所属
上司が口を開く
ここがあなたの席です
自由に使ってください でも
その机のなかや 本棚の上にはとても大切な書類が入っているから
触らないようにしてください
しかし 書類に触れようにも
机の引き出しには 鍵が掛かっていて開かなかった
机の上には 半分以上が 上司の封をした書類で
山積みされている 前も良く見えないほどだ
両肘を机の上に置くのがやっとだった
それを見て 上司は
少し不便かもしれないけど しんぼうしてください
と しずかに言った
わたしは 一か月前から この職場に異動してきたのだ
わたしの仕事は 上司がいう雑用的なことを淡々とこなすことだ
何も用がないときは その机に座り待機しているのだ
でも そんなとき 大好きな小説を読むことは許されない
わたしの書類である たった半ページが一日分の業務日誌と
もう ほとんど合理的ではない時代遅れの 業務のマニュアル本があるだけだ
わたしは それを ぼんやりと眺めて過ごすのだ
わたしは 長い間 慣れたやりがいのある事務職を務めていたが 長い病に会い
長期欠勤を余儀なくされた
その結果
この会社で一番きつい肉体労働の職場に回された
もともと 頑強ではないわたしは 一年で頸椎と肩を壊して
先月 大した用のないこの職場に 配属されたのだ
昼食の時 食事をしながら思うのだが
あのきつい肉体労働のときも 自由に使える自分の席はあった
いまは
この会社で パートを除けば 自分の机を自由に使えないのは
わたしだけだと分かってくると
食事が喉に痞えて 眼がしらがあつくなる
ある日 上司が いまわたしの机が書類でいっぱいなので
あなたの席を貸してくれないですかと ものしずかに言った
わたしは この職場でみんなが共有している 着替え室の
畳の上にある小さなテーブルに移された
今は二月なので
効きの悪い暖房器をつけた
わたしは 午前中で終わってしまう簡単な仕事を片づけた後
テーブルのうえで
誰も見てくれない業務日誌を 振り返りながら見てみる
もう一週間もこうしている
陽が暮れるのが とても早い
チャイムがなると終業の時間なのだ
わたしは 家族という自分の居場所に帰らなければならない
そして いつものように
忙しく仕事をしたと 明るく振る舞うのだ
わたしは あまりの寒さなので
コートの襟を立て 首あたりを覆い
普段飾りになっているボタンで止めた
十一月の手紙
ひかりの葬列のような夕暮れ
グラチャニツァ修道院のベンチに凭れている
白いスカーフの女の胸が艶めかしく見えた
たくしあげている
黒い布で捲れた白い腿は 痩せた大地から
砂埃とともに はえていた
細い足首は 銃弾の跡があり
青い静脈管を浮かばせて
汚れた簡易なゴム靴で覆っている
掌を上に翳すと
わたしの指の透き間から
薄化粧をした若い国旗に見つめられて バザールが眼を覚ましている
質素な衣装に覆われた人のなかを 牛が一頭 通る
その痩せた肌の窪みは
喧噪に染まった収奪された地のなかにひろがり
針のようなしずかさを伴って わたしの空隙を埋めている
聖地プリシュティナのなまり色の空に
吊るされた透明な鐘は
血の相続のために鳴り響き
ムスリムの河の水面に溶けている
もうすぐ雪が訪れて
大地の枯れた草に泣きはらした街は 鐘の音を
しわの数ほど叩いた鐘楼の番人ごと 凍らせるだろうか
眼を瞑り もう一度、掌を翳すと
中央の広場が 犠牲の祭りで賑わっている
笑顔で溢れる
編物のような自由という言葉にかき消されて
あの白いスカーフの女は
冬になれば
傷口を露出した足で
二度と姿を見せることはないだろう
親愛なるあなたへ
十一月は凍えるみずうみのようです あなたは 自由という活字の洪水によっ
て 固められた海辺で 打ち寄せる波と 波打ち際を吹き渡る風に よそいき
の服装を着て 今日も屈託のない笑顔で 戯れているのですか あなたが話し
てくれた高揚とした朝の 高く広がる鳥の声は 砂漠のように霞んでいます
振り返れば せせらぎは見えなくとも 胸の平原を風力計の針を走らせるよう
に わたしはわたしらしく みずの声を聴いたことがあったのだろうか 便箋
に見苦しく訂正してある 傷ついた線は 言葉を伝えられなかったわたしです
夕立のなかを往く傘を持たない わたしの冷たい両手です 吹雪のなかで
泣き叫ぶ手負った雁のように 震えるうすい胸は 春の水滴に浮んでいて 枯
れないみずうみを求めているのです
いつまでも 同じ色の遠い空が
しずかにわたしを見ていた
某月某日 正午
砂煙をあげて 豊かな日本語を刻んだ小型ジープで
五つ目の浅い川を渡った
背中のほうに逃げてゆく 緑と茶色で雑然と区分された灌木の平原
後方から前へと滑らせながら追うと
息絶えたふたりの幼児と 剃刀のような自由を抱えて
狂気する浅黒い顔の女の 凍る眼差しが
わたしを 突き刺した
女は 泥水を浴びているのか
服が白い肌に食い込んでいる
わたしは 気がつかなかったが
驟雨が車体を叩きつけている
道は 体裁をこわして
霞みをもった おぼろげな混乱のなかから
新しくつくられていくのだろうか
先にある なつかしい国境は いのちを失い
絵具のように流れている自由は
女が辿った靄に煙っている
眼のまえには
白い多角形のテントや箱の群で溢れ
どこにも属することのできない
人々が蟻のように 大地にへばり付き
空の向こうまで続いている
追伸
まもなく、帰ります
言い方を変えれば わたしは 帰る場所があるのでしょう
あなたの空をみるために戻ります あなたが熱望した 瑞々しい渓谷は
荒れたローム層の水底に沈んでいました
きっと 帰ったわたしは
もう あなたと同じ あつい息を 交錯することができない
手をしているでしょう
そして あなたの庭に しずかにみずをやる わたしではないでしょう
そちらでは あなたの欲した あの澄んだ空は
今日も 一面 青々としていましたか
選出作品
作品 - 20150207_981_7895p
- [優] 所属についての二つの詩 - 前田ふむふむ (2015-02)
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所属についての二つの詩
前田ふむふむ