何を残していくべきか、何を食べなければならないのか、どのような回転数が一番ふさわしいのか、そんな問いたちを浜辺の光の中へそっと解き放つ。浜辺はやがて郊外となり市街地となり事務所となる。そこからさらに遠く、海を隔てた大陸の平民たちの暮らしが目に浮かぶ。自転車、コンクリート、木材、自動車、信号、砂埃、時計、机、星のない空、観葉植物、人のいた形跡。人々はすべて痕跡であり、痕跡同士が呼びかけあい、痕跡のためにいくつもの工業製品が作られ商業が発達する。彼もまた一つの複雑な痕跡として、痕跡として完成するために、今日もまたサービス業の痕跡に身をうずめようとする。ああ、人々の外観はなんて美しいんだ! すべてがわずかに流動する固定性の中で統制されている。統制され、その動きや反応まですべてにおいて制度によって彫り込まれた人々は何もかもが美しい。あいさつの仕方、話すときの所作・態度、すべてにおいて二人称や三人称との闘いの痕が刻まれている! 事務補助職への応募。これもまたあなたであり彼らである官庁との闘いだ。履歴書を筋書き通りに書き、そこに自分の差異を巧妙に取り入れる。「私」の偏差は死滅するために膨張し、彼はそれを殺さない程度に傷害する。彼と社会は彼を傷害するにあたって共犯関係を築いている。知能犯であり愉快犯であり確信犯であり、なにより完全犯罪だ。彼の共犯となる社会は絶対に居場所がわからない。浜辺の波と展望台は結局一人称の砦ではなく、それは居場所のつかめない三人称がいつのまにか造形した作品群に他ならない。彼はその固有性の沃土をなるたけ普遍性のやせた土地へと分け与えた。そのため固有性の作物の一部は死んだが、普遍性と固有性が交配して、彼そのものにも二人称と三人称が植え込まれた。そもそも交わらないはずの「私」と「あなた」と「彼ら」が、言語や振る舞いを通じて共通の回路素子で交信しあうようになる。さて、明日は面接だが、もはや一枚岩となった一・二・三人称が和解の地点を見いだせるのは明白だろう…
選出作品
作品 - 20120910_026_6331p
- [優] 一二三 - zero (2012-09)
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