選出作品

作品 - 20110228_716_5042p

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限界庭園

  黒沢



蜜の、臭いの漂う限界庭園には、陳列された躑躅のサンプルがあり、押し黙った庭師が敷地をあるく。初めに映し出されるのは、手。接写状態の、傷だらけの手のしわ。老いた猿の知恵深さと、ヒトの狂気と、神の精密さをあわせ持つ。続いて、突如、遠景であるはずの容れものが、つまりは、この限界庭園の全体が、ぼやけて不確かな像を結ぶ。あらかじめ、定義された大気が動き、花粉や虫の糞やらを、あらぬ方位に運び去っている。

ひとつの躑躅をしらべ終わると、次の躑躅が、拡大して顕れる。限界庭園には、近景と、遠景しかないから、視覚は、常に極端をスイッチする。庭師の手は雨垂れに濡れ、断続的な、時の侵食に奇しくも犯されて、架空の神の、魚眼レンズとなる。ヒトにとっての、悔いとなり得る。

ところで、更なる次の躑躅のサンプルは、突如、花ひらく。それから、限界庭園のかたい石床の、水溜りへと花びらをばら撒く。蜜の、臭いで雨を閉じ込め、葉むらの構造の深い底で、夢をむさぼる。青いビニールで補完されている、庭師の極めて長躯のからだ。雨を吸いこむ株の向こうに、それが遠景で時おり見える。温帯の、豹やライオンが持つ疲労尿素と、気高い孤独とが、来園者の胸を打ち、愕かす。

透視図法の、雨垂れの連続は、残酷な手つきでこの限界庭園を、猿と、ヒトと、神がなすこの無意味な実験を、始終、飽きることなく包囲し続ける。雨が弱まると、庭園の敷地の限界が、音もなく膨らむ。雨が強まると、魚眼レンズごしに見た曇り空は暗く、庭師、ライオン、神、来園者、躑躅までを含め、すべてが定位して怖ろしくひき締まる。

さて、終りの躑躅のサンプルは、だんだんに巨大化を止めない。限界庭園にとっては、危機とも、久遠ともいい切れる、あの庭師のビニールの青。ぼやけたそれが近景となる。雨垂れに犯されると、多くの花が、突如、震える。猿の手が、均一に育て上げたあり得ない球。株分けに、株分けを重ねた、躑躅のコピー。いちいち、雨をはじく花びらの芯が、限界庭園の近すぎる空を、勝手に夢見ている。密生に、密生を重ねた大気の密度が、雌しべのひとつに、接写していく。別の、来場者がとおり過ぎ、庭園の記録に改行を増やす。最後に映し出されるのは、手。老いた猿の知恵深さと、ヒトの狂気と、神の精密さをあわせ持つ、という。