突然リビングの火災報知機が鳴った
あわてて外の様子を見ると
真っ黒な猫がさっと走っただけで
変わった様子は特になかった
どこかで起こっているはずの見えない火の気は
映画のなかのワンシーンで
燃えている家の前でピースサインをしていた
あるアメリカの唇のぶ厚い女優を思い出させた
その女優はたしか「メ」から始まる名前だった
だけど今はそんなことを
思い出している余裕はなかった
※
保険会社ではたらく彼女は
地味な見た目と裏腹の
きらきらした名前がつけられていた
なかなか人の名前を覚えられない僕でも
君のことはすぐ呼ぶことができた
どんな保険に入ればいいのか迷っていると
あなたにどんな不幸が起こるのか
分かればいいのにねえと言って
にわかに微笑むばかりだった
ところで君はどうして
僕なんかと結婚したいんだろう
プロポーズされた返事をすることができずに
月日が経ってしまっていた
※
真ん中に出てきたタロットカードは死神だった
占いのことはよくわからない僕でも
きっと何だか良くないということは伝わった
東京郊外にある駅ビルの
レストラン街にあるさびれた占いコーナーだった
当たり前のことをあたりまえのように
中年の太った占い師は忠告して占いは終わった
だけど問題は当たる当たらないではなかった
この日この瞬間、このカードを引いたという出来事は
現実として起こってしまっていた
※
寝巻きのままケータイと通帳とはんこだけを持って
玄関に飛び出ると
駐車場から煙があがっているのが見えた
君の微笑んだぶ厚い唇と
占い師のたるんだ頬をふと思い出す
雑誌が燃えていたんですってねえ
という近所のおばさんの話声が聞こえた
野次馬に混じって現場を見てみると
結婚情報誌が半分真っ黒になっていた
Marry Me?という表紙を見て
あの女優の名前を思い出した
彼女の名前はメアリー
けれど何だかまったくすっきりしなかった
※
君の申し出を受け入れる理由も
断る理由も、どちらも見つからなかった
死神のカードを引いたのも過去のはなしで
放火の犯人も未だに捕まらなかった
わかっているのは
あのメアリーという女優は
年上の男と結婚しDV被害にあってから
まったく映画に出なくなってしまったということだけだった
今日は久々に君とデートの待ちあわせをしている
待ち合わせに5分遅れて走ってきた君は
いつも通りの満面の笑みだった
ごめんね、料理中にやけどしちゃって
手当てしてたら遅くなっちゃった
と言った君の左手には包帯が巻かれていて
くすり指には黒猫の指輪がはめられていた
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選出作品
作品 - 20140129_171_7265p
- [優] メアリー・ブルー - 熊谷 (2014-01)
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メアリー・ブルー
熊谷