選出作品

作品 - 20101231_923_4932p

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一の蝶による五の夢景

  リンネ

 i. eating machines / Parantica sita

その日の朝食は、いつものように厚めのトーストが一枚でした。私は表面にのせたバターが溶けていくのを嬉しそうに見ていますが、何かが溶けきらず、パンの上に残ってしまいました。それは生まれたばかりの赤ん坊のように粘液でまみれています。目を疑うようなことですが、どうやら、アサギマダラという蝶の幼虫のようなのです。生きているのでしょうか? ためしに指でつつくと、幼虫は判別しがたい色をした体液を流して、みるみるうちにしぼんでしまい、後には脱ぎ捨てられた服のように、まだら模様をした派手派手しい体皮が残りました。本来キジョランの葉に住むアサギマダラが、なぜこんなところにいたのか、当然それを疑問に思わなければいけないのですが、私はなぜかそのとき、アサギマダラが有毒であるということに頭がいっぱいで、とにかく、そのトーストを食べてはいけないのだ、食べてはいけないのだ、と自分に言い聞かせるのがやっとでした。というのも、私はすでにそのトーストを手に取り、よだれを口いっぱいに溜めて、のどを鳴らしていたからです。

 ii. metamorphosis / Papilio xuthus

二人で赤ん坊のお守りをしていました。赤ん坊が泣きだしたので抱き上げると、おむつに柔らかい便がたまっています。もう一人のお守りはその便に怯え、頭を抱えて震えています。私は、そうっとおむつを剥がして便を処理しました。洗面器に湯がたまっています。藤編みのバスケットをもう一人から手渡されました。中のシーツの上に、さっきとは別の赤ん坊がうつ伏せになっています。不安になり、仰向けにすると、顔がトカゲのようにしわがれていました。急いで洗面器に浸けて揺さぶります。けれどそのせいで、首もとがゴムのように裂けてしまいました。大きく開いた切れ目から、一匹のアゲハチョウが羽を広げて這い出てきます。二人は「救急車を!!」と絶叫しましたが、もはや赤ん坊は洗面器にぷかぷかと浮かぶ、単なるさなぎの殻に過ぎないということが、心のどこかで、にわかに予感として芽生えていました。

 iii. reproduction / **** ****

さて、深い森の中に、スーツを着た男がいました。おかしなことに、その男の背中には大きな蝶の羽が生えているのですが、私はそのことよりも、なぜこんな場所に彼がいるのかが気になりました。自殺願望者かと思ったのです。「気づいたら生まれてた、おまえもそうだろ?」と彼がそういうと、私はいつの間にか何匹もの蝶になって、男とこもごもに交尾をはじめていました。終始淡白であった情事を終えると、男はすぐにどこかへ飛んでいってしまいました。私たちはさっそく、産卵に最適な植物を探していますが、自分たちがどんな種類の蝶か知らないのに、それが分かるはずありません。けれども、もはや私たちにはそれ以外、目的といっていいものがまるでなかったので、何も心配せずに森じゅうを飛び回っているのでした。

 iv. suspended animation / Byasa alcinous

ベッドに寝転んだ赤ん坊のおでこに、手のひらのように大きなジャコウアゲハが留まりました。私は突然のほほえましい光景にうっとりとし、カメラのファインダー越しにそれを眺めています。赤ん坊の白い肌とジャコウアゲハの真っ赤な斑紋のコントラスト、これが素晴らしく美しいのです。しばらくすると、縫い針ほどに細い蝶の口吻が、蜜を探るようにせわしなく赤ん坊の口元へ伸びていきました。私は夢中でシャッターを切りつづけています。しだいに赤ん坊はますます白く、蝶のほうは赤々と鮮血のような色合いを増していきました。しまいには、もはや真っ青になった赤ん坊を残して、毒々しいまでに赤らんだジャコウアゲハが、私のいるほうへ揺れながら飛んできました。何気なくそれを避けると、蝶はそのまましばらくまっすぐに飛んでいき、突然大きな円を描いたと思うと、音も立てずに破裂してしまいました。私は残念に思いましたが、その瞬間がうまく撮れていたか、カメラのモニターで熱心に確認しています。

 v. eating machines / Graphium doson (Papilio mikado)

体中に汗が吹いています。夏、でしょうか。家のベランダから見える公園に、全身にミカドアゲハという蝶をまとっている人を見かけました。あまりたくさんの蝶が留まっているので、顔も見えず、もちろん男か女かも分かりません。人かどうかさえ怪しいものです。昔沖縄の林道で、川辺の地面を吸っている数え切れないほどのミカドアゲハを見たことがありましたが、もしかしたら、あれに集っているミカドアゲハも同じ目的なのかもしれません。目的といえば、蝶は単に水分を求めているのではなく、そこに含まれた塩分などを得るために、ミネラルの豊富な川辺の地面に集まるのです。そう考えると、人間の汗には多くの栄養分が含まれているはずですから、この状況もあながち特殊なことではないといえましょう。おそらく、たくさんの蝶がまとわりつくことで、人間の体温もおのずと上昇し、より豊富な量の汗が出るのですから、これは実に効率のいい作戦であるともいえます。