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作品 - 20140129_171_7265p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


メアリー・ブルー

  熊谷


突然リビングの火災報知機が鳴った
あわてて外の様子を見ると
真っ黒な猫がさっと走っただけで
変わった様子は特になかった
どこかで起こっているはずの見えない火の気は
映画のなかのワンシーンで
燃えている家の前でピースサインをしていた
あるアメリカの唇のぶ厚い女優を思い出させた
その女優はたしか「メ」から始まる名前だった
だけど今はそんなことを
思い出している余裕はなかった





保険会社ではたらく彼女は
地味な見た目と裏腹の
きらきらした名前がつけられていた
なかなか人の名前を覚えられない僕でも
君のことはすぐ呼ぶことができた
どんな保険に入ればいいのか迷っていると
あなたにどんな不幸が起こるのか
分かればいいのにねえと言って
にわかに微笑むばかりだった
ところで君はどうして
僕なんかと結婚したいんだろう
プロポーズされた返事をすることができずに
月日が経ってしまっていた





真ん中に出てきたタロットカードは死神だった
占いのことはよくわからない僕でも
きっと何だか良くないということは伝わった
東京郊外にある駅ビルの
レストラン街にあるさびれた占いコーナーだった
当たり前のことをあたりまえのように
中年の太った占い師は忠告して占いは終わった
だけど問題は当たる当たらないではなかった
この日この瞬間、このカードを引いたという出来事は
現実として起こってしまっていた





寝巻きのままケータイと通帳とはんこだけを持って
玄関に飛び出ると
駐車場から煙があがっているのが見えた
君の微笑んだぶ厚い唇と
占い師のたるんだ頬をふと思い出す
雑誌が燃えていたんですってねえ
という近所のおばさんの話声が聞こえた
野次馬に混じって現場を見てみると
結婚情報誌が半分真っ黒になっていた
Marry Me?という表紙を見て
あの女優の名前を思い出した
彼女の名前はメアリー
けれど何だかまったくすっきりしなかった





君の申し出を受け入れる理由も
断る理由も、どちらも見つからなかった
死神のカードを引いたのも過去のはなしで
放火の犯人も未だに捕まらなかった
わかっているのは
あのメアリーという女優は
年上の男と結婚しDV被害にあってから
まったく映画に出なくなってしまったということだけだった
今日は久々に君とデートの待ちあわせをしている
待ち合わせに5分遅れて走ってきた君は
いつも通りの満面の笑みだった
ごめんね、料理中にやけどしちゃって
手当てしてたら遅くなっちゃった
と言った君の左手には包帯が巻かれていて
くすり指には黒猫の指輪がはめられていた

文学極道

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