わたしは三日三晩ひたすら同じラーメンをすすっている。ずずっと。吸い込むたび、手のひらの月丘と呼ばれる部分から、あるものが生えてくる。あの赤ん坊のものだった足。足が生えてくる。しかしいったいこれを足と呼んで良いのか。この足はわたしのものなのだろうか。足の生えた手は、だが、手と呼んでもよいものだろうか。あるいはこれは足の形をしたあの赤ん坊の記憶なのだろうか。わたしは誰にすがってこのことを問えば良いのか。割り箸に染み込むスープを見つめて酒臭いため息をつくが、あたりに人影はなく、あるのは一杯のラーメンのみである。手に生えた小さな足がばたばたと楽しそうに動いている。その足がどんぶりを蹴り上げてしまった。ちくしょう。床一面にスープが広がっていく。ひっくり返ったどんぶりの隙間からメンマが顔を出している。
わたしの赤ん坊には生まれつき腕がなかった。指だけが脇の側面から生え揃っていてそれらの指の並びは人工的で美しかった。等間隔に控えめに並ぶ指。風を受けてさらさらと気持ちよさそうにそよぐ指。いや、抵抗するように硬直しているようなそんな素振りで耐え忍んでいるようにもみえる指。ちょうどこの床にひっついたメンマのように。赤ん坊に足があったかどうか。よく覚えていない。赤ん坊には足があったのだろうか。いやしかし、知ったことか。もういい。バスが来ている。
熱々のスープの中に指をつっこむとラーメンにも背骨が生えているのがわかる。ラーメンには四肢がないのだろうか。ラーメンにはやはり命もないのだろうか。命のないラーメンは癌になるのだろうか。「わざとらしい問いかけだ!」バスの運転手は突然の通行人を避けてハンドルを右に切りそう叫んだ。ハンドルは巨大な鳴門であった。通行人の四肢はどこかにふっとんで、みなラーメン屋の店長になってしまった。いらっしゃいませ、いらっしゃいませと不自然に笑みを浮かべ、人々の往来する交差点の中央などで根を生やしている。迷惑極まりない。口からスープまで吐き出して。これはわたしの妄想か?
バスの中で乗客たちは手を合わせてぶつぶつと祈り始めた。その手にはメンマ。殺菌された、清潔なメンマ。
いつのまにわたしはバスを降り、渋谷のどこかの交差点で、月を見上げている。しかしわたしの目玉は裏返ってわたしの内部のラーメンを覗いている。すると、ふたたびメンマのような輪郭がわたしの頭部をすいすいと泳いでいるのが見える。ばかのような話だ。あの赤ん坊の顔をしたその奇妙なメンマには四肢があったように記憶している。わたしの記憶はいつも曖昧である。わたしの手足はいつも曖昧である。手のような足のようなそんな曖昧な四肢が、わたしの記憶のメンマのくちびる、その魚そっくりのくちびるのなかに、ぱくぱく、と吸われていく。わたしはメンマが大嫌いだ。メンマは私の憎悪でできている。だから食い尽くしてやる。
人々は木々の下でしばし酒を酌み交わしながら前世に食べたラーメンをすすりあう。或るものは自分だけのメンマを咥えて歌い。或るものは鳴門のハンドルを握る。わたしはといえば夜空に流れては消えていく無数のラーメンの切れ端に気を取られ、足元に生えたあの赤ん坊をいま踏み殺してしまった。ちくしょう。それでも降り注ぐラーメンがわたしたちの存在を祝福していく。めまぐるしく風景が移り変わり、ラーメンがあるのか、世界がラーメンなのか、わからなくなってくる。わたしはラーメンをすすり続ける。なんて不味いんだ。なんて味気ないんだ。
ああ。店のカウンターに残されたのは極上のラーメンとわたしだけだ。灼熱のスープのなかで楽しそうに笑っているのは踏み潰したはずの赤ん坊である。ふと、手元が濡れているのに気がつく。手のひらに生えた足から腐乱したスープがしみ出してきているのだ。手遅れではあるまい。わたしは急いで両手の足をもぎとって、目前のスープに投げ込む。煮えたぎるスープに映し出されたわたしの顔は、もはやあの赤ん坊の顔そっくりになっていて、わたしはもう赤ん坊のことが誰だかわからなくなるほど赤ん坊となっている。
「人間は死なない。それは人間が麺類だからなのだ」わたしはそうひとりごちて鳴門のハンドルを今度は左に切ると、壁のように巨大なメンマが一行の行く手に立ちはだかった。「食い尽くしてやる!」とわたしは腹の底から絶叫したが、その声は乗客たちが麺を吸う音によってかき消された。
選出作品
作品 - 20150116_647_7854p
- [優] メンマ・シンドローム - リンネ (2015-01)
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メンマ・シンドローム
リンネ