選出作品

作品 - 20130427_271_6829p

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木は旅が好き

  

 駅前に植わっていたニシキギの紅葉が終わった。錦鯉が鯉の代名詞であるように、錦木が木の代名詞であるか、といわれればそういうわけにもいかないけれど、秋の終わりによく色づき、その見事な様子は錦の名に恥じないものである。またその燃えるような葉が全て落ちてしまっても残された木々の枝には「翼」と呼ばれるものが具わっており、それは枝の中心から四方向に長方形の翼が広がり、見た目CGであるかのような視覚的効果を演出している。息子はよくニシキギを「マトリックスの木」と呼んでいたが、それも理由のないことではない、私もその名を知るまではそう呼ばせてもらっていたのだ。
 息子は、その年頃の男の子がそうであるように自動改札機の、現代において決してもう未来的とは呼べないその動作にやはり魅了されていた。子供が近未来に憧れるのとはまた違ったものが自動改札機にはあるのだろうか、幼い子供は外界が自分の思考によって支配されているかのような万能感を持っていると精神分析の本で読んだことがあるが、この古びた近未来は息子の差し入れる切符に端を発して魔法のようにその門を開く、息子の言語に翻訳すれば「ウイーン ガシャン」といったところだ、私はそんなふうに勝手なことを考えながら、「こども」というボタンを押す私の背後に注がれるはちきれんばかりの視線をくすぐったく受け取りながら私もまた早く振り返りたくて仕方ない思いを隠しきれなかった。何にせよ普段乗ることの無い路線に息子と連れ立って乗るのだから、そこには日常とは違った何かが存在するのだろうし、私もまた浮き足立っていないとは言い切れなかった。
 恋人、と言うと聞こえが悪いだろうが、夫は結婚して5年後に、大切にしていたトラックもろとも圧死してしまった。残されたものは息子だけ、なんてテレビドラマじゃあるまい、人並みにショックをうけ、人並みに落ち込んでしまって何も出来なくなった私と息子の生活を死亡保険は補償して余りあるものを残した。さて、男が子連れの女をその腫れ物ともどもひきうけてお茶に誘うのはよほど本気であるか、よほど怠惰な関係であるかのいずれかである。私の場合は後者であった。伸宏は私の幼馴染であり、一度奥さんに逃げられた経験が私と過ごした幼少時代を美しくみせたのであろうか、とにかく、子供は置いて出てこいよ、などとは決して口にしないところが救いであるような人物だった。もちろんタイなど締めては来ないが、それなりにちゃんとした格好をした伸宏を見て、幼い頃を知っているだけあって毎回何故だか少しふきだしそうな気分になった。それは電車の中の緊張が解ける瞬間でもあり、まるで恋の疑似体験をしているようでもあった。
 その伸宏に会うまでの少しの時間、電車が到着すると駅前のロータリーからカフェのある商店街へと続く散歩道にナンキンハゼが植わっている。ナンキンハゼは冬になると枝先にたくさんの白い実を実らせるので、それを見上げるとまるで雪がそのまま空中に固定されてしまったような印象を受ける。この時もいくつか雪が固定されていたが、息子に「雪みたいだね」などと言うと、息子はナンキンハゼを「雪の木」とでも呼びかねないと思い、私は少し躊躇ったが、ナンキンハゼを見上げている私を息子が発見してしまったので「雪みたいでしょ」と言ってしまった。以前、トウカエデという街路樹を見かけたときに枝の伸び方が猫の尻尾みたいだと言ったきり、息子はトウカエデを「猫の木」と呼び始め、挙句の果てには公園に植わったポプラを、柳の仲間だよ、と教えた途端に、不遜にも「柳の仲間」と呼び始めてしまった。 伸宏はなかなか現れない私たちを探しに来たところで出会ったのだ。息子が丁度「雪の木」の命名を終えたところであった。
