僕は、僕たちは、みんなは、間違えてしまったのだ!
僕は、僕たちは、みんなは、失敗してしまったのだ!
僕は、僕たちは、みんなは、小鳥たちの声にさいなまれている。
そりゃー自信はありましたよ、根拠ですか? そんなもんなかったね。鏡があれば光を跳ね返しますよね。それと同じですよ。俺たちがいればどんなことでもやっていける。そりゃー不可能なことくらいあるとは思っていましたよ。宇宙にだって限界があるし、大体俺の体だってせいぜい身長180cmくらいだし!笑 それを超えることはできないよね。そんなのわかってたよ。俺の母ちゃんが俺の母ちゃんだってことと同じくらいわかってたね。まあでもわかるってことがくせもんでね、色んなわかり方があるじゃないですか、なんかあれっすよ、木の葉っぱがいつの間にか池の上に落ちてて、池がその表面で何か薄いものが接触したことを、寝ぼけ眼で感じる、くらいのわかり方でしたね。要するにわかることに他人が挟まってこなかったんですね。他人に視線を投射して、それが跳ね返ってきて、他人から声が届いて、その内容を混ぜ込んで、そういうのがなかった。なんか自分が自分の井戸みたいな感じで!笑 いやでも、間違えるってのは、なんか正解がほかにあるみたいな言い方じゃないですか。それちがうと思うんすよね。正解なんてどこにもないんじゃないんですか? あったら教えてくださいよ。だから本当はすべてが正解で、だから俺たちは、派手に間違えたと同時に、根本的に正しかったんですよ。間違えた! とか騒いでるとき、本当は間違えたなんて思っちゃいない。間違えた! って言葉は常に正しいし。でもあれなんすよ、自分を社会的な意味で殺すのって大事じゃないですか、社会とかいうわけのわからん法則体と比べて、そん中で間違えた! って叫ぶの重要じゃないですか。まず、自分にもう立ち直れないくらいの烙印押せますよね。これは自分をかたわにするくらいの衝撃ですよ。それに、社会に復讐できるじゃないですか。だって、社会の中で間違えたってことは、自分が社会と大きく食い違ったってことですよ。それは絶対社会の中へと跳ね返っていく。だから、俺は間違えた! って叫ぶ必要があるんすよね。それは、俺に非があるみたいだけど、自分が悪いってのを装って、同時に社会に対する異議申し立てをしてることになりませんかね? 俺と社会は違うんだよ、しかもそれは俺が社会を知らなかったわけじゃなくて、社会を内側に摂取したうえで、それでも違う、仕組みが違う、成り立ちが違う、そういう切実な叫びを発することなんですよ。いわば、相手に従順であることによる抵抗、相手を立てることによる復讐、それをやってるわけですね!笑
僕は、僕たちは、みんなは、不本意にも正しかった。
選出作品
作品 - 20130122_153_6648p
- [佳] 遡及 - zero (2013-01)
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遡及
zero