選出作品

作品 - 20120727_085_6232p

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体験談

  NORANEKO

 家猫っていいよね。俺も昔は憧れたんだ。色んな家の玄関や、縁側や、台所の窓や、ベランダのとこに座っては、色んな媚び方を試したもんだよ。無駄だと気付いたのは二歳の頃で、交尾はもう何度か経験済みだった。すまない、忘れてくれ。本題とはなんの関係もないし、俺はこうやって物を書いている以上、本物の猫でもない。ちなみに、ネコでもない。俺は童貞だ。
 俺は基本的に嘘ばかり吐く。名前もころころ変える。同じ野良猫でも、立ち寄る家によって呼び名が変わるようなもので、場所が変わればなんとやら、って、引喩表現を使おうとしたがこんな慣用句は存在しなかったな。どうでもいいや。自分語りもつまらない。他の話をしよう。
 そうそう、いいネタがあった。最近、2ちゃんねるのオカルト板でやってる、あの『洒落怖』スレをよく読むんだが、コトリバコとかジダイノモウシゴとか、結構面白いのあるよね。オススメはリゾートバイトなんだけど、今回はジダイノモウシゴの話。ここではもう読んだって人が大半だろうし、説明は省く。というわけで早速、俺の実体験から……すまない。結局、自分語りなんだ。……始めよう。
 丁度、あの日もこんな具合に蒸し暑かった。三年前、映画「去年マリエンバートで」を観に、地元の名画座へ行った日のこと。汗に濡れて、額にへばりついた前髪を掻き上げ、コンバースのオールスターとユニクロで買った黒のスキニー、チェックの半袖シャツといった冴えない出で立ちで、錆び付いたシャッターの降りた商店街をほっつき歩いていた。とあるビルの三階に映画館がある。俺は地下のスーパーでゲロルシュタイナーの炭酸水を買い、明らかに25℃以下に冷えたフロアに腹を壊さないか心配を抱き、節電のためか、やけに暗い階段をかつかつ小気味よく鳴らして三階まで登っていった。カフェテラスが併設された映画館のフロアの売店に行き、無愛想な若い売り子から当日券を買う。ストレートの黒髪がやけに青く艶々してるその子の薄くて白い肌が幸薄い感じで可愛い。お釣りを渡す指先の柔らかさに胸がどきりとした。ついでに自販機で紙コップ入りのホットコーヒーを買った。紙臭さと粉っぽさに辟易しつつも、下痢を催して便器にうずくまって神に許しを乞うよりは良い。劇場内やや後方ど真ん中の席を確保する。ほくほく顔で上映開始のブザーを聞き、アナウンスの女の子の声に勃起し、消灯。予告はない。本編が始まる。
 スクリーンに投影される、誰もいない、白黒の豪邸。神経を不安定にさせるストリングスのBGM、ナンセンス詩の朗読。シャンデリア、丸天井の宗教画、柱にあしらわれた金色の天使と葡萄の実と枝葉。「装飾過多」のリフレインがやけに記憶に残ってる。ストーリーは読めない。シーンの一つ一つがまるで、別のプロットからやってきたかのように独立している。同時間軸の平行世界を継ぎ接ぎした、意味を結ばない、物語られないものたち。どんな流れから、こうなったのか。シーンが切り替わる。
 ヒロインが、何故か、俺によく似た男の顔を、マニキュアを塗った白く細い指で撫でる。

【字幕】
“あなたの無自覚なところ、とっても現代的よ”

