選出作品

作品 - 20131202_351_7169p

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ヘレスで出会ったロマの女の子におくる詩

  北◆Ui8SfUmIUc


ヘレスで出会ったロマの女の子は、字が読めないから早口なのか、それはわからない。
僕がカテドラルでポケット辞書を眺めていたとき、バサバサッとハトが飛びたったなかから、
突然、君はころがりこんできたんだ。君の澄んだ黒い瞳に、僕のおどろいた顔が映りこんでいたから、
鮮明に覚えているよ。

僕は、「あなたのおなまえは?」と辞書をひらいて指差した。だけども君は、僕を指差して
「Cino!cino!」と、大声でまくしたてたんだ。いったいCinoとはなんだろう?
そう思って調べてみると、中国人という意味だった。「Japon!Japon!」僕は日本人だよ。
地図をひろげて、日本を指差してみせた。すると君は、これはイタリアだと言った。

まわりにいたロマたちが、ゾロゾロと集まってきた。そして僕の顔を見るなり、Cino cochino.
と言って笑った。僕はそのとき、君と一緒にいたロマ達を見て、
君が盗人の一味だって気がついたんだ。それもお尋ね者のヤバイ奴らだってね。

君は僕に、「早く来い!」というような仕草して、僕の手をつかんであるきだした。
ガイドブックには載っていない凸凹道を、他のロマ達も一緒についてきた。
おもちゃのガラクタみたいに、わめいたり、さけんだりしていた。
アンダルシアの太陽は、眩しいだけじゃなかった。日差しは、影も強烈に焦がしていた。

あれは、霜がおりた畑にしなびた大根、春に小川はやわらかに目覚め、
5月、便箋にカミキリ虫がとまっていた。梅雨、あまどいにおちる雨粒のうんめいを占い、
夏はセミにオシッコをかけられた。10月、さつまいもを掘り、はじめて触った
ミミズにおどろいて、母さんに泣きついた。

ああ、母さん、久しく会っていない。
母さん、僕はいま、遠くスペインの地で、泥棒たちと、知らない女の子に手をひかれてあるいているよ。
この女の子も泥棒なんだ。あのとき、ガイドブックに書いてあったとおり、カバンから手をはなさずに、
かたくなに胸におしつけて、女の子のことを無視していたら、こんなことにはならなかった?

君は、僕の手をしっかりと掴んではなさなかった。時折、僕の手のひらが、うわの空になると、
そのたびに、君は僕の手を引っぱった。僕は、反射的に君の手を握り返してしまう。
君とつないだ手のひらのなかから、僕の不安がいまにもこぼれて、落ちてしまいそうだ。
もしも、落っことしてしまったら、僕は音をたてたナイフで、刺されて死ぬんだ。

とうとう、ひとりのロマが、「パスポート!」と騒ぎだした。僕は慎重にバックから、
パスポートと、金目のものを取り出して、りょう手でゆっくりと差し出した。
パスポートを手にしたロマは、僕の顔を見て、「Cino?」(おまえは中国人か?)と聞いてきた。
僕は地図をひろげて、日本を指差してみせた。するとロマは、それはイタリアだと言った。

このあと、僕がどうなったか、君に伝えたいけど、そのまえに、君にとって僕は、「おかしな中国人」
ただそれでよかったんだ。イタリアって言ったのも、君が日本を知らなかったというより、
たまたま君が、イタリアを知っていた、それでよかったんだ。
君たちロマに、国籍なんか、あってないようなものなんだよね?

僕は思い出が、明日を追い越してゆくような、そんな感じがして、
故郷とか日本人とか、どうでもよくなって、生きるって、君は、きっとそんな風なんだろ?