「おーい明、何してんの」
 明とは息子の名である。恋の疑似体験はやっぱり疑似体験に過ぎず、そのことが私を安心させた。フランスの国民だって毎年フランス革命があっても困ることだろう、それと同じ原理で、恋なんていうものも一生のうちに一度あればいいものだ。伸宏もまたそのように感じているだろうことが私を安心させた。
「おじさん遅いよ」
 私たちが時間に遅れたせいで伸宏をここまで来させたにも関わらず、息子の言葉は確かに「おじさん」が悪いかのような気にさせるほど、子供らしい真実味を帯びて寒空に響いた。私たちは三人連れ立って、本来の待ち合わせ場所であるカフェに歩を進めた。三人とも天を仰ぎがちに歩いた。
 伸宏と過ごした幼年時代。とはいえ私の思い出が伸宏だけに占領されている訳ではない。伸宏はよく言えばマイペース、悪く言えばマヌケだった。要領の悪い伸宏は小学校の漢字テストですら勉強しても良い点が取れなかった。私も成績優秀というわけにはいかなかったが、良くも悪くも優等生であった。「家が近い」ただそれだけの理由で、私はよく伸宏を連れ出して昆虫捕りに出かけた。私はどちらかというと動くものよりもケヤキやスギなどの喬木に囲まれた空間にひっそりと息を潜めながら、水の中にでもいるかのようにゆっくりと体を動かすのが、なにやら秘密めいていて好きだった。伸宏はちゃんと本来の趣旨を忘れずに甲虫を探した。それでも見つけるのはいつもクワガタやカブトではなくカナブンだった。
 明は父親に似たのだろうか、伸宏のマイペースさとは違うが、勝手に自分の世界を作り出してそこに没頭する癖があった。
「明のお父さんも変な人だったなあ」
「お父さんってお前の旦那だろうが、もとは」
「そうだったそうだった」
 伸宏は私の発言を咎めるわけでもなく、ちょっとしたおかしさから私に物申したくなったのだろう。明は父親を知らない、明の父親が死んだのは明がまだ一歳の頃で、明に父親の記憶を話しても、なにやら知らない国の経済状況を聞かされている女子高生みたいに、キョトンとした表情を浮かべて、気付くと「こども辞典」を眺めていた。
 明と伸宏は30もの歳を隔てながらどこか友人めいたところがあった。「おじさん」が明の視線の先を読み取り、往来を走る車に対して、「あの車かっこいいな、明」と言うと、明は車には興味はないらしく、「おじさん、あの車の横にちょうちょみたいなのがついてるね」と言った。「おじさん」は一瞬サイドミラーのことかと思ったらしいが、どうやらそうではないらしい。私は明が車の側面まで迫り出したウインカーの点滅をさして、何故だかちょうちょのようだと感じたことを悟った。そんな二人のやりとりを見ていると、幼い頃の私と伸宏の関係を思い起こさせた。私はいつも変なことを言って伸宏を困らせていたし、伸宏は伸宏でそんなことお構いなしに次から次へとカナブンを捕まえた。
 そんな二人の関係を見ていると、明が「お父さん」に似ているのは気のせいで、結局、明が似ているのは私なのだということに気付かされ、根拠の無いかなしい気持ちが海の潮のように私の心をさらった。誰かを愛すると言うことは、その人に自らをさらわれることだと思っていた私は、「お父さん」の忘れ形見がどうしようもなく私であることに少しく悔しい思いをしたのだ。そんなことを思いながら窓から覗く街路樹を見つめていた。そこに植わっていたのはアメリカフウであったが、紅葉も過ぎ冬の装いをした寂しい木を見て、どこにもいけなかった私の感傷を重ね合わせていた。
 まだ高校生だった頃、私はよく詩を読んだ。ハイネやアイヒェンドルフなどの、優しい詩が好きだった。私はハイネの一篇の詩を思い出していた。

