選出作品

作品 - 20131104_869_7115p

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三つの具象的な語彙の詩

  前田ふむふむ


帽子

かなり熱があるので 気分は悪く やっとの思いで病院についた
そして待合室に深々と腰をおろすと
その中央にあるテーブルの上に
いかにも高価そうな帽子が置いてある
それはクリーム色をした 軽く透けている生地を使っており 
上品な透け感と程良い張り感を持ち合わせていて 
固い風合いと光沢を帯びている
そして 右側面に赤いバラがさりげなくついている
その気高さに わたしもそうであったが
待合室の患者は みんな好奇な眼でみているのだ

ところで この高貴な帽子は患者を癒すために 
たとえば生け花のように 観賞物として置いてあるのだろうか
そうであるならば それを示す説明書きが
帽子のそばに添えてあっても不思議ではない
とにかく安物ではなく高級な帽子であるのだから
当然だと思うのだが それがない 多分 違うのだろう
あるいは誰かの持ち物なのだろうか
でも わたしは随分と待っているが
誰も取ろうとしない 忘れ物なのだろうか
そうであるならば 誰かが受付に申し出ても良いと思うのだが
誰もしようとしない

さて この帽子が忘れ物ならば 持ち主はここにはいない
欲しいと思って 仮に誰かが持っていっても
分からないのだから 盗み得になってしまうだろう
もしかすると 皆欲しいのだけれど このなかに持ち主がいたら
その場で 泥棒として捕まってしまうので
それを警戒して 相互に監視しているのだろうか
ああ もう二時間近くもテーブルに置いてある
あるいは 持ち主がこのなかにいて
こっそり盗む者がいないか じっと見ており
わたしを含めてみんなを試しているのかもしれない
時々 みんなを見回すと 誰も彼もが尋常ではない
鋭い眼で見ているように思える

わたしは こうして長い間 なにかに憑りつかれたように帽子をみている
でも余計な打算をはぶいて 没頭していると 
徐々にではあるが この帽子はちょうど 
殺風景な待合室に溶け込むように息づいていて その配置といい 
色合いといい この部屋に無くてはならない 
最も重要なものであるように見えてくる
だから わたしは この帽子に対して 触れることは勿論
何かをしてはいけないように思うようになった
それが最善に思えるのだ

診察室から名前を呼ばれた

医師から治療を受けていると 医師の言葉はまるでうわの空で 
待合室を留守にしている間に あの帽子を誰かが持っていってしまわないかと
そのことばかり気になっている
短い治療が終わり 待合室に戻ると 帽子はまだ そこにあった
わたしは ほっとして なぜか とても充たされていた
それだけではなく 帽子をとても愛しく思えた
そして 願えば この帽子が いつまでも 
そこにあり続けるように思えた

後ろ髪を引かれながら 受付で診察の清算を終える

そして 五日後 医師の指示に従って 再診で病院に来たが 
高熱の病気はすでに治っていた
わたしは待合室に行き 嬉々として 高貴な帽子の方に眼をやると 
中央のテーブルの上には
薄汚れた古い帽子が無雑作に置いてあった



帰宅するひと
            

三月十一日
国道122号線を 北にむかって ひたすら歩いた
前方から後方まで ひとびとの列が途切れることなく
つづいている
幸い街路灯は 消えていない
たよりないそのひかりが映す
ひとびとの顔は不安を浮かべている
そして黙々と帰路を急ぐ

帰宅するひと
そこに道があれば 帰宅するひとという所属が生まれる
理由などいらない
家に帰るという意識の旗を 胸にかかげて
黙って唱えれば もうりっぱな 帰宅するひとだ
そこには意志がやどる
そのたよりない列が 素晴らしい仲間に見えてくる
わたしは前を歩く 疲れている女性に
ペットボトルのみずを与えた
女性は真っ直ぐな眼で お礼を返した
目的地にむかう同志のように

ひとびとの白い吐く息は 熱気を孕み
わずかずつ会話が始まる
ときに笑いも浮かべて それに 夜はいつまでも
寄り添っていた

だいぶ歩いただろうか
もうすぐ自宅だ 
やや東の空から明るみを 帯びてきている
わたしの道が白く 浮かびあがっている
気がつかなかったが 見渡せば
わたしだけ
ひとりで歩いている


中二階
              

仕事が終わり 職場を出る
暗い夜の空気をふかく吸いこんで 一日を反芻する
そして 満ち足りた高揚感を 夜の乾いた冷気で
浸していると職場のビルの中二階に灯りが点いていて
男がひとり 寂しそうに立っている

わたしはその男が気になったので
中二階を探したが どうしても辿り着けない
もっとも中二階があるということは
今まで聞いたことはなかったし 外から見れば そのビルは
中二階が造られていない構造だということは すぐ分かることなのだ
念のために管理人に聞いてみたが やはりないという

でもわたしには見える
仕事がおわった帰り際に 夜ごと その中二階があらわれて
右角の一室の窓辺に 男が立っている

かなり不気味なことなので
幻覚を見るほど 疲れているのではないかと
自分を慰めたが 原因は分からない

そう思いながら もう一度 注意深く意識して
職場のビルを見ると 中二階などは存在しないで
均等に五階に分けられている
その窓はブラインドで閉じられていて
冷たい様相で 立っている

わたしはほっとして やはり幻覚だったと納得する
そして その儀礼的な確認を終えると
心置きなく安心して 家族の待つ団欒に帰るのだ

こうした 懐疑的で夢のような出来事を
毎日を繰り返している わたしは長い間
この部屋を 出たことがない

ひまわりの贋作の絵画が 掛けられている この病室では
日が暮れて 窓から夕日が 射してくると クロッカスの球根に当たる
そして 一人きりの 寂しさを紛らわすために
まず球根にみずをやっている
窓辺では球根をグラスにいれて
もう何年も 育てているが 花が咲いたことがない

夜七時 決まったように部屋の灯りをつける
窓の外
きょうも 街路灯の下でひとりの男が 立ち止まり こちらを見ている
彼はいつになったら 階段を駈けあがり わたしに会いに
この部屋にくるのだろうか
窓辺に立って わたしはいつも
何かを待っている