 俺は映画館を飛び出し、歩き出す。歩き続ける。ジダイノモウシゴだ。顔のない、半透明なジダイノモウシゴが背中にべったり張り付いて、そこらに無意味を埃の塊みたいに吐き出続けているから、振り向くな。そのまま俺よ、歩け!
 昔、服屋の調子のいい店員に買わされたLeeライダースのパンツの金具が、八方美人の軽薄さでチャリチャリ鳴る。行き交う奴らが俺のほうをチラチラ見やり、取り憑かれる。薄幸そうな売り子 さんの、腐った魚のような瞳と見つめ合う。ゲゲゲ、と鈴のような声音を濁らせて、彼女は叫ぶ。
「僕タチハ、漂白サレタ世代デス!」
 館外のアーケード街に飛び出す。肩をぶつけた、熟年カップルの女が騒ぎ立てる。
「カナシーケドサー! アタシ、意味ガ無イノガ実存ダカラサー!」
 男が俺の胸ぐらに掴みかかる。
「アー! ソレ、スゴクワカルワァー!」
 男の腕の関節をキメて、怯んでいる隙に逃げ出す。花やしき前まで走っていると、女の首筋に果物ナイフを突き付けた男が警官にふるえる声で物凄いことを言っている。
「オ、オレノ武器ハ、キョキョ、虚無ナンダカラナァー!」
 かまわず走り続けると、ラブホテルから、知らない男と手を繋いで出てきた彼女が俺が見ているのもしらないで、
「現代ノ若者ヲ代表シテ、ドウ読ンデモ読メナイ仕掛ケノ二万字ヲ書キマシタ!」
 なんて、おどけながら男の肩に頭を預け、腕を組んでいる……自分から!
 糞男は俺の彼女の頭を撫でながら、
「君ニハ、ブンガクノ賞ヲアゲヨウ」
 なんて耳元で囁いている。膝が崩れ落ちる。人目もはばからず涙と鼻水を垂れ流す。どれもこれも、ジダイノモウシゴの仕業だ。そうに決まっている!
 茫然自失の状態で浅草の裏通りに膝をついていると、背後から、腐った魚に錆びが混じったような臭いがしてくる。右腕を、凄まじい力でガッシリと掴まれる。激痛がはしるが、怖くて見れない。賽の川原で擦れ爛れた赤子の手がそこにあるのは、もう読んで知っていた。これが、俺のせいなんだっていうのも。そっから先はひたすらに、昔、あの娘に堕ろさせたこと、あの娘は無事かどうかということ。あの娘は、なにも悪くないんだということ。そんなことを、考えた。嘘。死にたくないって。ひたすらに死にたくないって助けてって命乞いしてた。アスファルトを小便が塗らして黒々と染めていくのを温もりと臭いで感じていた。仕方ないんだって、ほんともう、こういうのは仕方ないんだって、言って、聞くような相手じゃない。ズリリ……ズリリ……って、俺の背中を這いずって、髪の毛に、しがみついた。耳元に温い吐息。直後、甲高く、叫ぶ。「オ゛トォォォチャ゛ァ゛ア゛ァ゛ァ゛ン!」
 俺は泣いた。嗚咽が堰をきったように漏れ、だが、小便は漏らさなかった。
 隣の席の女友達はなんか菓子を食ってる。ポッキーだ。俺にも食うか聞けよ。いつの間に買ったんだよ。いい席取ってやったのは誰だよ。
 耳元で文句を言ってやったが反応がない。ポッキーをポキポキと小気味よく噛む気の抜けた音が館内に響く。ホラーな気分に全然なれない。
「あんた誰よ」
 急に真顔で、彼女が言った。背筋が凍る。このタイミングでそれは心臓に悪いだろうが。そんなの、
「俺にわかるわけないじゃん」
 女友達の髪を掴み上げ、皮と肉ごと引き剥がす。ほら、同じ顔だ。どいつもこいつも肉ひっぺがせば同じ顔なんだ。俺は知っている。女はみんな俺の女友達なんだ。これは論証も実証も出来る。実際、俺は大学の卒業論文をこのテーマでパスした。教育機関のお墨付きだぞ、わかるか? わかんねーならお前の皮も剥いでやるよ。鏡を見れば嫌でもわかるからさ。
「ア、ア、あんた誰ヨ」
 女友達はまだ聞いている。真顔で。
「ソんなの、俺にわカるわけないじャん」
 俺はまた、女友達の髪を掴み上げ、肉と皮ごと引き剥がす。あれ?
「罠だ、逃げろ!」
 劇場の締め切られた扉を開けて、和尚さんが叫んだ。俺は一目散に逃げ出した。
「ア、ア、ア、ダレよ」
 女友達の顔を透明な粘液が覆う。血管と筋肉の剥き出した肉面から沁み出すそれは、映写機の光を浴びて冷たく、哀しげに、光っていた。
「ごめん」
 追われることがないように、俺は彼女の顔めがけて、ウィルキンソンの炭酸水をぶちまけた。(俺が炭酸水を買ったのは、このためだった。正直、彼女には使いたくなかったが。)
 女友達が顔を両手で覆い、叫ぶ。
「ミンナ、ジダイノモウシゴニナルンダ!」
 俺は恐怖に歯をならしながら和尚の髪の毛をむしり続けている。和尚はピンク映画のパンフレットでマスをかいている。
 この時、俺達はトイレのなかにいた。ジダイノモウシゴは生活の臭いが嫌いだからだ。なかには「シンペンザッキ」と唱えると消える類いのやつもいるが、今回のはあまりに厄介らしい、と、マスをかきながら和尚さんが教えてくれる。生臭坊主らしい。
「蒼井そら、沙倉まな板 つぼみかな」
 坊さん、そんなミーハーな川柳読んでる場合じゃねえぞ。こいつが唯一のか、今日は厄日だ。
 俺は脳内会議をしていた。俺は脳内会議をするとき、誰かの髪をむしっていないといい考えが浮かばない。坊さんには許可を得ている。いい坊さんだ。
俺A「奴の皮を引き剥がせ!」
俺B 「奴を皮ごと引き剥がせ!」
俺C「皮の奥から引きずり出せ!」

俺「人間! 人間! 人間を引きずり出せ!」

 景気づけに坊さんの首を果物ナイフで掻き捌き、吹き出る血潮で額に魔除けの梵字を書いた。引き剥がす。ジダイノモウシゴの皮を、引き剥がす!
 俺はトイレの扉を蹴破り、一目散に通路に躍り出た。目の前には人を喰らってパンパンにフロアを埋め尽くす青白い肉塊。かつて、俺の元カノだった身体。今は、もう、別のモノに乗っ取られている。
「今から、助けてやるからな」
 俺の右腕を伝う赤い電流が、ナイフの刃を朱色の水晶質に変えてゆく。
 今から、こいつを、引き剥がす!
 雄叫びを上げながら駆け出す。やつは人を食い過ぎた。もう動けない。これで最後だ!
 やつの頭部が刃圏に入る。俺の右足が、とろろ芋を踏んで転ける。凄まじい音を立てて顔面を通路にめり込ませる俺。やつはけたたましく笑う、笑う、笑う。
 朦朧とした意識のなかで、俺は呪う。中国製のデッキシューズを。滑り止めの利かない、デッキシューズを。

……こうして俺は、バラバラになり、永遠に、映画館のなかに閉じこめられた。以上、実話でした。