 北の果てには樅の木が
 不毛の丘に独り立ち。
 雪と氷の白い覆いで
 包まれながら眠ります。

 夢に見たのは椰子の夢、
 遠く向こうの朝の土地、
 独り黙って悲嘆に暮れる
 燃えだしそうな岩壁の上。

 何の変哲も無い詩だけれど、高校生だった私でも、この詩の意味を深く理解していたと思う。地中に深く根を下ろす木は風に転がされることも無く、鳥に運ばれることも無く、どこまでもその場所に根ざしている。私もまた、当時、そのどこへもいけない予感にうちひしがれて、けれど、いくらかの優しい諦めを伴って、この詩を読んでいた。木は、どこへも行けないけれど、夢を見るのだ。それは遠く朝の国の椰子の木の夢さえ。もちろん夢を託すのは人間の業であることはわかっている。自由に飛ぶ鳥が再び遠くへと飛び立つためにその羽を休める梢。風に舞って遥か遠くの地にまで運ばれる花粉。そのようなものが人間の想像力を培うのだろうか。小学校の国語の教科書には茨木のり子の「木は旅が好き」が載っているが、あの詩もまた、どこへもゆけない予感にうちひしがれ、それでも優しい諦めに根拠付けられた詩だ。私は「お父さん」と結婚して、明という大地に根を下ろした。「お父さん」はきっと生きていても私をどこにさらうでもなく、幸せなのか不幸せなのか分からない日々を平安と名づけて木のようにどこにもいかない毎日を続けるに違いなかった。それでも、私には私の突飛な世界を受け入れてくれる誰かが必要だ、なんてことを彼が死んでからはずいぶん思ったものだ。今では明が私を突飛な世界で驚かせてくれる。
 私は伸宏と明の会話を曖昧な意識で聞き流しながら、いつしかこの「おじさん」が「お父さん」に変わることを想像していた。移り変わる景色のなかでいつまでもひとりで立っていることしかできない樅の木という常緑広葉樹の甘やかな孤独をアイスコーヒーにつき立てられたストローでかき混ぜながら、二人のことをずっと見つめていた。名付けた先から零れ落ちてしまう、そんな二人を私は優しい諦めでもって見つめていたのだ。違う、二人ではなく三人を。
 伸宏があくびをする。子供のころから私の前でよくあくびをする人だったけれど、そこには退屈からのあてつけというよりも、もっと親しみのこもった何かがあるような気がしていた。事実、伸宏はあくびをするたびに笑った、子供のころははにかむように、大人になってからは微笑むように。すると、私は私の言葉が全部伸宏の口の中に吸い込まれていってしまったかのような印象を受け取るのだ。そうなると周りの世界は私の言葉を忘れて、まるで布団圧縮袋が開かれると同時に空気を吸い込むみたいに、私の口からもう一度名前を吸い込みはじめるのだ。あ、またあくびした。幼友達、腐れ縁、今度はどんな名前を与えてやろうか。恋? いやいや、それは違う。
 物を名付けてしまうことになんとなく寂しさを覚えるようになったのはいつ頃からだっただろうか。明が言葉を覚え始めてから私は今までなんと狭いところにうずくまっていたのかと驚愕する思いだった。「お父さん」にそのことを話すと、笑いながら「お前は大人になっても子供みたいだから」と笑われた。真冬の星空の下でなんとか流星群を待ちながら空のオリオンを見つめて、やっぱり砂時計みたいだな、と感じて、明や「お父さん」は一体何を思っているのだろうかと、ひそかに詮索する時、私はたとえ同じ場所に立っていても、何億通りもの物の見え方が存在すること、同じところに立っている木でさえ何億通りもの意味を生きていることの驚きを、どこへもゆけない不安と、優しい諦めに付け足した。
 その日、伸宏にプロポーズをされた日から数年の間、私は幸福でもあったし、同時に幸福であることが孤独でもあった。「お父さん」は相変わらずあくびをしたけれど、そのあくびは段々と私から飛び立つことの合図に思えてきたのだ。きっと、伸宏が「お父さん」になったからといって何かが変わったわけではない。けれどそう思うことによって、私は「お父さん」を伸宏として好きでいられるような気がしていた。明はちゃんと歳とともに花や木の名前を覚えていった。私は歳とともに色々なこと忘れていった。
 昔、大学生だった頃、詩の講義でゲーテの「植物の変態」という詩を読んだことがある。当時まだまだうぶだった私は、いったいどんな変態的な植物があるというのか、と戦いたけれども、その詩は、木の生育を描いた詩であった。仔細はもう到底覚えてはいないのだけれど、木に花が咲くとき、それがまるで天への捧げものであるかのような描写に強い印象を受けた。咲き零れた花冠が木でもなく空でもなくどこか幽玄な空間に漂うものとして空想されていることに私は驚きとともにどこか懐かしさを覚えたのだ。まだ花の名前を知らなかった頃の。
 ノヴァーリスというドイツの詩人が「木に咲く花は人間の思考のシンボルである」と記した書物を読んだのも大学生の頃だった。季節とともに移り変わりながら様々な色や容で先端から咲き零れる花を思いながら、私は「花す」という言葉を思いついた。まだ皮膚の一部が脳になるなんて世界の誰も知らなかった頃、フロイトは幼児の自我は皮膚にあるのだ、と言った。花、鼻、端、どれも先っぽにちょこんと座っている。私は歳とともに段々と花の名前を忘れていく。けれども言葉を話すことは、同時に言葉を放すことでもある。
 明がちゃんと大人になってゆく姿を見ていると、やっぱり「お父さん」に似たのだな、という思いがした。けれども、当然のように私という梢から飛び立っていく明を見ていても、決してつらいなどとは思わなかった。同じところに立っている木の、優しい諦めが私の胸を充たした。飛び立つ鳥もいれば、翼を休める鳥もいる。それは花のように、一番端の部分で取り交わされる木の儚い言葉、話したり、放したりする夢のようなもの。
 息子を預けられている間に伸宏のことをなんと呼べばいいのか戸惑ったが、その問題は自然と「おじいちゃん」と呼びはじめたことから呆気なく解決した。名前を与えることに関して子供ほどに戸惑いがない生き物はいないのだ。もし、あの日よりもう少し遅れていたら、思春期の難しさから伸宏が「お父さん」と呼ばれることも無かったのかも知れない、などと思いながら、「お散歩」の道すがら立ち寄った駅前の通りに植えられたニシキギを見ていた。秋の装いはすっかり北風に吹き飛ばされて、綺麗に刈り揃えられ、発送前の陳列済みダンボールみたいに整然と並んでいる。ニシキギという木の枝には「翼」と呼ばれるものが具わっているのだが、私はこの「翼を授かった木」を見ていると不思議なくらい親しみを覚えるのだ。ひとつひとつの翼がそれぞれに「遠く」を孕んでいて、それでもなお今ここにおとなしく植わっている。強く握られた右手はいつか訪れる別れを予感しながら、しぶしぶとそこに居続けることを肯うように小さな手を握り返していた。