日、ほろ酔いで帰宅して、言葉のやりとりのない家のキッチンで水を飲んだ。水は美味しかった。
変わらないことは、素晴らしいことだよ、と、スクランブル・エッグは、多摩川は、伝えてくれたような気がした。
変われないことは、素晴らしいことだよ、と、スクランブル・エッグは、多摩川は、伝えてくれたような気がする。
変わらないことは。変われないことは。どちらも、等しい意味のことに思えるけど。
変わらないあなたは強く、変われないあなたは弱かったので、あなたは椅子に体をくずし黙した。
あなたは確かな足取りで、鏡の前に向かった。コンバンハ、タマカワサン、と鏡に向かってニコリと笑った。
じっくりと愛着のある髪を眺め、でも、変質を加えたいんだよね、と鏡の左側の棚を開いた。
次の日、オフィスのあなたの髪の色はショッキング・ピンクだった。カワリマス、タマカワサン。


私は歩きつかれて。青いベンチに腰掛けて、ベンチの上に、トリス瓶と、鶏頭花の眼球を置いた。
黒い夜は、漆黒の夜となり、そして星冴え冴えとして、私は体を楽にして、天体を楽しんだ。
そして、チラと鶏頭花の眼球へ目を向け、この眼球をじっと見つめた。そして下を向いた。
思考する。ポケットから煙草を一本取り出し、ハートに火を点けて。―― ハートは脳の報酬系?
まず鶏頭花は、花ではなかった。鶏頭であって、そして鶏頭は、ニワトリの頭部であった。
ニワトリの頭部だから、眼球がついていて、それはくり貫かれた。くり貫いたのは、私だった。
溜息と共に煙を吹く。わからなかったんです。やはり私の目は節穴でした。
オリオン、人間は、考える葦であるから、勿論、私の目は節穴でした。
ポケットから、ナイフが落ちた。ナイフに、血がついていた。胸がくるしい。
トリスの瓶を開けて、グビッと景気づけに飲む。山は静かで、煩いのは私の胸の内で、「ウルサイ、」と言った。


オハヨウゴザイマス、ブチョウ、イラッシャイマセ、モウシワケアリマセンデシタ、シナガワサマ
ハセガワサン、オソレイリマスガ、ハイ、カシコマリマシタ、ヨシダサマ、ショウショウオモチクダサイマセ
シツレイシマシタ、オイカワサマ、オマタセ イタシマシタ、アリガトウゴザイマシタ
あなたは、アア、あなたは、社会に順応してしまって、脳が腐らないように、気をつけて下さいね。
私は、時間も、空間も、人間も、そして労働も、その概念も知らず、ただ何かをしていただけだった。
何なのか。何かは、とおい記憶の向こうにあって、もう、それを見ることはできなくなってしまった。
休むことは知らず、眠ることはできず、ついに脳が腐って、あなたのようには、一生なれないだろう。
だから、哀しいほどにあこがれる。郊外に身を隠しても、自分がまだ、オペラ座の怪人だとでも思うよ。
沁みるのは何ですか。水ですか、痛みですか。想いを書きつける為の、ペンのインクですか。
自然公園の水は身に沁みて美味しい。帰って、また、正確な冗談書いて眠ります。トリスの瓶は空だった。


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こんにちは。こんばんは、かな?久しぶりの連絡になります。御無沙汰です。
あれから色々あって、といいますか、何もなかったんですけど、会社辞めてしまいました〜〜(笑)(笑)
そしてやっぱり、会話のない家族ってつまらないじゃないですか〜〜。実家出て、一人暮らししています!!
寂しくないですよ、実は障がい者就労移行施設のスタッフしてまして、利用者さんにガンガン元気貰ってます!!
送迎バスが白じゃ、いかにも、でしょう?だから勝手にショッキング・ピンクに塗装しちゃいました〜(笑)(笑)
利用者さん「やさしいね、仏さんになるのか?」って冗談言うから、思い切って坊主にしちゃいました〜(笑)(笑)
なりますよ、私、仏になりま〜す!!色々愚痴読んで頂きましたが、理屈とか、もうどーーでもいいって感じ。
ああ、でもここは、静岡ですけど、時々やっぱり桜木町と、あと多摩川のこと思い出しちゃいますね〜〜。
夏の多摩川の夕方の雰囲気って、ほんとこころをうつものがあるんですよね。浄化されてました〜〜(笑)(笑)


二〇一五年十二月六日、携帯電話をパチンと閉じて、私は縁側へ煙草を喫いに出る。
一日は煙草ではじめる。外はまだ暗かった。ライターで着火すれば、そこだけ明るくなった。
あたらしい時、私は存在できるだろうか。存在は、ただそこに存在することではなしに。
何を話し、語り、伝え、書き、そして何する。そして私の世界は、変質し、変色するか。花のように。
昨日買っておいた久々のゴールデン・バットは美味しく、私は久々のこころを吹く。空が、少しずつ青く。
ポケットから取り出すリボトリール錠。清い水でもって含んで。冬なのに風はやさしく。
沁みるのは何ですか。水ですか、痛みですか。想いを書きつける為の、ペンのインクですか。
はい。沁みるのは、フラスコやビーカーといった透明なこころにハジける光の、その音です。
煙草の灰を灰皿へ落とし、私は、多摩川を通過する電車の音を、想起する。
庭の隅へ捨ててあった、ニワトリの眼が、それを見ていた。