手首の上をながれてゆく触覚を足の裏に溜める。肌からにじみでる殺意が皮脂に溶け込んでしまうのは、私の内なる単子が水を吸った海綿だからだ。水色の球面を幾度となくめぐり、針をうしなった摩擦力。角の取れた立方体。私は右手を挙げて、「冬に哭く者」を呼びとめる。もはや目線はつま先を追わずに、はぐれてゆく雲の投影だけが私のいらだちを終わらせる。もはや哭かないそれは、乳房に蒼い火をともして私に盃を手渡す。水平面からあふれ出る泪が、大地へと、私へとこぼれ落ち、蒸気となって眼のなかへ吸い込まれる。遠いなぎさで虹色の泡が砕ける。私は泪の盃を飲み干す。それは、動物のおさえつけられた欲動からにじみ出た濁酒。植物の凍結への覚悟が結んだ清酒。冬空にうがたれた坑道の秘奥にてそれが涙腺へと受け止めた酒醪だ。私の胃のなかで逆巻くその液体は、それぞれのはじけとぶ音素へと姿を変え、孤独で塗りかためられた私の肉壁を透過する。数限りない段差を弧状にのりこえて、すべての凍えるものへと快楽を運んでゆく。外なる木々に目撃されたときのように、私は均衡を失する。世界中の土壌のおもてに、熱素が殻をやぶり、融けだす。
手首の上をながれてゆく触覚にはもはや場所をあたえない。殺意は見知らぬ湿った森のなかで殺されてしまった。紫の線分を二往復して、葉の裏の虫たちを呼び寄せる私には、いくつもの小さな文字が届けられる。私は左手を挙げて、「鍵を産む者」を呼びとめる。私の兄弟は頭からくずれてゆく、今日もまた極地へと旅立ったのだ。螺旋をえがきながら降下するそれをめがけて、私はからの盃を投げつける。盃は空気のにごった流れに侵食されながらしずかに形をうしない、ひとかけらの雪になる。最後の雪に。雪のすべってゆく軌跡を追うようにして、それは私の前へと着地して、七つの瞳の色をなめらかに推移させながら、私に鍵束を差し出す。それは、まだ夢見られたことのない断崖からころがり落ちた砂岩の、偶然の意思によって生成された鉄製のこずえ。人が人を恋う瞬間に、暗い溶液の中に凝固した枝分かれした磁性体。数多くの気まぐれを素材にして、それの城邑にて生み出された符合だ。一つ目の扉を開けると星がめぐった。二つ目で生き物が目覚めた。三つ目で木々が芽吹いた。四つ目で人が死んだ。五つ目の扉の前に来て、私は銃で撃たれたかのようにためらった。そして五つ目の扉を開けると、二人目の私が現れて、私を殺していった。
選出作品
作品 - 20111201_046_5729p
- [優] 儀式 - zero (2011-12)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
儀式
zero