選出作品

作品 - 20120825_647_6293p

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私たちもあなたたちも、彼ら彼女らも、みな眼鏡を探す

  右肩

 あるはずのない眼鏡を探して手を伸ばしていますね。枕の脇は探しましたか?洗面台の隅、歯ブラシ立ての辺りはもう探ってみたでしょうか?机の上、モニターのすぐ下のところ。昨日着た綿ジャケットの胸ポケット、そこも確かめてみるべきかも知れません。内ポケットにもなかったら、もっと手を伸ばさなければいけなくなります。
 長い廊下の向こうの部屋、さらに向こうの部屋。薄暗闇をたどっていくと、夫のような妻のような人物がソファに沈み込んでTVを見ていたり、息子のような娘のような人物が裸で立ち尽くしていたりするかもしれません。その鼻先を掠めるようにして伸びる腕。探される眼鏡。眼鏡は何処にあるのかと、家の庭先の十薬の茂みをかき分けます。処暑の日の太陽がようやく勢いを失い傾いていく。今日の日輪は西に没して死に、もう二度と甦らない。闇がやってきます。密生する草の葉の根元辺りは既に十分に暗く、生まれたての蟋蟀がほの白く蠢いています。湿った土の上に眼鏡はあるでしょうか?ありません。
 ここまで描かれた、一枚の絵のような世界に安住していたら眼鏡は見つからない。それはわかる。約束のメモが幾枚も破り捨てられ、あるいはシュレッダーで処分され、もう眼鏡があっても読むときは訪れません。そもそも、約束されたその日はやって来ないのです。粉々になった木や、石やコンクリート。くすぶっている燃えさしや、今まさに燃えているものから黒い煙が立ち登っている。悲鳴が上がっている。言葉がもつれて痙攣している。そういう街の路上ならば、必ず眼鏡は見つかるのです。それもわかっていることでした。
 愛し合うときには眼鏡を外します。より官能的なキスのためには鼻も邪魔ですが、それ以上に眼鏡が邪魔になります。息に曇った眼鏡、その蔓が耳からずれて、甘くくぐもった声を聞きながら記憶の深みに落ちていったのでしたね。忘れていたことはすべて、すすり泣きが思い出させてくれます。どんよりとした暗い瞳が、壊れかかった建物の窓やベランダから、いくつも、こちらを眺めていたのでした。すすり泣く声は表に立つ人の背後、部屋の奥に隠れている人たちの、その喉の深いところから漏れてきているに違いありません。でも、こちらは仰向けに斃れてしまっているので、それが何処の誰のものか、ついにわからないままで終わります。
 斃れた身体の近くを探ってみても、ほんの数センチくらいの差で眼鏡には届かないはずです。数センチは長い。やがて身体の中に滑り込ませた指は剥き出しになった骨に行き当たるでしょう。眼鏡ではありません。今となっては眼鏡はあるはずのないもの、あってはいけないものなのです。
 さて、空の高いところでは凝結した水の粒子が、ようやく目に映るほどの密度で白くもつれあいながら、いくつかの大きな形を描いています。冷温の強風にさらされる大気の高層で、その一部は筆で刷いたように毳立って。この雲の有様が愛というものだ、ということが段々と誰にもわかってくるのでしょう。
「雲を感じるのには、眼鏡も眼球もいらない。肉体のどの部分も必要とされません。」
 そういうふうに聞かされると、それはそれでいいような気もしてくるから不思議です。ね?